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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

門松

2017-12-30 | 日記
今年もいよいよ後2日、時間数にして27時間で終わり。
スーパーに昔の様な師走の慌ただしさが無い。世の中の風習が変わってきたのかな、正月”おせち”を取り寄せる人が多くなって、手作り食材の買い込みが少なくなってきたのも一因だろうなぁ~。

  12月30日(土)
今日は 花屋さんで手に入れた根付きの松で簡易門松をしつらえた。『根引松』(ねびきのまつ)と言うそうだ。昨年の事、八木の街を歩いていた時に見た門松で一目で気に入り、来年は是非我が家にも飾ってみようと思っていたのである。

実家の昔の門松には松竹梅を取り付けてあった様に記憶しているが、見た門松は、根の付いた松の中ほどを半紙で包み水引で結んでいて、何んともシンプルで格好いい!水引は紅白もいいが、私は金銀が好きで心を込めて結んだ。年神様はきっと気付いて下さると信じて・・・・・

雄松が黒松で雌松は赤松とか、又、飾り方は向かって右側が雄松で左側が雌松とか。でもお雛様の飾り方も関東と関西は違うしなぁ~
結局のところ、私は太い頑丈な方を雄松とし、少々華奢な方を雌松とし、向かって左の方に雄松を取り付けた。

例年、しめ縄は31日の大晦日に飾り付けていたものだが、29日を避けて早めにしておくのが良いと聞いて納得し、今日になった次第。
     (画像はクリックすると拡大する)


それから今日はもう一つ楽しい事をした。昨日スーパーで見つけた「かさご」の干物を炭火で焼く事にしたのである。カンテキ(七輪)で火を起すのが上手になってきたので、いそいそと取り掛かった。
平素グリルばかりでめったに使わない小さい網が見つからず、目の前にあった大きな網で臨機応変、私って、何事も”ええ加減”人間だよなぁ~

「これはうまい」の表示に乗って買ったわけだが、焼きあがった「かさご」は確かに美味しかった。強火の遠火加減に下手をして皮の方が焦げてしまったが、身の方はうまくいって焼きたてを食べると本当に美味しかった。彼も大満足していた。
炭焼きの回数を重ねてもっと上手になろうと思う。残りの炭火は火鉢に入れたよ。
      

楽しかったなぁ~。時代は進歩していくのに、私は不便な昔を敢えて楽しむなんて・・・でも不思議なことに心が妙に落ち着くよ。(笑)








別府 地獄めぐりーその2

2017-12-15 | 日記
「地獄めぐり」、残したい画像が多いので2回に分けて、今日は2日目の12月12日の日記を書こうと思う。
数字の並び1212は「いい夫婦の日」と言うらしく、私達の事ではないが、記念の旅にして記憶に残る日だなぁ。(笑)

  12月12日(火)
朝7時からホテルの6階に造られた『空の湯』を使った。朝日が眩しい青空を見上げながらそして鶴見岳と扇山をより近くに感じながら4種類の湯舟を楽しんだ。風も吹き抜けていたが、いつぞやは銀世界雪の降る中で浸かった事もあり、気にならなかった。

前9時に出発。昨日の「鉱泥温泉」なる物が知りたくてバスに乗った。思い付きで自由に気ままの出来る旅が有難い。
泥湯の前で、≪ボコボコと地球のマグマの泥だ!今しか体験できないんだ!けれど・・・≫と迷っていると周りの人が勧めてくれた。「ココは隣の『坊主地獄』から直の泥湯なので細菌の心配は有りませんよ。他の泥湯は運ばれている間に雑菌が入りますがね 云々。」の言葉に私の心は決まった。
遠い所からこの湯の為に車を走らせている常連さんも居るらしい。皆んな親切でいろいろ教えて下さってすっかり溶け込み、勇気を出して良かったと大満足であがった。彼も以前に体験した泥湯とは違っていたようで満足していた。

今日の別府は雪がちらついて特に寒いらしいがホカホカの温もりを味わいながら、いよいよ残る地獄見物に気持ちが切り替わった。
先ずは『海地獄』に入場する。池はもうもうと立ち込める湯煙に包まれ、一瞬にして見える海を想わせる様なブルーの水面は爽やかに見えた。が、勿論人工ではなく硫酸鉄が沢山熔解しているからだそうだ。硫黄の匂いが漂っている、そして温度は98℃とか。今から1200年前鶴見岳の噴火で出来たそうで、別府の人々は活火山鶴見岳と共に生きているんだなぁ~。鶴見岳を愛し、まるで家族のような感覚で。。。。。

ハウスの中では温泉熱を利用して、熱帯性睡蓮やアマゾン原産のオオオニバスが栽培されていた。開いた花は見られなかったが他の植物園で度々目にしているので、いっぱい咲いている水面を想像してみたよ。
白龍稲荷大神の赤い鳥居が絵になって印象に残っているので加えておこう。
           (画像はクリックすると拡大する)

