川上村へ
2022-09-16 | 日記
9月14日(水)
「with コロナ」の覚悟はしていても年寄りはやっぱり団体旅行は控えようと思い、申し込んでいたのをキャンセルして2人で川上村・湯盛温泉へ行く事にした。有難くも送迎バスがあった。
天気晴れ、午後2時45分「杉の湯」に到着。
夕食までに「丹生川上神社上社」(にゅうかわかみじんじゃかみしゃ)にお参りしたくて部屋の鍵を預けたら、今年は熊が出るので危険との話。「熊除け鈴を持ちますか?」と聞かれ「はい」と答えるとホテルの人は心配になったらしく、私が送りましょう、と車を出して下さった。ご厚意に甘えて少々急ぎの参拝となったが結果的には良かった。かなりの上り坂は想定外だった。(笑)
(画像はクリックすると拡大する)
丹生川上神社は祈雨(きう)・止雨(しう)の高龗大神(たかおかみのおおかみ)を祀る社として、天武天皇により白鳳4年(675年)に建立されたと伝えられ、その信仰の起源は縄文時代にまでさかのぼると考えられているそうだ。
石の鳥居には扁額「「高龗大神」」(たかおかみのかみ)が掛けられている。そして拝殿に掲げられている額「神雨霑灑」は《 神の雨がうるほしそそぎ、恩恵をほどこす 》の意味があるとか。
長い歴史の中で明治・大正の時代に上社・中社・下社に分かれ、かつて建っていた上社の境内は大滝ダム建設[ 昭和昭和34年(1959年)の伊勢湾台風による大水害を機に建設されたダム]で水中に沈むことになり、1998年3月こちらの高台へ遷座されたそうだ。
約4000年前の祭祀跡とみられる遺構が発掘され、境内に再現されていた。予備知識がなかったので撮りおいた画像にはその一部しか写っていないけれど。(涙)
ホテルでは金明の湯(kinmeinoyu)と銀嶺の湯(ginryounoyu)を楽しんだ。私は秋の虫が集く音を聞きながら窓の外の雄大な山並みを眺められる槙の木桶が大変気に入ったが、彼は岩風呂の方が良かったそうだ。(笑)
夕食は器ばかりが華やかで少々がっかりしたが、お値段次第かもね。ただ、 北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん 1883~1959年 陶芸家・画家・美食家)の名言「食器は料理の着物である」を思い出して苦笑した次第。
9月15日(木)
朝食に有った小さいあまごの塩焼きがとても美味しかった。奥吉野に来て是非あまごの料理、新鮮な刺身か焼き魚をお願いできるかと期待していたのだが叶わなかった。時期的に鮎でさえ終わりに近づいているそうだった。8月お盆の頃が一番いいらしい。(涙)
午後1時半の送迎バス利用を見込んで、午前10時チェックアウトし、手荷物を預け、熊除け鈴を借りて寶壽院(ほうじゅいん)へ参拝。距離的にして昨日の丹生川上神社上社迄の半分以下の所にあった。
高野山真言宗の準別格本山で、「船不動明王」をご本尊とし、大聖歓喜天・十一面観音・青面金剛・地蔵菩薩・大黒天などの諸仏が祀られているようだ。本堂・大師堂・庚申堂のお堂が在った。又こちらでは瞑想や写経や写仏を行う事も出来るそうである。
次に『おおたき竜神湖』の散策道を通って「森と水の源流館」に行く途中、御製碑が建っていた。平成26年11月16日、こちらで開かれた『ゆたかなる 森がはぐくむ 川と海』がテーマの「海づくり大会」に当時天皇皇后だった上皇夫妻がご臨席され、詠まれた歌が刻まれていた。
「若きあまごと卵もつあゆを放ちけり 山間(やまあひ)深き青き湖辺(うみべ)に」と。大会ではアマゴの稚魚と親アユが放流されたらしい。
ところで、「森と水の源流館」には運悪く貸し切りの予約があり入館できなかった。残念であったが、歩く運動になった?と思うことにして「寺山トンネル」を通って戻り、道の駅とホテルでお茶して時間つぶしをした。
コロナ禍中のささやかな旅、感染者2人だけに気を許して選んだ吉野の思い出1コマであった。
丹生川上神社中社には昔訪れた記憶があり、下社へ行きたくなった。紅葉の時期に改めて3社巡りの御朱印を貰いたくなったなぁ~。(笑)
