年の瀬29日となりました。
皆様、あわただしい日をお過ごしなのではないでしょうか。
かく言う私も大掃除やらお正月の買い物で大忙し
で、こんな言葉を思い出しました。
「正月かいもん」
開門ではありませんよ
「買いもん」(買い物)の方言的言い方です。
この言葉は「かさこじぞう」と言う昔話にでてきます。
・・・ご存知ですか?「かさこじぞう」
雪深い村の大晦日。
そこに住む貧乏なおじいさんとおばあさん。
とても貧乏なのでお正月の準備の「かいもん」ができません。
そこでおじいさんは「菅の笠」を作り
それを町に売りに行きました。
笠が全部売れればそれでお餅くらいは買えます。
けれど笠は売れませんでした。
おばあさんががっかりするだろうと気落ちしながら
雪降る道を帰ります。
すると道端に7(6???)体のお地蔵様が
雪をいっぱい被って寒そうに立っていらっしゃる。
「おやおや、この雪ではお地蔵様も寒かろうて・・・」
おじいさんはせめてもと思い
持っていた笠をお地蔵様に被せてあげました。
ところが一つ足りません。
そこでおじいさんは
自分の被っていた笠を取り
「わしので申し訳ないが・・・・・」
と言いながらそれを最後のお地蔵様に被せて差し上げたのです。
「お正月かいもん」を楽しみに待っていたおばあさんでしたが
その一部始終をおじいさんから聞くと
「それは良いことをしましたね」
と一緒に喜びました。
そして、食べるものもない二人は白湯を飲んで早々と布団に入って眠りました。
すると真夜中になにやら家の前が騒がしい
ドスンドスンと大きな音も・・・
しばらくして二人がそっと戸を開け覗いてみると
家の前には米俵やら味噌やら餅やら
お正月用の物がたくさん置かれておりました。
みると
あの菅笠をおかぶりになったお地蔵様たちが帰っていかれるところでした。
このお地蔵様のお陰で
おじいさんとおばあさんは幸せなお正月を迎えることができたとさ
という、お話です。
昨日、家の前の溝掃除をしながら思いました。
おじいさんは、なんで、
町へ笠を売りに行くときに
お地蔵様に気づかんのじゃーーーーー?!
確かに、
おじいさんのしたことは
心優しいことには違いないけれど
それって
売れ残ったからあげただけでしょう?!
もし売れていたならあげなかったんじゃん!!
おじいさん、
町に行く前は¥に目がくらんでいて
お地蔵様が見えなかったんじゃないの????
それでも
たくさんの贈り物を下さるなんて
ああ、なんて優しいお地蔵様!!
なんて、義理堅いお地蔵様!!
優しいのはおじいさんじゃなくて
お地蔵様だったんだ
・・・それにしてもおじいさん、
売れ残り物であんなに得をしたのだから
もし
町に行く前に気づいて
売り物の笠を差し上げていれば
どんなにたくさんいただけたことか・・・・・
はい、残念でした
・・・、?????
と言うお話だったのかしら?
・・・なんて、私はこの暮れの忙しいときに
いったい何を考えているのでしょう。
ま、いずれにしても
先に誰かに施しをすれば
そのエネルギーは
必ず形を変えてどこかから戻ってくるのが宇宙の法則なのだから
このお話もその典型ではあるのだけれども
エネルギーの変換が
直接的でありすぎることと
「残り物をあげた」
というところに難点があるなぁ、と思っちゃう
あっ!!
でも、まって!!
おじいさん、最後の一つは
自分のをあげている!!
これね!!
自分の被っているものを差し上げたところに
お地蔵様は心動かされたんだわ!!
