日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

秋篠宮殿下の「大嘗祭」の国費支出発言を考える

2018-11-30 19:53:34 | 徒然

秋篠宮殿下が誕生日を前に、来年行われる「大嘗祭」について、国費支出が適当かどうか?という発言をされた。
「政教分離」という観点から問題がある、というお考えからの発言だったようだ。
東京新聞:公費に異議 秋篠宮さま「宗教色強い」

今上天皇が即位されたときにも、同様の理由でキリスト教や仏教関係者から提訴される、ということがあったように思う。
今回も12月に提訴する予定だという。
中日新聞:大嘗祭「違憲」12月提訴へ 政教分離原則に違反と

あくまでも個人的な意見だが、「大嘗祭」は神道の形を取ってはいるが、本当に宗教的な儀式だろうか?という、疑問がある。

先日の「勤労感謝の日」は、戦前「新嘗祭」と呼ばれていた。
その「新嘗祭」は「五穀豊穣を祝い、安寧を願い祈る」というのが原型(というのだろうか?)だと、大正生まれの母が話していた。
現在でも「新嘗祭」は、毎年宮中で行われているだけではなく、形を変え地方でも行われているようだ。
その「新嘗祭」を天子(=天皇)が代わった時に行われるのが、「大嘗祭」だ。
とすれば、宗教的とはいっても仏教やキリスト教のような教義や経典があるわけではなく、もっと土着的で「八百万の神」への奉納というニュアンスだったのでは?という、気がしている。
民俗学者の折口信夫さんも「大嘗祭の本義」という題名の文の中で、「神道(宗教としての神事)」としてよりも、民俗的な意味合いのほうが強いのではないか?と書いている。
折口信人:大嘗祭の本義

そして来年の「大嘗祭」に対して仏教関係者が提訴する、ということにもやや違和感を感じている。
古典がお好きな方でなくても、一度くらいは「源氏物語」を読まれたことがあると思う。
「源氏物語」の舞台は、帝の息子である光源氏を中心に宮中になっている。
そして、様々な場面で「出家」とか「坊主」と言う言葉が登場する。
これは平安時代より前から、仏教が信仰の中心であった、ということに他ならない。
今でも各地に「国分寺」という地名が残っているのは、各地に国の意向でつくられたお寺を中心とした街づくりがされていた名残だ。
京都の幾つかのお寺には「門跡」という名がついているが、それは天皇やその親族の為のお寺ということを表しているし、今でも「泉涌寺」の一部は宮内庁の管理となっている。
仏教そのものは、長い間天皇やその親族を中心に守られてきた、という過去があるのだ。
そう考えると、皇室が長い間信仰の対象としてきた仏教の関係者が、皇室の祭事を提訴する、というのは歴史的関係からするといかがなもの?と、感じてしまうのだ。

何より、秋篠宮殿下は父である今上天皇がされている「新嘗祭」の意味や歴史といったことを、十分理解した上での発言なのだろうか?という気がしてくるのだ。
確かに、「神道」としての儀式ではあるが、その起源となるのは古事記などから始まる祭事なのだ。
むしろ「伝統行事」とか「日本文化の一つ」として考える必要があるのでは?
そのうえで、使われる費用が適当かどうか?を考えるべきなのでは?という、気がしている。


地域資産と維持する努力

2018-11-28 21:06:11 | アラカルト

京都新聞に「最古級京町家消失」という見出しがあった。
京都新聞:最古級京町家消失「京都市に失望」元所有者自らが選んだ解体の道

京都を世界の名だたる観光地としているのは、何も神社仏閣だけではない。
京都独特の「町家」の佇まいが、より魅力的な観光地にさせている(と思っている)。
解体された「川井家住宅」や京都市文化文化財となっている「杉本家住宅」、上賀茂神社近くにある神職の住宅といわれる「社町家」などは、花街の街並みとは全く違う堂々たる風情を感じさせる。
町並みの雰囲気は違うが、京都の街を歩くと古い都へタイムスリップをしたような感覚を覚えるのは、私だけではないと思う。

