幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

娘に思うお陰様

2015年02月05日 18時00分37秒 | 波動
先生さえいなけりゃ学校は楽しいと
  吾娘(あこ)に言わせる教師とは何



  娘が中学校2年生の時に詠んだ歌です。

  




わが内にまだ見栄のあるを知る
    娘を叱るその真っ最中



 これも同じころに詠みました。



 教師を批判する娘の見方に一利どころか何利もあると思いながらも
内申点の気になる私は娘の味方にはなりきれませんでした。

ゆえに彼女を学校の規格にはめ込もうとしたりもしました。
学校に合わせられない彼女を
まるで人として失格のように思ったときもありました。


それと同時に
「あなたのため」と言いながら
それは本当にこの子のためなのだろうか、
私の希望にすぎなかったり
親の見栄だったりするのではないだろうか、
といつも揺れていました。


わが子可愛さゆえに、いわゆる
今の日本での「得をする」生き方をさせようとしていたのでしょう。




 学校では教師に理解されず、押し付けられ、傷つけられる。
唯一の味方になってほしい母親はぐらぐらと揺れている。
彼女の毎日はどんなに苦しかったことでしょう。

思春期の自分自身を持て余し
いらだちと孤独感を募らせ
どんどんと厚い殻にこもるようになっていきました。



 彼女が中学、高校、大学と
大人を信じられず、人を拒否して生きていたころ
私もまた、毎日がつらくて苦しくてたまりませんでした。




 




 けれど、なんのきっかけだったか、
とにかく元気に生きていてくれるだけで幸せ、と思うようになりました。

そして、幸せにはいろんな形があるのだから
彼女の幸せの形を勝手に決めるのは止めようと自分に言い聞かせました。

私にできるのは彼女が
彼女らしい幸せを築くのを祈ることだけ

「大丈夫!!
 彼女は生命力が強い!!

 避妊していたのに生まれてくれた子だもの。
 切迫流産になっても生まれてきた子だもの。

 絶対に大丈夫!!
 彼女は幸せになる!!」


・・・そう、信じることにしたのです。




 もちろんだからと言って、それは簡単なことではありませんでした。

いわゆる「ひとなみ」ではないことばかりの連続は
いわゆる人並みに生きてきた私たち夫婦の理解の範囲を超えていましたから
しばしば衝突を起こしました。
そしてそのたびに
私たちが知らず知らずのうちにに身に着けていた「既成概念」みたいなものを
少しずつはぎとらなければなりませんでした。
簡単なことではありませんでした。
おかげで成長できたのです。





 


 この頃思います。

この世の「現実」というのは
自分が本当に信じたことが起こる。
しかも
私たちにはみな「お陰様」がついていてくださって
そのおかげ様に絶対的に導かれているのだから
何一つ心配する必要はないのだ、

と。

それどころか
心配するということは
お陰様を信じないということで
それって何て失礼この上ないのでしょう。




・・・そう思うようになってから
私はとても楽になりました。

「あの子は大丈夫。
 きっと幸せになる。

 私なんかよりはるかに豊かに幸せに暮らすわ。

 だって彼女のお陰様はお強いもの」

いつも、そう呟いていました。


就職も結婚も生活も
彼女の魂の成長に最適な状態になるのだから
己の観念で幸不幸を決めつけるのはやめよう。

全てそれでよし!!
なるようになるのだから、
それを信じればいい。
全てお任せすればいい!!



 何度も何度も
自分に言い聞かせているうちに
私は心底そう思えるようになってきました。

そして
そう信じられるようになった頃から
嫌なことはなにひとつ起こらなくなってきたような気がするのです。





 信じたことが現実になる。

そうなんです。
心から信じたことが鏡となってこの世に起きるから
「絶対大丈夫!!」
と心から信じた私には
大丈夫な事しか起きなくなってきたのです。



 同時に
娘の将来を安心し始めたころから
娘も確実に変わってきました。

今でも、
いろいろ小さな苦労(?)はしてはいますが
でも
「私は幸せよ」
と言い切る強さも身に着けました。



 母親が内心何を思っているか、
その大きなエネルギーが
子どもの現実を変えていくということを
つくづく
つくづく思うのです。



 もちろん自分の現実はもっと顕著です。

安心してお陰様を信じましょうね。

たぶんそれが
幸せでいる一番の方法だと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