gooブログはじめました和!

写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

あびこ観音

2019-01-18 | 日記
50年余り前に利用していた通学沿線、JR阪和線(天王寺~和歌山)の我孫子町駅近くに「あびこ観音」がある。名前だけが頭の隅に残っていたのが突然浮き彫りされて、行きたくなった。
正式名は観音宗総本山 吾彦山大聖観音寺(たいしょうかんのんじ)と言うらしい。ご本尊は身の丈1寸8分の聖観音菩薩、創建は欽明天皇の時代(546年)、開基は聖徳太子と伝えられている。

  1月17日(木)  
お天気は快晴、午後1時前に我孫子町駅に降りた。街の人に尋ねながら着いた所に「開運除厄興福楽」と「吾彦大悲観世音」の石柱が2本立っていた。前者の読み方は分からなかったが意味は解った。(笑)
「あびこ」と言う漢字に戸惑いながらそして不謹慎を詫びながら山門を潜ぐると、境内にご神木・クスノキの大樹が3本あった。
西門の側にある楠(下段写真の4番目)もかなり大きくびっくりしたが、南門側の楠(掲載写真最後)は一際大きく大阪市の保存樹で、高さ19.5m、幹囲4.8mあるらしい。
説明板に依るとこの木の誕生は1300年代、室町中期というから樹齢700年以上になる。見上げれば見上げる程神々しさが伝わってくる大樹だった。
  
              
                                      (画像はクリックすると拡大する)
御祈祷をお願いする人やお守りを求める人で絶え間なくお参りの人が入れ替わっていた。日本最古の厄除祈願所、厄除けの仏様と言うから50年前もこうだったのかなぁ~、否これ以上だったのかもと思いながら、私は今日この大楠に出会えただけでも大感激だった。

2月の節分祭、1日から7日まで節分厄除大法会が行われ、2月3日には秘仏のご本尊がご開帳になるらしい。さぞかし大変な賑わいになるのだろう。
本堂の唐破風屋根の棟飾り・龍は凄かった。お参りを済ませてから写真OKの確認をして境内を廻り、護摩堂の油之不動明王やお地蔵さまを撮らせてもらった。

            

帰りは地下鉄御堂筋線に乗った。あびこ駅までは300m位なので阪和線我孫子町駅へ行くよりも近かった。





亥ゆかりの3社参り

2019-01-17 | 日記
昨日の事、今年の干支亥ゆかりの社寺参りツアーに参加するべく近鉄電車に乗って天王寺へ行く途中の話。
目の前に奇妙な吊り革を見て私はビックリしたが、彼は知っていた。それは昨年12月1日から今年3月14日まで 限られた本数だけ取り付けられる “幸せを運ぶ吊り革” だそうだ。
つかめばラッキーがやってくる!?合格祈願(77本)、そして恋愛成就(3本)、金運招福(1本)、開運招福(4本)の4種類があるらしい。
周囲の人にちょっと恥ずかしかったが写真を撮った。(笑)これは合格祈願の物らしい。出会えたのが嬉しくて握りながら鶴橋まで行ったよ。(笑)

  1月16日(水)
天王寺午前8時集合。3社参りのミステリーとは言え、京都の護王神社を含むのではとの予想は的中した。
9時半、京都御所の西側、烏丸通りに面した護王神社鳥居の前では「狛犬」ならぬ「駒猪」が参拝者を迎えてくれる。そして境内の至る所にイノシシ像が置かれていた。来たのは初めてで、イノシシの数にビックリした。
奈良末から平安初期の陰陽師(おんみょうじ)和気清麻呂公(わけのきよまろ公)(733~799年)の像が建っていて猪との関連がパンフに次のように書いてあった。
   【清麻呂公が都より九州の宇佐八幡宮へ向かわれた際、どこからともなく現れた3百頭もの猪が宇佐までの道中を無事に案内しました。その時、不思議にも清麻呂公が悩んでおられた足萎(あしなえ)が治った、という故事により、特に、足腰の健康保持やけが・病気の回復に、格別のご利益があると篤く信仰されています。】
護王神社は足腰の神様として多くの有名スポーツ選手も参拝するらしい。「亥子(いのこ)祭」や「足腰祭」、この神社ならではの祭事があるようだ。