もちろん、1300年以上の歴史がある京都だからこその文化があっての魅力だと思うのだが、今その魅力の一つである「町家」が危機に瀕している、ということがこの記事からもわかる。
多くの町家は、間口が狭く鰻の寝床のような造りになっているため、今の生活には向かない造りといえるだろう。
何より、町家は築年数が古い為「町家」として維持をしていく為には、それ相応の費用が掛かる。
今回解体となった「川井家住宅」などは、敷地面積も広く古い家を維持管理していくためには、相当な費用が掛かっただろう。
維持管理だけではなく、固定資産税なども大変だったのでは?と、想像している。

観光目的で、有料の一般公開という方法もあったかもしれないが、やはり「人の住まいに他人に見せる」ということに、抵抗感があるだろう。何より、どのような人が来るのか分からないというのは、不安だろうし場合によっては修繕費などがより多くかかってしまうリスクもあっただろう。
そう考えると、元所有者が失望したとされる京都市の「京町家保全継承条例」の柱である「マッチング制度」が、機能していなかったということになるのだろう。
個人所有の文化財級の建物は、一度取り壊してしまうと復元そのものが難しい。
そのためのマッチング制度という位置づけなのだろうが、制度的な不備があったということだろう。

そう考えると、「川井家住宅」をはじめとする古く大きな京町家などは、これから先マンションや宿泊施設へと建て替えられてしまう可能性がある、ということだろう。
そうなると、京都の町の魅力そのものが半減してしまう。
そのための維持・管理を含めた費用負担は、誰がするのか?ということが大きな問題になるだろう。
歴史的に重要とされる「京町家」に関して特別措置のような税の軽減や、冷泉家のように「公益法人化」をしたうえで年に1回特別公開(有料)をするとか、地域の祭事に合わせた期間のみ有料公開をするなどの「維持・管理」がしやすい制度を考える時期にきているような気がする。

何故なら、このようなケースは「京町家」に限ったことではなく、日本全国にあると思うからだ。


 


データと分析

2018-11-26 19:54:19 | マーケティング

Yahoo!のトピックスを見ていて「データは分析をしないと意味が無いな~」と、思った記事があった。
Yahoo!トピックスに取り上げられていたのは、テレビ番組の視聴率だ。
日刊スポーツ:安藤サクラ「まんぷく」第48話大台割れ19.7%
スポーツ報知:テレ朝「ポツンと一軒家」視聴率は15.0%・・・2回連続で15%超で好調

テレビ番組は違うのだが、同じ「視聴率」というデータを扱った数字で、数字だけを見ると「まんぷく」は19.7%。
一方「ポツンと一軒家」は15.0%という数字だ。
この数字だけを比較するなら「まんぷく」のほうが視聴率は高く、「ポツンと一軒家」よりも視聴率は好調ということになる。
にもかかわらず、「まんぷく」は「大台割れ」という見出しがつき、「ポツンと一軒家」は「好調」という見出しになっている。

何故このような見出しとなったのか?という理由は、説明するまでもないと思う。
この第48話以前の視聴率が20%を超えていたからだ。
一方の「ポツンと一軒家」は、同じ放送時間帯にもっと視聴率が高い番組があり、その番組の独壇場のような状況が長く続いていたからだ。
今回の場合、この裏番組に問題が発覚したため、「ポツンと一軒家」に視聴率が上がる要素があった、ということもあったかとは思うのだが、単純に「視聴率」という数字だけの比較でいうなら、「まんぷく」のほうが高く「大台割れ」というような見出しがつくようなものではないはずだ。

「まんぷく」に対する見出しがネガティブな理由は、以前の視聴率が良かっただけではないだろう。
「国民的ドラマ」とも言われる「NHKの朝ドラ」という、夜に放送される通常のドラマとは違う「特別」なドラマだからだ。
一時期低迷した時代もあったが、ここ数年は20%を超える平均視聴率を獲得している「特別枠」のような番組だからだろう。
「朝ドラ」に関していうなら、ネット上で「脚本が悪い」とか「俳優さんの無駄遣い」のようなことを言われていた前作も、コンスタントに視聴率を取り続けていた。
既に「朝ドラ」という、ブランドが確立し世代を問わず視聴する、という層が確実にあるからだ。
「ポツンと一軒家」は、この秋からレギラー番組として登場したまだ新しい番組なので、確実に視聴するという層はまだまだいないだろう。
そう考えれば、15%という視聴率は高い、ということになるかもしれない。

