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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

早い桜

2018-03-27 | 日記
  3月27日(火)  
春が一気にやって来た。2・3日前、陽だまりにレンゲを見てびっくり!それだけではなくタンポポ&スミレもあちこちに咲いている。雪柳も真っ白。そして桜も急速にほころんで、今日はもう満開!4月の予定が狂ってしまって少々慌てている私。例年よりかなり早いよな。
朝刊で読んだ。大阪管区気象台の発表によると標準木ソメイヨシノが26日に満開で、平年より10日、昨年より11日早いらしい。
            
                                 (画像はクリックすると拡大する) 
   
朝の散歩で土筆の大群を発見して、またビックリ。地面の枯れ草の様子からきっと除草剤が撒かれているはずなのに、なんて逞しい土筆なのだろう。”卵とじ”して食べたいような怖いような・・・
暫く考えて、食べるか食べないかは後で決める事にして採るのを楽しもうと思った。(笑)
ほとんどが長けてしまって食には不向きのようだが、よく見ると未だ傘の閉じている物も沢山有った。一旦腰を下すと歩かなくてもよく、これでは「土筆とり」の面白味はないなぁ~と気ままを感じた。(笑)
ビックリした光景を残しておこう。

それから場所を変えて、犬の歩かない所でヨモギも摘んだ。
ヨモギによく似たブタクサが有るらしいので確り見分けたい。「ブタクサ団子かも知れない・・・」と不安な気持ちで食べるのは嫌だ。ブタクサには白い産毛が無いというのでよく見ると分る。摘み草の楽しさってコレかな、と思いながら気持ちは団子に飛んでいた。(笑)

種々雑多な草がそれぞれ可愛い花を咲かせている。白い蝶が1匹ひらひら舞って遊んでいたら黄色い蝶も1匹やって来た。そしてテントウムシも何やら探してちょこちょこやって来た。皆んな生きているんだ、野原はまるで春の到来を喜んで大合奏している様。自然の息づかいも聞こえたよ。私の心も踊ったよ。

そうそう中でも初めて目にしたこんな花!名前は何というのかな?
        

城南宮へ

2018-03-12 | 日記
あちこちの名所から梅だよりが届くようになってきた。京都市伏見区に在る城南宮の梅が素晴らしい、とHちゃんから聞いたので昨日出かけてきた。
創建は平安京に都が遷った時だそうで、平安時代後期白河天皇の頃に城南宮を取り囲むように離宮が建てられ、院政の拠点となった所だそうである。

 3月11日(日)
近鉄竹田駅に降りると、沢山の人が同じ方向に向かっている。徒歩15分、城南宮東鳥居をくぐると長い長い列が出来ていて前に進めない。大勢の人に驚いた。

参道右手に摂社「真幡寸神社」(まはたきじんじゃ)と芹川神社が並んでいる。後者は唐渡天満宮(からわたりてんまんぐう)とも言うらしい。こちらの梅もたいへん綺麗だった。
朱の城南鳥居を見上げると菊の御紋2つと中央に太陽と月と星を組み合わせた珍しい三光の御神紋が刻まれていた。菊の御紋は南北朝時代の考明天皇(こうめいてんのう)から尊崇を受けていたからと、三光の御神紋は祭神の一柱が古代仲哀天皇の皇后とされる人・神功皇后(じんぐうこうごう)で、皇后が掲げた紋に因んでいるそうである。パンフを読んで知った紋、私には面白い発見であった。

          (画像はクリックすると拡大する)

神苑は「源氏物語 花の庭」と称され、春の庭や平安の庭や室町の庭や桃山の庭etc.を設えていた。白河上皇は城南離宮を築く際、源氏物語に描かれた光源氏の大邸宅六条院を真似て四季の景色を作ったと言われているらしい。
150本もの華やかに咲き誇る紅白の枝垂れ梅に堪能し、苔むす地面に見た落ち椿に春の庭を満喫した。そして今日この歳で初めて「探梅」「観梅」「惜梅」という言葉を覚えたよ。(笑)
そうそう城南宮は梅の名所であると同時に昔も今も「方除けの大社」として有名で、全国各地からお参りがあるそうである。
              

