hiyamizu's blog

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桐島洋子「わたしが家族について語るなら」を読む

2010年05月16日 | 読書2

桐島洋子著「未来のおとなへ語る わたしが家族について語るなら」2010年3月、ポプラ社発行を読んだ。

各界の著名人が小学校高学年から中学生に向けて語る「未来のおとなへ語るシリーズ」のうちの一つだ。
冒頭に子どもの頃の家族写真から、現在の3人の子どもとの写真まで14枚並んでいる。内容も戦前の上海での生活から、現在の子どもたちとの生活、関係まで自分の人生の中で家族について語っている。

マザー・グースと三匹の子豚たち』や、『ガールイエスタデイ -わたしはこんな少女だった-』(1999年2月フェリシモ出版(絶版))で読んだ話が多いが、相変わらず桐島さんのあっぱれな決断力、行動力に驚く。


   

胸にパッドを入れて、ハイヒールを履いて前傾になり、膨らんだお腹を隠して予定日の2ヶ月前まで勤務していた。第二子は、お金がないので、船上の医療行為は当時船賃に含まれていたことを利用して、ソ連からヨーロッパへ、そしてマルセイユから船に乗り、予定通り船上で出産した。

3人の子どもを抱えて外資系に就職したとき、子ども3人を引き連れてホテル・オークラへ行き、ロビーに放牧して自分は会社へ出勤。数時間おきに見に行った。

アメリカの親は子どもについて、”get rid” (片付ける=厄介払いのニュアンス)と良く言っていた。もう親のコントロールが効かない高校生が16歳で車の免許をとる。そこで、親は嘆く。
「今あいつが事故を起こしたら責任をかぶるのは親なんだ。家も老後資金もバカ息子の尻拭いでパーになりかねないと思うと生きた心地がしない。ああ、早く18歳になってくれ。その日にウチから叩き出してやる」




私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

大人では、よほどの桐島ファンでなければ、読むような本ではない。ただし、一頁に385字と大きな字がスカスカで、ちょっとした漢字にはふりがな付き、ややこしい表現なしと、年寄り向きでもある。

桐島さんにお会いしたとき、「私は子どもたちを放任していたから、娘のかれんは反発もあって、朝早く起きて子どもたちの弁当を作るなどこどもべったりの生活をしている」というようなことを話していた。



桐島洋子
1937年東京生まれ。作家。1972年『淋しいアメリカ人』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。以来著作・テレビ・講演などで活躍しながら、かれん(モデル)、ノエル(エッセイスト)、ローランド(カメラマン)の3児を育て上げる。50代で子育てを了えてからは、“林住期”を宣言。仕事を絞り、年の数カ月はカナダで人生の成熟の秋を穏やかに愉しむ。70代からは日本で、マスコミよりミニコミを選び、東京の自宅にオトナの寺子屋「森羅塾」を主催している。



はじめに ―自立して生きるということ
第1章 私はこんな家庭で育った
  私のルーツ―多国籍、多民族の上海
  父母が熱中していた芸術三昧の日々
  学校になじめない中学生活
第2章 親という巣から羽ばたく
  とんでもない冒険―仕事も子どもも持つという選択
  仕事に復帰、そして第二子出産へ
  フリーランス記者としてベトナム取材
  子どもたちの父との決別
第3章 家族がいて、一緒に暮らす楽しみ
  職業人としての責任、親としての責任
  私の恋、そして別離
  子どもと存分につき合いたい!―一年間のアメリカ暮らし
  家事能力、生活能力を身につけさせる
  日本に帰りたくない!
第4章 私が考えるこれからの家族
  親と子の距離―子どもの親を見る眼
  私の結婚、そして親子生活卒業
  元親子の友だちづき合い
  これからの理想の住まい方



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