はんどろやノート

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ハコニワー

2006年11月08日 | はなし
 「箱庭療法」に興味が湧いてきた。それで、ちょっと体験してみようとおもう。

 箱庭療法を日本へ輸入したのは、河合隼雄氏だ。河合氏によると、イギリスでローンフェルト女史によって創始され、スイスのカルフ女史(河合さんの先生)が発展させたそうだ。
 河合隼雄さんのことは以前にも書いた。(→8月27日記事) 今日は河合さんのそのおもしろい経歴について紹介してみよう。

 河合隼雄は工業高校を出ている。在学中に数学がすきになり、数学者になりたくなって京大へ進む。しかしそのうち、数学者はムリだとわかり、高校の先生になった。
 高校で生徒がいろいろな相談に来るようになったとき、河合さんはどう応えてよいかわからなかった。それで、心理学に興味をもち、ロールシャッハテストを学びたくなった。しかし当時の日本には専門家がいない。それでアメリカに勉強に行った。その先生がたまたま「ユング心理学」の専門家でもあって、アメリカで河合さんはユングをもっと勉強したくなった。
 それで河合さんはスイスへ行った。スイスには「ユング研究所」があるからだ。そこで河合さん、カルフ女史と出会い、箱庭療法を知ったわけだ。
 ユングの心理学では「無意識」というのが重要な概念である。ひとの心には「意識できるところ」と「無意識」とがある。それで「個人の無意識」をもっと深くほりさげていくと「みんなの無意識世界」(集合無意識という)につながっている、というのがユング学の特徴だ。
 それで河合さんは、自分の中に「日本人の集合無意識」というものがあると自覚した。河合さんはもともとが理系人間だし、戦時中の「日本は神の国だ」という偏った教育がいやで、日本文化を遠ざけていたのだが、自分の中にそれを避けて通れないものがあると思ったらしい。(→「日本人という病」) それで、きらっていた「古事記」を読んでみた。そうしたらそれがすごく面白い、と気づいた。外国に出ることで、自分の中の「日本人」に触れたのである。
 日本へ帰り、河合さんは心理療法士になった。同時に「箱庭」を持ち帰ったというわけである。
 カウンセラーとして働きながらたくさんの本を出している。あの「ゲド戦記」も河合さんの解説でよむととても面白く読める。(→「ファンタジーを読む」) 「隼雄」って名前がなんだか「ハイタカ」みたいだ!
 数年前、河合氏は文化庁長官になった。奈良に住み、古墳の管理などにたずさわりながらフルートを吹いている。工業高校をでて、文化庁長官って、いかすぜ。

 「箱庭療法」は日本人にとても合っているらしいよ。
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