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オリンピックに思う

2014-02-12 18:01:12 | スポーツ

ソチオリンピックが開幕し、連日のように日本選手の活躍が報じられる。
今朝は、スノーボードハーフパイプ男子で、銀と銅の日本人メダリストが誕生した。
銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、冬季オリンピックでは最年少メダリストとなった。
一方、金メダルの期待があった、ジャンプ女子の高梨沙羅選手は、4位入賞という結果になった。

私などは、「運動音痴にも程がある!」と言われる程運動が苦手なので、オリンピック選手に選ばれるだけでも大変な才能と努力だな~と、感心しきりなのだが、オリンピック大好き国民は、この時ばかりは、その成績に家族や友人でもないのに一喜一憂する傾向がある様な気がしている。
もちろん、メディアの扱いそのものも「オリンピックに出場する限りは、メダル獲得」という感じなので、しかたないのかも知れないのだが、日本の場合、選手強化のために努力をしているのは所属チームの企業や選手個人が中心で、所属団体を通しての国からの支援などは「・・・」と言うのが、現状だ。
そのことについて、400m障害でオリンピックに出場した経験のある為末大さんが、スポーツ新聞のコラムに書いていらっしゃる。
日刊スポーツ:為末大学「結果不振選手批判はブラック企業の論理」

よく言われる「国費を使って・・・」と言っても、実はその国費の使われ方も本当に選手強化に使われているのか、甚だ疑問というケースもある。
以前、夏のオリンピックでメダルの期待があったあるチームスポーツが、思ったような成績が残せず帰国したことがあった。
後で判明したことは、移動中の飛行機で役員達はビジネスクラスで移動。肝心の選手やコーチ、スタッフなどはエコノミーでの移動だった、と言うことだった。
体の大きな選手達が窮屈なエコノミーで移動をし、試合をしない役員達がビジネスの利用というのは、本末転倒では?と批判が出たと記憶しているのだが、もし国費を使っていても、この様な使われ方をしていれば、選手強化などには結びつかないだろう。

そもそも多くの人にとって、オリンピックという舞台は「観戦をする側」であって、その選手達の努力などを目の当たりにし、応援をしている訳ではない。
にも関わらず、この時ばかりは親類縁者か友人の様な気持ちで応援をし、結果が残せないと批判をする、と言うのは何とも無責任のような気がするのだ。
一方、結果を残した選手にとっても、その後のマスコミの追っかけというのは、凄まじいものを感じる。
ご両親や関係者への取材は当然、子どもの頃の恩師や同級生の話など、スポーツとは関係のない話まで取材され、選手は追いかけ回される。
今大会初のメダル獲得となった平野選手は、まだ中学3年生。
ジャンプの高梨選手も17才の高校生なのだ。
これから先の選手生活だけではなく、選手引退後の生活のほうが遙かに長い若い選手達だ。
その伸び盛りの選手達をもっと成長するように、応援するのが「観戦をする側」にも必要なのでは?

スポーツ大国というのは、メダルの数だけでは無く「観戦する側」にも、マナーのようなものがある国だと思う。