ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

野田正彰『虜囚の記憶』

2009年09月26日 | 本と雑誌
Ryoshu
 
虜囚の記憶
野田正彰 著
みすず書房 発行
 
 この本は、1998年に岩波から発行された『戦争と罪責』と対をなす。
 前作が、日中戦争時における、加害者としての元日本兵からの聞き取りをもとに構成されているのに対し、『虜囚の記憶』は被害者側のそれに基づく。
 聞き取りの相手は、日本軍によって強制連行された中国と台湾の人々である。
 全12章のうち、1~8章までは、拉致されて日本の炭坑などで、奴隷的強制労働に従事させられた人々のうちの、数少ない生存者である。
 日本は、長引く戦争で働き盛りの男が極端に少なくなり、不足した労働力の補充を、侵略した中国や植民地化していた朝鮮に求めたのだ。
 拉致当時の年齢は、8歳から21歳と幅広い。
 すべての証言に共通するのは、拉致された直後、日本に送られる列車や船の中の環境がすでに劣悪で、現地に到着するまでに多数の人が亡くなったという。
 現場では粗末な食事と衛生状態の悪い中で、1日12時間にも及ぶ重労働を課せられ、死ぬまで働かされたという。
 「もう働かなくてもよい」といわれ、証言者の彼らを救ったのは日本の敗戦だった。
 しかし中には、敗戦を知らされないまま、1ヵ月以上も働かされた者もいた。
 ところが、体力が消耗しきった状態にもかかわらず、帰国の船中では、亡くなった人が非常に少ない。
 著者の野田氏は、日本に搬送中の死者はは自然死ではなく、殺されたのではないかという。
 この本を読むまで、ぼくは「花岡事件」なるものについて、詳しくは知らず、ただ虐待を受けた中国人労働者の蜂起事件とだけとらえていた。
 この事件にはその後の裁判にいたるまで、鹿島建設、すなわち日本側の悪意に満ちた策略があったのだ。
 第4章にある、「花岡事件」原告団代表コウジュンさんの話は、信頼していた弁護団にまで裏切られたことへの怒りに満ちていた。
 「花岡訴訟は“和解”で完全に失敗した。それを思う度に、胸を鋭利な刃物で突き刺されたような痛みを覚える」と、弁護団の独断ですすめられた屈辱的な“和解”を現在でも受け入れていない。
 
 9章から12章は、侵入して来た日本兵の性暴力の被害者と、慰安婦として拉致された女性からの聞き取りである。
 日本軍は兵站(食糧や日用品の補充基地)がまったく整備されておらず、現地調達(徴発)を基本にしていた。
 これはもちろん国際法違反であったが、兵士にはそのことを教えていなかったために、やりたい放題で、食品だけでなく、女性も“徴発”していたのだ。
 日本軍が“徴発”のために村を襲えば、かならず惨殺と女性に対する暴行がともなった。
 度重なる暴行のために、戦後60年以上を経た今日でも、精神的に不安定な状態が続き、骨盤が変形したままだというお年寄りもいた。
 
 当時被害にあった人々の証言は、年齢によってやや異なる。日本軍が子どもと大人では扱いを変えていたということのようである。
 また、当時子どもであった人は、判断力が十分でなかったろうし、大人であった人はすでに高齢のために記憶が薄れてきている。
 証言の断片をつなぎ合わせてまとめる作業は並大抵ではなかったろう。
 
      ◇
 
 この本の帯の背に「若い世代へ」とある。だが、若い世代の何人が読みこなせるだろうか。たしかに、みすずの本にしては読みやすい文章だが、それでも難読漢字が少なくない。
 最近の若者の理解力の低下を甘く見てはいけない。
 
 もう一つ、このところのみすずの本は誤植が目につく。みすず書房は他社の本にくらべて価格が高いのだから、もう少し丁寧に作って欲しいところだ。
 
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映画『八甲田山』

2009年09月24日 | 映画
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 ソフトバンクのコマーシャルの、バックに流れていた曲で思い出し、ぜひもう一度見たいと思っていた『八甲田山』が、日本映画専門チャンネルで放映された。
 青森第5聯隊の神田大尉(北大路欣也)が、30年の時を経て白戸家のお父さん(犬のカイ)になって復活したというわけだ。
 
 先日、日清・日露戦争に詳しい大江志乃夫さんが亡くなって、この映画の時代背景も日露戦争直前の話だ。シンクロニシティを感じなくもない。
 
 公開は1977年で、その年の興行成績ナンバーワンの作品である。この頃は3年前に「砂の器」が大ヒットするなど、松竹と東宝で大作を競い合っていた。
 撮影は実際に冬の八甲田で行われ、映画史上類を見ない過酷なロケで、俳優の中には凍傷になったり、脱走を試みる者もいたと伝えられる。
 ロケ隊が入山しようとした時、村人から「命がけだねえ、無茶なことさせる社長さんだあ」と言われたとか。監督以下社長命令でやらされていると思ったらしい。
 
