日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「リーマンショック」と「新型コロナ」の景気後退は、全く違うもの

2020-07-30 19:34:31 | ビジネス

毎日新聞に「新型コロナによる景気後退は、リーマンショックを超える」という、内容の記事があった。
毎日新聞:政府の20年度成長率見通し、マイナス4.5% 大幅下方修正で「リーマン」超え

今回の「新型コロナウイルス」の世界的感染拡大により、世界経済が大きく後退しているのはご存じの通りだ。
世界経済が大きく後退した要因の一つは、ウイルス感染拡大防止の為に、人の行動の制限やビジネスの縮小を行わざる得なかったからだ。
その中でも大打撃を受けたのは、「3密」という「感染しやすい環境」を作りやすいエンターテイメント業界や「不要不急」と考えられたアパレルを中心とした小売り業界だった。
そもそも、このような社会的雰囲気の中では、新しい服を買ったり、楽しいエンターテイメントを見に出かける気分にはなれない、という方も多かったのではないだろうか?

景気後退の比較として取り上げられている「リーマンショック」の場合、その原因となったのは「お金がない人に無理やりお金を貸し付けたり、住宅ローンを組ませ住宅購入をさせた」という、企業側の「歪んだ自己利益追求」に端を発していた。
そのため、このような業界とはさほど関係のない人たちにとっては、「景気後退感」はあってもどこか他人事のような感覚もあったような気がしている。

このような「景気後退」の原因が違うものを並べられても、「景気後退理由」が全く違う為に必要とされる対策は、全く違うモノになるはずだ。
「リーマンショック」の場合は、歪んだ自己益追求をした結果だったので、米国では関連企業のトップが公聴会に呼ばれ、責任を追及された。
「余波が日本にも影響した」という点では、「リーマンショック」は企業の経営健全化ができれば、長期的景気後退とはならなかったはずだ。

それに対して今回の「新型コロナ」による景気後退は、感染症である「新型コロナ」の感染拡大が終息しなくては、経済の立て直しなどできない。
確かに一部の製薬企業などは、治療薬の開発やワクチンの開発などへの期待感から株価が上昇する、ということはあるが、生活者の消費マインドそのものが大きく後退していることを考えれば、「景気対策=感染拡大防止+治療薬やワクチンの開発・使用」ということになる。
「リーマンショック」のような、ある特定の企業だけの問題ではない、ということなのだ。

確かに「景気指標」を表す数字だけを見れば、「リーマンショックを超える景気後退」ということになるが、その数字だけを見て「景気後退」という一部分だけを見ると、「景気対策」そのものを見誤る危険がある。
何よりも、今政府が始めている「Go Toキャンペーン」等は、キャンペーン開始時期が違う!という生活者からの指摘が多々ある(その指摘は、とても的を得ていると思う)。
にもかかわらず、キャンペーンを展開してしまうのは「景気後退策」という言葉でしか、「新型コロナ」に対する経済対策を考えていないからだろう。

多くの人が指摘しているように「新型コロナが終息するまでの、中小企業に対する経済支援策」のほうが、雇用という点を含めても効果的な対策だと思う。
しかし、先日も政府は「布マスク8000万枚配布」ということを言いだしたりしていることを考えると、状況分析どころか、その問題の本質すら理解していないような気がしてきた。

このような状況だからこそ、ビジネスパーソンは「問題の要因と分析、状況分析と判断」を、しっかりする必要があると思うのだ。


「下請け構造」そのものを、考え直す必要があるのでは?

2020-07-29 15:15:35 | ビジネス

日本のメディアが、踏み込んだ報道がなかなかされていない感のある「定額給付金」をめぐる、事業費の中抜きなどについて、ロイターがなかなか興味深い記事を出している。
ロイター:焦点「コロナ給付金」見えない下請け実態 電通関与になお不透明感

そもそも「定額給付金」の事業を中心に行ったのは、経産省・中小企業庁だった。
ここから事業委託されたのが「サービスデザイン推進協議会」という、外郭団体(のような印象を受ける)だ。
この時点で当初事業費から、約20億の事業費が消えている。
何故「中小企業振興」とは関係のなさそうな、「サービスデザイン推進協議会」という団体に、委託をしたのだろうか?という、疑問がわく。

その「サービスデザイン推進協議会」は、3.5億の手数料(おそらく、協議会の運営費として差し引いた額だと思われる)を差し引き、電通に729.1億円、みずほ銀行に15.6億円、電通ワークスに0.7億円、日本生産性本部(商工会議所内にある組織)に、0.1億円で、下請けに出している。
電通ワークスそのものは、いわゆる「派遣会社」のような企業だと考えてよいと思う。
電通ワークス:事業紹介
ただ派遣先は、多岐にわたり事務系からいわゆる不動産関係の警備のような「人材派遣」を行っているようだ。
とはいえおそらく多くの派遣先は「電通絡み」の企業への派遣なのでは?と、考えられるので、「電通グループ」としては、729.8億円が支払われている、と考えたほうが良いだろう。

見逃しがちだが、みずほ銀行に対して15.6億円支払われている、という点も気になる。
これまでの報道では、ほとんどその名前が出てきていなかったような気がするからだ。
金融システムの運営の為であれば、もっと公的な団体を電通に委託する前に別委託すれば、良かったのではないだろうか?
電通の株主であり、取引銀行という関係があるからだろうか?

