日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

東京都知事選に見る「戦略」の違い

2014-02-10 19:20:09 | 徒然

昨日の東京都の知事選挙。
結果は、既にご存じの通り。
「脱原発」を訴えた、細川さんと宇都宮さんの票を合わせても、当選した桝添さんには及ばずだった。

今朝の朝日新聞の一面に、出口調査として今回の選挙分析」が掲載されている。
朝日新聞:都知事選出口調査

この出口調査を見てみると、今回の都知事選が低投票率と投票世代との関連性を見ることができる。
当選をした桝添さんの支持が圧倒的に高いのは、70代以上。
それに対して、次点となった宇都宮さんは各世代からまんべんなく票を獲得している。
これは、細川さんについても言えることなのだが、細川さんよりも宇都宮さんのほうがその傾向がハッキリと出ている。
一方、とてもユニークというか特徴的な票の獲得をしているのが元航空自衛隊空幕長だった田母神さんだ。
20代という若い世代での票が飛び抜けて多い。

おそらくこの様な特徴的な傾向が出た一つの理由が、選挙戦にあったのでは?と言う気がしている。
私は東京都民では無いので、あくまでもメディアからの情報が素になるのだが、桝添さんはご自身の「介護体験」などを中心に演説をし「福祉の充実」を訴えていたと言うことのようだ。
その延長線として、高齢者施設などを積極的に廻り票固めをした選挙戦だったという。
だからこそ、70代以上の世代で圧倒的な支持を得ることができたのだろう。

一方街頭演説で注目を浴びた「元首相コンビ細川・小泉チーム」は、当日の大雪という悪天候の影響もあり、票固めができなかったのかもしれない。
いわゆる「浮動票」を集める選挙戦を展開した結果、ある一定の票を集めるコトはできたが組織票に負けてしまった、と言うことだろう。
それは宇都宮さんについても同じだと思う。
もし、「選挙日より」と言われるお天気で、宇都宮さんと元首相コンビが一本化されていたら、桝添さんの大勝は無かったかも知れない。

そして驚くのは、田母神さんの20代からの支持だ。
その理由を探りたくても、ちょっと想像がつかないと言うのが本当のところで、田母神さんが街頭演説でどのようなお話をされ、なぜ20代からの支持を得るコトができたのか?と言うことは、キチンと分析する必要があると思う。
なぜなら、田母神さんへの20代の投票は「今の社会に対する不満や不安」に対する若年層からの回答かも知れないからだ。

70代に方々にとって、6年後の「2020年東京オリンピック」は想像出来る未来だったのかも知れない。しかし10年、20年先は想像できない未来だったのかも知れない。だからこそ、自分にとって身近な「福祉」と「オリンピック」を重視し、「脱原発」には向かわなかったのではないだろうか?
それだけではなく、選挙前から「桝添圧勝」というコトが言われたことも、「どうせ、桝添さんになるんでしょ」という、社会的雰囲気を作り投票率の低さにも繋がり、この様な結果となったということだと思う。
何となく、この出口調査を見ると、そんな気がしている。


「梅干し」は、副菜なの?

2014-02-09 19:45:34 | 徒然

「おにぎり」の具材と言えば、何を思い浮かべられるだろうか?
おかか、鮭、時雨、昆布と言う定番だけではなく、最近のコンビニやスーパーには「おにぎり具材の新顔」も数多く見つけることができる。
代表的なのは「ツナマヨ」だろうか?
名古屋では「天むす」という、小エビの天ぷらを具材にしたおにぎりもある。
それら人気具材を押しのけ「超定番」と言えば、梅干しだと思う。

そんな「おにぎり」の具材の超定番「梅干し」だが、この「梅干し」をめぐり政治家さんが活躍をしていたようだ。
朝日新聞:梅干し、格上げ 農水省の災害備蓄リスト、副菜に

「梅干し」そのものは、大好きな方だと思う。
しかも最近流行の「はちみつ漬け」などでは無く、塩分10%以上のすっぱくて塩がしっかり効いている、昔ながらの梅干しが一番!だと思っている。
だが、「梅干し」を副菜だと思ったことも考えたことも無かった。
なぜなら、梅干しそのものは「漬け物」の一つであって、料理の本などでは「漬け物」は副菜では無いからだ。

随分前だが、「ご当地ラーメン」の人気投票の様なイベントがあった。
当然「ご当地ラーメン」として、名が上がったのは「札幌ラーメン」、「喜多方ラーメン」、「博多豚骨ラーメン」など。
その中で「和歌山ラーメン」が入っていて、驚いたことがあった。
なんでもその「ご当地ラーメン」のイベントで、和歌山出身の議員さんがごり押しで入れさせた、と言う話だった。本当か嘘かは知らないが、「和歌山ラーメンよりも有名なラーメンがあるだろうに、なぜ和歌山?」と、疑問に思ったコトは覚えている。
今回の「副菜格上げ」も、その時のイベントと同じ様な感じを受けるのだ。

