年末年始の『朝まで生テレビ』を見て、番組がツイッターを使って視聴者の声を取り上げるとしながら、2000人近いツイートは番組スタッフしかみることが出来ず、faxや電話にもうひとつ投書手段が加わったという形だった。出演者から、「このスタジオにツイートを表示することは出来ないのか。有線か無線LANを備えることは出来ないのか」という不満が表明され、見ていてなるほどと思った。「既存メディア」の側から「ネット」を使って「視聴者参加型」に仕上げたいという趣向の番組はこれからも増えていくだろうが、番組進行の主導権はあくまで制作サイドがコントロールしたいから、舞台裏に隠しておきたいというスタイルになりやすい。けれども、ツイッターなどのやりとりに慣れていると、まるでその手法は冗長で効率が悪いようにも見える。
この問題は、単純に「既存メディア」対「ネット」の対決図式で考えるものではないと思う。12月11日に約3時間の生中継(UST/ニコニコ生放送)を主催した。テーマは、「政治の言葉は伝えられるか。メディア・ネット・政治を考える」だった。ビデオニュース・ドットコムの神保哲生さんをゲストに、ツイッターを使って番組を進行していったが、実のところ『朝生』とまったく同じスタイルだったのだ。トークを私と神保さんが続けている間に、ツイッターのハッシュタグに入ってきた声を進行スタッフが読んでプリントアウトし、アシスタントが読み上げていくという形だ。終わってからの反省で、客席に有料で入場した皆さんにもモニターで「ニコ生」の画面を流すべきだったし、またトークをしているゲストの側にもモニターがほしかったという声が出た。
このような体制を私たちがとらなかったのは、単純にスタッフが不足していて、また準備時間もギリギリだったことにある。次回からは、なるべく改善していきたいと思う。「既存メディア」と一口で言っても、テレビや新聞も記者を育てるのに大変な努力をしている。「取材のイロハ」から学び、現場取材を重ねて原稿の書き方、レポートの仕方を覚えていく。一方で「ネット」は利便性・速報性に優れているが、バラバラの個人がそれぞれ発信しているコンテンツは玉石混淆で、情報として正確でないものやパロディとして「ありえない話」を平気で流すことも出来る。私自身は、10数年にわたって週刊誌・月刊誌の仕事をしていたから、取材のイロハや記事のツボなどは、まさに既存メディアの只中で修行・訓練をしてきた人間である。
「ネットメディア」が利便性・速報性を持ちながらも、独自の取材・情報取得をしながら社会的な影響力を駆使する存在に成長しているケースは日本では稀だ。神保さんのビデオニュース・ドットコムは10年継続して、月500円の有料会員を1万人獲得ししているが、相当の苦労を重ねて現在に至っているようだ。「ネット・メディア」が経営的に独立出来ない壁は、「無料化」の慣習にある。新聞やテレビのサイトが無料で始まって広がったことが、今日「既存メディア」の長期低落減収傾向を決定的なものとしているが、収入源を持たないネットメディアが経済的に存在基盤を有料会員などで確保するのは至難の技である。
新聞・テレビという既存メディアが、どんどん元気がなくなり、取材・分析の力が衰えていくと、現状では「ネットの言説」も同時に地盤沈下していくおそれもある。2011年は、オルタナティブにネットメディアが確立されると共に、既存メディアが再度立ち直り活性化する道も考えていかなければならないと私は考えている。もちろん、オルタナティブメディアのひとつを小さいながら『どこどこ日記』も果たしていきたい。