牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

この杯をわたしから取り除いてください

2015-09-28 06:52:42 | Weblog
聖書の一言;マルコの福音書14:36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
有名なゲッセマネの祈りです。イスラエルへ行くと、聖地旅行では必ずゲッセマネの園を訪ねます。2000年の歴史があるというオリーブの古株もある、美しい万国民の祈りの教会です。
最初の聖地旅行の時、ホテルから5000歩ほど歩いて朝5時に教会に着きました。まだ閉まっている門の前で聖書を読んでいると、門番が出て来たので、日本から来た牧師だと言うと教会に招き入れ、イエス・キリストが祈った大理石の岩で祈るのを許してくれました。35年も前のことで、今は大理石の回りに柵があり、触ることもできませんが・・・。
ゲッセマネの園には、キリストの祈りの大理石に刻んだレリーフがあり、上を見上げるキリストの前に、杯が描かれています。どうぞ、この杯をわたしから取り除けてくださいと、3度も血の汗を流しながら祈ったが、沈黙だけでした。その杯には、人類の原罪とすべての罪や咎、病や呪い、貧困、悩みや苦難、死と地獄行のすべての苦味が入った苦杯です。全能で愛の神は、その杯を取り除かず、イエス・キリストは沈黙の中に祈りの答えを受け、十字架の上に身代わりとして死なれたのです。
私たちも祈りに答えがないと、不信仰になりつまずかないで、みこころの十字架を背負い前進したいものです。
ペテロの第一の手紙2:21-24 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

今日、誕生日を迎えた方のために祈った時にできました。
恵みと愛との 朝を迎えて
喜び祝おう 誕生の日だ
主イエスの贖い 信じた日より
平安あふれて 喜び満ちる

主イエスは復活 今なお生きて
見捨てず離れず 助けと力
豊かに与えて 賛美を満たす
ハレルヤアーメン 天国の日々
アーメン
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

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