私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

シリアの惨劇は続く

2016-07-27 22:13:36 | 日記
 私が信頼するジャーナリストとして、ロバート・フィスクの名をあげました。1946年7月12日生まれの真のベテラン記者です。出来れば、
Wikipedia のRobert Fisk の項を見てください。次のインデペンデント紙掲載の記事は、この記者にしては異常とも言える激しい怒りのこもった筆致のものです。

http://www.independent.co.uk/voices/i-read-the-chilcot-report-as-i-travelled-across-syria-this-week-and-saw-for-myself-what-blairs-a7123311.html

私はこの記事をPaul Craig Robertのウェブサイトの客員寄稿の欄の
Washington’s Attempted Murder Of Syria「米国政府によるシリア国謀殺未遂」と題する記事の中から拾いました。

http://www.paulcraigroberts.org/2016/07/12/washingtons-attempted-murder-of-syria/

そこには
「Virginia state Senator Richard Black describes Obama’s attempt to murder Syria as “extremely reckless, an insane policy.” The straight-speaking Senator said: “We have never done anything more loathsome or despicable than what we’re doing in Syria.”」
とあり、“我々がシリアでやっていること以上に忌まわしくも卑劣なことを、我々は今まで何もしたことがない”というブラック上院議員の言葉は、米国がシリアで行っていることの言語道断の酷さをよく反映しています。

http://www.fort-russ.com/2016/07/us-senator-we-have-never-done-anything.html

 このFort Russの記事には、シリア政府の招待で今年の5月にシリアを訪問したブラック上院議員と、それとは別に、シリアの一般住民とインターネットで密接な関係を結んで同じ頃にシリアを訪れたジャニス・フィアリングというアメリカのキリスト教会関係の一女性が一緒にインタビューされて、一時間半ほど、あれこれとシリアでの見聞を語るビデオが含まれています。私が最も強い印象を受けたのは、アサド大統領夫妻の人柄と夫妻に対するシリア一般住民の敬愛の情の深さについての二人の語り口でした。Fort Russ News というサイトの性格から、このインタビューはロシアの情宣活動の一部と見るべきでしょうが、我々はこのビデオからプロパガンダ以上の真実を汲み取れると思います。
 7月14日に米国のメディアNBCが発表したアサド大統領のインタビュー(44分)も我々がシリア戦争とアサド大統領について判断するのに極めて有用なもので、多くのことが論じられていますが、

http://axisoflogic.com/artman/publish/Article_74660.shtml

その中から一つだけ選べば、米国とイスラム國(ISIS)との関係についてのアサド大統領の発言です。彼の見解と私の推測とは驚くほど完全に一致します。自慢をしているのではありません。卓上のパソコンだけを覗き穴にしてシリア情勢を理解しようと試みている市井の一老人にとってこれは大きな慰めであると同時に、マスコミの表面で活躍する専門家諸賢が、本心を語らずに、如何に売文用の嘘をついているかが、改めて確認されます。IS爆撃のためと称して米軍機が何千回、何万回と出撃しても、本質的にはISを痛めつけてはいないのです。IS は大切な手先であり、その意味で味方なのですから。
 イスラム国の“首都”はシリア北部の都市ラッカです。ロシア空軍の介入を野放しにしておけば、シリア国軍がラッカを奪還するのは必至ですが、これは米国にとって何としても避けたいところです。そこで、他国の住民の命など本当は何も気にならない残忍な米国の支配勢力は、シリア北部のロジャバのクルド人戦士たちを強引に駆り立ててIS“討伐”の最前線に押し出して死闘に従事させています。今までに何度もお話ししましたように、ロジャバ革命の達成を願って戦ってきたクルド人たちは、シリアという国の枠内で、シリア政府、米国政府、ロシア政府のいずれからも距離をとって、平和な自治制度を獲得することを目指してきたのですが、ここに来て、米国によって、シリアのアサド政権の打倒を掲げる反政府勢力に組み込まれ、しかも、ISとの死闘の最前線に押し出されてしまいました。言うなれば、米国は右手でISというパペットを、左手でクルドというパペットを操ってphony な戦闘を演じさせているわけですが、戦いの現場では、勿論、本物の血が流されます。兵士たちの血だけではありません。ラッカの北西に位置する要衝マンビジュ市での両者の戦闘で、IS側を空爆するはずの米軍機が一般市民多数を殺傷したので、その停止をクルド側が要請したというニュースも流れました(7月26日)。これは、これまでの米国空軍機によるIS空爆の本質を暴露している象徴的な事例だと私は考えます。米国機から投下された膨大な量の爆弾はシリア国土のインフラ破壊にもっぱら向けられてきたのです。
 私はロジャバのクルド人たちのことが心配でなりません。私が毎朝見ているクルド関係のサイトがあります。