 原作は新田次郎による実話をもとにした小説『八甲田山死の彷徨』である。
 1902年、満州に進出した日本は、国境をはさんでロシアと一触即発の関係にあった。
 厳冬期の満州は、吐く息が凍るといわれる。
 日本軍は極寒の満州での装備品の研究および行軍調査・予行演習を計画した。
 弘前第8師団の友田少将は、すべてを拒むと言われ、地元の人間も寄り付かない1月の八甲田での、雪中行軍の実施を青森歩兵第5聯隊と弘前歩兵第31聯隊に命令した。
 青森と弘前の両方からスタートし、八甲田ですれ違うという無謀とも言える進軍である。
 双方の連隊長は危険を周知した上で、可能な限りの安全策を講じるべく努力する。
 しかし、5聯隊は随伴した大隊長によって、綿密な計画がことごとく変えられ、命令系統も混乱する。
 
 道はおろか方角すらわからなくなる冬の八甲田で、案内人は不可欠である。
 大隊長の命令で案内人をつけることを拒否された大人数の5聯隊に対し、31聯隊は少人数の編制で、全行程を区分けして案内人をともなった。
 
 そうして、悲劇は起こるべくして起こった。
 
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 「天は我々を見放した!」
 神田大尉(北大路欣也)のこの台詞は、流行語になった。
 
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 31聯隊の唯一の女性案内人として登場する秋吉久美子が初々しい。今から32年前の姿だ。
 原作(読んでいないが)では31聯隊の隊長と案内人との間に葛藤があり、案内人の犠牲者が出たりするようだが、映画での隊長は終止礼を尽くし、役目を終えた女性案内人に対し敬礼をする。
 
 この映画は、舞台は明治時代であって、軍隊の形式も装備も現代とはまったく異なるが、科学よりも精神主義と上官の権威を重視する考え方は、アジア太平洋戦争における日本軍の姿とオーバーラップする。
 実際には案内人に対しても、より高圧的で、女性案内人に敬礼などはしなかったろうし、そもそも当時の時代背景からいって、女性に命を預けるようなことはなかっただろう。
 
 やや当時の日本軍に対する好意を感じるが(まあ、東宝配給なので)、それでも、日本の軍隊に潜む、非人道性や人命を軽視するあり方は十分に表現できているとおもう。
 観客がどうとらえるかだが。
 
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大江志乃夫さん死去

2009年09月23日 | 昭和史
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 歴史家の大江志乃夫さんが、去る20日に亡くなっていたそうである。
 大江志乃夫さんは1985年、日露戦争後に起こった兵士の脱走事件をもとに、明治の軍隊を歴史小説風に書いた作品『凩(こがらし)の時』で大佛次郎賞を受賞している。
 日清・日露戦争を中心にした近代軍事史に詳しい。
 二部作である『東アジア史としての日清戦争』『世界史としての日露戦争』は、当事国だけの問題ではなく世界の趨勢による影響を受け、政治的錯誤の戦争であったとの視点から、日本の侵略戦争の構図を詳細に描いている。
 大江さんの代表作の一つに数えられる労作だが、版元の立風書房が倒産したために絶版となり、一時は古書でも入手しにくかった。
 立風書房は学習研究社に吸収合併されたものの、保守的な学研がこれらの著書を増刷するとは思えず、他社からの復刊が望まれる。
 
Shinobu_ohe
 
 大江さんの著作にはずいぶんお世話になった。○○について調べたいと思いつき、これがよいと買い求めると、それが大江さんの著作だったりする。
 気づけばこんなにあった。(撮影後、書棚に戻しながら、まだ何冊かあるのを見つけた)
 中公文庫の『張作霖爆殺』は、日中戦争の最初の頃を調べていた時に見つけて、このころはまだ、大江さんについてよく知らなかった。大佛次郎賞作家であることを知ったのは、後のことである。
 
 岩波新書の『靖国神社』はタイトルだけ見て買った本である。靖国にはただ反発していたので、その成り立ちも天皇との関係もまったく知らず、昭和史関連の本を作る上で、最小限のことは知っておいた方がいいと思って入手した本で、これも大江さんの著作であると意識していたわけではない。
 岩波書店が発行しているのだから、保守反動の本ではなかろうという、それだけの理由からである。
 
 失礼な話だが、自分が知らなければ著名人ではないと思い込んでいる人はけっこう多い。この頃の自分はそういう人間を笑えなかった。「ああ、この人けっこう近代史の本を出しているんだなあ」くらいにしか思っていなかったのである。
 