次ぎに登場するのは、「電通ワークス」を除く「電通及び電通グループ企業」だ。
中には、何故か「国内の経済振興策」のはずなのに、「電通国際情報サービス」というグループ会社の名前も登場する。
曾孫請けになって登場するのが、日本のメディアでも取り上げられてきた「パソナ」や「トランス・コスモ」だ。
これらの企業に発注しているのは「電通ライブ」という企業で、「電通」からの直接ではない。
「電通ライブ」から請け負った「パソナ」や「トランス・コスモ」、「大日本印刷」は、曾孫請けよりも下の扱いだった、ということになる。
ここで突然消えた「電通」の名前、そして登場する「電通ライブ」の名前に、違和感を感じるのは私だけではないと思う。
「パソナ+トランス・コスモ+大日本印刷」への下請け金額は302.8億円であり、残り額565.42億円はどうなってしまったのだろう?

このような構造からわかってくることが、いくつかある。
一つは「東京一極集中」の構図だ。
今回の「定額給付金」を決めたのは、国会だったが実際の給付に携わったのは、各地方自治体だった。
そのため、自治体によっては給付が遅かったりして、生活者の不満の多くは自治体へと向けられることになった。
各自治体が給付の処理をするのであれば、孫請け位のところで地方に権限とお金を渡すべきだったのではないだろうか?
「そのためのノウハウがない」と指摘されるとは思うのだが、下請け企業が「運用 テキスト」を作成し、そのテキスト通りに運営すれば、全国各地同じシステムで運用できたはずだ。
下手に「マイナンバーカード」の推進を図ろうとして、マイナンバーでの申請を喧伝したため、逆に現場は大混乱に陥ってしまった。
中途半端な、自治体への丸投げが、逆に現場を混乱させてしまったように思うのだ。

そして「下請け構造」により、現場に近くなればなるほど利益は無く、労力だけが増えるという、ある種の「労働力の搾取」が起きるという点だろう。
実際「電通」以外に名前の挙がった「パソナ」や「トランス・コスモ」、「大日本印刷」等は、この事業に関していうなら曾孫請け位の位置づけになっている。
「儲け」という点だけで考えれば、「電通」に比べれば「うまみの少ない仕事」だったかもしれない。
そもそも「電通ワークス」という派遣会社がありながら、人材派遣の最大手「パソナ」を曾孫請けすること自体、どこかおかしい気がする。
「人材派遣」ということを考えれば、「電通ワークス」から直接「パソナ」へ仕事を発注(本来であれば、共同事業として進めるべきであろう)すれば、良いだけの話だ。
それを回りくどい方法で、仕事を発注している。

そう考えると「定額給付金」の問題は、下請け構造で産業が成り立つ日本の産業全体の問題なのかもしれない。
特に公共事業などは、事業が行われる現場に近い企業に直接ではないにせよ、孫請け位の時に仕事を委託させれば、地域経済の振興にもつながる。
それをあえてしないのであれば、それは「東京一極集中」であることにメリットを感じている人(多くの場合「自己益を感じている」と言って良いと思う)が、少なからず政府にも企業にもいる、ということなのではないだろうか?




何故、状況の分析ができないのだろう?-追加8000万枚の布マスク-

2020-07-28 20:50:44 | ビジネス

昨夜、朝日新聞がスクープ扱い?でWEBサイトに掲載した、「アベノマスク8000万枚追加配布」の報道。
今日は全国紙各社が、一斉に報道している。
毎日新聞:布マスク配布事業は500億円超に 8000万枚追加配布で

確か先回の「全戸2枚の布マスク配布」は、5月ごろだったように思う。
その頃から、徐々に市中に「不織布マスク」が、出回るようになってきていた。
もっとも、このころ市中に出回り始めた「不織布マスク」の品質は、相当なバラツキがあり、商品として扱えないのでは?というレベルのものから、国からの要請でシャープが製造し始めるような報道があったりして頃だったように思う。

