幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

ツタウルシ ご注意あれ

2021年10月13日 12時58分45秒 | 
釧路湿原の展望台で、
木道散策中に
朝の光にそこだけ朱く輝く紅葉発見!!  

wa~~~~!!! きれい!!

思わず駆け寄ります。

うん?!
なんだこれは?!  なんの紅葉?!

それにしても美しすぎる!!

美しい!!    


これは何という植物だろう?!

実を見れば、なんだか、漆や櫨によく似ている。

でも「木」ではなくて「蔓」だ。  

葉っぱは漆や櫨とは形状がやや違う。

蔓紫陽花でもないし・・・と錆びた頭を巡らすが分からない。

後でしっかり調べようと写真に収め
誰かに尋ねるときのためにと葉を一枚拾い上げた。

でも、でも、
奇麗なんだもん!!

また一枚、もう一枚とついつい数を増やしてしまった。
それを左手に持ちクルクル回しながら歩いた。


で、しばらくして、ふとひらめいた名前が(;^_^A💦💦💦

ツタウルシ!!

も、もしかして、これって、ツタウルシ?!

だとしたらヤバイ!!・・・かも・・・💦

でもまあ、漆も落ち葉になってしまえばかぶれなくなると何かで読んだし・・・大丈夫?かな???


が、残念でした。

翌日の午後から、私の左手には細かな水泡がぶつぶつとでき始め、
結局、左手の甲から手首にかけて
一週間ほど痛痒さに悩まされることとあいなりました ( ;∀;)

はい、
たとえ美しくても、疑わしき物には手を出さず!!・・・を学びました。

ご用心あれ (;^ω^)

日常の奇跡 早朝の散歩に

2021年10月13日 11時39分43秒 | 


北海道阿寒郡鶴居村

ウェルネスヴィレッジ ヒッコリーウィンドウの森で
美しいミズナラの彩葉に出会った。

あまりの美しさにため息が出る。

誰に見せるでもなく、こんなに美しく色付いて、そして、散っていく。

ただ、己の命を全うするミズナラの魂の在り方を思う。

さらに、
今少し歩を進めれば今度は真っ赤なナナカマドの実!!  

真っ青な空に艶やかだ。



このミズナラの葉の一生の中に、
このナナカマドの美し過ぎる紅い実に
宇宙の神様の大いなる意図が潜んでいるにしても
私にとっては
今日こうして、
この輝く「美」に出会わせてもらえた奇跡に感謝だ。



ついつい拾い上げてしまうほどの
美しすぎるミズナラの彩葉達を手放すに忍び難く、
暫く持ち歩いていたが、ふと思い立ち、
辺りに目につくものと共にガードレールの調整ポスト(?)に活けてみた。



   ミズナラの彩葉・萩の黄葉・枯れセイダカアワダチ草・ヒヨドリ草・ヒメジオン・・・かな・・・?


ほんの数分の楽しい時間!!

あっという間に花材がそろってしまうこの地の豊かさを思うと同時に、
それが叶わなくなってしまった我が家の周りを申し訳なく感じながらも、
久しぶりに我を忘れて夢中になった。


今日という日の美しく幸せな奇跡。



豊かな森の朝陽の中の、
ほんのささやかな大きなしあわせを与えられた今日の奇跡に感謝しよう。








400年に一度咲く花 パゴダ

2021年07月08日 19時59分55秒 | 
昨夜、友人から来た写メ。

ヒマラヤに400年に一度咲くという花 パゴダ






あまりの美しさに胸がときめきました。

この世にはこんなに美しいものが存在するのですね。


昨夜届いていたことに気付かずに、
今朝一番にこれを目にした私のテンションの上がったこと、上がったこと!!

感動と喜びのあまり、
すぐに、たくさんの友人にシェアーしてしまいました。



好い朝でした。

頂けることも分けられることも、ともにあることの幸せです。

弥栄八坂、感謝です。


今日の奇蹟 薔薇の贈り物

2020年05月26日 15時49分28秒 | 
「今年はなんだかどのバラも調子がすごくいいんです 」

そう言って、彼女は丹精込めて育てた薔薇を贈ってくれた。 

 



私好みの
彼女らしい、やさしい色と雰囲気の薔薇。

そして、私好みの
彼女ならではのすてきな取り合わせのラッピングで・・・・・





土曜の朝、九時。

なんてステキな週末の始まり。

今日も豊かさが巡っている。



ベランダのガラステーブルに置けば
薔薇はまるで青空の海の中。

   


弥栄八坂。

今日も私は豊かです。
幸せをありがとうございます。


健康第一?!

2011年07月29日 12時57分43秒 | 
 私の現在の健康状況を知ったある知人が言った。

「石巻へ行ったお疲れが今頃出たんじゃないですか?