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「with コロナ」の覚悟はしていても年寄りはやっぱり団体旅行は控えようと思い、申し込んでいたのをキャンセルして2人で川上村・湯盛温泉へ行く事にした。有難くも送迎バスがあった。
天気晴れ、午後2時45分「杉の湯」に到着。
夕食までに「丹生川上神社上社」(にゅうかわかみじんじゃかみしゃ)にお参りしたくて部屋の鍵を預けたら、今年は熊が出るので危険との話。「熊除け鈴を持ちますか?」と聞かれ「はい」と答えるとホテルの人は心配になったらしく、私が送りましょう、と車を出して下さった。ご厚意に甘えて少々急ぎの参拝となったが結果的には良かった。かなりの上り坂は想定外だった。(笑)
(画像はクリックすると拡大する)
丹生川上神社は祈雨(きう)・止雨(しう)の高龗大神(たかおかみのおおかみ)を祀る社として、天武天皇により白鳳4年(675年)に建立されたと伝えられ、その信仰の起源は縄文時代にまでさかのぼると考えられているそうだ。
石の鳥居には扁額「「高龗大神」」(たかおかみのかみ)が掛けられている。そして拝殿に掲げられている額「神雨霑灑」は《 神の雨がうるほしそそぎ、恩恵をほどこす 》の意味があるとか。
長い歴史の中で明治・大正の時代に上社・中社・下社に分かれ、かつて建っていた上社の境内は大滝ダム建設[ 昭和昭和34年(1959年)の伊勢湾台風による大水害を機に建設されたダム]で水中に沈むことになり、1998年3月こちらの高台へ遷座されたそうだ。
約4000年前の祭祀跡とみられる遺構が発掘され、境内に再現されていた。予備知識がなかったので撮りおいた画像にはその一部しか写っていないけれど。(涙)
ホテルでは金明の湯(kinmeinoyu)と銀嶺の湯(ginryounoyu)を楽しんだ。私は秋の虫が集く音を聞きながら窓の外の雄大な山並みを眺められる槙の木桶が大変気に入ったが、彼は岩風呂の方が良かったそうだ。(笑)
夕食は器ばかりが華やかで少々がっかりしたが、お値段次第かもね。ただ、 北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん 1883~1959年 陶芸家・画家・美食家)の名言「食器は料理の着物である」を思い出して苦笑した次第。
9月15日(木)
朝食に有った小さいあまごの塩焼きがとても美味しかった。奥吉野に来て是非あまごの料理、新鮮な刺身か焼き魚をお願いできるかと期待していたのだが叶わなかった。時期的に鮎でさえ終わりに近づいているそうだった。8月お盆の頃が一番いいらしい。(涙)
午後1時半の送迎バス利用を見込んで、午前10時チェックアウトし、手荷物を預け、熊除け鈴を借りて寶壽院(ほうじゅいん)へ参拝。距離的にして昨日の丹生川上神社上社迄の半分以下の所にあった。
高野山真言宗の準別格本山で、「船不動明王」をご本尊とし、大聖歓喜天・十一面観音・青面金剛・地蔵菩薩・大黒天などの諸仏が祀られているようだ。本堂・大師堂・庚申堂のお堂が在った。又こちらでは瞑想や写経や写仏を行う事も出来るそうである。
次に『おおたき竜神湖』の散策道を通って「森と水の源流館」に行く途中、御製碑が建っていた。平成26年11月16日、こちらで開かれた『ゆたかなる 森がはぐくむ 川と海』がテーマの「海づくり大会」に当時天皇皇后だった上皇夫妻がご臨席され、詠まれた歌が刻まれていた。
「若きあまごと卵もつあゆを放ちけり 山間(やまあひ)深き青き湖辺(うみべ)に」と。大会ではアマゴの稚魚と親アユが放流されたらしい。
ところで、「森と水の源流館」には運悪く貸し切りの予約があり入館できなかった。残念であったが、歩く運動になった?と思うことにして「寺山トンネル」を通って戻り、道の駅とホテルでお茶して時間つぶしをした。
コロナ禍中のささやかな旅、感染者2人だけに気を許して選んだ吉野の思い出1コマであった。
丹生川上神社中社には昔訪れた記憶があり、下社へ行きたくなった。紅葉の時期に改めて3社巡りの御朱印を貰いたくなったなぁ~。(笑)
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