自分が高齢化してきたためだろう。
最近、周りで亡くなる人が増えてきた。
特に友人たちの親御さんが逝去されることが多くなってきた。
その中で、全く同じような容態で
死を目前にしてホスピスにお世話になられたお二人があった。
もちろん、全く別の病院のホスピス。
お二人とも高齢、癌、痴呆であり
延命治療は望んではいらっしゃらなかった。
そして、双方とも
延命治療をしないことを家族が医師に伝えていた。
一方は、その意思通り、点滴もせず、脱水症状になり熱が出ても
じっと耐えて、見守った。
ただ、痛みを緩和することだけを希望した。
じっと耐え、見守ることは
医師にとっても、家族にとってもこの上なくつらいに違いない。
ついつい、何か、手を施したくなってくる。
手を施さないことが、間違っているのではないか、
まだ、生きようとする者に対し
自分が引導を渡しているのではないか、と自問し苦しむ。
時には、亡くなられた後でさえ、それを思い出し、涙にくれる。
が、そのおかげで、最後の短い期間を充実させ、苦しむことなく旅立たれた。
痛みを止めるためのモルヒネを使っていたので
最後の瞬間に意識が戻ることはなかったが、それでも
一つ大きく息を吐き、眠るように逝かれたという。
そして、直前までの日々はおだやかで、
もう動くことすらできないときでも
ホスピス内のホールで開かれる孫の主催したコンサートに
ベットごと連れ出してもらって,聴くことがで来たのだという。
一つ一つの医療行為に対する家族の意思確認、
最後の時を過ごす家族の思いへの添い方、
「本当にT先生のおかげでした。
もちろん、スタッフ一人一人の皆さんが
素晴らしいのだけれど
でも、結局はそれを指導されるT先生が素晴らしいです」
と、娘である友人は何度も言っていた。
ところが、もう一方のホスピスは
結局、なんだかんだと言って点滴をしたり、酸素吸入をしたり
気が付けば、いろいろな処置が施されていたというのだ。
「これって、よけいに父を苦しめてるんじゃ?」
と、思っても
いろいろ理由を言われれば、
医療側へそれ以上は言えなかったという。
「治る見込みがないのだから、あとは無意味に長引かせず
なるべく楽に、逝かせてあげたい、
・・・そう思っているのに
結局、父はなかなか行けず、苦しみが長引いている」
彼女はそう、つぶやいていた。
「ホスピスって、こんななんでしょうか。
思っていたのとはずいぶん違います。
もちろんスタッフはみなさん、とても親切です。
でも、何か、違うんですよね。
一番大切な、何かが違うような気がします」
とも、言っていた。
同じ「ホスピス」という名で
こんなにも違いが出る。
家族が勝手にもつイメージの違いも手伝ってのことだろう。
が、明らかにその病院の
あるいは、主治医の観念の違いが
その結果を左右することは言うまでもない。
「ホスピス」という言葉に安心せず
主治医となる人がどんな信念を持っているか、
それを確認しなければ
先のお二人のような大きな違いを招いてしまう。
最近、周りで亡くなる人が増えてきた。
特に友人たちの親御さんが逝去されることが多くなってきた。
その中で、全く同じような容態で
死を目前にしてホスピスにお世話になられたお二人があった。
もちろん、全く別の病院のホスピス。
お二人とも高齢、癌、痴呆であり
延命治療は望んではいらっしゃらなかった。
そして、双方とも
延命治療をしないことを家族が医師に伝えていた。
一方は、その意思通り、点滴もせず、脱水症状になり熱が出ても
じっと耐えて、見守った。
ただ、痛みを緩和することだけを希望した。
じっと耐え、見守ることは
医師にとっても、家族にとってもこの上なくつらいに違いない。
ついつい、何か、手を施したくなってくる。
手を施さないことが、間違っているのではないか、
まだ、生きようとする者に対し
自分が引導を渡しているのではないか、と自問し苦しむ。
時には、亡くなられた後でさえ、それを思い出し、涙にくれる。
が、そのおかげで、最後の短い期間を充実させ、苦しむことなく旅立たれた。
痛みを止めるためのモルヒネを使っていたので
最後の瞬間に意識が戻ることはなかったが、それでも
一つ大きく息を吐き、眠るように逝かれたという。
そして、直前までの日々はおだやかで、
もう動くことすらできないときでも
ホスピス内のホールで開かれる孫の主催したコンサートに
ベットごと連れ出してもらって,聴くことがで来たのだという。
一つ一つの医療行為に対する家族の意思確認、
最後の時を過ごす家族の思いへの添い方、
「本当にT先生のおかげでした。
もちろん、スタッフ一人一人の皆さんが
素晴らしいのだけれど
でも、結局はそれを指導されるT先生が素晴らしいです」
と、娘である友人は何度も言っていた。
ところが、もう一方のホスピスは
結局、なんだかんだと言って点滴をしたり、酸素吸入をしたり
気が付けば、いろいろな処置が施されていたというのだ。
「これって、よけいに父を苦しめてるんじゃ?」
と、思っても
いろいろ理由を言われれば、
医療側へそれ以上は言えなかったという。
「治る見込みがないのだから、あとは無意味に長引かせず
なるべく楽に、逝かせてあげたい、
・・・そう思っているのに
結局、父はなかなか行けず、苦しみが長引いている」
彼女はそう、つぶやいていた。
「ホスピスって、こんななんでしょうか。
思っていたのとはずいぶん違います。
もちろんスタッフはみなさん、とても親切です。
でも、何か、違うんですよね。
一番大切な、何かが違うような気がします」
とも、言っていた。
同じ「ホスピス」という名で
こんなにも違いが出る。
家族が勝手にもつイメージの違いも手伝ってのことだろう。
が、明らかにその病院の
あるいは、主治医の観念の違いが
その結果を左右することは言うまでもない。
「ホスピス」という言葉に安心せず
主治医となる人がどんな信念を持っているか、
それを確認しなければ
先のお二人のような大きな違いを招いてしまう。