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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

鈴虫放虫式

2019-08-30 | 日記
  8月30日(金) 
朝夕は寒さを感じるようになり、水田の稲穂はいつの間にか少し傾き始めてきた。夜明けがかなり遅くなって朝5時では未だ薄暗く6時になって散歩に出ると、秋の虫が大合唱していて、生まれて間もない1㎝位の蛙が元気に道路を飛び跳ねて横断するのにびっくりした。爽やかな朝の空気に、自分も動植物皆んなホッとしてやる気が出てきたようだ。メドセージも咲き出した。

今日午後3時から郡山城址で鈴虫の放虫式があるというので出かけた。電車に乗ってまで行く自分に物好きだなぁ~と思いつつ....

ちなみに鈴虫は有田川町の下水道処理施設の敷地で繁殖が行われ、毎年和歌山城に放虫されていているそうだ。昨年は大和郡山にも寄贈され、城跡に2回目の放虫となる。
実は昨年、我が家の鈴虫200匹程の世話に少々疲れを感じていた私。
今年はかなりの数を覚悟していたので成虫になれば庭に放そうと考え、餌も随分早くから買って待っていたのに、孵化しなかった。もう少し待っていれば孵ったかも知れなったのだが待てずに3箱片付けた。
ちょっと寂しい気持ちがあり、郡山城址の何処に放たれるのかにも興味があったのである。

          (画像はクリックすると拡大する)

追手門をくぐって坂を上った所、丁度、式が終わり草むらに放たれるところだった。郡山西保育園の園児さん達も式典に参加していたそうだ。
発泡スチロールのりんご箱、40箱、10000匹はいるだろうと話されていた。手に乗せて放そうとしてもなかなか離れず草むらに飛び込まない。
「餌の時は蓋を開けると直ぐ飛んで逃げ出すのに、今は なんでや!?」と、有田川町の皆さんは笑顔の困り顔で優しく放たれていた。私も数匹そっと掴んで楽しませてもらった。

郡山市役所のUさんが「金魚すくいより難しいわ!」と独り言を言いながら帰って行かれる姿は微笑ましかった。(笑)
ちなみに、今年の8月18日に大和小泉の金魚スクエア(大和郡山市総合公園施設 多目的体育館)で行われた第25回全国金魚すくい選手権大会には9ケ国から外国人49人の参加があったとか。。。
かつて金魚の生産量日本一を誇っていた大和郡山だが、現在は2位になってしまい、「金魚が泳ぐ城下町」のPRは「金魚すくい大会」」で世界に発信していくのかな?

             

話は戻って有田川の鈴虫だが、発泡スチロール容器は蓋が切り抜かれ網が張られていた。成程!それに倉庫の中での保管なので越冬には何の心配もないようだ。我が家の場合、金魚飼育の水槽で今年の越冬は物置きではなく戸外であった事、それに、霧吹きもええ加減だったのが思い当たる。。。。。

放虫が終わる頃には私の気持ちも妙に落ち着いてすっきりした。(笑)
振り向くと天守台の石垣と柳沢神社の屋根が見えた。

鉄砲ゆり

2019-08-26 | 日記
8月も間もなく終わる。セミの声が未だ聞こえると思えば、夕方の散歩で鈴虫の声を聞いた。あんなに暑かった日々が8月23日を境にして急に気温が30℃以下になった。ちなみに我が町の22日の最高気温34.8℃、23日(処暑)は27.5℃であった。
夏と秋が入り混じる今日この頃、夏とのお別れに夏の風物詩、金魚を作った(笑)

  8月26日(月)
一昨年、お花畑で作業をしていられた方からユリの種を頂いた。コピー紙程の薄い、米粒程の小さい種が瓶の中に、いっぱい入っていた。吹けば飛ぶ様な種からあのユリがホントに咲くの?びっくりした。
庭にばら撒いておいたところ、翌年には双葉が出て私の好奇心を動かした。引き抜き写真を撮っていたのを思い出し取り出してみると、2018年5月15日だった。
どんどん大きくなって今年、背丈1.95mに伸びたのもある。なかなか蕾が付かなかったので半ば諦めていたが、、それらしき膨らみを見た時はとても嬉しかった。
     (画像はクリックすると拡大する)

蕾はゆっくりゆっくり膨らんで、1本につき3つ4つの蕾をつけ、上を向いていたのが次第に下を向く様になって、開き始めの浅い黄緑の花が全開すると真っ白になる。
台風10号でほとんどのユリが可愛そうに傾き加減であるが、頑張っておくれと縄を張ってかろうじて立たせている始末。

