日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

TikToKをめぐる、チャイナアプリの問題

2022-06-30 20:29:35 | アラカルト

Huffpostを見ていたら、既視感のある記事があった。
Huffpost:”TikTokは羊の皮を被った狼”。「中国側が個人情報にアクセス」の報道受け、アプリストアからの削除要求 アメリカ

確か昨年も同様の報道があったような気がするのだが、前回は中国側が米国ユーザーの個人情報にアクセスしている、という問題だったように思う。
それが今回、スマホのアプリストアから削除をし、アクセスそのものをできないようにする、という要求のようだ。

これに対し、TiKTok側は米国内に関しては、米国のソフトウェア企業・オラクル社に移管しているので、問題はない、と回答をしているようだ。
米国側はオラクル社に移管している、という回答に対しても、疑念を持っているようで、オラクル社に移管しているからと言って、中国から米国ユーザーの個人情報にアクセスできないわけではない、という指摘をしているようだ。

確かに、オラクル社にデータ移管をしているとしても、そもそも移管したデータはどこにあったの?ということになる。
データを移管することができた=移管後のデータにもアクセスすることができる、ということになる。
言葉遊びのような話だが、個人情報の管理というのは、それくらい細かな配慮が必要ということだと思う。

米国が何故これほどまでにチャイナアプリに神経をとがらすのか?ということを考えると、単純に「米国民の個人情報保護」という問題だけではないような気がするのだ。
むしろ「個人情報保護」を強調することで、本音というか最大に理由を隠しているのでは?ということなのだ。
それは「クレジット決済」等から吸い上げられる様々な情報の流失だ。
「個人の決済=銀行へのお金の流れ」と考えれば、何となくわかって頂けると思う。
それが、米国企業の経済的活動の把握となる可能性も”0”ではない。
個人情報から様々な企業情報を吸い取られる、ということを懸念しているのでは?ということなのだ。

それに対して、日本ではどうなのだろう?
デジタル庁なるモノができたが、始動直後からバタバタと様々な問題が発生し、初代担当大臣が辞任。
その後女性大臣起用と話題にはなったが、実績においては???という状況で、任を降りられた印象がある。
日本政府のデジタル推進というのは、なんともお寒い限りという印象を国内外に示している、という気がするほどだ。

先日、「クールジャパン機構」の累積損失が309億円に達する、という内容のエントリをした。
これだけの累積損失分を、TiKToKのような世界の若者たちがインストールするような、ソフトウエアの開発に力を入れる、というアイディアは無かったのだろうか?
スマホにインストールされている、様々なアプリを見ていても、「日本生まれのアプリ」というものがとても少ない。
特にエンタティメント関連のアプリとなると、ほぼ海外生まれだ。
日本はアプリを開発する人財不足なのか?それとも興味そのものが無いのか?
はたまた、プロモーションが下手なのか?
米国で度々起こる「vsチャイナアプリ」の騒動を見ていると、日本政府のデジタル庁に対する期待が薄らいでしまうのだ。



「節電」というなら、テレビ放送の時間を検討してみるという発想はないのか?

2022-06-29 20:09:12 | 徒然

昨日、もともと「梅雨」がない北海道を除く各地で、「梅雨明け宣言」となった。
今月半ば過ぎから、連日の猛暑で「梅雨明け宣言」をされても、少しもうれしくないと、感じられている方も多いのでは?
今年の「梅雨明け宣言」は、待ち遠しかった太陽と共に感じる夏、という感じではないからだ。
それに加え、東京電力を始めいくつかの電力会社の送電地域では「電力不足」が心配され、「節電」を呼びかけられるという状況が毎日続いている。

この猛暑の中、「適切な温度でエアコンを使い、熱中症にならないように」と呼びかけられても、「節電にご協力お願いします」と同時に言われてしまうと、お願いされていることを優先してしまう、人もいるのでは?と、想像している。
というのも、ここ数年の統計で「熱中症で亡くなる方」の多くが、野外ではなく室内だからだ。
亡くなる方の多くが、「自分が熱中症の症状に陥っている」と感じる事が少ない高齢者が多い、ということもあるのだが、やはりエアコンを使うことに躊躇してしまう人も少なからずいらっしゃるのでは?