40年ぶりの伏見なので伏見稲荷大社へちょっとだけと思いタクシーを拾ったところ、運転手さんから石峰寺(せきほうじ)の五百羅漢の話を聞いた。
訪れてみると落ち着いた静かな佇まいで、本堂(S.60年に再建)には釈迦如来像が祀られていた。そして無数の羅漢さまが安置されている裏山は、思わずハッと身の引き締まる光景であった。お釈迦様の誕生から修行の課程を経て涅槃に至る迄の場面を表現した500体以上の石像群は、安永年間(1772~1780)半ばから天明初年(1781年)まで十余年かけて造られ、当初は1000体以上も在ったそうである。石像は一つ一つ違っていて風化によって何とも言えない趣のある表情で語りかけている。
一人また一人と訪れる人は静かに感慨深げに散策を楽しんでいられる様子。お釈迦様を改めて心に描いているのだろう。私もそうだったから・・・・・(撮影禁止は当然の気がした。)

この五百羅漢は江戸時代中期の画家であった伊藤若冲(1716~1800年)が下絵を描き石工に彫らせたものらしい。境内に「斗米庵若冲居士墓」(とべいあんじゃくちゅうこじ)があり、石峰寺と伊藤若冲の関わりを知った。1788年、天明の大火と呼ばれる京都大火で家を焼かれた若冲は寛政の初めに石峰寺の古庵に住み、「斗米翁」と称して米一斗と一画を交換する生活を送り、寛政十二年(1800年)九月十日に85歳で生涯を閉じたそうだ。
命日には石峰寺所蔵の若冲作品の展示が行われるそうである。写真などで目にしていても実物を見た事がないので、その日是非もう一度この五百羅漢を訪ねる機会にしたいと思う。「奇想の画家」として奇抜な色使いを思い出す人が多いようだが、石峰寺に残されているのは墨絵風のものが多いらしい。物静かで温かい心がにじみ出ている笑顔のご婦人が受付でそう説明して下さった。
観光化されず知る人ぞ知るこの貴重なお寺が、そして素敵で素朴な五百羅漢像が敬虔な気持ちで訪れて来る人々の癒しになる貴重な文化財として、いつまでも保存されるのを心から願ってお寺を後にした。

稲荷大社に行く途中に「ぬりこべ地蔵」が在って、お参りに来た人に聞くと、歯痛に効くお地蔵さんだとか。きちんとお世話されているようでお供えの花も綺麗だし、お願いの前になぜなぜする丸い石はつるつるで昔から人々の篤い信仰が続いているのが感じられた。本当に痛みを和らげて下さるようなお顔のお地蔵さんだった。

辿った道は丁度、大社本殿後ろの山に向かう千本鳥居の入り口に通じていた。
40年あまり前に訪れた雰囲気とはまるで様子が違って、今は外国人のなんと多い事に先ずビックリした。外国人に人気のある観光スポット日本一だそうである。
本殿の参拝が後になってしまったが千本鳥居をくぐって進んでいくと、「おもかる石」のある場所に来た。列に並んで順番を待つ。願い事をしてから石燈籠の頭を持ち上げるのだが、石を持ち上げた人も持ち上げられなかった人も皆んなニコニコ顔だ。私はと言えば、以前は辛うじて僅かながら持ち上がったと記憶しているが今回は全くダメだった。彼は勿論持ち上がって上機嫌、願い事が叶うと良いなぁ~。(笑)

            

気持ちは標高233mの山頂一ノ峰まで行っていたがこの足では実際に行けるはずもなく、根上がりの松を見て、熊鷹社(くまたかしゃ)まで行って下りた。
それでも赤い鳥居を数えきれない程通り抜け、本殿そしてJR稲荷駅の前に建つ第一鳥居に来るまでに大社の雰囲気を充分に感じ取り納得した。そして恐ろしい程の観光客の数にどっと疲れたよ。(笑)
稲穂や巻物や鍵そして玉をくわえた狐の大きな像があちこちに点在して流石お稲荷さんだと思ったけれど、稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたま)など五穀豊穣を司る神様や商売繁盛の神様がいらっしゃって白狐ではないという。これも今日初めて知って、知らない事の何と多い事かと改めて自分の無知さを再確認した次第。(笑)そぅ~か・・・白狐は稲荷神のお使いなんだね。

          
 
                               

疲れた体を引きずりながらも思わぬ発見の数々に嬉々として家路に着いた。   (おわり)