https://syria360.wordpress.com/category/africa/world/middle-east/kurdistan/kudrish-defense-forces/

ロジャバのクルド人防衛軍関係のニュースを報じるサイトで、今年の2月27日に発効した停戦から4月中旬までは、毎日のようにシリア北西部の状況が詳しく報じられていたのですが、それ以後は途絶えるようになり、5月に入ってから、ロジャバのクルド人防衛軍とイラク北部のクルディスタン地域政府(KRG、大統領バルザーニー)の軍隊(ペシュメルガ)との間の軋轢が報じられ、それからまた空白の日々が続いた後、ロジャバ地区のクルド勢力の独立性を再確認するような内容の記事が出たので、私としてはホッと一息ついたのですが、その数日後、この二つの記事は削除されて、日付的に最近のものとしては4月14日付の記事が掲載されたままで、それより古いものは遡及して読むことができますが、新しいエントリーは現れません。何かよくないことが起こったのはたしかですが、わかりません。米国に強制されて、ロジャバのクルド人たちがアサド政権の打倒を目指す“シリア民主勢力軍”に組み込まれてしまい、その上、ISとの死闘という役割を担ってしまったことが、このニュース・サイトの死の根本の原因であろうとは推測できます。とにもかくにも、米国は酷いことをするものです。そのむごさを体現するような女性が米国の大統領になった後の世界の運命が大いに気になります。

藤永茂 (2016年7月27日)

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5 コメント

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Unknown (けんしん すぎはら)
2016-07-28 18:51:43
大切なお話し、シェアさせていただきました。
「危険な」女性が輝く社会?(4の1) (桜井元)
2016-08-04 00:28:31
小池百合子(以下敬称略)が都知事に選ばれ、マスコミは「初の女性都知事」ともてはやしています。選挙期間中、候補者の見識・人物を有権者に伝える責務を負うマスコミは、彼女の実像をなんら伝えず、「党を敵に回す度胸」「勝負勘の強さ」「百合子グリーン」「登山家・野口健の要請で富士山清掃に参加」などくだらぬ情報を流すのに終始しました。「自民党のいじめに勇敢に立ち向かう孤高のジャンヌダルク、緑の女戦士」という、またも軽薄なイメージ選挙で、首都のトップが決まってしまいました。

小池は自身のサイトに、マスコミ等に発信してきた「寄稿・コメント」(1996年以降の分)をアップしています。そこから見えるのは一般のイメージとはかけ離れた危険な政治家像です。

まず際立つのは軍事力重視の姿勢です。「政治・経済・軍事がそろってこそ国家」という小見出しで、「よく日本では平和主義の日本こそ、対話の仲介の労をとるべきという主張を耳にします。しかし、現実には政治力、経済力、軍事力の三本柱が整っていないと、紛争国は相手にしません」などと主張しています。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/forbes/forbes13.shtml

「一国平和主義はあり得ない」という記事では、「護憲。護憲と唱えておれば平和がやってくる、というような政党は日本を害する以外何ものでもないです。一国平和主義はあり得ない」と述べ、憲法前文・9条の真髄を曲解したうえで護憲派をこきおろします。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2002/column020417.shtml