 びっくり仰天したのが、先の二部作である。これを読んで、すさまじいばかりの調査力と視点の斬新さに驚いた。それから立て続けに大江作品を読むことになる。15年ほど前のぼくにとって、大江さんと言えば大江健三郎ではなく大江志乃夫だった。
 
 本人は亡くなっても、著作は永遠である。これからも大いに役立てさせていただくつもりだ。
 81歳だそうである。現代の医学では、この年齢を長寿と言うか、もう少しと言うか微妙だが、ぼくの感覚ではもう少し生きていていただきたかった。
 残念ながら、一度もお会いしていなかったのだ。それが心残りである。
 
 ご冥福をお祈りする。
 
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from DOTON-BORI

2009年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム
Kentab
 
 おかえり!カーネル ストラップ
 先日、わが家を訪ねて来たタイガースファンの友人が、お土産だといって持って来てくれた。
 ケンタッキー・フライドチキンの店で売っているらしい。
 身長約6センチのカーネル・サンダース人形の、オリジナルタイプと救出タイプの2体がついている。
 携帯にぶら下げたら邪魔なので、飾っておくしかない。
 
 1985年、21年ぶりに優勝した阪神タイガースのファンが、熱狂の果てに近くのケンタッキー・フライドチキンの店にあったカーネル・サンダース人形を道頓堀川にダイブさせてしまった。
 それから2003年までの18年間、タイガースは優勝から遠ざかり、「カーネル・サンダースの呪い」といわれた。
 
 それが2009年3月、河川整備を行っていたダイバーによって偶然発見されたのだ。
 しかし、今年の成績を見る限り、呪いがとけたとは言えなそうだ。
 
 手足などの一部がまだ発見されていないのだが、塗装の禿げた状態のまま復元され、「おかえり!カーネル」と名づけられて保存されることが決まった。
 
 決して美しくはないのだが、「縁起物」として引っ張りだこの状況である。
 
 そういえば、閉店した食堂の「くいだおれ太郎」も人気だ。大阪人はフィギュアが好きらしい。
 
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魔法のランプが自民から民主の手に

2009年09月21日 | 国際・政治
 今日(9月21日)の朝日新聞朝刊に、「核密約」についての解明ともとれる記事が1面トップで掲載されていた。
 asahi.com
 
 外務省内で核密約を扱う立場にあった元幹部6人が、朝日新聞の取材に対して、経緯を証言した。
 そうである。
 毎日新聞の西山太吉元記者のような辣腕が外務省に食い込んで取材したのかもしれないが、政権という「魔法のランプ」が自民党から民社党の手に渡った今、外務省という魔王も、「はいご主人様」と民社党に従うことになった、ということか。
 外務省の官僚は、秘密だといわれれば家族にも話さず墓まで持っていくと言われるほど口が堅い、はずだ。
 それが元官僚とはいえ、かなりべらべらとしゃべっている。
 
 核持ち込みが密約として成立する以前、1959年安保改正の前年、すでに日米の間に解釈の違いがあったという。

 日本側は当初、(核を積んだ艦船の)寄港・通過を協議対象になると理解。米国側は対象外と解釈していた。
 
 1963年に当時のライシャワー大使から見解の食い違いをただされ、米国に対する当時の日本の立場上、はっきりと拒否できなかった。しかもそれを表沙汰にすれば、国民から糾弾され内閣が持たなくなると判断された。
 
 非核三原則(作らず、持たず、持ち込ませず)は当初からその一つが空洞化していたわけである。
 この非核三原則によって、当時の総理大臣佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞している。
 受賞時から前代未聞のブラックユーモアといわれた受賞は、ブラックユーモアどころではない。
 密約があることを知った上での受賞であろうから詐欺に等しい。
 
 民主党による密約解明のための調査は今月25日から始まるようだ。それを先駆けての朝日新聞のスクープは、今後の調査に凶と出るのか吉と出るのか。
 現在の民主党議員にとって都合の悪い何かが出て来た時にはどうするのか。
 密約はこの他に沖縄返還にまつわる基地問題と、返還基地の現状復帰費用に関わる問題もある。
 当時の密約にかかわった議員は民主党にはいないだろうが、元は自民党の議員は多数いる。隠蔽工作にかかわった議員ならいる可能性がある。
 そこで、さらなる隠蔽工作が行われることのないように願いたい。
 
 そういった意味でも、今日の朝日新聞のスクープは価値があると認められる。
 ただし、朝日新聞が入手した極秘文書に密約は明記されておらず、密約成立までの過程がうかがわれるだけである。証言だけであるところがいささか心もとない。
 それとも、朝日新聞には西山事件のときの毎日新聞のように、公開できない文書がまだ存在するのだろうか。
 いずれにしろ、今後の進展に期待できる。
 
