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馬見丘陵公園ひまわり

2019-07-31 | 日記
梅雨が明けると同時にセミの鳴き声が息苦しく耳に触る。そんなこと思ったり言ったりしてはいけないよな。彼らは短い命を精一杯輝かせて頑張っているんだから。
昔は逆に元気を貰って楽しんでいたではないか、と自らを反省する。
今日は7月最後の日、日本全国の梅雨が明けたそうだ。

  7月31日(水)
馬見丘陵公園のひまわりの季節、誘ってみた友に暑いからと断られ、日傘と氷水と杖をお供に一人で出かけた。(笑)
田原本線池部駅に降りた。タクシーを期待したが無し。以前友人3人で歩いた遊歩道を覚えていたので、水分補給をしながら30分歩く決心をした。標準は17分だそうだ。

緑道北口から入る。緑いっぱいで木陰はあっても、アスファルト舗装部分はやはり汗がにじみ出て来る。ふと足元を見るとバッタが居た。あれ?どうしたのかなと、よく見ると踏まれたのでもなく動かない。熱中症で道路に落ちて地面の熱さで力尽きたのかも知れない。もし微かに動く部分があれば、水筒の氷水を葉っぱに分けて乗せようと思ったが及ばなかった。
せめて日陰にと思って移動させておいた。この暑さだものね。今日の最低気温24℃、最高気温36℃、舗装地面では50℃??
色んな夏の花を見ながら休憩しては氷水を口に含み、ゆっくり歩いて行くと案外楽に行けた。すれ違う人は皆親切で優しかった。

「花笑み橋」を渡ると直ぐの「集いのエリア」にひまわり畑が在った。旅のパンフでよく目にする見渡す限り一面の畑を想像していたが、ちょっと違って、10万本のひまわりは5ケ所程のエリアに分かれて植えられているらしい。
2m前後のひまわりが元気いっぱい綺麗に咲き誇っていて、数人の人が立派なカメラをお気に入りの花に向けていた。
ひまわりは太陽に向かって咲くと聞いているが、背丈や向きが様々で何分にも私の背丈では撮りたいアングルの加減がなかなか難しかった。
でもこんなに見事な沢山のひまわりを目の前で見たのは初めてで感動した。

            
                                  (画像はクリックすると拡大する)
  
それから是非見たいと思っていた黒ひまわりが何処にあるのか分からず、尋ねた人が写真まで見せて丁寧に教えて下さった。トンネルをくぐって行くとソコは「花の道エリア」と言い、黒ひまわりを見る事が出来た。
開花して日にちが経つと花びらはやや黄色がかるのかな。
行き交う人の数はだんだん増えてきて、皆んな暑い暑いと言って汗を拭きながら歩いている。クーラーの効く涼しい所で静かに過ごすのも良し、こうして花見も良し。人様々な一日だよな。

          

気持ちが落ち着いたので一旦休憩する事にしてかき氷を食べ、カフェレエストランでお腹を満たした。
「『カリヨンの丘』で見るのが綺麗だそうですよ。」、と遊歩道を歩いている時に教えてもらったエリアは、東口近くで私にはちょっと遠過ぎた。家まで無事に帰らなければならないので諦めた。😢

こちらの公園は古墳や池もあり広大で、年中色んな花が咲き、色んなイベント(今は2019.7.27~8.4 馬見ひまわりウィーク)を楽しむ事が出来る。
今日はひまわりに元気をもらった暑い暑い一日、頑張ってくれた脚にありがとう。ご苦労様。





土器作り

2019-07-28 | 日記
去る7月24日、やっと梅雨が明けた。昨年より15日遅く、平年より3日遅れだという。嬉しくもあり、来たる熱暑に怖さもある。そして今日は「土用の丑の日」。
奈良県磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡、道の駅レスティの2階で行われる「弥生土器づくり教室」に参加を申し込んでいたので、昨日午後から大雨との予報を気にしながら出かけてきた。
アート感覚ゼロ、不器用な人間に果たして?の不安は大きかったが、とにかく一度体験してみたかったのである。(笑)

  7月27日(土)
時間は12時半受付開始、午後1時~3時までだった。

信楽の土1kgを頂き、チーフの先生が小さい壺作成の実演をしながら注意点とコツを教えて下さり、「ものづくりグループ」のボランティアの方々に見守られながら作った。
ドクロが無かった弥生時代の作り方で、先ず、平たい円い底部分を作り、次に粘土を親指位の太さの棒状に細長く丸め、一段二段と継ぎ目をうまく処理して順に積み上げていき、膨らみを加減する。

          
                                       (画像はクリックすると拡大する)  
柔らかい土なので上部の重みで下部がつぶれる場合もあり、程々に広げて自分が納得する形にする。個人のセンスの出るところである。竹べらや竹串を使って模様を描くのも良し。
唐古・鍵遺跡(弥生時代中期)の出土品には高床建物や人や鹿、魚、鳥などの絵が描かれた絵画土器片が多数で、現在唐古池に建つ楼閣はその複製だそうだ。
頂いた1kgの土で、お皿、茶碗、壺、他に牛や鹿等何でも自由に作る事が許された。私は馬を作りたかったが、オットセイかなと言われて、馬でもオットセイでもなく、絶滅した架空の動物だと答えた。(笑)

