幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

憑いたら塩?!

2009年11月30日 09時50分57秒 | 波動
 先日知り合った、北海道の酪農家。
260兆歩(東京ドーム75個分ぐらいなんですって・・・私には想像もつかない広さ)の牧場主。50才になったばかり。一度破綻し、再起して、今は500頭の牛を飼っているのだそうだ。

 そんな彼が波動のことやらカタカムナのことまで口にしたのでびっくり
世の中、実業家として成功している人もかなりそちらの方面を知っていると言う事の証のような人だった。

 その彼が教えてくれたちょっと役に立つ事。
マイナスのエネルギーに憑かれやすい人は是非お試しあれ
 肩が重いなぁ、もしかして何か連れてきちゃったかな・・・と感じた時、両肩に塩を一つまみずつのせて、塩で手をよく洗い流すのだそうです。そうすると、ふっと肩が軽くなるのだとか・・・。

 以前はお葬式から帰ると家に入る前に塩をふったりしましたよね。亡くなった方は不浄ではないのだからその必要は無いというお坊さんもこの頃はいらっしゃいます。確かにその通りです。
 けれど、そういう場には他にもたくさんのエネルギーや念が渦巻いています。そして、そんな中で自分もテンションが下がり、悲しみにくれていたりすると全然関係の無い低派動の物が憑いたりするのです。だから、やはり、塩の力を借りる事は必要なのかもしれません。
  
 酪農家の彼から、そんな話が飛び出すとはちょっとびっくりでした。
けれど、かなり使えそうな情報です。私はこれからそうしてみようと思っています。

シダックス

2009年11月27日 23時09分22秒 | ひとりごと
 伊豆、修善寺にある「シダックス」のワイナリーヒルズを訪れた。
今年のあるワインの国内コンテストで金銀を独占したワインを作り上げた所だ。

 愛知県に住んでいる私は「シダックス」=カラオケしか知らなかったが、実はホテルやレストラン、ワイナリーまで経営しているのである。しかも、レストランでは自家菜園を持ち、お料理の素材までこだわっているのだそうだ。そして今年、ワインが金賞をとったらしい。

 それはそれはロケーションの素晴らしい処にあり、整然と美しく気持ちの良いところだ。その美しさに、よくロケや広告に使われるのだとか。

 建物の入り口に控えめな碑が建てられており、そこには会長(社長かもしれない)の志太サンの言葉が刻まれていた。(シダックスって志太サンが作ったから志太ックスだって・・・みなさんご存知でした????)メモをして来なかったので正確ではないが、「成功、それは思いの強さである」と言うような内容のことが書かれていた。
つまり、成功するかしないかは自分がどれだけ信念を強く維持し続けるかにかかっているということだ。

 整然と美しく掃除のいきわたっている敷地内。富士山を背景に一面に広がるブドウ畑。光と成功の天使があちらこちらにたくさん飛んでいるような気さえしてくる。へんに観光地っぽく、ガチャガチャしていないのもよい。

 今回はある人に連れられて、金賞をとったというワインを試飲させて頂き、製造工場(蔵?)を見せて頂いた。6人の集団だった事もあり、ゆっくりと敷地内を堪能する時間がなかったのが残念である。
 そこにはレストランも併設されているので、この次は個人で訪れて、ワインとお料理を頂き、庭内を楽しみたいと思う。
 少なくとも、ワイン製造の責任者や支配人さん、入り口の案内の方を拝見する限りでは従業員の方々もとても感じが良い。それらを総合すると、このすぐ近くにあるというホテルにも泊まって見たくなる。

 12月に、また伊豆に行くのでその時はちゃんとデジカメ持参でここを味わい、皆さんにきちんとご紹介できればと考えている。

 あちら方面の旅行の予定のおありの方にお役に立てれば・・・である。

 