何より、生活者を一番驚かせたのは、「全戸2枚の布マスク配布」以前に配布された「妊婦さんや高齢者施設、学校向け」として配布された布マスクが、黄ばんでいたり、虫が混入していたりと、品質そのものに問題がある、という報道だった。
そのため、生活者の「手作り布マスク」が自然発生的に起こり、今では「手作りマスク」を使っている人も当たり前のようになったり、地域の産業活用の目的で地域内の伝統的な織物などをマスクの素材にして、販売する事業者なども出てきた。
今では、パリのデザイナーブランドマスクまで、登場するようになってきた。
「マスク」そのものが「衛生用品」だけではなく、地域産業の活性化やファッションの一部となり始めたのもこの頃だろう。

今の状況はどうなっているのか?といえば、ご存じの通り日本のメーカーの不織布マスクが、普通にドラッグストアやスーパーなどで、以前とほぼ同じくらいの価格で購入できるようになっている。
「マスク」そのものが、不足している状況ではない。
にもかかわらず、何故8000万枚もの「布マスク」を対象者限定とは言え、配布することに不思議さを感じる方は、多いと思う。

そして気になるのは、この8000万枚の布マスクの契約がいつなされたのか?という点だ。
最初に配布された「妊婦さんや高齢者施設、学校向け布マスク」の時に、契約がされていたのだろうか?
それとも、「全戸2枚」と決まった時に、契約がされていたのだろうか?
マスクの製造会社との契約の時期によっては、追加の8000万枚のキャンセルができなかった、ということも考えられるのだが、タイミング的に考えても疑問が出てくる。
何故なら、「黄ばんだり虫が混入していた」ということが発覚した時点で、発注の見直しがあってもおかしくはなかったからだ。
いくら当初の契約が「検品をしなくても問題無し。納品後の不良品についても政府が負担・買取。検品費用も政府負担」という内容であったとしても、余りの不良品の多さに契約の見直しがされても良かったはずだ。

この「アベノマスクチーム」は、状況分析(というほどではないが)をしていないのだと思う。
そのうえで、今一番「マスクを必要としている人」に「最適なマスクを配布」する、という当たり前のことを考える、ということも忘れているようだ。

「アベノマスク」の配布の時、このアイディアを出した官僚は「マスクを配布すれば、国民の不安はパ~っとなくなりますよ」と、安倍さんに進言したとか?
その「国民の不安を無くす」はずのマスクが、実は国民の「この政権は大丈夫だろうか?」という不安を抱かせることになった、というのは皮肉かもしれない。
そしてその皮肉もわからぬまま、追加8000万枚、合計で500億円の税金投入という、感覚はある意味「特別な感覚」を持っているような気がする。


企業と生活者の感覚のズレ-ポカリスエットの高校生CM-

2020-07-26 20:06:12 | CMウォッチ

Yahoo!のあるトピックスを見ていたら、あるCMについて企業側と受け手側が大きくズレている、コメントがあった。
Yahoo!トピックス:話題のポカリCM最新作「びしょびしょになりながら」中高校生の”今”を全力表現

いわゆるヤフコメを読んでみると、「押しつけ感が凄い」という言葉が目立つ。
CMを見て「今の高校生の青春をしている姿は、これ!!」というイメージを押し付けられている、と感じている大人が多いようなのだ。
実際の中高校生のコメントは、どれほどあるのか?というと、不明な点も多いのだがテレビCMで「押しつけ感」を生活者に与えるというのは、テレビCMとして「成功している」といえないだろう。

もちろんテレビCMは、虚構の世界なので”今”の中高校生が、これほど明るく躍動的にイキイキしているのか?という疑問はある。
我が家の近所に高校があり、通学をする生徒たちの姿を見ても「高校生活を楽しんでいる」とは思うのだが、これほど弾けた高校生活はしていないと思う。
むしろ、私が高校生だったころとさほど変わらない「高校生活(学校・部活・受験・時々恋バナ?)」を過ごしているのでは?と、感じている。
テレビCMのように、満面の笑みで躍動的な中高校生活を送っている生徒は、ほとんどいないのでは?

これはあくまでもテレビCMとして制作されているので、「誇張」されている部分もあるはずだ。
ヤフコメに投稿している人達も、そのコトは十分理解しているはずだ。
にもかかわらず「押しつけ感が凄い」と、コメントされてしまうのは、ポカリスエット側が考えている「青春群像」が”今”と違うからでは?という気がするのだ。

テレビCMのように、「キラキラした青春・学校生活」を送れるのはごくごく一部の生徒なだけで、多くの生徒は「目立たない・受験の不安・将来の展望が見えない」日々を過ごしているのではないだろうか?
何より、「新型コロナ禍」において、賑やかで華やかなCMそのものが、受け入れられにくくなっているような気がするのだ。

もう一つ考えられるのは「集団」でダンスするという、「群像劇」的なアプローチに「なんとなく嫌」という気にさせているように思えるのだ。
言い方を変えるなら「CMから同調圧力」のようなモノを、感じているのでは?という、気がするのだ。
今の社会全体が持っている「閉塞感」のようなモノが、より強く受け手となる生活者に「同調圧力」のようなモノを感じさせている、という気がしている。