 あなたのようにもともとお体の弱い人は
 やはり、自分の身体を第一に考えて行動しなければいけませんね」


彼女は石巻へ行く前にも

「大丈夫ですか?

 もともと、身体がそう丈夫ではないのですから・・・

 かえって迷惑になるということもありますよ」

と、忠告してくれた。



ま、私の身体の弱さを懸念し、
ボランティア先で体調を崩すのではないか心配したのは彼女だけではなかったが。


当の私自身、それを一番心配し
何が何でもそれだけは避けたいと頑張ったのだから。


おかげで、
一週間で根を上げるだろうという皆の思いに反し
私は二週間をあまり苦にすることもなく
むしろ、思ったよりもずっと楽に過ごすことができたのだった。


これは、私を連れて行ってくださった「チーム神戸」の金田さんの配慮によるところが大きく
彼女のおかげで無事務められた様なものなのだが・・・。




 ただ、現地のほとんどの人がそうであったように
私も滞在4、5日目ごろから咳が出始め
結局、肋骨を疲労骨折するほどの咳に悩まされた。

咳だけで、他にはどうということもなかったのだが
もしかしたら、今度の症状の一番の原因である数種類のウィルスは
あの時に体内に入ったのかもしれない。


それが時間の経過とともに増殖し、毒素をだし
神経や筋肉等に悪さをしたのかもしれない。


いずれにしても
私の波動が高く
免疫力が強ければ何の問題もないことである。


それがないゆえに、こうなるのだろう。




 でも、だからといって
自分の身体を守ることを第一に考えねばならないのだろうか。



確かに、健康な身体がなければなにもできない。
健康があってこそいろいろなところにも出かけられるし
人様のお役にも立てるのだろう。

自分の弱さが人様の迷惑になっては何にもならないことは確かだ。

しかし、しかしである!!

自分の健康を守るがために
本当に自分がしたいことや
人様のために何かさせていただくことまで諦めねばならないのだろうか。



 私は生まれつき胃腸が弱く
幼いころから病気がちだった。

あのころと比べれば随分と丈夫になったものの
無理がきかない身体であることに間違いはない。


でも、そんな身体に生まれついたのにも意味があるはずだ。

今生を生きるにあたって、
この身体をわざわざ選んだにはそれなりの理由があるはずだ。

私がなすべきこと、私が学ぶべきことは
この身体においてこそに違いないのだ。



 私は今の病気の原因は「心の冷え」であり
「愛しきれない」ことへのストレスだと思っている。

そして、それらを作り出しているのは
他の誰でもない、この私自身だと思っている。


もし、石巻で病気の要因であるウイルスを拾ってきたにしても
今の私がもっと魂の思いに近ければこうはならないはずだと信じている、

さらに、それがわかっていながら、できないところに
私の大きな課題があるのだとさえ思っているのだ。



 だから、自分の身体を守るために
「やりたいこと」」をがまんしたとて
結局は同じような状態になるに違いないのだ。




 そもそも、
この世での借り物に過ぎない肉体という物質のために
本当の私が「してみたい」と思うことをやめて
何の意味があるというのだろう。

嫌々やって病気になるのは愚の骨頂である。
しかし
「どうしても、そうせずにはいられない」というようなとき
もし、それが身体にマイナスの要因になったとしても
肉体を守って「見えない私」の部分に不満をため込むより
ずっとずっと意味のあることのような気がするのだ。


「生きる」とは「魂の思いをなすこと」であると信じる私にとって
石巻へ行ったことはけっして「するべきではなかった」ことではないし
今後も弱い肉体を守るために
「どうしてもしておきたいこと」をやめたりはしないだろう。



 思いをなすために肉体が必要なことは重々承知打している。
肉体があってこそであり、それゆえに、
暴飲暴食を慎み
早寝早起きをし、
適度な運動をして
メンテナンスをしっかりし
大切にしなければならないと思っている。


 けれど
肉体のために「心から望むこと」を我慢するというのは
本末転倒のような気がするのだ。



 敬愛する星野道夫は
彼の愛するヒグマに襲われ死んでいった。

アラスカで大好きなヒグマをカメラにおさめるために
身の危険を冒していた。


「だから言わんこっちゃない」と
彼の死を批判した人たちもいた。


でも、彼の本当の「生きかた」を知っていた人たちは決してそんな見方はしなかった。


彼は「生きた」のだ。

自然の厳しさと隣り合わせでありながら
魂の赴くままに「生きた」のだ。

それをなさずして長生きしたとしても
それは彼にとっては虚しいことに違いないのだ。





 わたしも「生きたい」のだ。


だから
きっと
今後も
彼女の言うようにはなれないだろう。