牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

病の中でも

2017-02-01 18:35:47 | Weblog
育成会横浜病院長の長堀優医師の経験です。10年位前75歳の患者が、腹部にがんが広がっていましたが、いつもニコニコし、満面の笑顔で回診を待っていました。
ある日のこと、いつものように素敵な笑顔を見せてくれていた彼女が、真剣な顔つきで聞きました。私は手術することもありますか。
正直に、もう手術をしてもがんは取り切れないし、無理するとかえって大変なる。すると彼女は喜び、満面の笑顔になりました。
実は彼女の夫は肝硬変を患っていて、子供も親戚もいなくて、お互いに支えあって生きていかなければならない。もうこれ以上入院し、家を空けているわけにはいかないとのこと。ご主人より奥さんの病状は重いのですが退院しました。
がんにもう少しおとなしくしね。夫の世話をするので、もうすこしはガンで生きていきますから、もうこれ以上大きくならないでね。そうお祈りしているんですよ。と長堀優医師は、この言葉に感動し、彼女は退院し主人を支え、余命一年を3年半余り生きることができたそうです。
がんも細胞で、アメリカの細胞学者ブリース・リンプトン博士は、細胞一個一個に感性があると主張している。がンも細胞ですから、生きる感性があるので、当然人間の思いとも関係してくるのです。75歳の夫人が、主人の世話のため、余命一年を3年半余り生きることができました。彼女の願いががん細胞に届いたのだと思っていますと医者は言います。
同治=どうじ=という言葉ですが、病が消えなくてもいい、病とともに生きて行こうという態度のことです。
シスター鈴木秀子は、病が奇跡的に治る人の特徴=愛と感謝と受容の3つを上げています。受容=同治。
2014年5月に召された家内も、余命一年でしたが、2012年に右脳内出血で交通事故。その1か月後に小脳内梗塞で倒れた私を看病し、4年近く普通に主婦の仕事を果たし、安らかに天国へと召されました。
今朝であった、水利組合の方は、その体験を読んでいてくださり、内容も覚えて良い交わりでした。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。
ヤコブの手紙
5:13-16 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。

罪人のかしら

2017-02-01 18:31:13 | Weblog
使徒の働き9:1-21 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。
さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。
これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。
どんな解釈よりも、聖書本文のほうが迫力がある、使徒パウロの回心です。迫害者サウロが、復活のキリストと出会い、新しい人間に生まれ変わり、後に使徒パウロとなり、福音を全世界に拡大する働きを成し遂げました。新約聖書の13通の手紙は、キリスト教の中心教義の中心です。使徒の働きも9章からパウロの働きが中心に記録されます。
テモテへの第一の手紙1:121-17 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



いのち

2017-02-01 05:40:55 | Weblog
聖書の約束
ヨハネの福音書14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
Jesus said to him, "I am the way, the truth, and the life. No one comes to the Father except through Me.
イエス様は、わたしはいのちなのですと宣言。その十字架の救いをアーメンと信じると、永遠にいきるいのちを与えられ、肉体の命が終わると永遠の天国です。
すでに永遠のいのちを受けているので、ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝してます。
イエス・キリストの救いは、平安と幸せに地上から永遠に続く、真実の救いです。
世界の名もなき格言というメモが机上にありましたので・・・
宗教道徳=こう生きなさい。
哲学=なぜ生きるのか。
科学=生きるとは何か。
文学=こう生きられたら。
芸術=これが生きる形だ。
歴史=これが生きた証だ。
世論=生きてさえいればいい。
医療―生かせて見せよう。
役所=生きていることにする。