夫婦喧嘩のその後

2009年11月23日 13時45分24秒 | 暮らし
 先日の喧嘩のその後です。

 翌日から三日間、彼は家を出る30分前にしか起きては来ませんでした。(いつもは、一時間半前に起きます。)
 朝から「僕は怒っています」モードを全開にして、一言も口をきかず、身支度だけして出かけて行きました。

 当然私は、そんな彼を見てみぬ振り。娘はひとこと、
「おとんって、子供だね」

 四日目、帰宅した彼は調子が悪いからと言ってすぐに寝ようとしました。
調子を崩されては困りますから、眠る前にいつもの特効薬を作って飲ませました。この特効薬、昔、ある本で読んで以来私のお薬レパートリーのひとつになっているのですが、よく効きますので後で作り方も記しておきますね。 

 ところで、彼は私と喧嘩した後によく寝込みます。えっどなた私の毒素にやられるんだなんておっしゃるのは・・・・
まぁ、それはなきにしもあらずですが、毒素だとすればそれは私のではなく彼自身のですね。
 怒ると言う行為は確かにたくさんの毒素やマイナスのエネルギーを出します。それは、周りに悪影響を与えますが一番被害をこうむるのは自分自身なのです。近年、病気と感情の関係が科学的にも言われていますし、何よりも、昔から「笑う門には福来る」といわれているように、笑って楽しく暮らす事は健康と幸せをもたらしてくれます。
 
 調子が悪いという彼を見て
「あたりまえでしょう!!自分で自分の中にたくさんの毒素をばらまいたのだから・・・」
 と、冷ややかに思ったりしていました。こちらが折れる態度を示したにもかかわらず、怒り続けた結果なのですから、当然といえば当然、自業自得・・・最近、多いよね、起こった後に調子悪くなる事。・・・と、思っていたのです。

 ところが、その逆だったのかもしれないと知らされる本に昨日出逢ったのです。
その本に寄れば
{肝臓には怒りが溜まります。「あの人は怒りっぽいね」と言いますが、それは肝臓が疲れているから、元の状態に戻すために怒りを出しているのです。人間は感情の動物と言われますが、怒りを出さなければ肝臓が平常に戻らないのです。}
{不平不満を言う、人のせいにして、相手を責めるという人は、胃の状態を表します。}
 らしいのです。
・・・ということは、彼が些細な事で怒り出すのはすでに調子が悪いと言う証拠。
発病の危険あり!!ということなのですね。怒って毒素を出したから病気になったのではなく、すでに毒素が溜まっていて発病寸前だから些細な事で切れた、ということなのですね。
 なるほど、納得です。みなさんも御家族の感情の変化に注意して差し上げてください。病気が防げるかもしれません。

 心が身体の健康を左右します。そして、身体の健康が心の健康を左右するのです。わかっているのに、心にも身体にも無理を強いていませんか。

 その本には
{ストレスは自分で創り出しているのです。同じ事柄もどう受け止めるかで、ストレスにも感謝にも変わりうるのです}
とも書かれていました。

 我が家のだんなさま、どうもストレスを作り出すのがお得意なようで、新聞を読んでは政治家を批判し、他人の運転が自分のペースと違えばそれを批判し、挙句の果てには寒いからと言ってイライラ怒り出す始末。確かにそれでは肝臓に怒りがいっぱいたまってしまうことでしょう。

 結局、自分で気づいて自分で自分を幸せにしてあげなければ健康にも幸せにもなれないということです。幸せは人から貰う物でも、どこかにある物でもないと言う事です。

 しあわせはあなたのなかに・・・です。

 以上、今回の喧嘩???のあとに、私の得たことの報告でした。
はい?旦那様とはどうなったかって?
 そりゃあ、心優しいあたくしのこと、熱々の特効薬と温かい煮込みうどんで彼の心を解きほぐし(???)、平常の生活に戻してあげました。こういう時、いつも思います。結局、夫婦関係は妻次第だ、と。
 だったら、あたしも最初から優しく包んであげればいいものを・・・そこが、わたくしのいまだいたらぬところでやんす。