「たかだかテレビCMで、大袈裟な!」といわれるかもしれないが「テレビCM」の世界で創り出された「誇張した世界」が、時には「この世界を目指さなくては!」とか「このような世界観が正しい」というような、一種の圧力を感じる方も少なからずいらっしゃるのでは?ということなのだ。
高度成長期のテレビCMは「このような世界がありますよ~」という、一つの生活モデルを表現することで「生活者の憧れ」をつくり出してきた、という側面がある。
今回のポカリスエットのCMのような、群像劇的な演出となるとそのパワーそのものを強く感じる方も多いのではないだろうか?

人によっては「ポカリスエットのダンスをする中高校生」を見て、「青春しているな~」と感じられる方もいらっしゃるだろう。
感じ方は人それぞれなので、正しい・間違っているといえるものではないし、個人的な感じ方に他者があれこれ言う必要もない。
ただ「押しつけられ感」と感じる人達が、案外多いという事実を考えるなら、「青春の姿の多様性」を表現したほうが、多くの生活者から共感を得られたのでは?ということなのだ。

何故なら、今社会は「ダイバーシティ」と呼ばれる「多様性を認めよう」という方向へと動き始めている。
もちろん、ジェンダーギャップなど多くの問題を日本の社会は抱えているし、ネット上で「自分の正論」を繰り広げることで、多様性を認めない(あるいは「寛容性が無い」)動きがあることも確かだ。
だからこそ、テレビCMでは「群像劇」ではなく「多様性のあるしなやかな中高校生」の姿を表現したほうが、より多くの共感性が得られたのではないだろうか?


「安楽死」ではなく「尊厳死」という、「死生観」を持ちたい

2020-07-24 20:37:19 | 徒然

昨日、ASLの女性患者さんに対する「嘱託殺人」という罪で、2人の医師が逮捕された。
NHK NEWS WEB:ALS患者の嘱託殺人容疑で逮捕の医師 SNS通じて知り合ったか

まず「安楽死」を依頼したALS(筋萎縮性側索硬化症) という病気について、理解をする必要があるだろう。
数多くの報道がされているので、概要としてご存じの方もいらっしゃるかもしれない。
徳洲会という病院の創立者である徳田虎雄さんやテレビ番組「クイズダービー」で活躍された学習院大学の故篠沢教授も、晩年この病気と闘っていらっしゃっていた。
「難病指定」がされている病気であり、決定的な治療法がないまま体を動かす神経路が侵され、運動だけではなく体を動かすことができなくなり、最終的には人工呼吸器をつけなくてはいけなくなる、という病気といわれている。
しかし、体を動かす神経路が侵されても、考えたりすることは問題ない為、患者さんは「動かない体と鮮明な頭」というギャップやジレンマに日々向き合い苦しむことになるという、指摘もあるようだ。

おそらく「安楽死」を選んだ女性も、そのような「動かない体と鮮明な頭」のはざまで、「生きていくことの意味」を失い絶望してしまったいたのではないだろうか。
特に、病気が発症する前までは仕事に打ち込み、それなりの社会的評価を受け、経済的にも自立していた女性であれば尚更、「人の手を借りなくては生きられない自分」が、許せなかったのかもしれない。
といっても、故人について知っているわけではないので、あくまでも私の想像でしかない。

「死の科学者」と呼ばれた、エリザベス・キューブラー・ロスの名著「死ぬ瞬間」という本が、装丁が新しくなり書店に並んでいる。
キューブラー・ロス自身は、脳卒中に倒れ、治療・リハビリなどに励みつつ「ライフレッスン」という、本を書きあげている。
「死の科学者」と呼ばれていても、「自分の死」を前に揺れ動く心情や言葉は、「死を目の前にした人の姿」として、強く印象付けられる。
それは脳卒中という病気により、動かなくなっていく体と研究者としての思考という間で、揺れる心情のようなモノのようにも感じた。
そのような経験の中から、「生きていくためのレッスン」とは、社会的評価や経済的豊かさという価値観を手放した時、「自分の姿」を取り戻し、そこから「生きていくレッスンが始まる」と書いているのでは?という、印象を持ちながら読んだことがある。

私の感想なので、受け止め方は人それぞれだと思うのだが、ALSを患い人生を悲観し、自死をするために人の手を借りなければならなかった女性が一番必要としていたのは、彼女の不安や絶望感に寄り添う人だったのでは?という気がするのだ。
これは私自身が、がんという病気と向き合うことになった時に「自分の不安や絶望感の素は何か?」ということを自問自答し続けることで、「不安や絶望感を乗り越えること」ができたからだ。
もちろん、私は早期の中でも相当な早期であったこと、手術後の辛い治療が無かったために「自分で向き合う」ということができたのだと思う。
だからこそ、「人生に不安や絶望を感じている人」に、寄り添う社会であってほしいと願っている。