このような状況になって思うことなのだが、確かに1世帯の電気の使用量は少なくても、世帯数が多くなれば、全体の消費量が増えるということはわかる。
おりしも、電気料金は上がり続けている。
「節電=家計の節約」ということにもなる。
ただ、一般家庭に「節電」をお願いするよりも、再放送が中心となっているテレビ放送を休止する位の、大胆な発想はないのだろうか?
そもそも昼間のワイド番組の視聴率は、どのくらいあるのだろう?

「テレビ離れ」ということが言われて久しいと思う。
「テレビ離れ」をカバーするように登場したのが、TVerのような配信サービスだ。
おそらく、TVerなどで過去の番組視聴を含め、視聴が好調なのだろう、NHKも「NHK+」という有料配信サービスを提供するようになってきた。
とすれば、リアルタイムで視聴するだけではなく、「自分の生活時間に合わせて視聴する」という人たちが増えてきている、ということになる。
しかも、ネット回線を使って視聴する人達が増えている、ともいえる。

そう考えると、キー局で放送しているワイドショー番組を短縮し、再放送を取りやめる事で、随分電力事情は変わるのでは?という気がするのだ。
何故なら、1970年代に起きた「オイルショック」時は、日本のテレビ局は23時が放送終了となっていたが、さほど生活に影響がなかった、という印象があるからだ。
当時と今の大きな違いは、消費電力のピーク時が違う、という点だろう。
消費電力のピーク時である、午後の数時間のテレビ放送の休止によって、生活者に与える影響はどれほど大きいのか?という、ことなのだ。
もちろん、緊急時の放送は優先されるべきだと思うのだが、再放送・再々放送の番組は一時休止としてもさほど影響がないのでは?

それにしても、電力各社が推し進めた「オール家電」の弱みが露呈してしまった感がある。
冬であれば、ストーブ等で暖を取ったり、煮炊きすることができるが、夏はそのようなわけにはいかない。
そして、都市部に誇らしげに建つ「タワーマンション」等もまた、このような状況では生活の不便さを感じる事になるのでは?
それほど「電力」にゆだねる生活をしている、ということになるのだが、もしかしたら「住まい」を含め「生活環境」を見直す必要があるのかもしれない。

ただ、生活者に「節電」をお願いするだけではなく、電力を大量に消費しているであろう、テレビ局等が率先して節電の為の放送の見直しがあっても良いのでは?と、思うのだ。






「コロナ対策」の問題点は、役割分担と責任の所在

2022-06-28 19:28:42 | アラカルト

先ほど、新聞のWebチェックをしていたら修学旅行中の女子高校生が「熱中症」で意識不明の重体になっている、という記事があった。
朝日新聞:修学旅行中の高3女子生徒、意識不明で搬送。熊本、熱中症の疑い

全国、例年よりも随分早い梅雨明けとなった。
梅雨明け前から、連日の猛暑で体力的にも相当ダメージを受けるような日が続いていた、というのも事実だろう。
昨夜も救急車のサイレンを聞く等、おそらく「熱中症」で救急搬送される人が、増えているのだろうな~という実感はあった。
にもかかわらず、「コロナ対策優先」ということで、いまだに「マスク着用」を様々な施設でお願いされている。
いくら外でマスクを外していたとしても、何かの施設に入る時にはマスクをしなくてはならず、その度に着けたり・外したりするということになる。
何となくだが、今回「熱中症」で倒れた女子高校生も「マスクを着けたり・外したり」するのが面倒くさく、着けていることにも慣れてしまっていた為に、「外す」ことなく「熱中症になったのでは?」という気がしている。

あくまでも私の想像なので、本当のところはわからない。
ただ、「熱中症予防のためにも、外ではマスクを外しましょう」と言われていても、何等かの施設に入る時には「マスク着用をお願いしています」と、しつこいほどにアナウンスをされてしまうと、マスクを着けたり・外したりという行為そのものが、面倒くさくなり結局、マスクを着けたままの方が便利、ということになってしまう。
エアコンの効いた室内で、話し合いをしている方にはわからない行為が、街中では普通に行われているのだ。

それにしても、何時までこのような「マスク着用」を強要するようなコトが続くのだろうか?
個人が「不利益と利益のバランス」を考え、マスクをすることで不利益が多いと思えば外すことは容認して欲しい、と思っている。
にもかかわらず、各所で「新型コロナ感染予防の為に、マスクをしましょう」と言葉は柔らかいが、何となく強要している感がある。
海外では「マスク着用」そのものが、強制であったため、国が「マスクを外す」と言われれば、一斉にマスクを外すことができた。
しかし日本政府は、あくまでも「お願い」レベルであり、はっきり言ってしまえば個人の判断にゆだねられる部分が強かったはずだ。
にもかかわらず、政府の「お願い」に対してメディアを含め、様々なところで「マスク着用のお願い」がされ、「マスクをしないと、感染する」という、ある種の「恐怖心」のようなものを植え付けてしまったように感じている。