*風の特効薬、ワイン編

材 料;赤ワインお湯のみ一杯分くらい(飲み残し、安いものでOK、ワインが無いときは日本酒でできます)、おろししょうが(チューブ入りはダメです)、はちみつ、レモン半分の絞り汁、

作り方;①ワインを熱々にする。子供やお酒が飲めない人には、沸騰させてアルコール分をとばす。
    ②火を弱め、おろししょうが。レモンの絞り汁、はちみつ(飲みやすくなる程度の量)をいれて、沸騰寸前まで温める。
    ③熱々をゆっくりと飲ませ、すぐに寝かせる。

  私はかなりしんどいときでも、足湯をしてこれを飲んですぐ眠ると、翌日には結構よくなっています。

お馬鹿なあたし

2009年11月17日 17時55分26秒 | ひとりごと
 はい、みなさま、お待ちかね、夫婦喧嘩のおはなしです。

 相変わらず、同じようなパターンを繰り返しているあたくしたち
困ったものです。夫が成長しないと嘆きながら、実は妻たる私はもっと成長していないのかもしれません。これを言ったらおそらく彼はこういう反応をし、こんな風に怒り出し、こんな風な態度をとるだろうな、と殆ど予測ができているのに、そしてどこかで、別の私が
「黙っていれば、穏やかにやり過ごせるのに・・・」と、ささやくのに、それでもやはり、口にして・・・、それみたことか、予想通りの結果になっているではありませんか。まったく、お馬鹿な私。

 喧嘩とはエネルギーの奪い合いなのだと何かの本に書かれていました。
勝ったほうが、負けたほうのエネルギーを吸い取っているのだそうで、そのエネルギーを補給するために、定期的に喧嘩したりするのだそうです。
 問題なのはこのエネルギーを必要としているのが「我」という負の存在で、こやつはマイナスのエネルギーという餌がないと生きていけないのだそうです。
だから、定期的に喧嘩をさせ、負のエネルギーを得ようと試みるのだとか・・・。
 つまり、喧嘩の最中にやりとりされているのは「負のエネルギー」なので、負けた方はもちろん勝った方もマイナス波動になり、決して満たされる事はないのだそうです。

 なんか、すごくわかります。喧嘩ってすごく疲れますもの。 
相手を、愛しているときはすごく楽なのに、喧嘩したり不満に思っている時はとても疲れます。 
  
 恋は分かりやすい現象だけれど、愛は何が愛なのかよくわかりません。たぶん、娘への思いは愛なのでしょうけれど、それも本当に自己愛ではないとは言い切れないし、我が夫に対しては、果たして愛していると言えるのかどうかさえわからない始末。32年も一緒に過ごしていますから、情はしっかり移っていますし、感謝もすれば大切にも思っています。
 なのに、いまだに、彼に喧嘩を売る、或いは喧嘩を買う私はなんなのでしょう。

「ごめんね、あんな些細な事、見逃せばよかった」
と、思う自分と、
「また、同じ過ちを繰り返して、いいかげんにしてよ!!」
と、怒る自分がいて、どっちにしても、今日の雨のように憂鬱な私が存在しています。

 喧嘩してみて思うこと、それは、やはりプラスのエネルギーに満たされているほうが気持ちが良いという事です。つまり、「我」を通す事よりも、相手を愛する事のほうがすうだん自分が幸せでいられるという事です。

 この次、喧嘩を売り買いしそうになった時、この事を思い出せれば少しは賢い妻になれるかもしれません。

 あっ、ごめんなさい。喧嘩の内容を楽しみにしていらした方、ご期待に反してしまいましたね。
 きっかけは、些細な事です。ちなみに、喧嘩したのは、昨日の朝で、いつものごとく彼はせっかく作った見事な朝食を食べずに出かけ、それに腹を立てた私が帰宅した彼を追い詰め、彼がまた切れて、ただ今、絶交中!!・・・と、まあ、飽きもせずいつものパターンです。

