不思議なことに、昨日の衆議院厚生労働委員会の年金・旧台帳の倉庫視察について、17人の与野党衆議院議員が1時間余りにわたって視察をしたことについて、見渡したところ今朝の新聞各紙はまったく触れていない。倉庫前にテレビの中継車まで出動して物々しい空気が流れていたし、事実テレビのニュースでは触れていた。
しかし、昨日の時点では『どこどこ日記』の読者以外は倉庫視察で何が明らかになったのかを知ることが出来ないということになる。
一晩おいて、もう一度考えてみる。なぜ、6月に出向いた参議院厚生労働委員会野党中心の視察団を厚生労働省・社会保険庁は「門前払い」をしたのだろうか。『社保庁長官、野党調査団を門前払い』(保坂展人のどこどこ日記・6月26日分) 国会議員4人が「年金記録調査」のために都心から1時間半かけて視察に出向いた倉庫を門前払いするのは、前代未聞である。不快感もひときわだが、なぜ頑なに視察を拒んだのか疑問が深まった。ここで、素直に視察をさせていたら、私もこれほど「旧台帳」調査にこだわることもなかっただろう。
何か異様な、硬直した「絶対的拒否姿勢」を指示していたのは、当時の安倍政権の官邸も含めた権力意志だったように受け止めた。この倉庫の重い扉が開くと、参議院選挙前に、安倍前総理が次々と打ち出していた「年金記録問題に関しての国民の皆様との約束」が覆る何かがこの倉庫に眠っていたのではないかと考えた。
実際に「重い扉」が開いたのは、5カ月半後のことである。倉庫内に手を入れ、整頓する時間は十分にある。しかし、その間に80坪の「旧台帳」倉庫はいつになく賑わっていた。全国の社会保険事務局から出張で、「5000万件の年金記録」と対応する旧台帳との照合調査が始まっていたからだ。
私は、「『1365万件・旧台帳』の半数は策出不能だった」で、この1年半、社会保険庁から倉庫に2700回の策出(検索)依頼して、その50%が存在しなかったという事実を国会で問題とした。しかし、この旧台帳倉庫に記録を探すための照会が殺到したのは、この数年である。少なくとも3年前は、ぽつりぽつりとしか依頼はなかった。
この倉庫は、いちおう保管してあるがほとんど使われない「年金記録の墓場」だったのではないか。
問題なのは、年金受給者として生活をしている70代以上の皆さんの記録も、この80坪に封印されて、陽の目を見なかったという日々が続いていたのではないか。年金記録の深い闇、これをじっくりと考え、資料に当たり、報道していこうというジャーナリストはいないだろうか。国民が知るべき情報がここにある。
年金の闇、地底深く封印されていた旧台帳がよみがえる日が近づいていると私は確信している。

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