          
                                        (画像はクリックすると拡大する)  

新春の参拝で境内は人人人いっぱいで身動きままならず、取り敢えず見どころの4・5カ所をカメラに収め、日を変えて改めてお参りに来ようと思った。中でも特に印象的だったのはご神木・招魂樹(おがたまのき)の根元に願掛けイノシシが居て願い事を書いた座立亥串(くらたていくじ)が沢山並べられている光景だった。

足形に足を乗せお願いする人、なで猪をなでてお願いする人、私も含め足腰の健康をお願いする人の、なんと多い事!
            

そうそう、今日の参加者30人に護王神社のおみくじが頂けて、添乗員さんが配ってくれた。なんと!大吉だった。“幸せを運ぶ吊り革” つかめば本当にラッキーがやってきたよ。

和気清麻呂公について知った事:奈良時代の末に皇位を奪おうとした僧・道鏡をおさえて皇統を護った人であり、また桓武天皇の時代に平安京遷都を進言して都造りに貢献した人でもあるという。
同じく陰陽師として平安中期の安倍晴明(あべのせいめい)の名もよく聞くが、氏を祀る晴明神社が上京区堀川通り一条戻橋にあるらしい。

次にバスが停まった所は上京区堀川通りに在る日蓮宗の寺院「本法寺」(ほんぽうじ)であった。
こちらは室町時代永享8年(1436年)に日蓮宗の日親上人の創建で本阿弥家の菩提寺だそうだ。光悦作の庭園「三巴の庭」(みつどもえの庭)それに安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の筆に依る佛涅槃図(複製)が拝観できた。重文の本物は春の特別寺宝展でご開帳となるらしい。壁に掛けられた、縦約10m、横約6mの絵図は大きくて見易かった。「頭北面西右脇」のお釈迦様の周りに集まった弟子達の絵の中に等伯自身も居て、猫が亀の横に描かれていること等の説明があり、それらを確認できたのでずっと記憶に残りそう。
書院の縁側前の庭については、半円を2つ組み合わせた円形石で「日」を、切り石で十角形にした蓮池で「連」を表現しているのだとか。成程!蓮が咲く季節にはきっと素敵だろうなぁ~。
  
境内に大摩利支尊天(だいまりしそんてん)社もあった。摩利 支天とは、仏教の守護神のひとつで、イノシシに乗った神様なのだそうで、気力・体力・財力を授けて下さるという。陽炎を意味する神様に拝顔はできなかったが、ひび割れて壊れそうな駒猪に何だか不思議な力を感じた。

              
    
12時50分、右京区西京極に在る「八つ橋庵とししゅうやかた」の八つ橋庵で昼食。ししゅうやかたの花鳥風月の京刺繍も見事で美しく見応えがあった。

さて、3つ目のお寺は近江日野の「馬見岡綿向神社」(うまみおかわたむきじんじゃ)で、着いたのは午後3時15分。広々として緑が多く空気もきれいで静かな佇まい、どっしりとした風格のある神社は近江商人の財力を感じさせた。

境内出店の女の子が教えてくれた。
起源は1500年ほど前になる欽明天皇の時代で、蒲生の豪族たち2人が綿向山に狩に来た時、大きな猪の足跡を見つけその跡を追いかけて行くといつしか頂上にたどり着き、そこで綿向大神様のお告げを受け、祠を建てた事に始まるそうである。それでご神紋は「雲と2羽のカリガネ」だとか。。。。

綿向き山に向いているという綿向大神の神使い、大きい白猪像は信徒さん達に大切にされお役目を果たしている様に見えた。又、絵馬堂には日野の豪商中井家の奉納品だと言う一際立派な絵馬が掛かっていた。盛大な祭礼渡御図大絵馬、県の有形民俗文化財になっている。

            

ゆっくり見たかったが、当然ながらツアーにそんな時間はない、でも、今日は沢山のイノシシに会えてツアーに参加して良かったと思えた。
お疲れさま、ありがとうございました。






     