そして、今の状況は増減はあるモノの、ピーク時に比べると随分感染者数が減ってきているにもかかわらず、「新型コロナの治療薬がないため」等の理由で「まだ、マスクを外す時期ではない」と、政府や専門家といわれる人たちがテレビで話したりすると、マスクを外す機会をなくしてしまっているように感じるのだ。

そもそも「新型コロナ」の株が変異し続けるのは、「新型コロナウイルス」がDNAよりも不安定なRNAの状態にあるからだ。
不安定な状態だからこそ、次々に変異をし続けるということになる。
それは一般的な、風邪と同じであり、「風邪薬の特効薬ができたらノーベル賞」と、冗談のように言われるゆえんでもある。
ただウイルスの多くは、変異し続ける事で感染力はある程度強まるモノの、弱毒化するという指摘はこの3年間で何度も繰り替えされてきたことだ。
とすると、今現在問題となるのは「感染者数」ではなく、「重症者数」であり、「重症者数/感染者数」から考える必要があるのではないだろうか?
何故なら、感染拡大防止の理由の一つが「重症者数が増え、医療崩壊につながる危険性がある」ということだったからだ。
にもかかわらず、今でも発表されるのは「感染者数(あるいは陽性者数)と死亡者数」だけだ。
感染者数に対して重症者数、死亡者数の率が高ければ、国全体で予防策をとらなくてはならないが、肝心なデータではなく断片的な瞬間数字だけで「感染予防のためマスクをしましょう」というのは、どこかズレている。
そのような指摘をし提言をするのが「専門家会議」なのだと思うし、それが「専門家会議」の責任のはずだ。
にもかかわらず、専門家会議からは「政府が判断するものと考えている」という趣旨のコトを話し、政府側は「専門家会議の判断を仰ぐ」ということを延々と繰り返している。
とすれば「専門家会議」を招集する政府が、個々の責任を明確にし、瞬間的数字に右往左往するのではなく、推移と重症者や死亡者の割合等から総合的判断を「専門家会議」にゆだね、それを受け政府がキチンと考え発表することが、政府の責任なのではないだろうか?

例年よりも猛暑・酷暑(あるいは殺暑)の夏といわれる、今年の夏。
「新型コロナ」よりも「熱中症」で亡くなる方が多くなった時、政府や専門家会議の方々はどう責任を取るのだろうか?


「安い=良いコト」なのか?

2022-06-27 14:24:57 | ビジネス

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「ビッグマック390円は安すぎる?」という見出しがあった。
朝日新聞:ビッグマック390円は安すぎる?物価停滞「日本人の欲求が後退」

「コロナ禍」になる前から、マクドナルドに行くことはあっても、ハンバーガーではなくドリンク類しか注文をしていなかったので、ビッグマックの価格そのものを知らなかった(ハンバーガー類を注文をしないのは、加齢と共に食べられなくなったため)。
ただ、20年位前まではビッグマックはもう少し値段が高かったような印象がある。
20年以上前、ハンバーガーショップの「390円合戦」のような時期があり、マクドナルドだけではなく、ロッテリアを含むハンバーガーチェーン店では、ベーシックなハンバーガー+ポテト小+ドリンクSのセットで390円という、価格設定をしたセット商品が人気となった。
そのころの日本の経済状況というのは、バブル経済崩壊後の影響が残り、金融機関が倒産するというニュースもあった頃だったような記憶がある。
日本の経済全体が、落ち込み続けている最中での、価格競争だった、ということになる。
と同時に、サラリーパーソンの給与そのものも賃上げが厳しい状況で、上述した「ハンバーガーセット390円」が人気になる一方、「ワンコイン(=500円)ランチ(や持ち帰り弁当)」等が人気となった頃でもあった。
当然だが、その当時1杯が400円程度であった「牛丼」は、サラリーマン定番の人気外食だった。

そう考えると、現在のビッグマック390円というのは、安いというよりも20年ほど前から大幅な値上げがされていない、という印象になるような気がしている。
もちろん、ビッグマックだけを購入するという人は、さほどいないと思うので、利益採算の良いといわれるフライドポテトやドリンクをプラスすることで、お店としての収益を何とか確保しているのかもしれない。