もう一つ感じているのは「安楽死」ではなく、「尊厳死」という考えを持ってほしいと思っている。
積極的な治療を受けるのではなく、病気の進行に合わせ徐々に衰えていく自分を受け入れる「死の迎え方」という意味だ。
「体は動かなくても、頭の中で想像する力がある」とすれば、様々な道具を使いサポートを受けながら、表現し続けることができるとすれば、その力を自分の生きた証として残すということを考えて欲しかった。
そのために必要なことがあるとすれば、「自分なりの死生観」を持つ、ということなのかもしれない。

「死」が忌まわしいものではなく、「いずれ誰にでも訪れる」ものとして、「自分はどのような人生を送りたいのか?どのように生きていきたいのか?」社会的名誉や経済的成功ではない「自分の価値観」というモノを考えるトレーニングが、今の社会には欠けているようにも思える。


「立ち止まって考える」ということも、大事

2020-07-23 20:32:28 | アラカルト

「新型コロナウイルス」の感染拡大が、止まらない。
4月に「緊急事態宣言」が出された頃よりも、感染者数が急増している、という点で不安を覚える方も多と思う。
何より、この3ヶ月の「自粛生活は、一体何だったのか?」と、落胆している方や戸惑いを感じている方も少なくないと思う。
落胆している方の中には「これまで、行きたいところにも行かず、我慢し続けていたのに!」と、感染した人に対してやりきれない怒りのようなモノを持ち始めている方も中には、いらっしゃるのではないだろうか?

当然、そのように感じている方たちを中心に「Go To Travelキャンペーン」等、今やるべきことではない!!と、言う強い気持ちを持っていらっしゃると思う。
元々、この「Go To Travel キャンペーン」は、「新型コロナウイルスの感染拡大が終息後実施」だったはずの、1兆円を超す予算を投入する政府の肝入りキャンペーンだったはずだ。
それが、二階幹事長などの強引な「夏休みに開始」という意見に押し切られて、詳細が決まらぬままスタートした。
その後、「関係者に受託団体から4,200万円の献金があった」という報道があり、このキャンペーンの開始を急いだ理由が、業界関係団体との利益供与だったのでは?という指摘までされるようになってきた。
文春オンライン:Go To キャンペーン受託団体が二階幹事長らに42,00円献金

確かに受託団体から42,00万円という献金は、無視できるようなモノではないが、だからこそ強引に始めるのではなく、「データ分析から得られた感染状況から、適切な時期にキャンペーンを始める」という、「立ち止まって、考える」という判断が必要だったのではないだろうか?
何故なら、受託団体にしても中途半端なキャンペーン開始では、思うような効果が得られないばかりか、場合によっては批難を浴びるばかりで、何のメリット(キャンペーンによる業界の金銭的ダメージの軽減)などが得られないはずだからだ。

ところが、残念なことに日本では「頼まれたことは、すぐやる!」という美徳がある。
一刻を争うような「頼まれごと」であれば、「すぐにやる!」必要がある。
例えば、人の命に係わるような問題の時だ。
しかし、一刻を争うようなことでもない場合でも、日本の政治家は「ハイ!ハイ!!」といいながら、状況の判断をしないまま実行してしまう傾向がある。
実行するだけではなく、「立ち止まって考える」ということもしない。

「立ち止まって考える」ことをしなかったために、日本全国には歴代の政治家の方たちが造ってきた「無用の長物」のような物が数多く残っている。
出来上がった時には、「素晴らしい!」と造った政治家と献金をした団体の方々は自画自賛したが、経年と共に生活者の負担となってしまっている場合のほうが多いのでは?
その時自画自賛した方々の多くは、鬼籍に入られているので責任の取りようもない。
そんなコトを、日本の政治家は繰り返してきたのではないだろうか?

その極め付きが、今回の「Go Toキャンペーン」のような気がするのだ。
4,200万円という献金と引き換えに、多くの国民の不安を煽り、感染症拡大を引き起こしている、という自覚はおそらく無いと思う。
何故なら、「Go To キャンペーン」の目的も実施の意味も理解をしていないので、「立ち止まる」勇気もないからだ。

一度始めた事業を「立ち止まり・再考する」ということは、失敗でも何でもない。
より良い事業を進めるために、必要なアクションなのだ。
少なくとも、受託団体のお偉い方々が「(自分たちは)ビジネスパーソンである」という自覚があるのであれば、そのような勇気を持ってほしいし、働きかけをして欲しいものだ。

 


