hiyamizu's blog

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香山リカ「親子という病」を読む

2008年12月17日 | 読書2
香山リカ著「親子という病」2008年8月、講談社現代新書を読んだ。

若いミュージシャンは「生んでくれてありがとう」と叫ぶ。「家族は恋人」キャンペーンが行われる。幸せそうな家庭で家庭内殺人事件が起こる。児童虐待が増加する。親が憎いが家を離れられない子供がいる。
「“親子”という古くて新しい問題をあらためて考えてみた」というのがこの本だ。

出生の秘密に過剰にこだわり、現実に問題が起きるたびに、「どうして生んだんだ」「望まれていなかったなら生まれなければよかった」と考える人が多くなった。

「親には必ず母性愛があるはずなのに、その親に愛されなかったのは私が悪いから」と考える娘たちは、せめて「役に立つ私、必要とされる私」になることで自分の存在根拠を獲得しようとする。だから、「母親の支配を逃れる」とは「母親の役に立たない自分になる」ことと同じであり、それはさらに「存在価値のない私」になってしまう、ということでもある」

第1章 親を殺す子どもたち
第2章 「なぜ生まれたのか」と問い続ける子どもたち
第3章 母に依存する娘、娘を支配する母親
第4章 母の愛は無償なのか
第5章 母性が加害性を持つとき
第6章 理想の家族にひそむワナ
第7章 「親子という致命的な病」への処方箋
第8章 親子という病のために「まだできること」

こんな調子で親子のさまざまな問題と、その心理分析が語られる。そして最終章で、あらゆる親子関係は病的で、永遠に治療不可能な病気だと結論される。

一つの処方箋、「母親に対する怒りを自覚し、親の押し付けにNOと言う。そのときに罪悪感は必要経費を割り切る」を主張する人がいる。また、「母親もそうならざるを得なかったことを自覚し、意図的に距離を置く」ことを主張する人もいる。
しかし、これらの処方箋は、実際には実行不可として、著者自身の処方箋が以下のように語られる。
酸欠状態の密室化した家庭では問題がより深刻になる。親子という病はもう治らないのだから、家族から少しでも目をそらし、社会へ目をやり、身をおくことが対処療法として最善だ。


著者の香山リカは、1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
幸せそうに見える家族、親子にさまざまな問題が存在することは分かった。しかし、当然ながら、あらゆる親子間の問題に適用できる明解な処方箋はない。



私には、ごくたまに、幼い頃の光景がふと浮かぶことがある。

母に連れられてデパートを歩いている。心細くて、母の着物の袖をしっかりとつかんでいる。母がいくぶんじゃけんに言う。
「そんなにひっぱったら歩きにくいでしょう」
びっくりして、あわてて手を放す。

ただそれだけの光景だが、いまだに心に焼き付いている。
私は、兄が亡くなった直後に生まれた一人っ子であったから、愛情に十分恵まれて育った。そんな私でも、こんな些細なことが60年経った後でも、かすかな心の傷になっている。
ましてや、虐待された子供の傷はいかばかりのものなのか。



コメント
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