ただ、ビッグマックに限らず、バブル崩壊後の日本の生活者の「商品選び」の一つの基準の中に元々あった「安さ」の順位が上がったことには、間違いないだろう。
元々「品質」等にも一定の高さを求める、日本の生活者なので「安い」だけが、商品選びの基準ではない。
「安くて、ある程度品質の良いモノ」という、暗黙の条件のはずだ。
とすると、日本国内での生産から人件費の安い海外生産へと、切り替える事になる。
特にアパレル等は、圧倒的に海外で作られるようになった。
それが、日本国内においての製造業全体の生産力の減退となり、生産地であった地方経済に影響を及ぼしている、ということになるのではないだろうか?

今の日本の生活者の状況は、国産の商品を買いたくても、手が届かない、という場合も多いはずだ。
何より、「安いから買いたい」という気持ちよりも、「安くても買えない」という経済的な不安の方が強いようにも思える。
「安ければよい」というのではなく、「品質に似合った価格」という、生活者の意識変化が求められている、というだけではなく、企業や国の経済政策等も、「品質やサービスに似合った適正価格が、ベストプライスである」という考えと共に、そこにかかる人件費や製造コストの重要性を考える必要があるように思うのだ。
何故なら、「人件費=生活者の所得」であり、「製造コスト=下請け・孫請け等に対する費用」であり「下請け・孫請けで働く人たちの人件費+製造コスト」だからだ。
大企業だけが利益を上げ、給与が上がるのではなく、中庸零細企業で働く人たちの給与が上がらなくては、「安くても買えない」という生活者の感覚は無くならないと思うのだ。






時代が遡っているのか?‐米最高裁、半年ぶりに中絶禁止‐

2022-06-26 21:55:47 | アラカルト

先日、ブラジルでレイプをされた11歳の少女が妊娠をし、中絶を希望したにもかかわらず、裁判で認められなかった、というニュースがあった。
Huffpost:性暴力で妊娠した11歳の少女に「もう少しの我慢を」。中絶を認めなかった判事に波紋 ブラジル

ブラジルでは、中絶を認めているのが21週までと決まっている為、このような判決となったということのようだが、それ以外の理由もあったのでは?という気がしている。
それは「宗教」との関連だ。
基本キリスト教は、中絶を認めてはいない。
そのため、キリスト教徒が多い国等は、中絶を今でも認めていないと、言われている。
そして中絶を認めないという裁判が、米国であった。
日経新聞:米最高裁、半世紀ぶりに中絶禁止容認 分断政治が引き金

この日経の記事の見出しとなっている「分断政治」というのは、トランプ前大統領が引き起こした「共和党 vs 民主党」という、政党的な支持の分断というだけではなく、経済の格差や宗教観等にも影響を及ぼした結果、米国内に「様々な分断が起きた」ということを指している。
米国の大統領選の頃になると、拙ブログでも言及させていただくことがあったのだが、共和党の支持母体となっているのが、クリスチャン系の福音派と呼ばれる人たちだ。
この「福音派」と呼ばれる人たちの票田を取りまとめる事ができるか・否かによって予備選挙から大統領選に至るまで、大きく変わるといわれてきている。
それほど政治と宗教は、大きな関わりを持っている、と言っても過言ではない。

「政治に宗教が大きく関わっている」という視点で考えれば、米国の生活者の価値観が変わっている、あるいは政治的な意図があり、福音派等の宗教に配慮をすることで、政治の中心の保守化が進んでいる、ととらえる事ができるからだ。
と言っても、この影響はトランプ前大統領の影響が残っているのでは?とも考えられる。
バイデン大統領が焦るのは、この秋に予定されている「中間選挙」に対する影響の大きさだろう。

何よりこれまで共和党出身の大統領時代であっても、今回のような「中絶禁止」という判決は無かった。
ということは、上述した通り米国の政治を取り巻く状況の中には、まだまだトランプ氏の影響力が残っているだけではなく、むしろ過激になってきているのでは?ということも考えられる。

