2月22日(土)
日本共産党の津市議を年間つとめた駒田拓一さん(78歳)
が20日に亡くなられた。私は名物市議だったと思う。
私が津市議になった1983年にはすでに4期目だった
駒田さん。戦争遺児だった駒田さん。
昨夜の通夜で安らかな顔をみせてもらった。津市議と
しておもいきり働かれて、おもしろい人生だったと言って
いるようだった。
私が新米議員だったころ、駒田さんは
美里村(現在の津市美里町)の産業廃棄物処理場問題
を、当時の党町議の中川さんとともに調査。議会でとりあげ
て、津市の上水道に汚染水が流入するのをとめた。もちろん
党や市民をまきこんでの命の水を守る闘いの出発だった。
産廃問題だけではない
駒田さんは、実に市民にとって理不尽だと思える多くの
指摘をした。その暴露質問には定評があった。
特に質問のたびに、新米の私はふるえ、あこがれたもの
だ。
市民生活に直結することで、工事現場に立つ「段差に
注意」と書かれた看板。これを見るたびに、駒田さんが、
段差でケガをした市民のことをとりあげて、それ以来看板
がたてられるようになったことを思い出す。
しかし、その質問の裏には苦悩もあった。後で知ったこと
ではあるが、 議会質問の前には、ほどんど眠れなかった
そうである。
鋭い質問のためには、確実な調査や裏付けがかかせない。
数々の努力をして、市民生活を守った日本共産党の議員
を私は誇りに思う。