 さあ、今回は何日続くのかな

幸せは今いる場所で築くもの

2009年11月13日 21時21分53秒 | ひとりごと
 昨日の天皇陛下即位20年の記念式典行事において、エグザイルが歌った「太陽の花」の中の言葉・・・

 幸せは今いる場所で築くもの

 
 なんて素敵な言葉でしょう。
そして、なんと、皇后美智子様にふさわしい言葉でしょう。

 戦後の、民主主義とやらの中で日教組に教育を受けた私は、ずっと、国家と言うものや、天皇制と言うものに意味を見出せずに青年期を過ごしました。
大人になっても、「国民の象徴」って?????
・・・と言う感じで今日まで来ています。さすがに、この年になって、その存在を否定しようとは思いませんが、それでも、あってもなくてもどちらでも・・・と、まあ、そんな感じでした。

 けれど、最近考えが変わってきています。両親の世代のように「天皇、皇后」というだけで、敬愛する事はさすがにとてもできませんが、それでも両陛下の存在の意味を少しずつ認め始めているような気がするのです。

 特に、美智子皇后に関しては、何かしら、特別なものを感じます。

 あの方を拝見していると、女性として、人として、全く言葉にしがたく、あまりにも崇高であられると、この頃つくづく思うのです。
 民間から皇室に入られて、どれほどご苦労の多かった事か、一庶民の私などには想像もつかないような辛苦を味わわれた事でしょう。そのために、声まで失われ、あのようにおやつれになり・・・皇室にお入りになられなかったなら、今頃どれほど、気楽な人生を過ごしていらっしゃることか・・・そう考えるのは私だけではないでしょう
 けれど、あの方は、そのご苦労のひとつひとつを精一杯に乗り越えてこられた。そして、今、そこにいらっしゃるだけで人々を癒すほどの愛と光に満ちた存在となっていらっしゃる。

 あの方の笑顔には嘘がない。自愛に満ちた、あの優しさにそれを糧として成長してこられたから・・・。民間にお生まれになり、自愛に満ちて育まれ、全く環境の違う皇室にお入りになり、女としても、母としても普通以上の苦難にみち、悲しまれ、苦しまれ、それでも御家族を愛され、ご自分の役目を果たしてこられた。
神様がお与えになられたあの方の居場所のなんと厳しかった事か・・・。まるで、「身をもって、皆にそれを示しなさい。それがあなたの今生の務め」
とでもいわんばかり。

 皇后様はまさに、「幸せは、今いる場所で築くもの」を実践なさった方そのもの。苦労して苦労して、それでも自分に与えられた場所から逃げ出さず、誠実に真剣に、自分の役目を果たし、愛して愛して愛しぬき、そうして、自愛に満ちてほほえんでいる。まるで、観音様のような微笑で。

 この式典の映像の中、私は皇后様に向かって両手を合わせていました。なんだか、あまりにも神々しくて、あまりにも美しくて、
「ありがとうございます、今日までよく、頑張ってくださいましたね。」
と、感謝とねぎらいの言葉をかけずにはいられませんでした。

 どんなに辛くても「与えられた場所に根を張り、幸せを築く」事を成し遂げる、その手本となり、国民にその素晴らしさを身をもってお示しになるためにあの方は存在していらっしゃるのかもしれない。そしてあの方の慈愛と美しさこそが、日本国民のあるべき姿であり、それだけでも十分に日本国民の象徴になっていらっしゃると思えてならないのです。
 諸外国に対して胸をはれる政治家が存在しない近頃の日本にあって、美智子皇后の存在は唯一国民として胸をはり、誇りに思える存在ではないのでしょうか。
 美智子さまがあのお立場で存在していて下さってよかったと、今、心から思うのです。

 今回の式典に対しても、何の興味もなかった私でしたが、エグザイルの唄ってくれた歌と両陛下のお姿を心に得た、ちょっと素敵な夜でした。