「女性の生む・生まないの権利」だけではなく、「マッチョな男性主義」的な思考が米国に広がりつつあるという、社会変化に目を向ける必要があるように感じている。


参院選に思う

2022-06-23 21:45:26 | 徒然

いよいよ、参院選挙に向かって各政党が動き始めた。
今朝の新聞にも、各政党の主張内容が掲載されていたのだが、もう少しわかりやすい表現で書いてくれないだろうか?
会社員時代、「説明文は中学1年生が分かるような書き方をしなさい」と、随分言われた。
「大人相手に中学1年生が分かる文章」というと、「馬鹿にしているのか!」と怒られそうだが、どんな人が読んでも読み間違いのない文章を書く、という意味では自己満足に陥らない為の一つの意識づけだったのでは?と、思っている。

それに対して、何故政治家の文章というのは、わかりにくいのだろう?
「政策論争を展開する」にしても、その論争の本筋となるモノは何か?ということを、生活者は知りたいのだ。
まして、成人年齢が引き下げられた後の選挙なのだ。
18歳の高校生も、選挙に投票する権利を持っている。
分かりにくい文章を出す、ということは、もしかしたら選挙後の「公約違反」と、言われない為の策なのか?

今回の選挙では、女性候補者が181人いるという。
Huffpost:女性立候補者は181人、33%で過去最高に。でも政党別だとこんなに違う

言っておくが、性別に関係なく「お飾りのような候補者」はいかがなものだろう?
いわゆる「タレント候補者」と呼ばれる、候補者の方々だ。
もちろん、政治に対して熱い思いを持ち、日本を良くしていきたい!という、高い志の方もいらっしゃるだろう(と信じたい)。
それは「世襲議員」と呼ばれる、候補者も同じだ。
「政治によって社会をより良く変えていきたい!」という、気持ちや動機が無くては、立候補してもらっては困る。
何故なら、選挙には億単位の税金が使わるからだ。
そのお金を無駄にしない為にも、立候補する時点でそれなりの「政治家としての覚悟とビジョン」を、指示してほしいのだ。

ただ、女性候補者に注目が浴びるようになると、決まって中高年の男性から「暴言」が出てくる。
今回は、政治家ではなくエンターティメント業界からだ。

東証一部に上場するような、エンターティメントの社長がこのような発言をYouTubeで無神経に話してしまうのは、いかがなものだろう?
デイリー新潮:エイベックス松浦会長がYouTubeで「深田恭子」「北川景子」を中傷 聞くに堪えない中身とは

配信されたYouTubeを見ていないので、どのような内容だったのか?という点について、直接は知らない。
報道されているような内容のことを言ったのだとすれば、業界的にどうなのだろう?
深田恭子さんにしても北川景子さんにしても、とても素敵な女優さんだと思う。
何より、女優さんたちというのは、何時仕事が入っても良いような準備を常日頃怠る事は出来ないだろう。

もしかしたら、小柄な若い女性が好きなのかもしれないのだが、それにしても目に余るような暴言だ。
例え居酒屋で仲間内で、お酒を飲んだ勢いで話してしまった、としても随分酷い。
と同時に、この人の頭の中にある「女性像」が、よくわかるような気もする。
それ以外の女性は女性として魅力がない、という見方をしているのだとすると、ある一定数の日本人男性は、このような女性像を持ちっており、その見方から脱却することなく「女に政治家が務まるはずがない。まぁ応援をしてやるなら酒席で酌の一杯でも…。」等という考えなのだと思う。

そのような考え方からの脱却がされない限り、日本のジェンダーギャップは埋まらないだろうし、今回の選挙でも「タレント議員」を目玉候補としているのは、「女子供に政治が分かるはずがない」という古い考えに固視しているのでは?という、気がしている。



「クールジャパン」って、何だろう?‐増え続ける赤字事業‐

2022-06-21 22:13:29 | ビジネス

昨夜だったと思うのだが、ネットニュースに「クールジャパン機構、統廃合も念頭に」という趣旨の記事があった。
WWDJapan:官民ファンドのクールジャパン機構が見直し検討 スパイバーや寧波阪急に出資

経済紙や一般紙でも同様の報道があったのだが、会員記事扱いとなっていたため比較的多くの内容が読めるWWDJapanの記事を紹介させていただいたのだが、もともと「クールジャパン」って何だろう?という、疑問がわいてきた。

累積損失が309億円となると、一般民間企業であれば倒産になっていても、おかしくはないほどの金額だと思う。
官民ファンドだからこそ、これほどまでの累積損失を出しても、機構として維持することができたのでは?という気がしている。
逆に言えば、それだけ「投資先」に対して、精査をしてこなかったということになるのかもしれない。
というのも、投資先の一部は日本の企業が現地でつくった合弁企業だからだ。
そのため、投資先としての「読みが甘かった」ということは、十分考えられる。