視聴率といえども、数字だけで見れば好調のように見えても、その数字をつくり出している背景を見てみる(=分析)することで、数字が意味するモノ・コトが理解できるようになる。
それもまた、マーケティングでは大切なコトなのだ。


炎上商法で終わらなかったドルチェ&ガッバーナ

2018-11-23 14:43:16 | ビジネス

Yahoo!のトピックスにも取り上げられていた、ドルチェ&ガッバーナの中国を揶揄したとされる動画。
元となったのは、CNNのニュースだ。
CNN:ドルガバの動画に「人種差別」の批判、中国のショーが中止に

このニュースの数時間後、事態はもっと深刻になっていたようだ。
Yahoo!ニュース:一晩で中国市場を全て失ってしまったドルガバ炎上事件の衝撃

ここ数年のドルチェ&ガッバーナはファッションとしてよりも、このようなゴシップというかブランドイメージを大きく傷つけるような話題ばかりが、先行しているような気がしている。
Huffpost:ドルチェ&ガッバーナに抗議。モデルはランウェイで突然、服を脱いだ

彼らを有名にしたのは「シシリアン・ドレス」と呼ばれる、いわゆる「スリップドレス(下着のスリップのような薄手で体にフィットし、バストを強調するようなデザイン)」で、マドンナが彼らの服をステージ衣装として着る様になったコトで、日本でも人気が出たように記憶している。
以来、それまでのミラノコレクションの中でも注目されるブランドに成長し、日本でもファッション好きを公言するようなタレントさんが、着ていたことから、日本でもある程度の市場を獲得したという覚えがある。

ファッションデザイナーとしての才はあると思う。
それは、彼らが登場する前のミラノコレクション全体が、良くも悪くもパリコレクションに比べ、落ち着きがありエレガントな雰囲気で、ベルサーチのような鮮やかな色を大胆を使ったデザイナーもいるが、どちらかといえば素材の良さや着易さが感じられるようなコレクションが多かった。その代表デザイナーはアルマーニかもしれない。
そのようなデザイナーが多い中で、若い彼らのデビューはセンセーショナルだったし、ミラノコレクションを活性化させた功労者かもしれない。

そして今回の件に関していうなら、ドルチェ&ガッバーナの二人だけではなく、欧州のブランドは中国という大市場への進出に積極的だが、進出する国のことを知らない、ということが露呈した、ということだろう。
既に削除された動画を見たが、ピッッア(=イタリア)と箸(アジア、あるいは中国)という意味で、このような企画となったのかもしれないが、企画そのものが安直だった感は否めない。
しかも、このモデルさんは箸使いが全くできていなかった(まぁ、菜箸のような箸でピッツアを食べること自体、至難の業ともいえるが)。
このような経験が数多くある(?)日本は、その程度のCMだと思って「またですか(苦笑)」程度で済まされたかもしれない。

その程度の企画を炎上させ市場を失わせたのは、InstagramやTwitterなどのSNSの影響力と、ドルチェ&ガッバーナ側の対応力の無さだろう。
上述した通り、ドルチェ&ガッバーナはここ2,3年「SNSの炎上」を使って、注目を集め成功したという「成功体験」があったのは、事実だ。
しかし今回はその「SNS炎上」によって失敗をしただけのことで、中国という巨大な市場を失ったことは痛手だろうが、彼らの主な市場欧州ではさほど影響はないと、ドルチェ&ガッバーナ側は思っているのでは?という気がしている。


「御料車」は、オールジャパンで・・・という発想はないのだろうか?