「『悪の枢軸』問題の解決にむけて」という記事では、ブッシュの「悪の枢軸」論をそのまま受け入れたうえで、解決策なるものを提言していました。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2003/column030126.shtml

「日本にはアメリカ支持しか選択肢がない」という記事では、「日本の対応を対米追従と批判する勢力もありますが、それならば、憲法改正してでもこの国を守る気概と責任感があるかどうか…。自縄自縛した上で、独自外交をというのは、自己矛盾」と述べ、「日米安保か、自衛隊増強か」という二者択一の視野狭窄に陥っています。ここからは、憲法の精神を活かした平和外交など実現されるはずもなく、対立と緊張と軍拡のスパイラルが続くだけです。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2003/column030409.shtml

「平和安全法制(集団的自衛権等を容認)」については、「今回の法案こそが戦争をしないための抑止力…。『反対のための反対』では、この国を守る責任を放棄していると言わざるをえない。真の責任は神学論争を超えて、堂々と憲法改正に取り組むことだ」と述べ、正当な批判(多数の憲法学者が憲法違反・立憲主義破壊と批判、世論調査では過半数の国民が反対)に対し、「反対のための反対」「神学論争」と一蹴しました。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/5711

別の記事では、ISとクルド人に触れつつ、中東情勢が集団的自衛権を考える際のリアルな事例になると主張、「わが国では集団的自衛権を巡り、バーチャルな事例集をひとつ一つ検討している最中だが、リアルな新事案が次々と噴出している…。永遠にケーススタディーを続けるわけにはいかない。決めるべきは決める。その時期が来ている」と述べています。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/4278

このように、彼女は「軍事力」を重視し、軍事力をもたない国家は一人前ではない、軍事力あってこその平和という「普通の国家論」「力による解決・力による抑止」に立っています。

さらに問題なのは核兵器へのスタンスです。西岡力、田久保忠衛との鼎談で出た発言ですが、この鼎談では、3人の口から非常に危険な考えがポンポンと飛び出しています。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2003/column030320.shtml

「日本は同盟国として何ができるのかを考えて準備をすべきですし、イラク攻撃である程度アメリカに恩を売っておくことは、次の対北朝鮮戦争において大きな意味を持つと思います」(西岡)

「ブッシュ大統領が『アメリカの国家安全保障戦略』を出して政策を転換した…。アメリカには伝統的に『最初の一撃を相手に打たせてから開戦する』という政策がありました。1898年の米西戦争では、米国砲艦メーン号がキューバのハバナ港で自爆し、スペインの潜水艦に撃沈されたと嘘をついてスペインを叩いた。第一次世界大戦では客船ルシタニア号がドイツのUボートに沈没させられたことで参戦し、第二次世界大戦の契機は周知のようにパールハーバーです。アメリカは、この建国以来の国是を変えたのです。『テロリストは、いついかなる手段で何を狙うかわからない。最初の一撃を待ってはいられない』というコンセンサスを、堂々と政策に書き込んだ。この姿勢は、今世紀中は変わらないでしょう」(田久保)

「おっしゃるとおり、…『悪の枢軸』に対して抑止力でバランスをとることは不可能だから、相手の能力を先に潰すというのが、アメリカの新しい戦略です。日本は同盟国としてこの戦略認識を共にしなければならない」(西岡)

「近年でこれほど北朝鮮の危険が高まったのは、93、94年以来です。当時、アメリカと北朝鮮の対立が『塩漬け』になった原因は、94年のカーター元大統領の訪朝と、そののちに結ばれた米朝枠組み合意でしたよね。カーターはノーベル賞をもう一度とばかりに今、訪朝計画でうずうずしているのではないでしょうか(笑)。北朝鮮の体制が中途半端に温存される最悪のシナリオです。」(小池)

「核武装した北朝鮮に恫喝される中で日米同盟への疑問が起こったら、あとの選択は非武装中立という空想を信じるか、北朝鮮の核を抑止するため核武装するほかない。その核武装が嫌ならば、日米同盟が機能するように努力しなければならない。核武装は、日本が他の手段で生きられなくなった場合に、好むと好まざるとに関わらず使わなければならないカードだ」(田久保)

