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 民主党代表選挙に小沢一郎氏が立候補する意志表明があった。鳩山由紀夫前総理は、「条件付き管総理続投支持」から「小沢支持」に切り替えるという。9月14日に向けて、両者が激突する展開になるとメディアは伝えている。政権政党の代表選挙は、すなわち総理大臣を選出する選挙となる。

 菅総理は、小沢氏の挑戦を受けてどう戦うのか。今から14年前の1996年夏、民主党結党時から鳩山由紀夫氏と共に「民主党の顔」として活躍してきた菅総理には、この結党時のメンバーこそがオリジナル民主党だという思いが強いのではないか。当時の新党さきがけを中心に、現内閣の枢要な部分を固めているのは、この人々だ。

 当時の小沢氏は、小選挙区比例代表並立制で行なわれる最初の選挙を戦うために、新進党を結成し総力戦を挑もうとしていた。1993年に自民党を下野させて細川連立政権を樹立した小沢氏(当時は新政党)は、強引な手腕で当時の社会党を封印しようとした。「寝耳に水」だった「統一会派改新」騒動で社会党は連立政権を離脱、細川政権に続く羽田政権は少数与党の短命内閣となった。

 1994年夏の「自社さ」連立政権は、政権復帰の機会を虎視眈々と狙っていた自民党と、小沢氏の強権的な手法にふりまわされてきた社会党、さきがけの「反小沢統一戦線」だった。小沢氏の「問答無用」の強引な手法を「強権政治」と呼んで、ていねいに合意を重ねていくスタイルを政権運営の基本に据えた。村山総理が誕生すると、厚生大臣として菅氏も入閣する。そして、「薬害エイズ」問題に取り組んで脚光を浴びることになる。

 14年前の夏に戻ろう。小選挙区を中心とする選挙区で「自民対新進」の構図が出来つつあった。二大政党の狭間で、当時の社会党やさきがけは埋没する危険があり、「第三極」として民主党結成の準備が進んだ。この第一次民主党とは、当時の社会党(党名変更して社民党)とさきがけが合流する形でつくられようとしてきた。

 ところが、96年夏には「排除の論理」という言葉が鳩山由紀夫氏から出てきた。武村正義元官房長官や、村山元総理など両党の重鎮は「新党に参加するのは御遠慮願いたい」というのが「排除の論理」だった。当初、社民党は丸ごと民主党に合流する予定だったが、「合流出来るかどうかは選別させてもらう」という「排除の論理」の前で常任幹事会は「民主党合流」の方針を覆し、「総選挙は社民党で戦う」と転換した。しかし、すでに多くの国会議員は民主党に移り、社民党は土井たか子元議長が党首に就任して総選挙を迎える。

 この「排除の論理」は、鳩山由紀夫・菅直人というふたりの政治家にとって、政治的に正しい判断であると言われてきた。私は、古い人間なのかもしれないが強烈な違和感を持ったことを覚えている。政治家が動くときに「その選択は得か、損か」という物差しを当てて推し量ることは必要だが、「得」を追って「徳」を失うことは慎むべきだと考えたからだ。

 私自身、当時の社民党が民主党に丸ごと合流していれば、急に総選挙に立候補することもなかった。「排除の論理」の副産物として、少数政党としての社民党が残り、14年の歳月を過ごしたことになる。14年前の総選挙で民主党のスローガンは「市民が主役」だったし、社民党は「市民との絆」だった。私たちは、新しい「政治」へと脱皮しようとして懸命な挑戦を開始した。

 しかし、市民が「主役」となり、「絆」を結んで力を得る姿は、一部の地方政治に萌芽としてあるだけで、現在の国政に足場をつくるに至っていない。「市民派」という言葉も、永田町では「元市民派」というニュアンスで使われている。

今度の民主党代表選挙後には、政界で何が起こるか判らない。おそらく、激しく予想外の動きが起きてくるだろう。昨年の「政権交代」のドラマが失速し、地下にたまっているマグマがどこへ動くのか。14年前の夏を思い起こしながら、しっかり考えていきたい。


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