変わり始めたファッション観

2020-07-22 11:03:53 | ビジネス

ニューズウィークに、気になる記事があった。
ニューズウィーク:ファストファッションの終焉? ヨーロッパの真の変化への積極的な取り組み

昨年頃からだろうか?パリやミラノでのファッションショーのキーワードとして「サスティナブル」という言葉が、頻繁に使われるようになった。
「サスティナブル=持続可能な」という意味だが、ファッションの世界では「再利用できる素材」とか「環境に配慮した」という意味で使われることが多いようだ。
ニューズウィークの記事にも、「プラスチックからできた繊維でつくるファッション」という記述がある。

ただこの記事で注目する点は、見出しにあるように「ファストファッションとの決別」ということだろう。
安価で、その時々の流行を着ることができる「ファストファッション」は、リーマンショック以降大人気となった。
それは見方を変えると、「経済の低迷」の始まりだったのかもしれない。
最近はおしゃれな男性も増えてきているが、ファッションの中心はやはり女性だろう。
その女性たちが、「安価で、それなりのファストファッションを着始めた」ということは、「お金の使い方が、変わった」ということでもあったはずだ。
「生活観が変わった」といってよいかもしれない。

ところが昨年、ファストファッションブランドの一つ「フォーエバー21」が倒産したり、Garpのセカンドライン(=若者向けの安価なブランド)・オールドネイビーなどが次々と撤退し、現在ファストファッションブランドとして残っているのは、H&Mとユニクロくらいだろう。
ニューズウィーク:カオスな閉店セールと共に去ったフォーエバー21 ファストファッションの誤算とこれから

そして今回の「新型コロナ」の感染拡大により、日本では生活者の中に新たな志向が、生まれ始めている。
それは「国産=Made in Japan」という、価値観だ。
この「国産」という言葉の中には、「信頼・高品質・安心感」等が、含まれている。
理由は、改めて説明する必要もないと思う。
「国産」の中には、「日本で製造された」というだけではなく、「日本で織られた」等の素材にまで「国産」ということを求める人達も増えているのでは?という、気がしている。

記事の中にもあるのだが、実はファッション産業が大きく飛躍した背景には「人工染料」等の進化がある。
今まで表現できなかった色を、人工的に安価で作ることができるようになったのだ。
結果として、莫大な水を使いその汚染水が、周辺地域の自然環境に影響を与えている、という問題も抱えている。
それだけではなく、SDGsという視点で考えた時このような産業に携わっている人たちの多くが、経済的に豊かではないアジアの女性や子供たちである、という点でも問題視されるようになってきているのだ。
違う言い方をするなら「労働と健康の搾取」が、様々なファッションブランド(有名・無名問わず)行われ続け、それがファストファッションを含めたファッション産業を支えてきた、ということになるのだ。

昔ながらの草木染や、染めるために使われる糊などを自然由来のものにしようとすると、金額が跳ね上がってしまうだけではなく、そのような技術を持った人そのものが高齢化により、継承そのものが難しくなっている、という問題は日本だけではなく世界的な問題となりつつある、といわれている。
何より人工染料のようなカラフルさを表現することが、難しいだろうと考えられる。
そのような問題に、ファッション界も目を向けるようになった、ということだろう。

このような社会問題を抱えていたファッション業界に、「新型コロナ」が襲い掛かった、ということになるのかもしれない。
もちろん、世界各地で報告がされているファッションメーカーの倒産の要因は、上述したような「ファストファッション」の問題とは関係ないだろう。
ただ生活者の意識が「大量消費」の時代ではなくなったが、「大量消費」によって身に着けられなかった「ファッションの見る目」を再構築する時代がやってきた、ということなのかもしれない。
少なくとも、今の日本の生活者はその入り口に立っているように感じるのだ。






「Go To Travelキャンペーン」のキャンセル補償は、公正なモノなのか?

2020-07-20 20:31:09 | アラカルト

今週木曜日から始まる「Go To Travelキャンペーン」。
開始日が国から発表されてから、反対の嵐が巻き起こっている。

そもそもこの「Go To Travelキャンペーン」とは、どんな政府政策なのか?改めて考えてみたい。
国交省:GO TOトラベル事業 (注意:PDFファイル)

国が公開している事業説明資料の中では、とても分かりやすい気がする。
なんとなくだが、PowerPointでつくった資料をそのまま公開しているのでは?という、感じの事業説明資料だ。
多くの人にとって興味・関心があるのは「どのような場合に適用されるのか?」ということだと思う。
資料の4~5ページが、該当の内容となるのだが、
1.旅行代理店を利用する。
2.個人で旅館やホテルに予約をする
という2つに適用される、ということがわかる。
ただし、メリットが高そうなのは1の旅行代理店が提供するパッケージ旅行だろう。
何故なら、2の個人で旅館やホテルに予約を入れた場合は、その予約を入れた宿泊のみが、キャンペーンの対象となるが、旅行代理店を通した場合は、往復の交通費+宿泊費までが、対象となるからだ。
日帰り旅行となると、いわゆるパッケージツアーであればメリットがあるが、旅行代理店を通して新幹線や飛行機の予約を入れ、現地でフリーで楽しむ場合は、対象外となる。
資料の通りであれば、この政策で一番のメリットがあるのは、旅行代理店ということになるだろう。

