幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

「チバラキ 愛・感謝」 数霊的考察

2010年06月26日 18時50分32秒 | ひとりごと
 「チバラキ 愛・感謝」を添削していたら
タイトルナンバーに間違いがあることに気付き
順番に直した。

半日もかかってしまった 


結果
「チバラキ 愛・感謝」の最終ナンバーは91


ふと、思いついて
深田剛史の「数霊」の辞典を引いてみた。


91: 完璧、直感、極まり、共有
・・・・・ですって。

しかも
91は9+1で10

10: 統合と始まりを示す数霊
    すべてを統べる働きを持つと同時に
    1と0に別れ
    また、新たに始まっていく事も示す

・・・だって。


なんだか、すごくありません


最終ナンバーが完璧と統合、始まりを意味しているとは・・・

確かに
「チバラキ 愛・感謝」は完結したのだから
「完璧」「統合」に違いない。

しかも、私の中に
一つのけじめがついて
次のステージに進もうとしている時なのだから
まさに
「新たな始まり」




№91で終わったのは全くの自然のなりゆきに過ぎないのに
その数字がこんな意味を持っているとは 



おそるべし、数霊 




あらためて、偶然の偶然ではない大きな力を感じる。




数霊、すごーい 

神様、すごーい 


すべてのことに
関連性や意味があると思うと
ひとつひとつを丁寧に受け止めなければ

今更ながらに思った。

チバラキ 愛・感謝 ( №91  手にしたものは )

2010年06月25日 17時52分56秒 | ひとりごと
 ただ、不思議なことに
そう思って帰宅して以来
まえほど
夫にこだわらなくなった私がいる。
やはり
鹿島様、香取様で
決断と決意で旅立ちを果たしたのかもしれない。



「チバラキ、ガンジス川でバタバタフライ」の
旅の間に感じたたくさんの「有り難い」事への実感は
自分がどれほど恵まれているかと言う事に気づかせてくれていた。


そしてそのことが
「人は今の自分の環境が
 どれほど恵まれているかに気づいた時
 すぐにでも幸せになれるのだ」
という
誰かの言葉を腹に落としてくれた気がしている。


ただ、この「環境」と言う言葉の深みを理解せねばならない。

「環境」は
単に三次元における
生活レベルや人間関係の程度を意味するのではない。


自分におきる全ての事象(困難苦難も含めて)が
今生での自分の魂の成長のための
もっとも素晴らしいカリキュラムであり
それが与えられた、ということは
「恵まれた環境」なのだ
と言う事にまで及ばねばならないのだ。


そうしないと
ついつい
自分よりお金持ちの人
自分より社会的地位のある人
成績のよい人、見た目の美しい人、などなど
すぐに比べてしまって
羨んだり嫉んだりしてしまう。


「全ての不幸は比べる事から始まる」


今自分に与えられている全ての境遇は
自分の成長に一番の条件なのだと感謝できた時
私達は
目の前の事象に負けない強さと
それを乗り越える知恵や幸運に恵まれるのであろう。



旅の間に起きたいくつかの不運は
それが絶対幸運に繋がると信じて
感謝して対処することにより
本当に大きな幸運を運んできていたではないか。




私にとって
一見「はずれ」の「腹の立つ夫」は
実は素晴らしい成長をもたらす「最高の夫であるはず」なのだ。



これを信じて
流れに身を任せて
何かがおきても起こらなくても
いつも感謝して暮らせば
最後のステージで
私は必ずや感動の涙を流すはずなのである。




「チバラキ・ガンジス川でバタフライ」は
そんな人生の歩き方を
私に実感させてくれた。


登場人物は意外に少なく・・・
(いや、
 でも予定通り???

 お礼にと用意した「きらずあげ」の数はピッタリだったのだから・・・)