ところでユリにも色々あるので名前を調べてみると、「鉄砲ゆり」らしい。
彼と「びわこ函館山ゆり園」へ、友人Mさんと「大阪舞洲ゆり園」へ行ったよな。恥ずかしながら私、鉄砲ゆりの名前は知っていても認識が無かった。
でも子供の頃、ユリと言えばこの花であったような気がする。佐渡へ行った時にスカシユリを知り持ち帰り、10余年家では毎年咲かせて楽しみ、外でいろいろ見ている間にすっかり記憶が薄れてしまっていたんだなぁ~。「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」、あの言葉はこのユリから生まれたのではないだろうか・・・・・

        

それにしてもこんなに背が高いのは見た事がない。日当たりの加減だろう。倒れたユリの根っこを見ると球根で、鱗茎の上部に沢山の根が出ている。茶碗蒸しに使うゆり根とは大きさが随分違う。来年再来年にはアレ位になるのかな?否、きっと食用のゆり根は別物なんだよな。

ほとんどが私の頭上で咲いているので、向き合えない。とりあえず4・5枚摂っておいて、後日もっと沢山開いたら追加しよう。


           ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
  27日追加
「鉄砲ゆり」と「団十郎朝顔」との共演が嬉しい。
毎朝ユリに夢中の私、狭い庭には そうね君も居たっけな。。。。。(笑)

        
             ←9月9日 最後のゆり

堺・百舌鳥古墳群へ

2019-08-14 | 日記
福知山城へ行った時(6月9日)に立ち寄った「福知山市丹波生活衣館」で頂いた綿の木の種が芽を出し育って、花が咲くようになった。
黄色い花で、オクラの花と似ているようだ。咲いた初日は黄色で2日目はピンク色になる。花びらの下部の葉っぱの様なのはガクなのかな?ふわふわしたコットンボールの実をこれで包むのかな?何だかよく解らないけれど面白いなぁ~。ドライフラワーにしようと思う。
開花して1週間後、広げると中にこんな実ができていた。

        (画像はクリックすると拡大する) 
 
  8月13日(火)
2019年7月16日世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」(もず・ふるいち古墳群)へ行ってきた。仁徳天皇陵を帰省中の孫に見せたかったのである。
仁徳天皇陵の名称は、埋葬者の確証がないという事で、現在は地名に基づく「大仙古墳」(だいせん古墳)が使われているらしい。50余年前、何の疑問も持たず、宮内庁管轄の仁徳天皇のご陵と信じて足を運び、その大きさに感動していた私。
今、戸惑いを感じながらも、やっぱり仁徳天皇の名を残し、古墳を足して「仁徳天皇陵古墳」の呼称が継承されていって欲しい気がする。今日の日記ではいろいろ使ってみよう。

パパのVOLVOで駐車場に入ったのは正午過ぎ、孫Yちゃんがスマホで検索した「古墳カレー」を食べることになった。お店の名は「お食事処 花茶碗」(はなちゃわん)、仁徳天皇陵古墳のすぐ近くで、レストランというよりは普通の民家の寛げるお茶の間雰囲気の畳部屋で頂く。
女将さんの思い入れがかなり有る様で、ご自身手作りの器にコトコト煮込んだコクのある牛筋カレーがデザインも素敵な古墳の盛り付けで、スコップの形をしたスプーンが添えられる。ブロッコリーは古墳の森、ハート型の目玉焼きは堺の人達の心を表現しているそうだ。そうか・・・堺市民は古墳を愛し大切に思っていられるんだよな。

目の前に運ばれてきた瞬間、私達のテンションは上昇!「さぁ~ それでは発掘を始めよう。」とスコップを持ち上げ取り掛かる。(笑)
器とスプーンの接触音、陶器は磁器とは違って古墳発掘の趣きがある。私は大気に入りで堀り続けた。中から出て来る肉片は家型埴輪の土器と考えておこうと考えつつ。(笑)
甘口と辛口があって5人は辛口を、彼ひとりが甘口を選んだ。「俺、甘口が好きなんやけど家では炊いてもらえないから嬉しいわ。」と言っていた。「よかったね。」と私、皆んな大笑いした。(笑)

置かれていた2・3冊のノートには色んな人達の感想メモや絵や名刺が張り付けられ、この店を訪れた人が如何に気を良くして「古墳カレー」を食べたかが伺えた。勿論私達も同様で、「もう古墳見学終了でこのまま家に帰ろうか!?」と大笑いをして店を出た。

ママの提案で、大仙公園内にある博物館で古墳の知識を得てから古墳へ行くことになった。
博物館では古墳シアターで百舌鳥・古市古墳群の説明ビデオを見て基礎知識を得て、VR(バーチャルリアリティー)体験もした。300m上空からドローンで撮影した眺めを360度映像で見る事ができた。1600年前、5世紀古墳時代の風景や中に入れない内部の石室をCG映像で再現していて、まるで石室の目の前に居る様な錯覚を覚え感動的だった。いろいろ学べてとても良かった。

それから展示室の沢山の品々の中で私がいちばん印象的だったのは、慶長15年の銘が刻まれた「慶長大火縄銃」だった。
徳川家康が作らせた世界最大級の驚くべき3mの長い銃は、大阪の陣に際して豊臣家の大阪城を攻撃するための試作品だったそうで、銃弾は1.6kmぐらい飛ぶ計算だという。なんとまぁ~ 恐ろしきかな!

