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本日、日本弁護士連合会と死刑廃止議員連盟で意見交換の場を持った。亀井静香会長(国民新党)、金田誠一副会長(民主党)、上田勇幹事(公明党)、仁比聡平幹事(日本共産党)、保坂展人事務局長(社民党)の5人で日弁連を訪問した。丸島俊介事務総長をはじめとした刑事拘禁制度改革実現本部・刑事法制委員会の弁護士の皆さんと約1時間議論した。亀井静香会長から冒頭に挨拶があり、議員連盟で「終身刑創設と死刑判決の全会一致」を法案とした経過と、自民党の加藤紘一議員を会長に、また平沢勝栄議員を事務局長にして始まった「終身刑」を考える量刑制度の勉強会が発足した経過などが語られた。その後に、私が補足説明した議論に入った。

 日弁連側からは「現状の無期懲役は、事実上の終身刑となっており、仮釈放のない終身刑は世界的にも例がない。重罰化・厳罰化の流れの中で、もうひとつ終身刑を創設することには危惧がある」という意見が述べられ、私は「鳩山大臣の連続執行が世論的に評価され、サミット後も処刑を予定していると聞いている。裁判員制度がスタートする前年の今年は、20人の執行があってもおかしくない情勢で、死刑判決をより慎重に行うために『全員一致』ルールを採用した。しかし、同時に終身刑を創設することで国会議員や世論の理解を得ることも必要だ。法務省や鳩山大臣に抗議しているだけでは解決しない」と意見を述べた。

日弁連からは「裁判員裁判が始まると、現状の裁判官裁判よりも死刑判決が増えるとは思わない。むしろ、抑制される可能性がある」という観測が述べられたが、
私は、「残念ながら模擬裁判を見る限り、その可能性は薄い。むしろ、死刑の量刑基準は大幅に下がり、『例外的に死刑』から『原則的に死刑』にすでに裁判所は転換しようとしていることを考えると、国連の死刑執行決議とは正反対に日本が数年後に大量処刑国となる確率がきわめて高い」と述べた。また、臨時国会の入口で第2回の意見交換を行おうということになった。

ところで、今朝の朝日新聞に「素粒子」の『死に神』表現をめぐって犯罪被害者の会に回答したという記事が掲載されていた。

素粒子への批判 厳粛に受け止め 犯罪被害者の会に本社

2008年7月2日3時14分朝日新聞

 死刑執行にからんで鳩山法相を「死に神」などと表現した朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」を巡り、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が「我々に対する侮辱でもある」と抗議していた問題で、朝日新聞社は6月30日付の文書で同会の質問に回答した。

 回答はコラムについて、死刑を巡る鳩山法相の一連の言動を踏まえたものと説明。「犯罪被害者遺族にどんな気持ちを起こさせるか考えなかったのか」との質問には、「お気持ちに思いが至らなかった」とし、「ご批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かしていきます」と答えた。

 また、朝日新聞は死刑廃止の立場をとっていないとしたうえで、執行にあたっては慎重な対応を求めてきたことを説明。鳩山法相が昨年9月の記者会見で、「半年以内に死刑は執行されねばならないという規定が自動的に進むような方法はないのか」「ベルトコンベヤーと言ってはいけないが、順番通りということなのか、それとも乱数表なのか、わからないけれど」と述べた後、ほぼ2カ月間隔で死刑の執行を命じ、就任から1年足らずで13人の死刑が執行されたことを指摘。こうした一連の言動を踏まえ、社会の様々な出来事を短行で批評する「素粒子」筆者の視点から「死に神」などと表現したと答えた。

 鳩山法相については「中傷する意図は全くありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとすれば、残念です」とした。

 被害者の会の代表幹事である岡村勲弁護士は6月25日の記者会見で、「私たち犯罪被害者遺族は、死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている。(コラムは)鳩山法相に対する批判であるが、そのまま犯罪被害者遺族にもあてられたものだ」と抗議していた。

[引用終了]

いったい朝日新聞は何が言いたいのか、さっぱり判らない。「朝日新聞は死刑廃止の立場をとっていない」と書いているが、廃止でなければ存置なのか、モラトリアム(休止)なのかも明らかでない。また存置であるのなら、なぜ国連の死刑執行停止決議があっても、なお存置なのかを明快に主張すべきであろう。内閣府の調査で「8割の世論」が「場合によっては死刑もやむをえない」と死刑存置に傾いていることが連続執行する鳩山大臣の論拠だが、それなら『8割の世論が拒否感情』を有している裁判員制度のスタートについて躊躇しないのかについても指摘すべきだと思う。

今日は時間がないのでこの程度にするが、少なくとも言論機関としては、もう少ししっかりした議論を構築してほしい。死刑の議論はタブーではない。大いにやるべきだ。しかし、今日の奥歯にモノがはさまったような紙面を見る限り、「死刑の連続執行」を次に報道する時に、「批判の声」「国際世論に逆行」「議員連盟が抗議」ということすら、排除されていく危惧を感じる。『死に神』という表現をめぐる議論が「死刑は当然」「あたりまえのことを批判するな」というマジョリティに傾いているからこそ、言論・ペンは揺らいではならないはずだ。戦前の翼賛政治は、政府の「提灯持ち」の役割を積極的に果たした新聞の存在なしには、ありえなかったことぐらい十分に知っているはずだ。

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