2018-11-21 17:10:00 | 徒然

「日産のゴーン会長逮捕」というセンセーショナルな事件後、「御料車」にも影響という趣旨の記事があった。
時事通信:祝宴簡素化、新天皇・皇后に配慮=自動車選定、ゴーン容疑者逮捕の影響も

今回購入が検討されている「御料車」は、来年の新天皇即位に伴うパレードなどに使う為のものだ。
30年前の即位の時に使われた「御料車」は、ロールスロイスで2回しか使われ無かったが、現在は修理を要する状態だという。
修理をするのも大変ということで、新車の購入が検討されている様だ。・
確かにこれまで、皇室に納入される国内車はトヨタか日産だったように記憶している。
そのうちの日産が今回の事件で、辞退せざる得ない状況にある、というのが記事の趣旨のようだ。

この記事を読んだとき、このような時だからこそ「オールジャパン」で「御料車をつくる」という発想はないのだろうか?と、思ったのだ。
今回のゴーン会長逮捕は、経営のトップが起こした事件ではあるが、日産がつくっている自動車の問題ではない。
製品としての「日産自動車」には、何ら問題はないのだ。
何より、皇室のメインで使われる自動車がトヨタ、日産に限られる理由は、一体なんだろう?という、疑問がある。

現在の天皇陛下が即位した時、ロールスルイスを選定した理由は何だったのだろう?
メインテナンスのことを考えれば、国内メーカーのほうがはるかに便利だっただろうし、今回のように修理が必要となったときでも対応は十二分にできるはずだ。
にもかかわらず、ロールスルイスが選ばれたのには、それなりの理由があるはずだ。
そして、この30年でクルマそのものの、進歩というものがある。
この30年でロールスルイスではなく、国産車を選定対象とするのは単に「世間からの批判をかわす」のが目的ではなく、ロールスルイスに求められた技術+αを日本の自動車メーカーが持てるようになった、ということもあるのでは?
その一つが「水素自動車」のような、日本独自のエンジンを搭載したクルマの登場だ。

「水素自動車」というと、トヨタの「ミライ」を思い浮かべる方も多いと思うのだが、「水素エンジン」の開発に成功したのは、ホンダだったように記憶している。
トヨタの「ミライ」とホンダの「クラリティ」とでは、どちらが優れているのかは分からないが、ホンダの水素エンジンを搭載し、欧州のクラシックカーを彷彿とさせる外装の光岡自動車などと、メーカーの垣根を超えた「御料車」があっても良いのでは?
シートで使用する素材は、日本の伝統的な織物を使うという発想があっても良いだろう。
最新のクルマ作りの技術と伝統と日本的なエレガンスさが融合されたクルマこそ「御料車」に、ふさわしいような気がするのだ。

それは、日本の自動車メーカーだけではなく、裾野の広い自動車産業だからこそ、クルマ作りに携わる人たちへのエールとなるような気がするのだ。
何故なら、「御料車」は皇室が使うクルマの中でも特別なのだから。


利己心と利他

2018-11-20 20:43:24 | 徒然

衝撃的な日産の会長・カルロス・ゴーン氏の逮捕から、丸1日がたった。
丸1日という時間の経過で、ゴーン氏と今回の事件を主導したといわれる代表取締役グレッグ・ケリー氏が行った?と思われる事件の一部が、徐々にわかってきた。

報酬額50億円の過少記載、という内容は金額も大きくセンセーショナルではあるが、これまでミュシュランやルノーといった企業の経営に携わってきたゴーン氏が、自分の地位を危うくするような「虚偽記載」を何故するようになったのか?という、疑問はいまだに不明なままだ。
ただ、高額といわれ続けてきたゴーン氏(やおそらく代表取締役のグレッグ・ケリー氏も)の報酬額は、適正なものであったのか?というところから、検証していく必要があるような気がしている。

ここで問題になるのは「高額な報酬」だ。
よく、米国などのファンドマネージャーなどは「高額な報酬を得ている職業」といわれ、経済が落ち込むたびに問題視される。
しかし、彼らの「報酬」というのは、実際にどれだけ利益を上げたのか?というところから、試算される為大きな利益を上げれば上げるほど、その報酬額は高額なものとなり、世間一般の労働者の年収とは比べものにならないほどになる、といわれている。
もし、同様の考えからゴーン氏やケリー氏の報酬額が決められていた(「利益の何%を報酬とする」というような考え)であったとするなら、企業母体が大きければ大きいほど、受け取る報酬額は当然増えてくる。
一方、日本人取締役などが「報酬」ではなく、「給与」だとしたら試算される根本が変わってしまう。
「給与」は「賃金(=労働の対価)」であり、「報酬」とは全く違う考えで試算される、ということになる。

