高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

中国出張雑感

2018-10-31 11:08:13 | 国際交流

秋恒例になったような中国出張の10日間を終えた。 昨年は交通事故後に退院を目指して出かけたが、生きていて良かったなあと、感じる旅と今年はなった。

そもそも中国に関わるようになったのは、日中市民ネットワーク(CSネット)のファンシーが、日本エコツーリズムセンターの広瀬さん(ホールアース自然学校創設者)とJICAに支援を働きかけた「中国での自然教育のネットワークづくり」が発端だった。中国各地で自然教育や環境問題に関心がある市民団体のネットワーキングフォーラムをしかけていたのだが、広瀬さんが病に倒れ、4年前だっただろうか・・、成都を会場にした大会に、広瀬さんの名代のようなカタチで私を指名してくれたことだった。

学生時代に、香港で国境まで行って、あちら側が中華人民共和国なのかあと遠望したことはあったが、初めて中国本土を訪れた。映像だけでみたことがある日中戦争の中国の都市や田舎の姿のままで私の中国像は止まっていた。高層ビルが立ち並ぶ都市に驚愕した。現地受け入れ団体のNGOの女性が環境問題にかかわったのは、見渡す限りの田園だった成都がどんどんと開発される中、日本のイトーオーカドーが進出してきた時に、自分の息子に「イトーヨウカドーにはトンボが売っているか?」と聞かれた時に、はたと環境問題に気がつかされたと通訳を通じて聞いた。 日本は太平洋戦争の大戦災の中から、わずか20年で東京ー大阪間に新幹線を走らせ東名高速道路を造り、昭和39年の東京オリンピックを開催した。そしてさらに20年くらいをかけて、東京などの高層ビルが立ち並ぶ大都市を造り上げてきたのだが、中国は毛沢東の文化大革命によって返って社会経済が破綻したあとに社会主義資本経済という相対峙する社会システムを導入、混合させながら今の急発展を行ってきた。現在は鈍化しているとは言え、経済は急激な右肩あがりを続け、いわゆる中産階級の中国世帯は数億人の規模に達している。人口の10%、日本の人口に匹敵するほどのチョー大金持ちとその3倍以上の貧困層に残りは世帯収入が500万円は越える一般家庭というのが、実勢ではないだろうか。 そして、私たちと同じ感覚を持ち、自然や環境問題に対して憂え活動をしている人々は、人口比からして日本の15倍は存在しているということが実感できた。

それから毎年中国のネットワークフォーラムに訪れ、CSネットの北海道視察団を受け入れるようになり、中国側に知り合いも増えてきた。 その流れの中から、中国の自然学校へ研修へ赴くというような関係性が生まれているのだ。 現習近平政権は、「生態文明」というスローガンを掲げて環境問題にも実は真剣に取り組もうとしている。 日本は戦後の公害を乗り越え、そしてこれから超高齢社会を人類初めての経験として突入し始めている。 中国も近未来に想像できる、人口が多いだけに日本以上にとてつもない社会課題になることは多くに中国人が気づき始めている。 この社会問題は、一国だけでは解決できないだろう。 現在の日本の国会でも外国人の在留資格の緩和が論議されているが、グローバリズムとは経済だけの問題ではない。人類という生命種の国境を越えるあらゆる社会システムの問題であるのだ。

これはたやすいことではない・・・。

これまでの中国での講演や研修は、自然体験型環境教育の分野に限って行ってきた。すでに自然教育や関わる分野の専門家を世界中からよび、自らも各地を視察している彼らが、なぜに私に何を期待するのかが不思議であったが、その理念がぶれないような私の姿勢が評価されて、大地之野自然学校もSunnystone集団も私を講師として招聘してくれているのだと、今回の旅では痛感した。 この地球の健康のために働く人材を育て、それを実践できる場を日本国内ばかりでなく、世界中につくりたいものだ。

               

大地之野自然学校の代表のマンゴーさん(右から二人目)と。今回の研修チームのぼーぼー(久恒さん)と通訳兼コーディネイターのりーはんと。

中国にも同じ方向を向いて活動をする若い世代が着々と現れ育っている。

大地之野自然学校のセンスある職員さん等に見送られて、次の訪問地へ移動だ。

彼らを勇気づけ、「それでいいんだよ」と背中を押してあげることが、アタシの役割だな・・・。

 

10月27日

中国最後の夜は上海まで移動。上海のおしゃれな街で今回をふりかえろうと目論んでいたが、浦東国際空港に近い宿だったので市街地までは遠く、ホテル近くの下町まで2kmほど歩いて、見つけた焼き鳥屋で旅を振り返り乾杯!!

翌日、28日に成田空港まで飛んで、うまい接続便がないので、空港近くのホテルにひとりでもう一泊して10月29日に黒松内に戻りました。

これからの人生終盤のありようを考えるにも 良い旅でした。

 

 

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花彩小鎭の研修

2018-10-31 10:38:02 | 国際交流

10月26日

Sannystone Groupの1日半の研修。 自然教育・体験教育についての下地のない社員さんがほとんどなので、プログラム開発担当のリトルサンと呼ばれる方の理解促進・エンパワーメントを目標としてスタート。 責任者の Fuさんは別に開催されている経営幹部研修(昨夜同席した香港交通大学の経営学者さんが講師らしい)とかけもちなので、アピィールができるか不安ね・・。

Boh2のアイスブレイクで場をほぐして、研修の目的を共有してゆくためのカクティルパーティなどのアクティビティを実施。自然体験型学習・プログラムの解説(プレゼンスライドデーターを持参していなくてちょっと慌てる。ボーボーがインタネット知識と中国の規制をくぐり抜けるような裏技を駆使して普通にインターネット環境にあるので、黒松内の私のパソコンからデーターを転送してもらった・・・、中国もいい加減に普通にインターネット解禁をしたらいいのにね)

地域資源、素材とは何かへの理解を深め、それらをどうプログラム化するかをレクチャー。そして、グループ分けしてプログラム企画素案を作るところまでを今日の目標とした。 稚拙ながらもウォークラリーやらツツジをテーマにしたプログラムフローが夕方には上がったので、まあ、よかったなあ。

                   

まったく場違いのような会社本部から来たお化粧ばっちりの経営者付きの幹部女性(中国北部の山東省出身なので、われわれは、サントンマダムとかげで呼んでいた・・)から、一日目終了後に 「ディテールまでしっかりと築く日本のプログラムデザインは表面がちになる中国のものに比してたいへん参考になる」とのご評価をいただいたので、ひと安心でありました。

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