図c(前日記事)からの指し手
△4六歩▲同歩△6四歩▲8五歩△6五桂
▲8六銀△7一玉▲4八角 (図d)
坂田三吉の100手目、▲4八角。これが名手だった。
この手を見た関根金次郎は、
「うーむ、これは良い手じゃ。うかつには指せんわい。」
といってうなり、長考に入った。
五番勝負第1局の対局は、徹夜明けの二日目の朝になっていた。
図dからの指し手
△7九角▲6九歩△8八角成▲9二香成△同香
▲9三歩△同香▲6七飛△7五歩▲7六歩△9八香成
▲9五歩△4七歩▲同飛△6六香▲7五歩△7三飛
▲7七金 (図e)
▲4八角。
これによって坂田陣は息を吹き返した。
この自陣に打たれた角は、敵陣の9三をにらんでいる。ここ(9三)が、関根陣の弱点なのだ。だからこそ、関根八段はその前に△7一玉と避難している。ここではすでに関根にとって、この将棋は難局になっているのかもしれない。見れば、あの「泣き銀」もはたらいてきたし、9九の香も敵陣に直通だ。(手元の本には、まだ関根優勢と書いてあるが…)
この坂田の▲4八角、例の「真部の4二角」にちょっと似ているではないか。坂田の▲4八角の場合は、ねらいの9三との間に、6六に自分の「飛車」がいる。だから4八に角を打つというのは一層に気づきにくい。
坂田三吉には、こういう角打ちの名手が多い。
また、升田幸三にも。
この関根・坂田五番勝負が行われたのは1913年で、まだ、升田幸三は生まれていない。(5年後に生まれる)
これより20年以上後になるが、まだ10代で将棋修行中だった升田幸三は、坂田の弟子の星田啓三と対局したことがあり、その将棋を目に留めた坂田三吉は、以後、升田の身辺に現われては「最近あんたが指した将棋を並べてみなはれ」と言ったという。言われた通りに升田が並べて見せると、坂田は何も言わず帰って行く。それが何度かくり返され、ついに升田は、なぜか、と聞いた。すると坂田三吉は升田にこう言ったという。
「あんたの将棋は大きな将棋や。ええ将棋や。あんた、うちの星田と指したやろ。あん時に、角、打ったやろ。あの角や! あれは八段の角や!」
(「八段」とは、当時の最高段で、「名人と同じ格」という意味をもつ。)
4八角が置かれた図dの局面をあらためて見てみよう。
関根陣は四枚の金銀で守られている。しかしこれらの駒には「動き」がない。
ところが、坂田の盤面左の駒、香、銀、飛車、金… これらはバラバラに置かれているが、今にも動き出して行きそうだ。このバラバラの、苦しく喘いでいた駒に「生気」をあたえたのが、「4八角」なのだ。
△7五歩。関根は必死で角の効きを止める。
▲7六歩。坂田、それをこじ開けに行く。
1日目の夜にいったん自宅に辞した12世名人小野五平が2日目、また観戦に来ている。83歳の小野翁は言った。
「こりゃえらい勝負になった。わしは四十年来こんな凄い将棋は見たことがない」
坂田、香車を成り捨てた後、▲6七飛と角筋を通す。カッコイイ手だ!
関根、△4七歩。 ▲同飛に△6六香。 坂田は7七金と応じる。
そして図eになった…。
図eからの指し手
△7七同桂成▲同銀△5六金▲8八銀△同成香
▲8八銀! あの、「泣き銀」が、使い道に往生していたあの「銀」が、関根の角との交換になった。「泣き銀」は最後に笑ったのである。これは坂田サイドの応援者にはたまらない展開になってきた。
しかし、(本によれば)まだここでも関根優勢だという。
対局が始まってからほぼ1日が経過した。二人とも寝ていない。(飯はなにを食べたのだろう?)