何故、国内の「クールジャパン」として挙げられていた、漫画やアニメーション等の企業に投資をされず、海外の合弁企業に投資されたのか?ということが疑問なのだ。
だからこそ「クールジャパン」とは何だったのか?ということを、キチンと考える必要があると思ったのだ。

「クールジャパン」という言葉が使われるようになったのは、おそらく漫画やアニメ等が海外で人気になっている、ということが言われるようになった頃から使われ始めたような記憶がある。
確かに、日本の漫画やアニメ等は、海外、特に米国のスタイルとは大きく違う。
米国の漫画と言えば「cartoon(カートゥーン)」と呼ばれる、子供向けの漫画やアニメーションや、「スパイダーマン」や「スーパーマン」に代表されるような、日本でいうなら「劇画漫画」のようなものが主流だった(と思う)。

それに比べ、日本の漫画は「少年漫画・少女漫画(最近では「BL(=Boys' Love) 」分野も人気だと聞く)」と呼ばれるように、絵のタッチはもちろんだが話の展開も諸外国から見れば、異質なものが多かった。
その「異質さ」に、諸外国の若者たちの心をつかんだのだ。
サッカー漫画として世界的に有名な「キャプテン翼」等は、この漫画を見て育った選手が、世界のトップ選手として活躍している。
それほど、様々な分野で影響を与えてきたのが、日本の漫画やアニメであり、それらを諸外国の人たちは「Cool(=カッコイイ!)」と、呼んでいたのだ。

そのような素晴らしい「コンテンツ産業」を、経済のテコ入れにしようと誕生したのが「クールジャパン機構」だったのでは?
それがいつの頃からか、海外で展開している日本企業と現地の合弁会社設立の資金調達に使われるようになってしまったのだ。
WWDの記事にあるように、その一つが海外でファッション産業を育てる為に、合弁会社を立ち上げたりしたことが、「クールジャパン機構」が迷走するきっかけとなってのでは?という気がしている。

もちろん、日本のファッション産業そのものが「Cool(=カッコイイ)ではない」と言っているのではない。
日本のファッションデザインそのものは、海外で注目されていることは事実だし、若い日本人デザイナーが海外の有名ファッションブランドのデザインチームの一員として活躍している、という場合も多くなってきている(といわれている)。
「東京の原宿が大好き」と公言する、有名ミュージシャンもいる。

とすれば、「クールジャパン機構」が投資すべきところは、海外から注目されている「日本文化」に対する投資だったのではないだろうか?
「クールジャパン機構」が設立された時には、既にスマホが普及し始めていた。
ということは、日本国内から世界へ情報を発信することが、十分可能な状況だったはずなのだ。
何故、その時の状況判断ができなかったのか?
「投資先」が何故、中国に拠点を置く合弁会社だったのか?
累積損失が309億円の理由に「コロナ禍」を持ちだす前に、説明すべき点が多いのでは?
少なくとも「クールジャパン」と名乗っておきながら、まったく「Cool(=カッコイイ)じゃない」と、思うのだ。




「全国均一」から「個性ある地方」へ

2022-06-20 18:06:55 | マーケティング

テレビ東京は、TVerのような配信サイトとは別に、「ネットもテレ東」というサイトを持っている。
全ての番組が見られるわけではないのだが、それでも多くのテレビ番組が、ネットで自由にみられるようになっている。
そのテレビ東京の番組の中で、わずか数分もない「風景の足跡」という番組を、時々見ている。
というのも、「地域の再生」という視点で見ていると、とても興味深く様々な考えの素となる事があるからだ。
なおかつ、過去の放送も見る事ができるので、とても便利に拝見させていただいている。

この「風景の足跡」を見ていて感じる事だが、戦後日本が歩んできた「全国均一」という考え方から「個性ある地方へ」と、変わりつつあるのでは?ということがある。
例えば、先週末に公開された、宮城県刈田郡蔵王にある「ゆと森倶楽部」は、以前県の「保養所」として造られた建物だが、経営不振の為に地元民間企業に落札され、現在のような姿になった、という。
テレビ東京:風景の足跡 ゆと森倶楽部