次は『鬼石 坊主地獄』に入場。
モコモコと熱泥が噴き上がっているのは同じだが、昨日見た『坊主地獄』とは勢いが違う。泥の色も薄い。それでも、こちらを先に見ていたらそれなりに感動していただろう。
ネーミングが面白い”鬼の高鼾”(たかいびき)と言う間歇泉が有って、岩場から妙な音を立てながら100℃の蒸気が上がっていた。
看板には”鶴見おろし”の厳しさがマンガ化されていた。[「鬼の高鼾」 むかしむかし鶴見颪の 寒さに震え上がった 鬼たちが石の布団に くるまって高鼾の うたた寝を しているんだとサ ]の下りに鬼が気持ち良さそうにうとうと眠っていた。私達は昨日亀川駅で体験済みなので、納得!(笑)
        

山地獄』にも入ってみた。ココも共通券は利用できなかったが、ミニ動物園になっていて楽しかった。
山羊や孔雀や兎やフラミンゴetc.特に私を喜ばせてくれたのは温泉に浸かっているカピパラだった。初めて見たよ。観光客はやや少なく、どの動物達も私達のお相手をしてくれてありがとう。余りにもはしゃぎ過ぎてお気に入りの手袋を落としてしまったのにも気付かなかったのは惜しい事をしたなぁ~。
ちなみに昨日も今日も蒸しプリンや蒸し物の珍しいおまんじゅう等、おやつには事欠かない地獄めぐりだよな。(笑)
              

かまど地獄』にやって来た。
『かまど地獄』は一丁目から六丁目まで有り、蒸気や熱泥、茶褐色やブルーの熱泉、それに作り物の大きな赤鬼が居て飲む温泉が有ったりで、子供も楽しい興味をそそる地獄であった。
5丁目の青湯は『海地獄』の青とは成分が異なり、こちらは何やら難しい二酸化ケイ素(シリカ)と言われる物質に依るらしく、シリカ(温泉沈殿物)の白い塊を見た。六丁目の赤湯には目が覚めた。
            

鬼山地獄』には想像を絶する世界一長寿(73才)&巨大な(全長7m)鰐の剥製「イチロウ」君?様が居てビックリした。ちなみに彼はボルネオ産らしい。
沢山の鰐が飼育されていて真近で見る事ができる。体は鰐皮のカバンやベルトになるのが不思議なくらいゴツゴツしていたなぁ~。夜行性で群がってじっと動かなかったが決して癒される生き物ではなかった。(笑)
”えさやり”を見学できる日もあるようだ。これだけ匹数の多い鰐が一斉に飛び上がれば、イルカショーどころではない凄まじい迫力のある見物となるのだろうなぁ~。
       

最後の『白池地獄』の入り口で人喰い魚・ピラニアやアマゾンの世界一巨大な淡水魚・ピラクル15才を見た。下段の写真左端がピラニアである。2番目がピラクルで3番目がその剥製。ピラクルは最高寿命20年、体長3~4mにもなるそうで、鱗は靴ベラになる大きさだそうだ。
白池地獄の色は青白色、湧出口の温度は95℃らしいが、湯煙は立っていても見るからに静かな広い池の様な雰囲気で、穏やかな気分になれた。
        

以上2日間で9つの地獄をめぐりを終えて、午後1時20分そろそろ帰る時間が来た。
その時は最後に起こるハプニングをゆめゆめ想像だにしていなかったのだが、観光港発13時54分の大分空港行きのバスに乗り遅れた。情報把握のミスだった。二人とも運転免許を返納してレンタカーの利用叶わず、初めて体験する不便さだった。
タクシーは走っていないし、タクシー乗り場も見当たらない。困って、とんかつ亭に入って尋ねてみると、御主人がタクシーを呼んで下さり40分あまりで飛行場に着いた。いい運転手さんにめぐり合い、別府の竹瓦温泉のかけ流しや中津市奥耶馬渓の紅葉等いろいろな話を聞かせて下さり、退屈しなかった。

こうして16時45分、無事に伊丹空港に着く。上六で乾杯、ささやかながら思い出の旅の締めくくりをした。2人が元気であればこそに感謝!







別府 地獄めぐり-その1

2017-12-14 | 日記
今日は歴史的事件・元禄15年(1702年)12月14日に起きたという赤穂浪士討ち入りの記念日である。ずっと語り継がれてきた武勇伝、先日のテレビ番組「忠臣蔵」を今年もやっぱり見た私、主君に忠義を尽くした四十七士の武士道に感銘するのは何度見ても同じだ。子供の頃、テレビを見るこの日の父の傍に座って父の説明に耳を傾けながら一緒に見ていたのが懐かしい。(笑)

一昨日は、温泉に浸かりたいというよりは是非今年中に彼の節目を祝って「思い出」を作りたく、脚の不安を抱えながらも思い切って旅を決行した。お守り代わりに彼は彼のリュックに杖を入れてくれた。