冊子の説明によると、そもそも古墳は3世紀半ばに奈良盆地に造られ、当時の支配者たちが自分の権威を誇示する為で、5世紀中頃が巨大古墳造営のピークだったらしい。
そういえば余談ながら、奈良県桜井市三輪山の麓、纏向遺跡(まきむく遺跡)内に在る全長282mの大きい前方後円墳・謎の箸墓古墳(邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかとの説あり)は、3世紀後半とされていて、時々メディアが取り上げるのを耳にする。

現在、百舌鳥古墳群には日本最大の前方後円墳[「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」(16代、仁徳天皇陵古墳) 全長486m〕や3番目に大きい[「ミサンザイ古墳(みさんざいこふん)」(17代、履中天皇陵古墳) 全長365m〕、そしてその近くに在って近親者や従者を葬っている小さな古墳・ 陪冢(ばいちょう)を含め44基が残っているそうだ。かつて100基以上在ったのが宅地開発の為に、だんだん減ってきたとか。
ちなみに日本で2番目に大きいのは古市古墳群に属する[「誉田御廟山古墳(ごんだごびょうやまこふん)」(15代、応神天皇陵古墳) 全長425m]だそうだ。

          ←履中天皇陵古墳

仁徳天皇陵古墳はエジプトのクフ王のピラミッドや中国の秦始皇帝陵と並び世界三大墳墓に数えられ、陵域は阪神甲子園球場の12倍らしい。
周囲は2・85kmというから、秦始皇帝陵はいざ知らず、クフ王のピラミッドを一周するよりは仁徳天皇陵古墳を一周する方が遥かに長い距離になる事はピラミッドに行った時の風景を思い出して納得できる。

そうそう、、4月1日から古市古墳群も併せて「MOZU-FURUカード( 古墳カード モズフルカード)」60枚が配布されているというので、5つ(仁徳天皇陵古墳・履中天皇陵古墳・孫太夫山古墳・長塚古墳・納塚古墳)だけだが、古墳の説明板を撮影して観光案内所で画像を見せ、カードをもらってきた。ちょっと嬉しい。(笑)

     いつか応神天皇陵古墳にも行きたいなぁ~。
  





  




団十郎朝顔

2019-08-08 | 日記
  8月8日(木)
毎日が酷暑と言うのに今日は立秋。今年特に長く続いた梅雨が明けて、やっと梅干しの始末も済みホッとしているところに台風9号と10号が発生とのニュース、台風の季節がやってくる。

今朝、午前4時30分、団十郎朝顔が花びらを開き始めた。へぇ~ 朝顔さんは随分早起きなんだね。午前9時には閉じ始めていた。
昨日は庭の草花に遊ぶクマバチを発見、ぷっくりした可愛い蜂でビックリ!初めて見たよ。数日前に見たのはスズメバチと言うんだよな。これは庭の隅で小さい巣を作り始めていたので彼に退治してもらった。可愛そうだけどゴメンね。

団十郎朝顔は2代目市川団十郎が用いたエビ茶色の衣装の色にちなんで付けられた名前で、江戸時代から栽培されていたそうだが、種子がなかなかできず正式な物は入手困難だそうだ。
一般には茶色の朝顔をそう呼んで、花の色の濃淡そして葉っぱの色や形にも色々な「団十郎もどき」が出回っているらしい。
私はラッキーな事に、種まき時期に外れて偶々零れ落ちた正式な苗を頂く事が出来た。うまく生育するかどうか心配だけど、と言われたがコレが本物であれば、一輪でもいいから咲かせたいと思って大事にしていた。
正式な「団十郎朝顔」の特徴は花の中央が白い筒抜けで葉は黄蝉葉(きせみば)と言われ、葉緑素が少ない黄緑色である。

      (画像はクリックすると拡大する) 
                  
 
ところで、朝顔は蕾の中で初めの内は雌しべより短かった雌しべが開花直前に急速に伸びて、花が開く時に自家授粉するらしい。
開花後、虫が花粉を運ぶ場合もあるだろうけれど・・・種のできる仕組み、そんなの忘れていたよ。(笑)
願わくば、この朝顔団十郎も頑張ってくれて種ができたら、来年は自分の手できちんと種まきから楽しんでみたいなぁ~。

ついでに、ここ2ケ月間カメラに残っていた画像を整理してバラバラだが並べておこう。
              
  センニンソウ、 エンジェルジャスミン 、チャイニーズハット、 トキワアケビ 


        ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

  追加