「県の保養所」ということもあったのだと思うのだが、ここ何年か経営が厳しくなっている宿泊施設を買収し、新たなリゾート宿泊施設をチェーン展開している施設とは、随分趣も違う。
個人的に思いだしたのは、以前那須高原にあった「二期倶楽部」だ。
経営陣の間でトラブルがあり、「二期倶楽部」そのものは、星野リゾートに売却をされてしまったのだが、以前の「二期倶楽部」は、その土地を活かすような個性的なリゾートホテルだった。
CLASS ONE:【日本/栃木。那須高原】二期倶楽部

そして最近、このような「その土地・その場所に行かなくては体験できない」という個性あるリゾートホテルが少しづつ増えているのでは?という、気がしている。
このような地域に根差したリゾートホテルだけではなく、これから先地域の活性化ということを考えるのであれば、「全国均一」なモノ・コトではなく、その場所に行かなくては経験できないコト、その土地だからこそつくられるモノ・コトということが重要になってくるのでは?という気がしている。
そのわかりやすい一例が「ゆと森倶楽部」のような場所なのでは、ないだろうか?

確かに高度成長期の頃は、「どこへ行っても同じ」というコトが、一つの安心となっていた。
今の若い方は笑ってしまうかもしれないのだが、私よりも年上の方の中には「旅行に行ってもカレーライス」という方が、少なからずいらっしゃった。
理由は「どこへ行っても当たり・外れがないから、安心」という理由だ。
その土地の名物を食べる勇気よりも、均一な味を求めていた、という時代があったのだ。
だからこそ、どこへ行っても同一のサービスという、安心感の提供が必要でもあった、ということなのだ。
そのためには、一極集中という方法が効率的にも良かった、ということなのだと思う。

拙ブログでは、過去何度か書いてきているのだが、地域の活性化に一番必要なことは、その地域の人たちの「地域資産を自分たちの手で活用し、地域外とのコミュニケーションの一つとしたい」という、気持ちや思いなのではないだろうか?
そのような思いや熱意が、「金太郎あめ」のような「全国均一」という発想から、脱却する力となるような気がしている。
それが地域活性化につながるのでは?と、考えている


Tverなどの配信サイトが変える、地方局とキー局の関係

2022-06-19 20:56:42 | アラカルト

ここ数年、「テレビは地方局制作のほうが面白い」ということが、言われるようになってきた感がある。
With news: 「TVer」普及で変わるテレビ 地方局発の盛り上がり、”お宝”映像も

記事にある「かまいたちの掟」という番組は、お笑いコンビ・かまいたちの一人山内さんの出身が松江市である、というところから始まった番組で、個人的にも時折配信サイトで見ている番組の一つだ。
地方局制作の為、1回の収録で2本撮りは当たり前、というなかなかハードなスケジュールのようだが、出演をされているかまいたちさんたちが、なんとも楽しそうな雰囲気がある。
何より、キー局とは違い、様々なところに忖度する必要がない、のびのびさを感じる事がある。

そのような傾向は、「かまいたちの掟」に限ったことではなく、地方局ならではの自由さと地方の話題を盛り込んだ内容になっている気がする。
それが逆に、キー局では見られない「面白さ」に繋がっているということだろう。

そのような傾向は、北海道限定で放送されている「水曜どうでしょう」が、きっかけだったのかもしれない。
現在テレビドラマや司会等で活躍されている大泉洋さんを始め北海道で活躍されている俳優さんたちで結成された「TEAM NACS」による、バラエティー番組だ。
大泉さんを始めTEAM NACSのメンバーの皆さん方の活躍が、全国規模になっていく過程で「水曜どうでしょう」が話題となり、配信サイト等もなかったことから、ある意味「伝説の番組」のような扱われ方をした、という印象がある。

このようなバラエティー番組だけではなく、最近では報道番組等でも注目を浴びるようになってきているようだ。
それが顕著になったのは、「新型コロナワクチンの接種と感染者」という厚労省が発表した統計データに疑問がある、という報道が地方局で積極的にされているにもかかわらず、キー局と呼ばれる東京の放送局ではされていない、という点がある。

この問題に疑問を呈し、報道をし続けているのは地方のテレビ局で、その一つが名古屋のCBCだ。
CBCニュース公式:国がワクチンの効果を示すデータを修正!一体なぜ?【大石が深堀解説】

ニュース性のある内容ということもあり、TVerではなくYouTubeで公開している、という点も今日的な情報の発信の仕方であり、連動してラジオでも報道を続けているという。
このような動きは、他の地方局へも広がりつつあるようで、YouTubeで検索してみると複数の地方局のニュースサイトを見る事ができる。
もちろん、ニュースとして取り扱うので、ゴシップ記事とならないような配慮は十分されている。
それが、番組の信頼となっているのだ。