そのような「違い」を踏まえて、今回のことを考えてみると「利己心」という言葉を思い浮かべるのだ。
ファンドマネージャーなどを描いた映画「ウォールストリート」では、「強欲は善だ」という台詞が登場する。
映画であれば、笑って済ませられるような台詞であっても、いざ現実にそのような行動をする人をみると、多くのひとは「利己心の強い人」と、眉を顰めるだろう。
現実には、そのような「利己心の強い人」が世界中には数多くいて、そのような人たちが経済の一部を動かしている、ということも事実だ。

だが、そのような「利己心」的思考は、これから先社会から受け入れられなくなっていくだろう。
まして、日本では経営の神様と呼ばれた松下幸之助を信望する経営者は多い。
その松下幸之助は、経営には「利他」が必要である、と説いている。
「企業は社会の公器である」とも言っている。
企業が社会の公器であるためには、企業を経営する為には「利他の精神」が必要である、ということなのだ。

松下幸之助の考えは、いかにも日本的と言ってしまえばそれまでだが、今回のような事件が起きると改めて「企業とは何か?」ということを、経営者や企業のトップは問い続ける必要があるのでは?と、考えてしまうのだ。


ゴーン氏の逮捕と日産

2018-11-19 20:11:09 | ビジネス

今日の夕方飛び込んできた、日産のゴーン会長逮捕状請求のニュース。

讀賣新聞:ゴーン日産会長を逮捕、金融商品取引法違反で
その後、逮捕というニュースに切り替わったが、ゴーン氏の逮捕は日産や三菱自動車だけではなく、ルノーなどの株価に与える影響は大きいだろう。
実際、取引が始まった欧州のルノー株は、値を下げているようだ。

ゴーン氏への逮捕状請求のニュースが出た時、何故?という印象があった。
ご存じの通り、ゴーン氏は、1990年代後半(=バブルが崩壊し、日本の様々な企業が経営危機に陥った頃)フランスの自動車メーカー・ルノーから日産きて、まさに日産のV字回復を主導した人物だったからだ。
そのような実績があるからこそ、高額な役員報酬であっても株主も世間も納得していたと思う。

初来日から20年近く経った今、ゴーン氏にとっては日本でのビジネスも十分熟知していただろうし、ルノーなどでの経営者としての経験から、このような行為が、自分自身だけではなく企業に与えるダメージも十分認識していたのでは?という気がしている。
にもかかわらず、会社のお金を私的に流用していた、というのは俄かに信じられなかったし、当初報道されていた報酬に対する過少申告に関しては、日産の担当の監査法人などが、キチンと管理したうえで報告書を作成しているのでは?という、疑問もあった。
そのような、当たり前のことが日産の中でできていなかった、とすれば、ゴーン氏だけの問題ではなく日産や日産の担当の監査法人の問題でもある。

一部報道では、内部からの告発があり数カ月前から内偵を進めていた、という話もあるので、証拠固めの時間を十分にとり、その上での逮捕だとは思うのだが、それでもどこか違和感を感じてしまうのだ。
違和感の理由は、上述したとおりゴーン氏が経営者として十分すぎる実績と経歴があり、これまでのインタビューなどから経営者としての心得やビジョンが明快にあったからだ。

明日の日産や三菱自動車の株価下落は、避けられないだろう。
しかし、株価とは別につくられる製品には、何の問題もない、ということを認識する必要はあると思う。
何故なら、経営者が製品をつくっているわけではないからだ。


ネットユーザーは、ブランドを見る目が冷ややか?

2018-11-16 22:15:36 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに取り上げられている、「ゴディバ」の日本事業売却のニュース。
日経新聞:「ゴディバ」日本事業売却 強気の売値1000億円

「ゴディバ」といえば、バブル絶頂期の頃日本で大ブームとなり「高級チョコレート」の代名詞となった。
バブルが崩壊した後も「王室御用達」というと点で、今でも根強い人気洋菓子ブランドだ。
今現在は、創業家とは全く関係が無いトルコの製菓企業の傘下になっているのだが、今でも「ベルギー王室御用達」という水戸黄門の印籠並みのブランドパワーは、落ちてはいないのでは?と、思っている。

そのトルコの製菓企業が、日本事業を売却するということで、Yahoo!のニュースに取り上げられたのだが、このニュースに対するネットユーザーのコメントが、とても冷ややかなのだ。
Yahoo!トピックス: 「ゴディバ」日本事業売却へ=三菱商事が入札参加