「ご当地ラーメン」については、その後食品メーカーさんが「和歌山ラーメン」をインスタント麺として売り出したが、今では見るコトはない。
生活者の見る目というのは、案外冷静で「政治家の鶴の一声」よりも、キチンと見ているのだ。
これは「和歌山ラーメン」が美味しくない、と言っているのではない。
「ご当地ラーメン」として残っているラーメンは、政治家の力など借りずに、その「美味しさ」で生活者を納得させてきた結果、と言うことを言っているだけなのだ。

さすがに「梅干し」では、その様なコトはないとおもうが、こんなコトで政治家が口出しをするコト自体情けない様に思うのだ。
「梅干し」が「副菜」に格上げされたからと言って、「梅干し」の消費量が格段に増える訳では無い。
それよりも、美味しい梅干しのレシピや健康面での有効性などを、伝える方が消費を伸ばすコトになると思う。
美味しい梅干しは、梅干しとして食べるだけでは無く、いろいろな料理に活用できるのだから。





大雪と受験

2014-02-08 21:01:52 | 徒然

今日は全国的に、大雪に見舞われたようだ。
特に関東方面の雪は、凄いようで「暴風雪注意報(だったと思う)」まで出たようだ。
ここ名古屋は、明け方前から雪が降り始めたのだが、お昼頃には雪がみぞれになり、雨に変わった。
ただ、雪道に歩き慣れていないので体中に力が入り、地下鉄の駅まで歩いて数分という距離にも関わらず、ドッと疲れてしまった。
北海道や東北、新潟などの積雪が当たり前の地域に住んでいらっしゃる方からすれば、「そんなコトで?!」と驚かれるだろうが、年に1,2回しか積雪(しかも僅か数センチの積雪)のない地域では、大騒動の出来事なのだ。

そして、Yahooのトピックスなどにも取り上げられているが、このシーズンは「受験シーズン」でもある。
名古屋の一部の私立高校では、入試の合格発表があったようだ。
例年「センター試験」の頃や大学入試の頃というのは、なぜか大雪に見舞われるコトが多い。
冬に入試があるのだから、当然と言えば当然なのだが、「センター試験」だけでも前倒しができないだろうか?

11月の下旬に「センター試験」を実施し、自己採点後もう一度自分の志望校を検討する、と言う時間があっても良いと思うのだ。
そうすれば、大学入試の試験そのものも今の様な「学力試験」だけでは無く、「進学希望の理由」や「志望目的や期待」などのエッセイなどによる「人物重視」の要素も加えた入試ができる様になるのではないだろうか?
これまで日本の大学は「入学までが大変で、入学後は卒業までラクができる」と言われてきたが、入試→合格までが、大学進学の目的となっているために、その様な状態になってしまっているのではないだろうか?

「センター試験」をフランスの「バカロレア」の様な位置づけの試験だと考えれば、大学そのものはその大学の考えにあった学生を積極的に入学させる方が、学風にもあうだろうし勉強意欲の高い学生が集まりやすいのではないだろうか?
今のように「全入時代」と言われているからこそ、大学側も個性が重要になってきている。
「○○大学」という学風に憧れるだけでは無く、やはり学ぶ目的がその大学とマッチしているのか?と言うことも、大切だと思う。
時間的な余裕があれば、受験生にしても「大学研究」ができるだろうし、「大学で学ぶ目的」もじっくり考えられると思う。

あぁぁぁ~~~、それにしても寒い。
「立春後の雪は、春を呼ぶ」とは言うが、こう寒いと本当に春の到来が待ち遠しい。


フィクションとノンフィクション

2014-02-07 19:50:53 | 徒然

今週になって、突然話題になった感のある「ゴーストライターによる現代のベートーベンと言われる作曲家」さん。
昨年あたりから、新聞にコンサートの告知がされるようになり「へ~~~、こんな人がいるんだ」程度の認識しかなかった。
ただ、コンサート告知にあった「現代のベートーベン」というコピーには、何となく違和感があった。
理由は、クラシック音楽の作曲家という印象が、告知写真から感じられなかったから。
これは、単純に私の頭の中で「クラシック音楽の演奏、指揮者はタキシード」という、固定概念の様なモノがあり、作曲をする人は演奏や指揮ができる人だと思っていたからだ。