「超党派で『新世紀の日本の安全保障を考える若手議員の会』を発足させました。集団的自衛権の解釈変更から、憲法改正までさまざまな議論をしていますが、そこで分かった事の一つは、集団的自衛権の解釈変更は、紙一枚の法律案で可能だということです。実際に、草案をつくる話も出ています」(小池)

「軍事上、外交上の判断において、核武装の選択肢は十分ありうるのですが、それを明言した国会議員は、西村真吾氏だけです。わずかでも核武装のニュアンスが漂うような発言をしただけで、安部晋三官房副長官も言論封殺に遭ってしまった。このあたりで、現実的議論ができるような国会にしないといけません。今の国会は時間とのせめぎ合いがほとんどで、労働組合の春闘と同じです(笑)。それももうないのに。」(小池)

「西村真吾氏が『日本は核をもて』といって批判されるのは、地球は平たいと思っている社会で『地球は丸い』と主張したからです。しかし、そのうちに誰が正しかったかが明らかになる」(田久保)

鼎談はこのような発言の連続で、「朝鮮半島での戦争」や「核兵器の有効性」を当前のようにとらえる発言が続きます。日米の力で相手をねじふせ、ひとたび戦闘となっても万全の軍事力で対処、北朝鮮の体制転換まで図るという、恐ろしい内容でした。

(以下つづきます)
「危険な」女性が輝く社会?(4の2) (桜井元)
2016-08-04 00:36:06
大国が開発した兵器が世界中に拡散し、「アジア・アフリカ・中南米・中近東」では紛争が絶えませんでした。藤永先生のブログはこれまで、その事実を明確にわかりやすく丁寧に教えて下さいました。そしていま、「テロ」というかたちでこれら地域のみならず欧米の市街地までが襲撃されるようになっています。「軍事力による抑止」「軍事力による平和」という考えは、こうした暴力の連鎖の歴史に目を閉ざすものです。国家間の問題は、対立の根源を真摯に見つめ、緊張緩和に努め、あくまで対話によって解決するのみです。中国・北朝鮮に軍事力で対峙するなど、とんでもない路線です。

ノーム・チョムスキーの下記インタビュー記事では、「北アイルランドの反英テロ」を例にとり傾聴に値する見識が述べられていました。武力をもってしてはテロは根絶できない、対立する相手が抱く「正当な不平・怒り」に向き合い地道な対話を重ねてこそ治安の回復、真の平和につながる、といったことが述べられていました。
ttps://chomsky.info/20050131/

原爆被害をみずから知る国として、核武装オプションを説く小池の見識を疑います。米ソ冷戦の時代、「核による抑止」がはたらいたと説く論者もいますが、一触即発の「恐怖の均衡」であり、間違いがあれば「人類破滅」にもなりかねないものでした。日本が今後、そのような危険な路線に舵を切れば、アジアの緊張はますます高まるばかり、核違法化・核廃絶に向けた世界の努力に水を差し、世界平和に悪影響を及ぼすだけです。

小池百合子の「基本理念」の第1項目には、「立法府主導の政治」とあります。
ttps://www.yuriko.or.jp/kihon
しかし、以下では、それと明らかに矛盾する統治スタイルの提言(おそらくこちらが彼女の主眼)が述べられています。

「NSC法案の早期成立で日本の危機管理徹底を」という記事には、「第一次安倍政権で防衛相に就任するまで、私は首相補佐官としてNSC法案の準備に携わってきた。官邸機能強化会議を開催し、安全保障の専門家を中心に議論を重ね、衆院への法案提出までこぎつけたが、安倍首相の突然の辞任以降は冷凍保存されることとなった。あれから7年。さらに磨きをかけたNSC法案がついにチンと解凍されるわけで、感無量である」とあります。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/3711