 12月11日(月)
午前11時45分大分空港に着く。バスを乗り継ぎ亀川駅経由で鉄輪(かんなわ)に午後1時30分、天然記念物『龍巻地獄』に着いた。
30分~40分間隔で熱水(105℃)が噴き上がる天然の間歇泉は丁度勢いよく噴出中だった。熱水は高さ150mにも及ぶそうだが、石垣で囲まれているのは安全確保の為だそうだ。噴出は毎回7・8分続くようである。地球の神秘を感じずにはいられない場所の1つだなぁ~。
       (画像はクリックすると拡大する)

すぐ近くに『血の池地獄』がある。
ゾッとするような名称の池の赤い熱泥(約78℃)は地下の高温高圧下で自然に生じた酸化鉄や酸化マグネシュウム等によるらしい。
「万葉集」にも赤湯泉として記載されていると言う歴史ある地獄らしい。案内板によると、昭和2年には高さ220mにも及ぶ大爆発が起きたとか。すごいなぁ~。
効能が有りそうな”あかぎれ軟膏”が販売されていて、ずっと昔に知っていたら良かったのに・・・と思ったものだ。
              

「今日の内に『坊主地獄』に行っておこう。」と彼が言うのでバスに乗った。「本坊主」と言うバス停で降りた。鶴見岳と裸の扇山(山焼きが行われる山だそうだ。)が迫って見える。
そうそう、亀川駅に来た時の事だった。冷たい強風に見舞われて「この冷たい強い風は別府湾から来るんですか?まるで台風ですね。」と町の人に尋ねると、「これは別府のシンボル・鶴見岳(標高1375m)からの”吹きおろし”なんです。」と教えて下さった。嫌で困った物ではなく、まるで頼もしい息子の話をする様な優しい口調だった。早や雪の筋模様が見えるる山からの風だもの当然寒くて強いはずだよな。


他の地獄とは距離的に少し離れている『坊主地獄』は天然記念物指定の文化財だそうで、地獄めぐり共通券(7つ)には含まれていない地獄であった。
庭園の様な敷地のあちこちからムクムク湯煙が立ち、熱泥からボコボコと勢いよく湯玉が飛び出している光景にビックリした。正に不思議な地球の底を感じさせるものだった。
一角に大きな窪みが在り、「延内寺跡」と書かれていた。ここに在った延内寺という寺院は、1498年に日向灘地震で起きた大爆発で住職さん共々吹き飛ばされ、地が裂けて熱泥が墳出したと伝えられているそうだ。うわぁ~ ココもすごい所なんだ。
          
                    
          

感動のドキドキが収まらないまま午後4時20分、隣接の「鉱泥温泉」の看板を横目に宿に向かった。明日の残りの地獄めぐりを楽しみにして。。。。。




お茶の木の花

2017-12-09 | 日記
寒い寒い日が続くようになった。
昨日の夕刊で読んだ。天皇退位日が2019年(平成31年)4月30日と閣議決定したそうだ。依って翌5月1日には皇太子様が即位されるわけだが、天皇陛下は「上皇陛下」となられるらしい。
昭和64年が平成元年になったのは1989年1月8日の事、小渕首相の時だった。あれから今年で29年目。。。。。
ちなみに明治時代は1868年(大政奉還1867年)から1912年の45年間、大正時代は1912年(明治45年/大正元年)から1926年までの15年間だったらしい。

  12月9日(土)
一生自分の足で歩きたい、これが今の私の目標で寒くても毎日少しだけでも歩こうと思い杖とカメラを持って出かけた。
今年3月に運行開始となった近鉄の新型観光特急『しまかぜ』を見る事が出来るのは朝10時42分頃(往)と夕方4時55分頃(復)の2回である。
まるで幼稚園児さながら写真を撮った。(画像はクリックすると拡大する)

『しまかぜ』の内部は魅力たっぷりの設備やサービスが整っているそうだが、外観もカッコいい。伊勢志摩の晴れやかな空をイメージしたというブルーとホワイト2色の車体がスピード感たっぷりに目の前を通り過ぎていく。先頭車両の六面ガラスの顔を撮りたかったがアングルはうまくいかなかった。でもまぁ良い事にしよう。(笑)
    

さらに野道を行くと畑に”残り柿”がただ1つ、お百姓さんが最後の1つは小鳥のエサとして獲らずに残されるそうである。側に寄って見上げるとそれは渋柿ではなく甘い富有柿であった。優しい人の気持ちが伝わってほっこり気分になった。風情があるので撮りおこう。

そうそう、一昨日の散歩の折、お茶の木に花を見た。なんて可愛い清楚な花か!「一輪もらっていいですか?」「えぇえぇ 好きなだけ採っていいですよ。”ほったらかし”の木ですから」と。確かにお茶畑で花は見たことはないよな。葉が大切だから早々に摘花されるのだ。

ところで、花は天ぷらにして食べられるのをネットで知った。それなら、と早速試してみるとなんと美味しいこと!盃片手にご満悦。拾って帰った種を土に埋めたが、草花ではないのでそう簡単に花が咲くわけではなく4・5年はかかると言う。ならば苗木屋さんで探してみようかな。
    
一昨日公民館で貼り合わせてきた干支の犬と一緒に並べてみるとこんな感じ。
ちょっと嬉しい。(笑)