さて「現代のベートーベン」という冠というか、枕詞がついた作曲家さんだが、この人の作曲家としての才能は「・・・・?????」であっても、素晴らしい才能をもったゴーストライターを見つける才は長けていたと思う。
何より、ゴーストライターさんの書いた楽曲に感動した人は、多かったのだから。
気になるのは、「感動した人」の中で「現代のベートーベン」だとか「盲聾者の書いた」という、冠で「感動した人」も少なからずいた、と言うことだろう。
確かに盲聾者が壮大な交響曲を書き上げる、と言うのは私など想像することができない程、凄いことだと思う。ただ、その様な「話」がなければ、ゴーストライターさんが書いた楽曲が素晴らしくないのか?と言うと、それもまた違うと思うのだ。
「譜面」そのものには、嘘が無いと思うからだ。
被爆地・広島に捧げたと言われる楽曲や東日本大震災で被災した少女をテーマにした楽曲は、ゴーストライターさんがその思いを書き上げた楽曲だと思うからだ。
「誰が書いたか」では無く「何を思い書いたか」という、部分では「嘘はない」のでは?

むしろ「感動」を求めている側と「感動を創ろう」とする側に、問題があるのではないだろうか?
考えて見れば、過去「感動した!」という場面は、「フィクション」では無く「ノンフィクション」であることが多い。
スポーツに感動的場面が多いのは、「ノンフィクション」だからだろう。
感動的場面が多いスポーツであっても、その様な場面は年に数える程しかない。
だからこそ「感動的なこと」は貴重だし、簡単に「感動できる」訳では無いと思う。
ところが、最近はやたらと「感動」を求める傾向があるような気がする。

「感動できる自分=感性が豊か」というコトなのだろうか?
そんな社会的な意識があるとすれば、そのほうが問題なのだと思う。
「感性の豊かさ」は「感動すること」では無いと思うし、むしろ「感性の豊かさ」は日々の生活の中で磨かれていくものだ。
そう考えると、なんだか社会全体が「感動社会の押しつけ」を求めているのかな?と言う気がして、怖い気がするのだ。


百貨店の新しい提案?物産展+もの作りイベント

2014-02-05 15:22:28 | ビジネス

百貨店が大手スーパーに、「小売の雄」の座を明け渡した感を持っている方も多いと思う。
日曜日になれば、それなりの人が集まっている百貨店だが、平日の昼間は閑散としている売り場が目立つ。
元気が良いのは、「デパ地下」くらいだろうか?

そんな百貨店でも、人気があるイベントのは「物産展」だ。
この「物産展」が開かれている催事場は、人でごった返していることが多い。
特に「北海道」と「京都」の物産展は、人気が高いようで、年に2回くらいは開催されているのではないだろうか?

そんな「物産展」のイベント広告が、新聞の折り込みチラシに入っていた。
今回の物産展は、「岩手」。
「東日本大震災」以来、東北支援を兼ねて、東北地方の物産展の開催が増えているように思う。
「東北支援」と言っても、お客さん達の目的は、日頃なかなか目にすることができない「東北の名物」。「被災地の食べ物を買う」と言うのは、楽しみとともにチョッピリ社会貢献をした気になれる商品なのかも知れない。
美味しそうに並ぶ岩手名物の写真の下に、小さく「自分で作ってみませんか」という文字がある。
どうやら、「岩手名物の冷麺の麺を、自分で作って食べる」というイベントの告知のようだ。
もちろん、自分で麺を打って→切って→ゆでて・・・と言う訳ではない。
既に打ってある麺を切って、出店しているお店の人にゆでてもらい、自分で盛りつけをして食べる、と言うことのようだ。

この広告を見て、「新しい物産展のアイディアかな?」という気がした。
実は冷麺だけでは無く、琥珀を使ってアクセサリーを作る、と言うイベントもある。
「材料費+参加費」合わせても、3,000円以下。
出店をしているお店と同じ、と言う訳にはいかないにしても「自分で作る」という楽しみは、参加費以上のものがあると思う。上手・下手というのでは無く、「自分で作る楽しみ」というのは、お金では代えがたいモノがある。
特にお子さんなどは「モノを作る」ということは、決して嫌いでは無いと思うし、そこから新しい家族のコミュニケーションが生まれるかも知れない。

この様な「モノを作るイベント」と言えば、東急ハンズが有名だと思う。
季節イに合わせ、この様なイベントを年に何度も行っている。
イベントをやっていると、「何をやっているのかな?」とおもって、集まる人も多い。
集客という意味でも、この様なものを作り参加イベント」は効果がある様に思う。

もしかしたら「ものづくり参加イベント+物産展」という催事は、百貨店の定番となっていくかも知れない。


「恵方巻」に見る「食卓の変化」

2014-02-03 18:51:41 | マーケティング

今日は「節分」。
二昔ほど前なら、スーパーで一番目に付くところで売られていたのは「節分豆」だったと思うのだが、最近はその座を「恵方巻」が獲得した様だ。
と言っても「豆」とは違い、温度管理などが必要なので売り場そのものは限られているのだが、とにかく一番目立つ売り場=恵方巻という感じだ。

