牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

祈らない先にもう答えが

2017-02-25 19:25:56 | Weblog
イザヤ書65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。

大好きな約束です。赤ちゃんを育てる母親は、自分から声をかけ、幼子のしぐさを見るだけで、何が必要かをわかります。神はあいです。親の何十倍何百倍、いや比較ができないほどの広く深く高い愛で平安に守り、導き支え助けてくださいます。

祈りをすると最後に、イエス・キリストのお名前によって祈ります。イエス・キリストの約束だからです。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネの福音書14:13-14)

全能で愛の神は、イエス・キリストのお名前による祈りに答えてくださいます。祈りの最後にアーメンと言います。アーメンはほんとうです。真実、誠の祈りです。誠=言+成る。本音の祈りですが、人間の本音にはたて前や、時には真実でないこともあります。

ことばが成るとは、自分のことば=本音もですが、間違いのない聖書のことばどおりになると信じてアーメンなのです。

聖書の約束を信じて祈るとき、もうことばが出る前から、愛の神様は必要を知り、答えてくださる約束です。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです=マタイ6:8 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです=ヨハネの第一の手紙。5:15

祈る前に聞かれているのですから、祈ったらもう聞かれ、与えられている大きな恵みです。だから、イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。すぐに、ありがとうございます。与えられました。感謝します。そのような祈りをしながらの日々です。

久志目司牧師が入学希望の青年と面接に来てくれました。今晩一泊し、明日のチャペルでメッセージ。

今夜は、東京から体験入学希望で一人泊まります。幸い試験中だが、明日は教授が講義予定があり、グッドタイミングの授業です。

面接は朝のチャペルが終ってからです。生駒聖書学院にすばらしい何かが起こります。ぜひ、献身希望があれば、4月11日入学をお待ちします。

ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。




マムシに噛まれても

2017-02-25 19:20:45 | Weblog
使徒の働き28:1-9 こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合った。しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。
島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ。」と言いだした。
さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。
一難去ってまた一難、大暴風雨から救われたが、何とマムシに手をかまれた。人生の縮図のようです。
しかし、何の害も受けず、マムシを日の火の中に振り落としました。
そして島の首長ポプリオの父が、熱病と下痢で床に着いていたので、病は祈りで直ってしまった。今日も、奇跡の日です。生きていることが奇跡。風も腰痛も直ります。
無病息災と言います。でも一病息災です。
左右脳内出血&小脳内梗塞を経験し、三病息災と感謝しつつ現役です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

大丈夫

2017-02-25 07:48:53 | Weblog
聖書の約束
ヨハネの福音書20:19-21 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
不安と恐れおののきの日。愛するイエス様が、十字架の上で死に葬られ、一自分たちもと思う弟子たち。
捕らえられることを恐れて、閉じこもっていました。
その3日後のこと、イエス様が来られ、彼らの中に立って、平安があるように=シャロームと言われた。恐れ戸惑う彼らに、再度シャロームの声。そして、父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがを遣わします。聖霊を受けなさい。その中から世界宣教が始まりました。
生駒聖書学院も、3月3日、64期の本科生8名。第1期通信科4名を送り出します。
十字架の救いをアーメンと信じ、復活と聖霊の力を帯びての卒業です。
どんな時でも、平安=シャローム=大丈夫です。
いつも喜びの笑顔輝き、受けるよりも与えるほうが幸い。ゴールデンルールの愛を実践し、自らを恥じることなく、キリストを誇りとしての旅立ちです。
4月10日(月)新年度入学式です。入学を歓迎します。
ありがつございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。