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 一昔前、小泉純一郎という人気者の総理がいた。彼は、物事を単純化してみせるのが得意で、「郵政民営化にyesかnoか」という05年9月11日の総選挙などが、小泉政治の真骨頂だった。また、彼は詭弁の達者な総理だった。「イラクのどこが戦闘地域で、どこが戦闘地域でないのか」という問いに対して、「そんなことわかるわけないじゃないか。自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」と非論理の極を行く答弁をしてもメディアは甘く許容した。この小泉総理が「派遣」や「非正規雇用」のことを、「働き方の多様性があっていい」と推進してきたことを私は忘れない。

 つまり、派遣労働者は自由な意志で仕事を選ぶことの出来る存在で、そういう生き方をしたい人が多くなったことを「悪いこと」だと言えるだろうか……という見解である。一見するともっともな理屈だが、最近は政府・財界御用達の御用学者が言うぐらいであまり聞かれなくなった。「自由な意志」は派遣・請負と間接雇用で雇用責任を免れている企業にのみ宿っている。昨日、発表された「派遣切り・雇い止め8万5千人」は「製造業大手企業」によって解雇される対象であり、労働者側に「仕事と住居を継続して保証しろ」と要求する意志は認められていない。

 自由とは何か。人生の進路を選択し、決定する権利を奪われた自由など存在しない。「地獄に落ちろ」と命じられて、従順に「はい」と従うのは自由ではなく隷属である。小泉的詭弁が本当なら、企業の解雇通知に対して非正規労働者は自由に「拒否」したり、「承諾」したりする自己決定権を持っていなければならない。

 小泉政治が生んだ「痛み」「格差」を隠してきたのは、「自己責任」というまやかしだった。社会が制度がと文句を言う前に、経済的にギリギリの非正規雇用にいるあんたの自己責任だよ、と切り捨てる発想だ。地震や津波で亡くなる人も、いくらかの「自己責任」はあるだろうが、自分の意志や予想を超えた事態に多くの人が襲われることはあり、それらの人々は被災者として平等に支援されるべきだろう。「自己責任」の反語は「協同責任」である。社会が互いに手をさしのべる機能が社会保障であり、政府の役割である。

 あきらかに10万人台の大量失業者の苦境を乗り越えるのは「自己責任」論ではない。まさに、社会をあげての「協同責任」で解決しなければならない。しかし、その前提として大量解雇しながら巨大な内部留保(剰余金)を確保している製造業大手企業が、もっとも大きな責任を負い、率先して自治体などの雇用安定基金に拠出をするべきだというのが私の提案だ。

12月25日のニコニコ動画・生放送の報告がマイコミジャーナルに掲載された。
ぜひ、ご一読ねがいたい。

「非正規切りは明らかな"政治災害"」、福島瑞穂がニコニコ生放送で強調






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