その後、「今はその時期じゃない!」と批判が殺到したのは、ご存じの通りだ。
ところが、東京での感染者が急増しているなどの理由で、キャンセルが数多く発生したのだろう、観光業界から「キャンセルに対する補償」という声が出てくるようになった。
朝日新聞:Go Toキャンセル料、政府が補償へ 批判を受け方針転換

この報道が出てから「キャンセル料の原資は税金なんじゃ?元々キャンペーンの原資も税金、税金の無駄遣い」という指摘がされるようになった。
「新型コロナ禍」の為に行動制限される生活が続いている。だからこそ、安心できる状況になったら国がキャンペーンなどしなくても、どこかへ出かけたい!と、考えている生活者は多いのでは?と、考えている。
むしろ「自粛が解除」されてから、感染者が増え続けている現状から22日からの4連休の遠出を諦めた方のほうが多いのではないだろうか?

国の一連の対応を見てみると、このキャンペーンそのものが様々な業種の人たちに対して「公正な支援」となっているのか?という、疑問を感じるのだ。
例えば、エンターティメントに携わる人たちも含めた個人事業主や、中小企業の支援策の中に文化事業関連企業も含める、というのであれば「公正さ」があると思う。
この「Go Toキャンペーン」は、どうなのだろうか?
特定の業界に対する利益供与、というのは日本の政治に多々あることだが、このような状況下で露骨なほどの政策というのは、どうなのだろうか?


「新型コロナ禍」での音楽ライブ考

2020-07-19 21:45:36 | アラカルト

今日、日経新聞と朝日新聞に「音楽ライブ」という同じテーマの記事を掲載している。
日経新聞:逆風やまぬ中、ライブハウス再始動

朝日新聞:連載「激震ライブエンタメビジネス」記事一覧

「新型コロナウイルス」の感染拡大が懸念されていた2月末、椎名林檎さん率いる「東京事変」がライブを半ば強硬した。
その時、椎名林檎さんをはじめ「東京事変」のメンバーだけではなく、所属している事務所や運営会社にまで批難が起きた。
理由はこのライブの前に、大阪のライブハウスをクラスター源とする「新型コロナウイルス」の感染が、判明していたからだ。
そのような状況下の中でのライブ開催であったために、社会的問題として取り上げられ、このライブ以降多くのコンサートの中止や延期が次々と発表されるようになったことは、ご存じの通りだ。

一連の「音楽ライブやエンターティメント」の相次ぐ中止や延期により、関連事業は大打撃を受けている。
音楽ライブに限らずエンターティメントという事業は、表舞台に登場する人よりも遥かに多い人たちが、支えている。
その「支えている人たち」にとって、今回の「新型コロナウイルス」感染拡大は、生活に直結する問題として大きく取り上げられた。
だからこそ「自粛解除」はエンタメビジネスに関わる人達にとって、「一山超えた」という安堵感があったのではないだろうか?

ところが解除後、Yahoo!などのトピックスでは、舞台やライブの出演者やバンドメンバーの感染が確認されたと連日報道され、再び関係者の間で感染拡大が判明しつつある。
このような報道を知ると「一体何のための自粛生活だったのだろう?根本的な感染拡大策になっていなかったのか?!」と、ガッカリしている方も少なくないと思う。
それだけ「感染症」の対応の難しさ、ということを改めて知る結果となっているような気がしている。

朝日新聞や日経新聞の記事に登場する関係者たちは、「新型コロナとの共存」という点で苦悩を感じながら、ライブを再開させたり、ライブビジネスの在り方を考え、模索している。
あくまでも個人的な考えなのだが、主催者側は「たかが音楽ビジネス、エンターティメント」という考えを持ってほしい、と思っている。
それは拙ブログで何度か指摘させていただいている「マズローの欲求の階層」という、「人の欲求」という視点での「音楽ビジネスやエンターティメント」の位置づけという意味で、そのビジネスを支えている人たちを蔑ろにしろ、というわけではない。

もう一つ「たかが音楽ライブ」と腹をくくってほしい理由は、この9月に予定されている「サマーソニック(通称サマソニ)」という、大規模な音楽フェスが、予定されているからだ。
海外からのミュージシャンの出演も予定されているようだが、おそらく今の状況では来日そのものが難しいだろう。
何より、現在の感染者数が全国的に増加傾向にある中で、「世界に先駆け開催する」と表明している点で、主催者側として「どれほどの予防策をとっても、感染者が出るだろう」というリスクを想定し、考えているのだろうか?と、疑問に感じているからだ。

