ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の町名(2)

2017-02-13 22:23:24 | 水戸

立浪町(たつなみちょう)
 城東4-3-14先歩道
 寛永2年(1625)ごろに開かれた武家屋敷地だそうですが、すぐ北に那珂川がありますので、それから名付けられたのでしょう。那珂川だけでなく、そこへ流入する桜川の河口も以前はすぐ近くにありましたので、洪水の多い地だったようです。

 

藤坂町(ふじさかちょう)
 五軒町3-2-61(大成学園)敷地内
 町の北に富士坂(藤山坂)があり、その近くに富士権現があったことが町名の由来となったそうです。元禄3年(1690)には冨士山町と名付けられたそうです。

 

鳥見町(とりみちょう)
 泉町3-1-10先歩道
 藩政の初期から、鷹狩りに使用される鷹場を見まわることを仕事とする鳥見衆が住んでいたことから呼ばれるようになったそうです。

 

向井町(むかいちょう)
 大工町2-1-20先歩道(国道50号側)
 外堀(西の谷)のできた寛永15年(1638)以後につくられた町で、堀の向こう側に泉町、大工町があることから向町と名付けられたそうです。火事が多発したため、元禄3年(1690)に、防火の意をこめて、「井」の字を加えて、向井町としたそうです。

 

橦木町(しゅもくちょう)
 撞木町 五軒町3-6先北東角(駐車場)
 藩政初期に武家屋敷になったそうで、元禄3年(1690)から撞木辻(しゅもくつじ)と呼ばれるようになったそうです。町の形が、鐘を撞(つ)く撞木の形をしていたことに由来する町名だそうです。

住所は旧町名石碑のある場所です。  水戸の町名(1) 

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水戸の町名(1)

2016-10-25 22:31:52 | 水戸

元白銀町(もとしろがねちょう)
 南町1-3-35(セブンイレブン水戸三の丸店)に旧町名石碑
 佐竹氏の時代に、彫刻師、金具師、研ぎ師などが多く住んでいたので白銀町と呼ばれていたそうですが、徳川氏の時代になって、町人地域の下町(したまち)へ移転させられて、この地は武家屋敷になり、元白銀町と呼ばれたそうです。高い所で、富士山が見えたので富士見台とも呼ばれていたそうです。

 

白銀町(しろがねちょう)
 うなぎの店東條(本町3-1-33) の隣に旧町名石碑
 埋立によって下町が形成され、上町(うわまち)にあった白銀町の住人が移ってできた町だそうです。水戸彫といわれた刀装金具工芸の優秀な職人たちがこの町から多くでたそうです。

 

南町(みなみまち)
 今の南町1丁目あたり
 江戸氏のころから開かれ始めたそうですが、佐竹氏の時代に町人地として形作られたそうです。徳川氏の時代になって、ここも町人は下町へ移されて、武家地になったそうです。会沢正志斎の私塾南街塾がありました。(写真は水戸平和記念館展示物)

 

黒羽根町(くろばねちょう)
 水戸共同病院前の通り
 那珂川水運の上流、下野国黒羽の住民がここに移り住んだのでこう呼ばれたといわれているそうです。徳川氏になって、武家地になったそうです。柳堤の建設に際してこのあたりの土石も使われたそうです。(写真は水戸観光協会発行文久元年水戸地図)

 

奈良屋町(ならやちょう)
 東部ガス脇の北行する通りと途中から黒羽根町に上る坂
 上町と下町をつなぐ、柳堤への出入り口で、商業が栄え、町人地としてたいへんにぎわったそうです。この町で古着商をした藤田与衛門の子として生まれたのが幽谷です。また、会沢正志斎もこの町で生まれたそうです。

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