「ついに実現するNSCは機能するよう賢く育てたい」という記事には、「総理をはじめとする4人を核としつつ…スタッフは100人規模…小さくとも賢くあればよいでしょう。第二外務省、防衛省は不要…国家にとって必要な正確でスピーディーな情報の入手が必要です。情報収集は外務、防衛、警察、公安などの組織が担当しますが、それらの情報をもとに、判断して結論を導くのがNSCの役目。つまり情報機関が漁師ならば、魚をさばいて盛り付けるのがNSC」とあります。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/3803

「立法府重視」というのならば、国家の行く末に関わる重要案件のイニシアチブをこそ議会がもつようにすべきであり、また、行政権限の行使は、議院内閣制の本来の趣旨にのっとり、各大臣が省庁を監督する仕組みが十全に機能するように図るべきでしょう。官邸の強化、NSCに集まる少数エリートによる決断、各官庁などは単なる道具であるという視点、これらのどこが「立法府重視」になるのでしょうか。

小池百合子は、その国家観や歴史認識にも危険性が目立ちます。
「祝祭日には日の丸を揚げましょう!」という文章では「国旗は日章旗、国歌は『君が代』と定められたものの、掲揚や斉唱について、いまだに裁判沙汰になる状況です。私は、日本ほど自国の国旗が掲揚されていない国はないと感じています。…自民党の広報本部長としての初仕事は新人議員の国会事務所に日章旗を設置させること…。商店街など、町での日章旗掲揚の流れも作りたい」と述べています。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/3325

「国旗に対する『ふつう』の敬意」という文章では、「これほど自国の国旗が飾られない国はないと、以前にも書いた。もう少し、正面から国旗の扱いを大切にすべきだろう。『日の丸』掲揚の促進は日本の右傾化の象徴ではない。これを右傾化というなら、世界中の国々が右傾化していることになる。『ふつう』に国旗に敬意を表し、掲揚するだけの話である」と述べています。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/3400

体制が変わって国旗が変わる事例は数多く、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアから転換した戦後のドイツとイタリアでは国旗が変わっています。小池の主張は、「日章旗」「君が代」がもつ歴史的意味を無視するものです。

憲法学者の成嶋隆先生の以下の説明が、核心を突いています。引用します。
ttp://www.jicl.jp/mirukenpo/kenpou_kyouiku/backnumber/111031.html

「たとえば、中国戦線におけるいわゆる『白兵戦』の場面で、帝国陸軍司令部が『日の丸』の小旗を銃剣の筒先に付けさせ、兵士たちにある種のマインド・コントロールをかけたという事実は、この旗がまさしく〈侵略の尖兵〉としての役割を果たしたことを伝えています。また、『国歌・君が代』については、その歌詞が明らかに天皇制の永続を祈願するという内容であり、国民主権を基本原理とする日本国憲法とは相容れないものであることも、きちんと教えられていません。この問題では、周知のように東京都における強制が最も突出しており、極めて深刻な問題状況を呈しています。いま東京では、多くの良心的な教師たちが、『日の丸・君が代』をめぐる上述のような〈負の側面〉がきちんと教えられないまま掲揚や斉唱が強制されていること、あるいは『日の丸・君が代』の強制により生徒参加の自主的・創造的な卒業式が不可能となったことに異議を唱え、数多くの裁判が提起されています。中高生がこうした教師たちの行動の意味を的確に理解しうるならば、かれらは『日の丸・君が代』というシンボルの意味、そしてこれらのシンボルの背後にある統治権力としての〈国家〉の本質を理解することができるはずです。そして、『日の丸・君が代』問題に象徴される〈国家〉の暴走に対し、憲法によって歯止めをかけることの必要性をも理解しうるでしょう。」