このような大規模の音楽フェスで、クラスターが発生した場合、参加ミュージシャンだけではなく、このフェスに来ていた観客にも冷ややかな視線を社会から浴びせられるだろう。
何より「そこまでして、音楽フェスってやる必要があるの?」と、社会全体から指摘される可能性がある。
そのような指摘は、来年以降の「音楽フェス」そのものが開催が難しくなるだろうし、会場となる施設を貸してくれる自治体や企業なども無くなる可能性も出てくるのでは?ということなのだ。

「その場で体感できるライブやエンターティメント」には、代えがたい魅力があるのは、学生の頃は月1ペースくらいで海外のミュージシャンのコンサートに行き、映画館などにもそれなりの頻度で行っていたので、十分理解しているつもりだ。
とすれば、先月「サザンオールスターズ」が実施したような、「無観客・有料ライブ配信」という方法などで、音楽ファンを楽しませ、本格的再開への気持ちを高めるという方法を考えることの方が、「音楽ライブやエンターティメント」を支えることになるような気がするのだ。


 

 


「新型コロナ」で信頼を得たニューヨーク州知事と信頼を失った安倍政権

2020-07-18 21:17:00 | 徒然

「Go TO Travel キャンペーン」で、大きく躓いた「新型コロナ禍」の経済政策。
政府はこの「Go To Travelキャンペーン」を切っ掛けに、経済の回復を目指していたのでは?と、感じている方は多いのではないだろうか?
しかし、東京を中心に都市部では連日、「自粛要請解除」後感染者数が増え続けている。
増え続けているだけではなく、拡大をし始めているというのが現実だろう。
そのため「Go To Travelキャンペーン」の適用外範囲を、東京だけではなくもっと広げる必要がある、と感じている人が増えている。
元々この政策そのものが「愚策」だと思っている人も、少なからずいらっしゃるのでは?と、考えている。

昨日「データを読み解くことで、正しく怖がる」ということについて、エントリをした。
お気づきの方も多いと思うのだが、政府からは「新型コロナ」に関するデータらしきデータは、「現在の感染者数と新規感染者数」程度で、その内容についてはほとんど触れられてはいない。
そのため、政府が打ち出す「新型コロナ対策」は、どのようなデータを基に、どのような基準で考えられ、解除あるいは自粛となっているのか、全く分からない、という状態になっている。

官房付きの官僚の皆さんは、とても優秀なはずだが、何故「データを公表し、その基準を示す」ということを、政府に提案しないのか、不思議でたまらない。
これまで打ち出された「一斉休校要請」に始まり「アベノマスク」や今回の「Go To Travelキャンペーン」に至るまで、生活者の多くが「思いつき政策」のような印象を持ってしまうのは、その政策を実施する根拠となるデータが分からないからだ。

一方、積極的に「データを開示」することで、強いメッセージを発信し、支持を集めた政治家がいる。
ニューヨーク州のクオモ州知事だ。
クオモさんは、「新型コロナ」の感染拡大の終息が見え始め「第一波収束宣言」をするまで、毎日データを基に記者会見をし、その時々のニューヨークの実情を生活者に訴え続けた。
グラフなどを多用したその内容は、感染者数だけではなく感染率などのデータを示しながら、多くの市民に「このデータがここまで来たら第一波収束になります」という、具体的でわかりやすい協力を求めた。
Yahooニュース:コロナと闘った111日 NYクオモ知事が第1波収束宣言(ウイルスとの共存は続いていく)

このような会見を繰り返すことで、クオモさんは多くの信頼を集め、生活者からの協力を得ることに成功したのだ。
ニューヨーク州が定期的に「新型コロナ感染データ」を開示し続けたことで、週明けには「フェーズ4」と呼ばれる経済活動の再開を発表している。

それに対して、感染拡大が懸念される中「Go To Travelキャンペーン」を実施する・しないと中途半端な対応になってしまうのは、日本の政府が「データを根拠とした段階的行動制限の解除と経済活動の再開」を、示していないからだろう。
ある意味「データを根拠とした段階的行動制限の解除と経済活動の再開」の目安となるモノが、ハッキリしないため生活者の不安を大きく煽ることに繋がっているのではないだろうか?

確かに安倍政権は「データの開示」ということに対して、抵抗感が強い政権である、ということはあると思う。
その「データ」は、ご自身をはじめとする政権運営に不利な「データ」だからだろう。
しかし「新型コロナ」における「データ」は、政権運営に不利なモノではなく、むしろ信頼を得る為のものだったはずだ。
そのことに気づかず、ダラダラと「危機感」を煽るような数字は、生活者にストレスを与えるばかりだと思うのだが・・・。