圧倒的に多いコメントは、「日本の企業のチョコレートのほうがリーズナブルで、美味しい」だ。
具体的に企業名を挙げている人も少なくない。
確かに、日本の製菓企業のチョコレートは、美味しいと思う。
「日本人好みの味」と言ってしまえばそれまでだが、「The Chocolate」のようなビーン・トゥ・バーのチョコレートがコンビニでも買える、というほど、様々なチョコレートに親しむ環境があるのが、日本の市場だともいえるだろう。

だからこそ、特にチョコレートが大好き!!というほどではない人にとっても、当たり前のようにチョコレートの味について、いろいろ言えるのでは?と、考えている。
そのような市場の中で、「ゴディバ」というブランドは、それなりのステータスのような地位にあるチョコレートであるにもかかわらず、ネットユーザーのコメントは、とても厳しく、ポイントを突いている。

その一つが「コンビニでも買えるようになって、ブランド価値が下がった気がする」という趣旨のコメントだ。
事業拡大という狙いで、コンビニとのジョイント商品を「コンビニオリジナル」として発売したと思うのだが、逆にブランド価値を下げてしまった、というコメントなどは「数字」ではわからない「ブランド価値」に対する指摘のように思える。

海外の有名ブランド企業(例え実施的経営が、創業家とは全く関係が無くても)の「冠」となる言葉(=ゴディバの場合は『ベルギー王室ご用達』)の場合、海外で評価を受けているというのは、日本での事業戦略ではとても優位になる。
それらを理解しつつも「今の商品価値は違う」と、「ブランド力」に左右されない価値観を持つコメントができる人たちが数多くいる、ということは、それだけ鍛えられる市場、ということでもあるかもしれない。





「(余命)告知」の難しさ

2018-11-14 21:12:10 | 徒然

先月、「余命告知」をされなかったため、残された時間を充実させることができなかった、として遺族が医師側を提訴する、ということがあった。
毎日新聞:損賠賠償 余命伝え酢医師を提訴「残りの人生違っていた」

この記事を読んだとき、ある種の違和感を感じた。
「がん」という病気と付き合うようになってから、幾人かのがん患者の友人を送った。
がん患者の友人たちの多くは、「余命告知」を受け、告げられた「余命宣告」よりも長く充実した時間を過ごし、人生を生き切ったという印象を持っている。もちろん、そんなに単純なわけではないし、亡くなられた方の中には無念な思いを残されただろう、と感じる方もいらっしゃった。
それでも「余命告知」というのは、患者自身の受け止め方の違いで随分変わるものだ、と亡くなったがん患者の友人たちは教えてくれたように思っている。

ただ、余命告知を受けたからと言って、残された時間を充実したものにすることができる患者さんそのものは、決して多くはないのでは?という、気がしている。
何故なら、上述したとおり「余命告知」に対して、告知された患者がどう受け止めるのか?という部分で、大きく変わってくるからだ。

「死の科学者」と言われたキューブラー・ロスの名著「死ぬ瞬間」は、まさにがん患者が「がん」という病気に対して、どう感じ・どう受け止め・どう生きたのか?ということをまとめた内容だが、実際には、5つのステップを順当に過ごすのではなく、人の心や意思はとても複雑で常に揺れ動くものだ、と余命告知よりも長く生きたがん患者であった友人の姿を見て感じている。
だからこそ、良心的な医療者は「余命告知を簡単にできないのでは?という、気がしている。
ヨミドクター:余命告知に医師ら苦慮…診断困難、「急変することも」

おそらくご遺族の方からすると、余命告知がされていれば旅行などの「思い出ができたかもしれない」など、様々な思いが交錯しているのだと思う。
しかし、「余命を告知」されても、それを受け止めるのは患者自身なのだ。
その患者が告知をどう感じ・受け止め・理解し・行動したのか?ということは、ご遺族であってもわからないだろう。