多神社へ

2019-01-14 | 日記
  
  1月13日(日)
日本最古の歴史書と言われる「古事記」編纂でその名を知る太安万侶は奈良県磯城郡田原本町大字多の古代氏族・多氏一族の出身だそうである。笠縫駅から約1.5kmの多神社に祀られているというので出かけた。
「古事記」の口語訳本を自ら手に取った事もなく、日本の国造りがイザナギ(男神)とイザナミ(女神)に始まった話、因幡の白兎の話、山幸彦と海幸彦の話、そして神武天皇の東征の話等聞き覚えて楽しんだ神話と思い込んでいる次第。(笑)

時代については天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に暗唱させた話を元明天皇の時代に太安万侶が書物として712年(和銅5)に完成させたという。
天皇の名前が覚えられない私でこういうのは困るのだが、よく耳にする天武天皇の次は持統天皇、そして文武天皇となり元明天皇となるんだよな。
ついでながら、ネットの「5分でわかる壬申の乱」のページに次の様に書いていた。【中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)こと天智天皇(てんじてんのう)が崩御した672年。皇位継承をめぐって、天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と、天皇の長子である大友皇子(おおとものおうじ)が争いました。結果的に大友皇子は敗北して自殺し、翌年、大海人皇子は即位して天武天皇(てんむてんのう)となります。】


    (画像はクリックすると拡大する)

拝殿の向こうに一間社春日造りの社殿が4棟並んでいた。向かって左から神武天皇、神八井耳尊(かむやいみみのみこと)、綏靖天皇(すいぜい天皇)、姫御神(玉依姫)が祀られていているそうだ。2番目の神八井耳尊が太安万侶ら多氏一族の祖だとか。〈 cf.八井耳尊は神武天皇の第2皇子で、綏靖天皇は神武天皇の第3皇子で第二代天皇、玉依姫は神武天皇のお母さん 〉

幸い今日は多村の“大とんど”の日で午後の2時から色んな催しがあった。結果として私もどっぷりと行事に参加していろいろ楽しませてもらった。
なんと奈良のマスコットキャラクター、鹿の角が生えた童子・「せんとくん」と田原本町のゆるキャラ「ももたん」(法楽寺が桃太郎伝説発祥の地となっている)がお目見えで、会場は大いに盛り上がった。

            

広い境内で色んな行事が次々と進んでいく内、私はピザづくり体験に参加させてもらった。レンガ竈で焼いた焼きたてのピザのなんと美味しかった事!半分は彼にお土産、と体裁の良い事を言ったものの、1枚はさすが食べられなかった。(笑)
夕方近くなって餅入りのお雑煮 “大とんど汁” のふるまいがあって、これ又なんと美味しかった事!ごちそうさまでした。

          

『灯の路』と称して、子供達がイノシシや好きな字を描いた紙袋灯籠が境内に並べられ、点火のお手伝いをさせてもらった。
紙袋の底に少しの砂を入れて安定させ、そこにカップキャンドルを置いた世界に1つしかない素敵な灯籠が境内いっぱいに並んだ。親御さんと一緒に子供達が自分の描いた絵の紙袋を探す姿が可愛くほほえましかった。
皆んなの夢が実現します様にと祈りながら数人で手分けして粛々とローソクに灯を点けていくと、何やら清々しい気持ちになれた。
暗闇に灯の路が綺麗に完成すると感動の溜息が出てじっと見つめる。「きれいやなぁ~」あちこちで聞こえた。

              

盛りだくさんなプログラムは進行役さんの見事な手腕で全て時間通りに運び、午後6時、田んぼの中で「大とんど」が点火された。実に壮観!これ程うず高く勢い良く燃え上がるとんどは見たことがなかった。炎の先を延長して天を仰ぐと三日月がくっきりと出ていた。
燃え上がる炎をじっと見つめていると私の頭の中は色んな事柄が行き来した。家族の顔が次々に浮かんだ。人生を振り返った。そして現在に感謝して未来にお祈りをした。

          
  
6時30分、炎の勢いが随分静まり我に返ると、私は家路に向わねばならない限界の時間だった。大とんどに大きなパワーをもらって多村を後にした。よそ者を温かく迎えて下さった多村の皆様にありがとうございました。