小池はまた、「英霊とともに沈んだ『不沈戦艦』」という記事で、「戦後70年の今年、政府がどのような談話を出すかが注目されている。…『安倍政権は歴史修正主義者(レビジョニスト)』とのレッテル貼りをどう払拭するかは大作業になろう。憲法改正について、かつては口にするだけでタカ派、右翼、軍国主義と決めつけられていた時期を考えれば、今や、改正の時期や方法もふつうに語られるようになった。私自身、湾岸戦争の際の牛歩国会をキャスターとして伝えながら、『憲法改正をすべき』と政界に飛び込んだ一人だ。憲法改正論者というだけでタカ派と決めつけられた私だが、気が付けばもはやセンターに位置していると客観的に思う。石破茂地方創生担当相は『私は左翼ですかね』とのたまう。落ち着いた環境で憲法議論を進めたいものだ」と、政界も世論も含めて日本全体が右へシフトしてしまった現状をちゃかしています。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/5127

安倍首相の戦後70談話については、「安倍談話は世界の共感を呼ぶと思う」という記事で、「キーワードをおさえながらも、国際協調主義に基づく積極的平和主義を礎とした未来志向の強調は世界の共感を呼ぶものと評価したい。過去70年、日本の真摯な和解の申し出に、欧米諸国や多くのアジア諸国が応じ、その和解の上に日本は平和国家を築き上げてきた。いまだ真の和解を受け入れず、共感よりも反感しか表明できない国は、それぞれの国内事情を優先してのこととしか思えないのだが」と述べ、最大の被害国であった中国・韓国(北朝鮮など、彼女の頭の中では被害国ですらないのでしょう)の癒されぬ気持ちを愚弄しています。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/5618

小池百合子の国家観や歴史認識はこのように危ういものですが、彼女の「基本理念」の第4項目「教育改革」の箇所に「文化・伝統を重んじる教育制度」とあるのが気になります。記紀神話、天皇制、神道的宗教観、明治国家的価値観、教育勅語の再評価などにつながらなければよいのですが…。
ttp://www.yuriko.or.jp/kihon

(以下つづきます)
「危険な」女性が輝く社会?(4の3) (桜井元)
2016-08-04 00:41:06
小池はまた、「『権威破壊』が生んだ凶悪事件 神戸連続児童殺傷事件」という記事で、「権威」重視の姿勢を示します。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/colum97/corum9708.shtml

「もちろん、これまでも凶悪な事件はしばしば発生してきた。米国あたりに比べれば、まだマシという声もある。ただ、私が感じるのは、最近、世の中の権威と呼ぶべきものの破綻が進んだことによって、現在のような状況を作っているのではないか、ということだ。『価格破壊』ならぬ『権威破壊』である。政治不信は政治が自らの権威を破壊した結果である。また、本来、権威を持つべき父親たちの権威破壊が著しく、子供たちが恐れる存在がなくなってきた。一般的に、昨今の父と子は友達関係と言ってもよい。学校の教師も同じく権威にはほど遠く、これまだ友達関係の延長線上にあることが多い。また行政はもともと「お上」と呼ばれてきたが、…権威喪失状態。エリートの代名詞だった銀行員も…形なしだ。残るは警察と司法だが、警察の権威も風前のともしびとなると、後は司法・検察に頼るしかない。このような権威破綻状態は半世紀前の敗戦当時の日本に似ているような気がする。戦後の権威がぐるりと一周して元に戻ったような感じだ。私は権威主義者ではない。しかし、ある種の社会的秩序は必要だと思っている。父親にしても、教師にしても、そして政治の分野でも新しい時代の、信頼できる権威作りが求められている。」

因果関係の分析が粗雑であるほか、「秩序イコール権威」と決めつけているところも単純すぎます。とりわけ権威というものに弱く、「権威的秩序」に陥りがちな日本人・日本社会では、「民主的秩序」をこそ本腰を入れて構築していくべきです。小池が例示する様々な事件・汚職などは、権威の欠如によるものではなく、逆に、他者の声に耳を傾けないワンマンの権威者、一握りの権威者たちの傲慢が引き起こしている面の方が強いのではないでしょうか。

「憲法改正、景気回復、まったなし」という文章では、「あらためて安倍政権でさかんに謳われた『戦後レジームからの脱却』を進めなければならない」と主張する有り様です。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/837