今度は坂田が長考に沈んだ…。
この対局の結末は次回ということで。(まだ続きます、笑。書くのもしんどいです。)
今年の将棋名人戦第1局のほうは、昨日決着。森内俊之名人の勝ち。
羽生さんは、序盤でふんわりした手で局面をリードしたと思ったら、いきなり「豪速球」で攻めかかり、ところがコントロール・ミス、それを森内さんが落ち着いて捉えて勝利、という感じでした。
それにしても、羽生善治の指し手には、意外性がありますね! 羽生さんは久々の名人戦なので興奮して、「豪速球」を投げたくてうずうず…それで気持ちのままに投げてみた、そんなところでしょうかね。「俺は全力投球で行くよ」と。
△4六歩▲同歩△6四歩▲8五歩△6五桂
▲8六銀△7一玉▲4八角 (図d)
坂田三吉の100手目、▲4八角。これが名手だった。
この手を見た関根金次郎は、
「うーむ、これは良い手じゃ。うかつには指せんわい。」
といってうなり、長考に入った。
五番勝負第1局の対局は、徹夜明けの二日目の朝になっていた。
図dからの指し手
△7九角▲6九歩△8八角成▲9二香成△同香
▲9三歩△同香▲6七飛△7五歩▲7六歩△9八香成
▲9五歩△4七歩▲同飛△6六香▲7五歩△7三飛
▲7七金 (図e)
▲4八角。
これによって坂田陣は息を吹き返した。
この自陣に打たれた角は、敵陣の9三をにらんでいる。ここ(9三)が、関根陣の弱点なのだ。だからこそ、関根八段はその前に△7一玉と避難している。ここではすでに関根にとって、この将棋は難局になっているのかもしれない。見れば、あの「泣き銀」もはたらいてきたし、9九の香も敵陣に直通だ。(手元の本には、まだ関根優勢と書いてあるが…)
この坂田の▲4八角、例の「真部の4二角」にちょっと似ているではないか。坂田の▲4八角の場合は、ねらいの9三との間に、6六に自分の「飛車」がいる。だから4八に角を打つというのは一層に気づきにくい。
坂田三吉には、こういう角打ちの名手が多い。
また、升田幸三にも。
この関根・坂田五番勝負が行われたのは1913年で、まだ、升田幸三は生まれていない。(5年後に生まれる)
これより20年以上後になるが、まだ10代で将棋修行中だった升田幸三は、坂田の弟子の星田啓三と対局したことがあり、その将棋を目に留めた坂田三吉は、以後、升田の身辺に現われては「最近あんたが指した将棋を並べてみなはれ」と言ったという。言われた通りに升田が並べて見せると、坂田は何も言わず帰って行く。それが何度かくり返され、ついに升田は、なぜか、と聞いた。すると坂田三吉は升田にこう言ったという。
「あんたの将棋は大きな将棋や。ええ将棋や。あんた、うちの星田と指したやろ。あん時に、角、打ったやろ。あの角や! あれは八段の角や!」
(「八段」とは、当時の最高段で、「名人と同じ格」という意味をもつ。)
4八角が置かれた図dの局面をあらためて見てみよう。
関根陣は四枚の金銀で守られている。しかしこれらの駒には「動き」がない。
ところが、坂田の盤面左の駒、香、銀、飛車、金… これらはバラバラに置かれているが、今にも動き出して行きそうだ。このバラバラの、苦しく喘いでいた駒に「生気」をあたえたのが、「4八角」なのだ。
△7五歩。関根は必死で角の効きを止める。
▲7六歩。坂田、それをこじ開けに行く。
1日目の夜にいったん自宅に辞した12世名人小野五平が2日目、また観戦に来ている。83歳の小野翁は言った。
「こりゃえらい勝負になった。わしは四十年来こんな凄い将棋は見たことがない」
坂田、香車を成り捨てた後、▲6七飛と角筋を通す。カッコイイ手だ!
関根、△4七歩。 ▲同飛に△6六香。 坂田は7七金と応じる。
そして図eになった…。
図eからの指し手
△7七同桂成▲同銀△5六金▲8八銀△同成香
▲8八銀! あの、「泣き銀」が、使い道に往生していたあの「銀」が、関根の角との交換になった。「泣き銀」は最後に笑ったのである。これは坂田サイドの応援者にはたまらない展開になってきた。
しかし、(本によれば)まだここでも関根優勢だという。
対局が始まってからほぼ1日が経過した。二人とも寝ていない。(飯はなにを食べたのだろう?)
今度は坂田が長考に沈んだ…。
この対局の結末は次回ということで。(まだ続きます、笑。書くのもしんどいです。)
今年の将棋名人戦第1局のほうは、昨日決着。森内俊之名人の勝ち。
羽生さんは、序盤でふんわりした手で局面をリードしたと思ったら、いきなり「豪速球」で攻めかかり、ところがコントロール・ミス、それを森内さんが落ち着いて捉えて勝利、という感じでした。
それにしても、羽生善治の指し手には、意外性がありますね! 羽生さんは久々の名人戦なので興奮して、「豪速球」を投げたくてうずうず…それで気持ちのままに投げてみた、そんなところでしょうかね。「俺は全力投球で行くよ」と。
解説会ですか。いいですね。
リアルタイムで観戦して解説してもらうのは最高です。