「お元気ですか」岡野恵美です

岡野恵美の日常の活動や生活を紹介します。

亡き母と行った思い出の首里城が全焼とは

2019年10月31日 | 日記

10月31日(木)

 私は、今から14.5年前、妹二人とその夫、そし

て母とで沖縄旅行をした。

 その時に行った思い出の首里城が今朝の火事で全焼

したとの報道に驚いた。

 

 当時私は、日本共産党の専従で、しんぶん赤旗の

配達・集金を担当していたので、お盆も正月もない

日々を送っていたが、やっと3日間の休みをもらえて

親孝行ができてうれしかった。

 母は79歳、車椅子での旅行だった。特に首里城に

行きたいと言っていたので、その願いがかない、車椅

子でも登ることができて、母はその後も「よかった。

きれいだった」と、たびたび口にした。

 その母は4年前に亡くなったが、思い出の首里城が

全焼したとは大変ショックです。

 

 

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台風19号被災者への募金活動

2019年10月29日 | 日記

10月29日(火)

 昨日の夕方、日本共産党津市議団と後援会員の皆さん

が津駅西口で、台風19号被災者への募金活動を行いま

した。私も参加しました。

   

 約45分の行動でしたが、高校生が足をとめてしてくれる

などで、募金が8000円を超えて集まりました。

 中央委員会が全国の募金を被災自治体にお渡しするとの

事です。

 

 

 

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BEYOND THE WAVES(ビヨンド・ザ・ウェイブス)をみる

2019年10月27日 | 日記

10月27日(日)

 俳優としてのキャリアを捨て、参議院議員となった

山本太郎氏に関するドキュメンタリー映画、ビヨンド

・ザ・ウェイブスを、多気町立勢和図書館で観た。

 監督はベルギーのアラン・ドウ・アルー氏。

 ビヨンド・ザ・ウェイブスとは波を越えて。

 「ナショナリズム、外国人嫌悪、再軍備と向かう日本

を、その流れに逆らう反抗者の目を通して映し出す。

反抗者・山本太郎のあがき、ためらいは、今日の日本

のステレオタイプな思考を超え、右傾化政治の復活と

いう普遍的な問題を提起している」(お知らせビラ)より

 

 ベルギー人の目を通して、俳優の職をやめて政治家

に転身した山本太郎氏の行動を映している。

 時代の転換はうねりをともなって、一人の男から

すでに始まっている。とビラにある。

 日本共産党は、1922年に創設された。

映画は1923年の関東大震災以後の軍部の独裁政治

が出発点になっていたが、その時すでにつくら、反戦

平和の活動をしていた。

 いま又、安倍内閣とその仲間たちによって、その時代

に逆戻りされようとしているが、山本氏だけでなく、

日本共産党は元気で頑張っている。

 

 

 

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「消費税5%に」署名行う

2019年10月25日 | 日記

10月25日(金)

 大雨で、本日の予定がキャンセルになる。台所のかたづけ

を行う。

          

 

 昨日は、消費税廃止各界連絡会の、月に一度の昼休み宣伝日。

消費税5%に戻す署名行動に取り組みました。

 私は知り合いが通ったりして30分間に7筆も署名をいただ

きました。中には、消費税5%などと言わないで廃止して。と

いう意見も。

 また、私の存知あげない人でしたが、県議選で票を入れて

下さったという方は、今度こそ頑張ってね。皆さんのお声に、

元気百倍です。

 

 

 

 

 

 

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安藤之則さんの通夜式が行われる

2019年10月24日 | 日記

10月24日(木)

 雨、きょうは24節季の霜降、とはいえ台風の影響で暖か。

 

 夜、安藤之則さんの通夜式があった。

 安藤さんは旧津市の議員を8期31年務めた方。私も大変

お世話になったのでお参りさせていただいた。

 式には大勢の方が来ておられ、約半分は立ってお参りする

ぐらい満員。花輪もいっぱいでした。

 日頃のお付き合いの広い事にあらためて驚かされた。

 とにかく愉快な方で、ニックネームはいろいろあった。私

の生まれる前年の昭和26年(1951年)からご夫婦で大国

湯という銭湯をやっておられた。

 私の様な新米議員にも同等に声をかけてくださり、選挙カー

で安藤さんの選挙事務所前を通ると、ご家族の方はもちろん

事務所の方まで、手をふって下さった。いつも高位当選、選

挙上手な方だった。

 安藤さんが議員になられたのは昭和50年(1975年)で、

それから8期31年間務められたとの事。私は1983年から

16年間ごいっしょさせていただいた。

 安藤さんは自民党の議員さん。清潔な政治をつくろうと、

日本共産党の私達5人の議員団とは一致。議会の民主的運営

に取り組みました。

 特に私は安藤議長には大変お世話になりました。

 それは私の地元で産業廃棄物の焼却施設をつくる計画がもち

あがり、それをやめさせる市民のたたかいに、安藤議長が議会

をあげて協力して下さったからです。

 当時、業者は地元の自治会長をだきこみ、午前6時ごろから

住民を訪問して、承諾の印鑑をつかせるという強引さでした。

 私は反対運動の先頭にたっていたので、業者に県庁前でビラを

まかれたり、議会前でたむろされて威圧されるなど、ふるえる

ような思いをしていました。

 安藤さんの協力がなかったら今頃、ダイオキシンの煙を吸わ

されていたかもしれません。とにかく業者は焼却施設の建設を

あきらめ、良かったと思います。

 安藤さんありがとうございました。安らかにお休みください。

 

 私の右どなりが安藤之則さん:1988年当時

 

 

 

 

 

 

 

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