「『真正面から憲法改正』も一案」という記事では、「憲法改正を目標に政界入りし、第1次安倍晋三政権で国家安全保障担当補佐官、防衛大臣としてお役目を頂いた私としても、『ようやく』との思いが強い。…憲法学者による法案の『憲法違反』発言がメディアを中心に盛り上がる周辺事態も発生。以前と違い、18歳からの参政権付与も決まり、国民投票法の手順も整った。いっそのこと正々堂々、真正面から憲法改正へ取り組むべきと左右の両陣営が唱え出した。それも一案だろう」と、ここでも憲法学者の批判を「周辺事態」とちゃかし、改憲に前のめりです。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/5526

「抑止力としての憲法改正を正面から論じよ」という記事では、「昨今の国際情勢や新たな状況、サイバーなどの新たな脅威を考えれば、憲法の枠内で収めるには限界があることは明らかだ。これまでの『~してよい』といったポジティブリストから『~してはいけない』とのネガティブリスト方式に転換する必要がある」として、権力に対する憲法の縛りをもっと緩めろと主張しています。「憲法の枠内に収まらない権力行使」まで容認するとは、もはや「立憲主義」を理解していないと言ってもいいでしょう。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/5605

「選挙制度是正には憲法改正で挑め」という記事では、「1票の格差問題も再浮上した。…最高裁は違憲状態、イエローカードとした。…憲法改正は避けられない。メディアの多くは、選挙制度の改正には『数合わせではダメだ』とクギをさしながらも、根本の憲法改正には言及しない。安倍晋三首相は『自らの任期中に憲法改正を成し遂げたい』というなら、まず選挙制度の条文改正から取り組まれたい。お試し改憲こそ現実的だ」と述べ、1票の格差是正と憲法改正とを無理やり結び付け、「お試し改憲」などという国民を愚弄する手法を提言しています。
ttps://www.yuriko.or.jp/blog/archives/6221

軍事力重視、核武装オプション、少数の権力者で動かす政治(NSC)、日章旗・君が代、英霊、伝統重視の教育改革、権威の重視、戦後レジームからの脱却、立憲主義の無視、改憲(9条以外での「お試し改憲」を含む)…。小池百合子は今回の都知事選で、「政界の渡り鳥」と揶揄されることについて、「政党は変えても、信念を変えたことはない」と切り返していましたが、ある意味で本当かもしれません。上記のような危険な主張を昔からあちこちで発信してきた人物ですから。

ところで、人々の関心が高い「社会保障・福祉」に対して小池百合子という政治家はいかなる見識をもっているのか。下記に、彼女の思想がよく出ていると思います。

「自助、共助、公助…順序と比率が重要」というタイトルの記事で、「無責任な財政運営では…稼ぐ人より、貢がれる人が増える悪循環に陥ります。自民党の進める政策は、『自ら努力する人を、国が応援する』ことが基本です。子育ても、一義的には家庭でなされるべきものと考えます。自助の精神です。一方で、民主党は『子どもを社会全体で育てる』ことを第一義とし、家庭における子育てを後回しに公助の考えでしょう。他にも、民主党の政策は高校の無償化を含め、公助を基本とする政策が多数あります。一言でいうなら社会主義政権です」と述べ、「自助(家庭)」を強調したうえで、次に「共助(隣近所・ボランティア)」でまかなうように説き、「公助」の出番は最後の最後、それも必要とする人を絞り込んでという考えです。

彼女の思想によると、北欧諸国などは許しがたい「共産主義国家」になってしまい、西欧諸国の多くも「社会主義国」として批判されることになるのでしょうか。彼女の言うとおりの国づくりをすれば、そのような国家はもはや「福祉国家」とは言えなくなるでしょう。今でこそ「SOS」を出しにくい状況にあり、「SOS」を出したとしても役所の窓口で門前払いされる状況ですが、それがますますひどくなり、公助を受ける人々はますます「例外者」として白眼視されかねません。この路線は、財界(経団連)の社会保障提言と同類のものです。