ご存じの方もいらっしゃると思うのだが、現在ラジオ放送については「radiko」という配信サイトのプレミア会員と呼ばれる有料会員になれば、全国のラジオ番組が放送後1週間程度聞くことができる(番組によっては3日間という場合もあり)。
これまで、聞くことができなかった番組が、ネット環境さえ整っていれば、どこでも・いつでも自由に視聴できるようになってきているのだ。

そしてキー局ではなかなか扱うことが難しいテーマであっても、地方局では取り扱うことができる、というメリットがある。
地方局である、ということは今やデメリットばかりではないのだ。
テレビや新聞等のこれまで「東京中心」であったメディアが、いつの頃からか?「マスゴミ」と揶揄されるようになってきた。
それはマスメディアに対する、不信の表れかもしれない。
それが、地方局に注目される要因の一つだとすれば、「果たして東京という中央にしか、情報やエンタメがないのか?」という疑問なのかもしれない。



「考えない=責任がない」という発想が、世界から取り残される日本をつくっている?

2022-06-18 21:27:33 | アラカルト

朝日新聞に、「大企業病は、大企業に限ったことではないのだな~」という気がする記事があった。
朝日新聞:会議の力「言われたことは一生懸命やります」からの脱却

随分前から、企業が変革できない理由の一つとして挙げられているのが、「大企業病」と呼ばれるものだ。
「トップダウン式」の指示の仕方で、現場で働く人達や若い人たちの意見を吸い上げる事ができず、「前例主義」とか「慣例主義」と呼ばれるような企業体質に陥っている状況が「大企業病」と呼ばれている。

この記事を読む限り、企業規模は決して「大企業」と呼ばれるほどではなさそうだ。
現場で働いている人たちは「言われたことは一生懸命やるけど、それ以外のことはしたくない」と、言っている。
このことは、この企業に限ったことではないと思っている。
何故なら、このような「言われたことだけをやれば良い」という、指示を出している企業は規模の大小に関係なく日本には多いのでは?と、感じることが多々あるからだ。

この「言われたことは一生懸命にする」という言葉に、ある種の「怖さ」を感じたのは、私だけだろうか?
「怖い」と感じた理由は、ナチスの残虐的行為の象徴である「ホロコースト」の指揮を執り、多くの人々をガス室送りにしたアイヒマンが、長い逃亡の後で逮捕をされ、裁判にかけられたときに話した言葉と通じるものがあったからだ。
この裁判については、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」に詳しいはずだが、野心だけはある凡庸で小心者であるアイヒマンが、「ホロコースト」を作り出した理由が「自分は何も悪くはない。すべてヒットラーの指示に従っただけだ」という趣旨の証言をしているからだ。
「自分は何も悪くない。ヒットラーの指示に従っただけ」ということは、アイヒマン自身が自分の行いに対して、何も考えず・疑問も感じずに自身の野望を満たす為に「ホロコースト」の指揮を執っていた、ということでもある。

「ホロコースト」と、一企業の会議と一緒にする事は乱暴な話ではあるが、問題は「自分で考えない」という点なのだ。
「言われたことは一生懸命にするが、そこには自分の責任はない=仕事の責任は仕事の命令者にある」ということでもあるのだ。
そしてこのような傾向が、日本で強いのは「父権主義」あるいは「権威主義」によるところが大きいのでは?と、考えている。
だからと言って、この「父権主義・権威主義」的組織が、その責任者という役割を持っている人物に、責任を負わせているのか?と言えば、決してそうではない。
何故なら、その前に「前例主義」あるいは「慣例主義」があるからだ。
前例や慣例に従うことで、父権主義あるいは権威主義は、責任そのものを逃れる事ができるようになっている。
それは、どこを切り取っても、考えることもなければ責任を負うというある種のリスクも負わない、ということでもあるのだ。

このような考えが社会の中心となっていけば、日本そのものが諸外国から遅れを取っていくのは当然だろう。

因みにこの記事の最後には、「言われたことは一生懸命にやる」と言っていた人たちは、「自分で楽しい仕事」をするために、考え・行動をするようになっていく。
もちろんそこには、考えに基づく行動には責任がある、ということを十分に理解している姿がある。
それは「自分の人生を楽しむ責任」を感じているからなのでは?と、思うのだ。