ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の酒の話(3)

2017-07-19 21:06:34 | 水戸

 

ウメの名前
 ウメの園芸品種で、大盃(早咲き、濃紅色、スモモ系と偕楽園にありました。)という名前のウメがあります。ウメ以外にもボタン、サクラソウ、カエデなど色々な植物の園芸品種にあるようです。また、弘道館鹿島神社に徳川斉昭が植えたという酒梅という酒の香りのするウメが以前あったそうです。どんな香りのするウメだったのでしょう。復元できたら面白いのですが。写真は偕楽園の大盃です。

 

本丸奇譚
 寛永2年(1625)に屋形(やかた)を本丸から二の丸に移したそうで、それから本丸は余り使われなくなったそうです。日暮れて本丸へ行くと髪がなくなるといううわさがあり、若侍がそんなことがあろうかと一人で行って酒を飲んだそうです。そして、酔っぱらって高声乱舞してしまい、不謹慎であるととがめられ、本来なら切腹なのだそうですが、僧の歎願で剃髪させられてその弟子になったそうです。その夢がさめて頭をなでると毛がなく、若侍は結局僧になったという話があるそうです。写真は水戸観光協会発行の水戸城下町マップです。

 

藤田東湖の我慢
 徳川斉昭の隠居謹慎処分に伴い、藤田東湖も江戸・小梅の水戸藩下屋敷に幽閉されたそうですが、酒好きな東湖は隣に住んでいた忠助という船頭に隅田川という江戸の酒を一朱ずつ買ってもらっていたそうです。忠助は、預かった金から手数料としてピンハネをしていたそうですが、文句のいえない東湖は我慢していたそうです。そこでは「酔うにあらず。また狂するにあらず。」などという漢詩を書いたそうです。写真は藤田東湖生誕の地(梅香1-2-20) にある銅像です。

 

戒壇石
 「不許葷酒入山門」と刻まれた禅宗寺院などの門前に立つ石碑のことをいいます。川柳にも「禅寺はしらふの石碑だしておき」などとあります。むかしは、むしろ寺が酒を造っていましたから、酒を門から出すのはよかったのでしょうか。(冗談です)もっとも禅宗には月に一度酒を飲んでもよい日があったそうで、それをどやしといったそうです。写真は天徳寺(河和田町914-1)にある古い方の戒壇石です。

 

金明水
 紀州堀沿いの幸町に金明水というわき水があったそうで、この水を使って、泉町にあった伊勢富という酒屋が金銘酒という酒を造っていたそうです。この酒屋は明治初期まであったそうです。銀明水というわき水もあったそうです。写真は紀州堀あたりです。

水戸の酒の話(2)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水戸の河川合流点(2) | トップ | 水戸のレンガ(3) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

水戸」カテゴリの最新記事