そうか、
「売れ残り物」にではなく
「自分のものさえ」
というところが
このエネルギーの変換のみそだったのね
と、
無事納得して
溝掃除を気持ちよく終えた私でした。
年の瀬の忙しいときに
わざわざ読んでくださっているのに
こんなどうでもいい話でごめんなさい
皆様、あわただしい日をお過ごしなのではないでしょうか。
かく言う私も大掃除やらお正月の買い物で大忙し
で、こんな言葉を思い出しました。
「正月かいもん」
開門ではありませんよ
「買いもん」(買い物)の方言的言い方です。
この言葉は「かさこじぞう」と言う昔話にでてきます。
・・・ご存知ですか?「かさこじぞう」
雪深い村の大晦日。
そこに住む貧乏なおじいさんとおばあさん。
とても貧乏なのでお正月の準備の「かいもん」ができません。
そこでおじいさんは「菅の笠」を作り
それを町に売りに行きました。
笠が全部売れればそれでお餅くらいは買えます。
けれど笠は売れませんでした。
おばあさんががっかりするだろうと気落ちしながら
雪降る道を帰ります。
すると道端に7(6???)体のお地蔵様が
雪をいっぱい被って寒そうに立っていらっしゃる。
「おやおや、この雪ではお地蔵様も寒かろうて・・・」
おじいさんはせめてもと思い
持っていた笠をお地蔵様に被せてあげました。
ところが一つ足りません。
そこでおじいさんは
自分の被っていた笠を取り
「わしので申し訳ないが・・・・・」
と言いながらそれを最後のお地蔵様に被せて差し上げたのです。
「お正月かいもん」を楽しみに待っていたおばあさんでしたが
その一部始終をおじいさんから聞くと
「それは良いことをしましたね」
と一緒に喜びました。
そして、食べるものもない二人は白湯を飲んで早々と布団に入って眠りました。
すると真夜中になにやら家の前が騒がしい
ドスンドスンと大きな音も・・・
しばらくして二人がそっと戸を開け覗いてみると
家の前には米俵やら味噌やら餅やら
お正月用の物がたくさん置かれておりました。
みると
あの菅笠をおかぶりになったお地蔵様たちが帰っていかれるところでした。
このお地蔵様のお陰で
おじいさんとおばあさんは幸せなお正月を迎えることができたとさ
という、お話です。
昨日、家の前の溝掃除をしながら思いました。
おじいさんは、なんで、
町へ笠を売りに行くときに
お地蔵様に気づかんのじゃーーーーー?!
確かに、
おじいさんのしたことは
心優しいことには違いないけれど
それって
売れ残ったからあげただけでしょう?!
もし売れていたならあげなかったんじゃん!!
おじいさん、
町に行く前は¥に目がくらんでいて
お地蔵様が見えなかったんじゃないの????
それでも
たくさんの贈り物を下さるなんて
ああ、なんて優しいお地蔵様!!
なんて、義理堅いお地蔵様!!
優しいのはおじいさんじゃなくて
お地蔵様だったんだ
・・・それにしてもおじいさん、
売れ残り物であんなに得をしたのだから
もし
町に行く前に気づいて
売り物の笠を差し上げていれば
どんなにたくさんいただけたことか・・・・・
はい、残念でした
・・・、?????
と言うお話だったのかしら?
・・・なんて、私はこの暮れの忙しいときに
いったい何を考えているのでしょう。
ま、いずれにしても
先に誰かに施しをすれば
そのエネルギーは
必ず形を変えてどこかから戻ってくるのが宇宙の法則なのだから
このお話もその典型ではあるのだけれども
エネルギーの変換が
直接的でありすぎることと
「残り物をあげた」
というところに難点があるなぁ、と思っちゃう
あっ!!
でも、まって!!
おじいさん、最後の一つは
自分のをあげている!!
これね!!
自分の被っているものを差し上げたところに
お地蔵様は心動かされたんだわ!!
そうか、
「売れ残り物」にではなく
「自分のものさえ」
というところが
このエネルギーの変換のみそだったのね
と、
無事納得して
溝掃除を気持ちよく終えた私でした。
年の瀬の忙しいときに
わざわざ読んでくださっているのに
こんなどうでもいい話でごめんなさい