私は、公助は最後の最後に出てくるものではなく、福祉国家のベースとして広く全体を覆っているべきもの、その上に、個々の「自助」と、地域やボランティアの「共助」が層をなして重なり合うべきものと考えます。そうあってこそ、人間らしい、安心に満ちた暮らしが営めるのではないでしょうか。
ttps://www.yuriko.or.jp/bn/column-bn/column2010/col10comnet03_no46.shtml

(以下つづきます)
「危険な」女性が輝く社会?(4の4) (桜井元)
2016-08-04 00:45:00
ウィキリークスのジュリアン・アサンジのインタビューが下記サイトに出ていました。米国・民主党内部のメール流出についてでしたが、大統領選での民主党の選挙不正(サンダース候補への選挙妨害やマスコミへの圧力)がいかにひどいものだったかと合わせて、民主党大統領候補に決まったヒラリー・クリントンの流出メールで明らかになったことにも触れていました。
ttp://www.democracynow.org/2016/7/26/watch_full_julian_assange_interview_on

アサンジはインタビューの中で次のように述べています。
「ヒラリー・クリントンの流出メールは、我々によって過去公開された公電の数々と合わせて、彼女が国務長官としてどう振る舞ったのか、さらにはアメリカ国務省がどう動いたのかについて、見事な全体像を描き出している。壊滅的な結果を招いたリビアへの軍事介入、カダフィ体制の転覆、それによって引き起こされたイスラム国の跳梁跋扈、リビアからシリアへの武器の流出、すべてヒラリーによって推進されたのだが、これらの武器はシリア国内のイスラム武装組織(イスラム国を含む)へと流された。すべては暴露されたメールにあるとおりだ。リビア関連だけでもヒラリーのメールは1700通あり、我々はこれらすべてを暴露してきた」

マスコミから受ける印象では、「過激なトランプ」よりも「良識のヒラリー」と見る日本人が多いのかもしれませんが、ヒラリーの実像というものは恐ろしいものです。彼女の関与によってこれまでに流された血、奪われた命、破壊されたものはすさまじい規模に上るでしょう。このことは再三、藤永先生が書かれてきました。

今回の安倍政権の内閣改造では、小池百合子に勝るとも劣らない危険な人物・稲田朋美が防衛大臣に入閣し、同じく右翼・タカ派の高市早苗、丸川珠代が入閣しました。

「女性初の大統領」「女性初の都知事」「女性の入閣」という切り口は、重大な問題の本質から人々の目をそらせるものです。藤永先生の「Add Women and Stir」シリーズを想起します。
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これまでの男の政治家たちが中心になって煽る改憲論ではなく、こうした危険な女たちがメディアや国民の前面に出て行って、「私たちの子どもらの命をテロや危険な勢力から守るためには、改憲が必要です。安心して暮らせる首都をそして日本を守り抜くためにも、憲法改正が必要なんです」などと訴えられたとき、はたして世論はどうなってしまうだろうか。イメージ選挙で小池百合子を当選させてしまった都知事選を見ますと、たいへん不安になります。

NHK「とと姉ちゃん」を観ています。少女編の時、西島秀俊さん演じる主人公の父親(とと)は、自分の娘を「女だから」という目で縛らず、その長所を見出し、のびのびと育てていました。

時代くだって戦時中のシーンでは、国防婦人会らしき女性が、髪型・服装や調度品などが華美だ、女性は道の真ん中を歩くものではないなどと言って、主人公らを注意するという場面がありました。人々の自由を奪い、戦意高揚・総動員の国策を末端で担い、「お国」の権威を笠にいばりちらす軍国婦人の姿でした。

私は、女の「軍国婦人」よりも男の「とと」の方をだんぜん評価します。
女性の権利や地位という観点からしても、前者よりも後者の方がだんぜん心強い味方になってくれるでしょう。問題は、女か男かではないのです。政治家も同じことです。

※相当の長文になってしまいまして申し訳ございませんでした。
どうかご容赦ください。

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