殆どは神社に詣でる事による内観の旅だった。


それでも
出会った人々は
皆、愛と学びを与えてくださり
起きた事柄は
全て私を幸運へと導いてくれた。


まさに「チバラキ 愛・感謝」であった。



さらに
旅のお供をしてくれた唯一の本、伊勢白山道の
「あなたにも幸せの神様がついている」
は、まさに
心の整理の案内人だった。



神様は鏡映し。

神様は外にいらっしゃるのではなく
自分のなかにこそ在る。



自分の中の神を信じ
自分を信じ
相手を信じ
おきる事全てに感謝する。
今日、生かされていることにこそ感謝する。


そうすれば必ず幸せの感覚に満たされる。
本当の幸せを手に入れることができる。



チバラキ 愛・感謝





愛とは諦めない事
愛とは諦めない事



私達が唯一この世でしたいこと
それは「愛する事」



私は愛したい。
夫を、娘を、両親を。

今ははっきりとそう思う。
何よりも何よりも
私がこの世でなし得たいことは
「愛する事」なのだ。
紛れもなく
私は愛したくてこの世に生れてきたのだ。


それはきっと
みんなに共通する事に違いない。

みんな愛したいのだ。

安心して愛したいのだ。


自分を愛し、家族を愛し、友人を愛し、他人を愛し
植物を愛し、動物を愛し、すべての物を愛したいのだ。




風よ、雲よ、
地球よ

ありがとう
ありがとう
ありがとう


今日も生かしていただいてありがとう。

今日もたくさんのチャンスをありがとう。


ありがとう
ありがとう
ありがとうございます。

本当に
本当にありがとうございます。








「チバラキ 愛・感謝」
これで終わります。

ずっと続けてお読みくださった方々
あなた方から勇気を得て
私は最後まで書き続けることができました。

心より御礼申し上げます 
本当にありがとうございました。

拙い文章を
読み続けてくださったあなた方の愛に
心より感謝です。

ありがとうございました。



皆様が
ラッキーに
幸せに
愛に満ちますように  


                            完

チバラキ 愛・感謝 ( №90 手にしたものは )

2010年06月25日 17時08分57秒 | ひとりごと
 離婚はしない

それが私の決断だった。

自分で選んだ人生
自分で責任を持つ。

せっかくここまで付き合ったのだ。
とことん付き合ってやる
そして
最後まで見届けるのだ

「死ぬ」と言う形で別れる時
彼が何を思い
私が何を思うか。


人生に勝ち負けはない。
人生に失敗も成功もない。

安穏と平和で支障のない事だけが幸せではない。


喜怒哀楽
全てを味わい
全てを体験して
魂を成長させ
良心を大きくすることこそ
生きるということなのだ!!


いろいろあってこそなのだ

いろいろあることを恐れてはならないのだ。
逃げてはならないのだ。


・・・そう
強く思う私がいた。


そして、そんなときに
「愛とは諦めない事」
と言う言葉が私を訪れてくれた。

愛とは諦めない事
愛とは棄て去らない事



33年
彼と出会ってから今日まで
2/3は喧嘩していた気がする。

他愛もないこともあれば
決定的考え方の違いも有った。

それでも
なんとかよくなりたい、
この喧嘩を「雨降って地固まるにしたい」と
頑張ってきたではないか。

50を越える頃から
体力と気力の衰えのためか
ほとほと疲れ嫌になり
相手を諦め始め
棄てたくなっていたのだ。


棄てる方法はふたつある。

法律上も離婚してしまうことと
心の中で見捨ててしまう事。




私がイライラしていたのは
おそらく
そのいずれもが
私達夫婦にとって正しい選択ではないということを
本当の私が知っていたからだろう。

本当の私はそれを望んでいないのに
顕在意識の私はそのことばかりを考えていたのだから・・・


相手を否定し
相手を見放した時
一番傷つくのは
誰ほかならぬ本当の自分なのだから。


私達は皆
愛し合いたいのだ。


男と女の情欲ではなく
魂と魂のレベルで愛し合いたいのだ。

いや
すでに愛し合っているはずなのだ。

親子、夫婦、友人、知人、他人までも
本当は皆
愛し合っているのだ。

だから
縁あって肉親になり家族になり
仲間になり
地球人となっているのだ。


けれども
その愛を
より高めるために
肉体を持ち
顕在意識を持って
喜怒哀楽を体験しようとしているのだ。


だとすれば、
こんなに疲れるほど
毎日毎日いろんな体験をくれる夫は
私の人生において格好の教材にほかならぬではないか。


・・・そう
心から思えるようになったとき
私は
彼と私の全てを
上から眺める事ができるようになった。


そして、
「あ~あ、また繰り返し始めたね 
 なかなか、成長しないねぇ~~~ 
 はいはい、頑張って体験し
 頑張って一歩でも成長しようね」
と、声をかけてくる自分を意識することができるようになったのである。