余談ながら、6世紀頃の遺跡からはお祭に捧げられた馬の骨が出てきたとか。それに雨乞いには実際の馬を殺して神様に捧げる代わりに土の馬が作られた風習があったらしい。白い馬か黒い馬の区別もあったとか。
そういえば先日の今里の「蛇巻き」で小さな祠「八大竜王」に牛と馬の描かれた絵馬が奉納されていたのを思い出す。本当の馬から土や木の馬となり絵の馬に変化してきたのだろう。

                  

さて、皆さんそれぞれに傑作揃い!彼と私のは何と単純で野暮ったい作品か!でもいいじゃないか古代の器と動物なんだ、と言い訳をして自己満足する。とりあえず形になったのがとても嬉しかった。(笑)

僅かな参加費でこんな貴重な体験をさせていただきありがとうございました。楽しい思い出となりました。
こちらの史跡公園では色々な「ものづくり」イベントの催しがあるようで、勾玉づくりや網代編みの教室にも参加したいなぁ~。。。。。


忍性さん開眼法要

2019-07-15 | 日記
紅葉が綺麗!、と聞いて昨年鉢植えしたブラックベリーに白い小さな花が咲き、右下写真の様な実がなって赤くそして黒くなって食べられる様にもなってきた。特別に美味な物ではないが、自分で育てた木の実なので美味しい(笑)  梅雨明けが待ち遠しい今日この頃である。


  7月14日(日)
奈良県磯城郡三宅町の文化ホールで「忍性さん開眼法要」があると新聞で知った。
以前にも何度か聞いたことのある忍性菩薩、法然や親鸞や最澄程の知名度はなくても近頃よく耳にする鎌倉時代の真言律宗のお坊様の御名である。
1217年7月16日に現在の三宅町屏風で生まれ、お母さんの影響で幼少より文殊信仰と行基さんを崇敬し、16歳で大和郡山市の額安寺で出家、そして1240年4月奈良西大寺の叡尊の12番目の弟子になったそうである。

忍性さんは、師匠である叡尊上人から「慈悲ニ過ギタ」と評されたほど、孤独、貧窮、乞食人、いざりや牛馬の露頭に捨てられたものにも、哀れみをかけた。又、道を造り、橋を架け、井戸を掘り、薬草や樹木を植える等社会福祉事業に人生を捧げたお坊様らしい。

午後1時、ホールの舞台中央に忍性上人像が置かれ沢山のお坊様参列の中読経が始まった。
この忍性像は鎌倉の極楽寺忍性座像に次ぐ日本で2体目の像になるそうで、屏風浄土寺の藤田能宏ご住職の篤い思いに応えて、彫刻家の吉水快聞氏が製作されたものらしい。
がっしりとした体格に優しい眼差しの像で、拝すれば穏やかな気持ちになれる様な気がした。

法要に続いて山形大学の教授、松尾剛次先生の講演「忍性 仏教社会福祉事業に捧げた人生」があった。
1239年奈良竹林寺に参籠し、歩けないハンセン病者を背負って奈良の市(いち)に送迎した話、1267年鎌倉極楽寺住持となり、救済活動や社会福祉事業に捧げた忍性菩薩の生涯について貴重で感動的な話が聞けた。
そして先生は、イギリスの白衣の天使・ナイチンゲールにも勝るとも劣らない世界に誇る偉人ではないだろうかとおっしゃっていたのも印象的だった。
ちなみに、その名だけは誰もが知るナイチンゲールは1820年5月12日に生まれ1910年8月13日、90歳で亡くなった人。
1854年から始まったクリミヤ戦争に英国陸軍の従軍看護婦として活躍し、近代看護を創立したばかりか、それまでの医療に看護を加えた新しい医療を創設した人であるとか。

         (画像はクリックすると拡大する)

「」について、頂いた資料に次の様な説明文があった。
  *中世におけるとは
   (「」、差別に与するつもりはないが、過去の過ちを反省するためにも使用)
   中世のというのは、江戸時代の「(えた)・()」といった身分呼称ではなく、ハンセン病患者
  (当時は癩病と呼ばれた)を中核とする乞食・墓堀りなどに従事した人々を指す。
   とは、ハンセン病に罹る(かかる)ことによって、人にして人に非ざる存在とされ、穢れた(けがれた)存在と
   して、厳しい差別を受けた人々が中核。

ハンセン病などの患者達が衣食住を提供され保護されていた、忍性さんが建てた中世の福祉施設、奈良県の「北山一八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)は、般若寺の近くに在り、国の史跡に指定されているそうだ。鎌倉に於いては極楽寺境内に施設を設け、桑谷(くわがやつ)に広大な療病舎が造られたそうだ。

法要の後、三宅町語り部さんによるお話「忍性」や、川本三栄子さんの講談「中将姫ものがたり」や桂まめだ&桂文福さんの落語等のお楽しみもあった。
私は最後まで椅子に座るのに少々ムリがあり腰をあげ、三宅町屏風までゆっくり歩いて、「忍性菩薩御誕生之地」の碑を見に行った。これも浄土寺ご住職のご尽力が大きかったに違いない。
そうそう、忍性菩薩の遺骨は1303年7月12日に亡くなられた鎌倉市の極楽寺と大和郡山市の額安寺と生駒市の竹林寺に分骨されているそうである。

        

ところで2019年7月9日現在、ハンセン病家族訴訟が認められたニュースが流れた。国が続けたハンセン病患者の隔離政策によって家族も多大な差別を受けて苦しんだ被害が公的に認められた矢先である。安倍首相は約3億7千万円の賠償を命じた熊本地裁の判決を受け入れたそうだ。