それだけではない。
今の医療の問題の一つに「医療者と患者のコミュニケーション」がある。
「がん告知」や「余命告知」などでは、患者やその家族では理解できない専門用語が使われる。
患者やその家族にとっては「外国語を聞いている」ような状況で、短い時間で十分な理解ができないまま判断を迫られる、という場合もある。
「余命告知」というは、「余命、後半年」というほど分かりやすいものではないし、おそらく今の医療従事者はそのような「余命告知」はされていないと思う。

「余命告知」というのは、医療者であっても難しい判断を要することだろうし、その「告知」通りではない、という事実も私たちは知る必要があるように思うのだ。


AIが仕事を奪うよりも衝撃的なレポート

2018-11-13 13:53:38 | 徒然

Yahoo!のトピックスに「世の中は簡単なことができない人たちで溢れている」というタイトルが、気になった。
NEWSポストセブン:世の中は「簡単なこと」ができない人で溢れている

そして、記事を読むと気になるどころか、衝撃的な内容という気がした。

以前、拙ブログでも新井紀子さんの著書「AI VS 教科書が読めない子どもたち」について、書かせていただいたことがある。
数学の問題と言っても、数式を解くのではなく問題文を読解し、正しい回答を導き出すという今回OECDが実施した「国際成人力調査(PIAAC・ピアック)」とほぼ似た内容の問題だった。

この記事を読んで一つ日本が優秀なのではなく、もしかしたら「日本語」独特の漢字・ひらがな・カタカナという表記によって、読解力が助けられている(という表現はおかしいのだが)のでは?という気がしたのだ。
日本語を母語としない海外の方々からすれば、「日本語」そのものはとても難しい、と言われている。
それは漢字・ひらがな・カタカナという表記の仕方がある為だと言われている(もちろん、発音などの難しさもあるだろう)。
もちろん、英語を習得することは大変だし、女性名詞・男性名詞などがあるフランス語なども、日本人からすれば発音を含め習得することは、大変だ。

しかし「読解」ということだけを考えると、「漢字・ひらがな・カタカナ」という表記があるおかげで、全文を理解する前にある程度の手がかりを見つけ、理解することができる(と思っている)。
だからこそ、「国際成人力調査」でも、日本は成績が良かったのでは?

その「読解力」の助けとなるはずの「漢字・ひらがな・カタカナ」の理解ができなくなっているのでは?と、感じることもしばしばある。
「漢字を知らない」というよりも、SNSなどの普及によって文章そのものを組み立てることができなくなってきているのでは?と、感じるからだ。
「文章の組み立て」ができなければ、読解力も育たないように思われる場面に遭遇することが多くなった気がするのだ。

その一つが、「自分で調べるよりも人に聞く」という人が多くなってきていることだ。
老若男女を問わず、「自分で調べる」という労力を省くことで、効率が良いように思われるかもしれないのだが、結局理解を十分にされないまま、その場しのぎの理解になってしまっているのでは?と、いうことなのだ。
「調べる」にしても、今は「Wikipedia」などがあり簡単に調べることができる。
それすらもせずに、人に聞いているだけでは「(その人の)知の集積」にはならない。

もう一つの理由があるとすれば、戦後多くの人たちが地方から都会へと仕事を求めて「職業の移動」があった、ということも大きいのかもしれない。
米国のトランプ大統領の熱狂的支持者の多くは、祖父の代から「工場勤務」という人達が多い、と言われている。
新しい知識を得る必要が無い環境で、生活をし仕事に就いてきた、という人達でもあるのだ。
ところが、このような地域で起きたこととは「オートメーション化」による人員整理から始まり、社会環境の変化による「エネルギー需要の変化」などが次々とここ30~40年の間で起こったため、その社会変化に対応できないまま、取り残されてきた人たちでもあるのだ。
50年以上前の「日本が憧れるアメリカ」から変わることができない、という人達が数多くいるともいえる。

世界をリードしてきた米国であっても、そのような状況なのだ。
戦後70年余りの間、世界で次々に起きた紛争や戦争によって、「知識を得る機会」を失った人たちのほうが、世界では多いだろうし、そのような環境の人たちが、経済的に安定をしている欧米を目指し移民として、それらの国で定着しているとすれば、社会全体の「言語読解力」が、低くなってしまうということも理解できる。

日本が優秀なのではなく、たまたま日本は戦後恵まれた環境にあった、ということをこのレポートは教えてくれているような気がする。