お昼過ぎ、買い物へ出掛けたらその「恵方巻」売り場が、とても賑わっている。
「恵方巻」そのものは、「今日」しか販売しない商品なので、それを買い求める人も普通の「太巻き寿司」ではなく「恵方巻」目当て、と言うことは直ぐに判る。

そんな売り場を見ていたら、気がついたコトがあった。
今日のスーパーの折り込みチラシなどで、大プッシュの「恵方巻」は、「海鮮豪華恵方巻」。
いくつかのスーパーのチラシを見比べても、どこも「海鮮豪華恵方巻」の写真が一番大きい。
次に、目立つのがお子さま向けだろうか?「サラダ巻き」の様なマヨネーズが使ってあったり、(名古屋だからか?)エビフライを巻いた、「太巻き寿司のニュータイプ(随分古い言葉で申し訳けない)」。
「太巻き寿司」と言っても、昔からある様なかんぴょうやにんじん、干し椎茸を煮含めた「巻き寿司」ではない。

ところが、実際の売り場を見ていると、「海鮮豪華恵方巻」や「サラダ巻き」などよりも、昔ながらの「太巻き寿司」のほうが人気がある。
その理由はなんだろう?と、考えて見るとおそらく「サラダ巻き」などは、普段食べられるメニューで昔ながらの「太巻き寿司」は、「助六」と言うメニューで見ることはあっても「太巻き寿司」という形状で見るコトはほとんど無い。
まして、太巻き寿司そのものは、作る手間暇が掛かる割りに見た目の豪華さに欠ける。
その昔なら、子どもの遠足や運動会のメニューとして登場したかも知れないが、今自宅で太巻き寿司を作られる方は、余り多くないのではないだろうか?

そう考えると「恵方巻」という時が、昔ながらの「巻きもの」としての「太巻き寿司」を見る機会であり、食べる機会になっているのかも知れない。
こうして日本の伝統的家庭料理は「イベント食」となり、かつて特別な時に食べていた(という記憶がある)すき焼きなどは、冬の定番メニューとかわりつつあるのかも知れない。
これも、生活の変化の姿というコトだろう。


「科学の社会的価値創造」がイノベーションを生む?

2014-02-02 22:39:10 | ビジネス

昨日、名古屋大学の豊田講堂で行われた野依良治博士の講演を聴きに出かけた。
ご存じの通り野依博士は、2008年にノーベル化学賞を受賞された、日本における「智の巨人」の様な方。
筋金入りの非理数系の私には、理解不能な用語が飛び交う講演だろな~~~と思いながら、講演会に出掛けたのだが、その内容は、全く違っていてとてもエキサイティングな内容だった。

その一つが「サイエンスは、社会的価値の創造」という視点が大切、と言うこと。
大学の研究室で、顕微鏡やシャーレ、はたまた数式などと格闘しているのが、理化学系の研究者で、ノーベル賞を受賞する様な博士クラスになると、「社会性のある研究」という視点など持ってはいないと思い込んでいた。
ところが、野依博士は「社会的価値を持たないサイエンスは、余り意味が無いのでは?」というのだ。
それどころか、「大学や様々な研究機関はもっと社会に対して興味・関心を持つべきだし、社会と関わる必要がある」とまで言い切っていらっしゃった。

この様な発言は、野依博士だからこそできるのだと思うのだが、大学や研究機関での研究が今日、明日に役立つ訳ではない。
役立つ訳ではないが、社会を知るコトで「自分達の研究の目的」となるコトが判る様になるはずだ、と言う趣旨のお話をされていた(と、私は理解した)。

とすれば、今日、明日役立つのかわからない研究に対して「価値を見いだす力」ということも、とても大切だと言うことになる。
その「価値を見いだす力」というのが、これまでは「戦争、軍事」という場合が多かった。
20世紀は「科学の時代」とも言われるが、一方では「戦争の時代」とも言われる。
「科学が社会的価値を見いだせたのが、戦争や軍事であった時代」と言い換えることもできるかも知れない。
しかし、その様な方向を野依博士は望んではない。
野依博士が望んでいるのは「科学(技術)は、世界の貧困からの脱却をするためにある」と、考えていらっしゃるようなのだ。

「科学の社会的価値を見いだす力」は、研究者よりもビジネスの一線で活躍している人達が持っているのかも知れない。
そう考えれば、ビジネスマンもまた「科学の社会的価値の創造」ができるような、力を身に付ける必要があるのではないだろうか?

「イノベーティブな社会」と言うのは、「科学が専門だけど、アートが趣味」だとか「経済を学んだが、サイエンスに興味がある」というような人達が、複眼的思考の中で生み出されていくモノなのかも知れない。