                                つづく

神の空

2010年06月24日 23時16分54秒 | 波動
 今日6月24日は
わたくしめの誕生日 

おかげさまで53歳とあいなりました。

今日まで見放さずに
いつも思いを注いでくれた両親に感謝 

こんな私を離婚せずにいてくれる主人に感謝 

こんな私を母に選んでくれた娘に感謝 

・・・の日です。


もちろん友人や知人、師匠にも感謝です 

あ、忘れてはいけない

ご先祖様、お陰様
本当に日々
お導きありがとうございます 



さて、その誕生日の6月24日が
なんと、伊勢神宮の「お田植え祭」であったとは 

無知な私は初めて知りました。

なんだかとっても嬉しいです。
なんたって私
母が田んぼの草取りをしていて産気づいたのですから・・・ 



今日は昨日までの天気予報とは打って変わって
朝から素晴らしいお天気でした。

美しい青空は澄み渡り
湿度もなく
山や田んぼ、川岸の緑が輝くように美しくて
何度
「今日は本当によいお天気 
とつぶやいたことでしょう。



そして夕方
夕映えの空のあまりの美しさに
思わず見知らぬ人にも
「きれいな空ですねぇ」
と声をかけてしまったくらいです。


地球は美しい

何度も感嘆した一日だったのは
「お田植え祭」という
大切な日の神のエネルギーの賜物だったのでしょうか。



    岐阜県多治見市にて 18:54






              19:10





              19:13                            






              19;20               


              19;22

     
 
              19;28



携帯で取ったので、その美しさが出ておらず残念です 

でも、本当に
つくづく
地球は美しい

こんなに美しいものを見せていただけて
最高のプレゼントを頂きました 

ありがとうございました

感謝です  

チバラキ 愛・感謝 ( №89  手にしたものは )

2010年06月24日 23時00分51秒 | ひとりごと
 8日目の未明
自宅に入った。

玄関の明かりは煌々と灯され
風呂はすぐに入れる状態にセットされていた。


もちろん
夫は寝ていた。


それでも
一瞬
階段の上から顔を出し
「おかえりぃ~」  
とひとこと言って
また寝室へと戻っていった。



翌日の朝
夫は
朝食を用意してくれた。

26年前
お茶一つ淹れようとはしなかった彼は
きつい妻にしごかれ
日々、抵抗し、日々喧嘩しながらも
今では
見事な朝食を作れるようになっている 


 
      彼の作る味噌汁は私のより美味しい
おいしかった・・・
有りがたかった。


これで彼は独りになっても困らないな、と思った。

(やっぱり、便利だわ、とも思ったけれど・・・ )




誰かが書いていた。

「人は帰ってくるために旅をするのだ」と。

全肯定はしないけれど
一理あると思う。





偶然に目にしたT.V.の映像に魅せられ
それを見に行くと宣言し
流れに身を任せていたら
鹿島様、香取様へと導かれ
自分自身と対話する旅を経験する事になった。



決意、決断の神
鹿島、香取の両神宮で
私は己の迷いに答えを出していた。

泣きながら謝罪し
泣きながら
すでに知っているその答えを声にしていた。

そして
身を棄てて尽くす神、玉依姫様にもお呼びを受け
自分が何を意識せねばならないのかを
教えていただいた。



そうすれば
大黒様がお見守り下さって
福徳円満になるのだと
その行く末までも暗示していただいて・・・。




神社に参拝するのは
頼み事をするためではない。
感謝し、決意を示すためなのだ。

神様は外にいらっしゃるのではなく
己の内にいて下さる

とは伊勢白山道の言葉


偶然にも
旅立ちの前に
初めて彼の本を手にし
ただ、直感で購入したこの本が
その
一番大事なことを教えてくれていた。


誰が見ていなくても
自分が見ている。

神は決して罰など与えはしない。

自分のした事を許せないのは
誰ほかならぬ自分自身なのである。

・・・これも彼の言葉だ。




旅立ちの前
私がイライラしていたのは
もちろん夫に対してなのだが
もっとイヤだったのは
そういうことを感じている自分に対してだった。


腹の立つ事をする夫
その夫に腹を立てる自分

腹を立てている自分に一番苛立っていた事を
旅に出る前の私はちゃんと知っていたのだ。


そして
そんな苛立ちがイヤで
「離婚」と言う方法に逃げ込もうとしていた。

けれど、その方法さえ
本当の自分は「正しいことではない」と知っていたのだ。
だから
余計にイライラしていたのだ。


                        つづく