森の粘土人形

2019-01-13 | 日記

  1月12日(土)
大和郡山市洞泉寺町に在る「町屋物語館」(旧川本家住宅)で 開催中(2019年1月8日~14日~20日)の “森のねんど”で作られた人形展に行く。
“森のねんど” って?、それは吉野の森から切り出された材木の端材で作られた割り箸の木くずに特殊加工を施して作られた粘土らしい。触らせて下さったが、まるで小麦粉のようでさらさらしていた。仕上げに漆を塗った器はまるで紙細工の様な軽さでびっくりした。
造形作家 岡本道康氏の考案である。「地球の中の宇宙??」氏は粘土で制作中の地球の前で限りないロマンを求めて情熱を燃やしていられるのが伺えた。

粘土で作られた電車が明かりを付けて走るジオラマも素晴らしいが、赤ん坊や子供そしておじいちゃん&おばあちゃん達人間の日常生活を物語る様々な場面の人形が実に素晴らしい。顔の表情がとてもユニークで生き生きしている。年寄りのかがみ加減の姿勢が何と微妙に表現されていることか!顔のしわまで丁寧に彫られているので生人形を思わせる。心の声が聞こえてくるようで、私は心の中で会話しながら見て回ったよ。(笑)
幾つかの人形を投稿しておこう。

            

       (画像はクリックすると拡大する)
  
他に、知る人ぞ知る大和郡山ゆかりの文学者、小野十三郎(おの とおざぶろう)と川崎彰彦両氏の著書も展示されていた。
又、昭和初期、私の記憶にある懐かしいホーロー看板や炭火アイロンや陶器製湯たんぽetc.も展示されていた。
大村崑さんのオロナミンCが懐かしい。
    

この『町屋物語館」は大正13年に建てられた珍しい木造三階建ての遊郭建築で、耐震補強改修を済ませ丁度一年前にオープンした市民活動の館である。お雛祭りの行事は見応えがあるし、そうでなくても平素の見学で、意匠を凝らした建物の構造には発見が多い。
我々にも分かり易い「猪目窓(いのめまど)と連子窓(れんじまど)が特に印象的。猪目はハートではなくイノシシの目のモチーフだそうで魔除けの意味があるらしい。神社やお寺でよく見かけるとか。
古い街で時々見かける連子窓、こちらの1階と2階は親子格子(細い格子と太い格子の組み合わせ)で、1階は「3本子持ちの親子格子」、2階は」「2本子持ちの親子格子」、3階は普通の格子となっている。

    <     

窓の敷居に鉄格子跡の穴を発見、遊郭は昭和33年に廃止されたらしいが、歴史を学べば許し難い女性の哀しい物語を知ることになる。昭和33年は遠いようで近い昔であるよなぁ~・・・・・





みどりだいこん

2019-01-09 | 日記
昼間、かすかな初雪を見る。

  1月9日(水
年末にKさんから頂いた変わった大根の話、長さ15cm小さくて可愛くて緑色していて、畑で引き抜くと土の中から白い“とんがり帽子”のような部分が出てきた。「えっ コレって大根?」「切ると中も緑でサラダにとても美味しいのよ。色もきれいだし・・・」
 私は興味津々喜んで頂いて帰った。

一昨日テレビで知った。それは緑大根と言って、信州長野の上田が発生の地のようだ。
水分が少なくて辛味も甘味も濃く感じる大根で、この辺のスーパーで見かける事はなく、知る人ぞ知るネットには掲載されていた。

生で食べるなら串カツ屋でのスティックを思い出した。勿論そのままも美味しいが、味噌マヨを付けてもいけた。美味しかった。
私が一番試してみたかったのは大根おろしにしてちりめんじゃこと、そして天ぷらだった。輪切りも良し、かき揚げ風も良し。天ぷらにするには塩&胡椒を少々まぶして置くと良いようだ。

          (画像はクリックすると拡大する)

「もっと どうぞ」と言って下さったが欲張りは謹んで、貴重な2本で大いに楽しませてもらった。野菜作りは手間もかかり難しいだろうが、それ以上に発見が嬉しいだろうと思う。

   ←この花、名前はなぁ~に?