 
 
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ボキャブラリーが心配になって来た話

2009年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
Ruigo_jiten
 
 年齢とともにボキャブラリーが怪しくなってくるのは、どうやら致し方のないことらしい。
 ところが、年を重ねるごとに、原稿依頼の仕事が増える。
 先に書き上げなければならない原稿が山積していて、自分が書きたい本の原稿が書きかけのまま1年以上ほったらかしになっている。
 それなのに、今日も原稿の依頼があった。
 出来ればやりたいのだが、受けてしまって迷惑をかけることになっては申し訳ないので一旦は断りかけた。
 しかし、スケジュールは合わせるからと言われ、保留にしてある。
 ありがたい悩みではある。
 
 ぼくの書く原稿は、読者対象を中高生にしているものが多いので、難解な言葉は出来るだけ使わないようにしているのだが、それがけっこう難しい。
 例えば、「金輪際(こんりんざい)」とか「唐変木(とうへんぼく)」などと言う言葉は、若者には理解できないから優しい言葉に置き換えてくれと出版社からいわれたりする。
 「金輪際」をただ「決して」とか「絶対に」とか言ってしまえば情緒もへったくれもない。「唐変木」を「わからずや」とか「まぬけ」に置き換えるのもそうだ。
 「金輪際」は金輪際以外のなにものでもないのだ。
 もし若者がこれらの言葉を理解できないとするならば、年を取ってボキャブラリーが怪しくなって来た我々以上にボキャ貧ということになる。
 それでは困るのだ。
 若者には知らない言葉を覚えてもらう必要もあるのだから、多少難解と思われる言葉も残しておきたいものだ。
 
 最近とみに、原稿を書いていて「もっといい言葉があったはずだなあ」と思いながら、それが浮かばないことがある。数年前まではスイスイ出て来た言葉がふと消え去っているのだから始末が悪い。
 そんな時ほど自分を情けなく感じることはない。
 しかたなく、類語辞典をひもとくことになる。
 以前はこのような辞典の世話になることは恥だと思っていた。だから、持っていても実際にはあまり使わなかった。
 
 そんな折り、何かの本で『美味礼賛』を書いたブリア・サヴァランが、豊かなボキャブラリーを維持するために、類語辞典を大いに活用しているというのを読んだ。
 真実かどうかはわからないが、非常に元気づけられた。
 類語辞典を使うということは決して恥ではないのだと知ったのだ。
 
 そこで、せっかくあるものを活用しない手はない。
 最近は座右に置いてせっせと役立てている。
 写真左の、角川書店発行の『類語国語辞典』は以前から所有していたもので、手頃なので非常に役立てている。
 右の、講談社発行の『類語大辞典』、数年前に新聞広告で見て買い求めたものだ。
 ところがいざ使ってみると、小型の角川版の方が数倍使いやすい。
 今はすっかり電子辞書に取って代わられた、あの大冊の『広辞苑』に慣れていたので、大きさの問題ではない。
 あきらかに目的の言葉の見つけやすさが違うのである。
 大字典の方が当然語彙が豊富で説明も適確なので、なんとか活用したいのだが、なぜだかどうもなじめない。
 角川版の縦組に対して、大字典が横組のせいもあるのかもしれないが、それだけではない気もする。
 まあ、慣れの問題かもしれないが。
 
 
 それはさておき、類語辞典をながめていると実に様々な発見がある。今更ながら何と知らない言葉の多いことか。
 似たような言葉なのに、微妙にニュアンスが異なる。
 同じような意味の言葉が整然と並べられているところに、日本語の味わいの深さを感じずにはいられない。
 原稿を書きながら無関係なページにはまってしまって、余分な時間を取られるのが悩みの種ではある。
 
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山口彊『生かされている命』

2009年09月19日 | 本と雑誌
Niju_hibaku
 
 生かされている命 ?広島・長崎「二重被爆者」、90歳からの証言
 山口彊 著
 講談社 刊
 
 ドキュメンタリー映画『二重被爆』で、レポートの中心的な人物として扱われていた山口彊さんの著書である。
 戦中三菱造船の設計技師を務めていた山口さんは、職業上軍の招集を受けなかった代わりに、実家のある長崎のほか、広島の工場でも勤務することになる。
 
 後輩の技師二人を連れて、5月から3ヵ月の約束で広島で勤務し、明日は長崎に帰るという8月の6日の朝、通勤途中で被爆した。
 翌々日、半身大火傷した身体で、身体の不調を訴えながら、命からがら長崎に帰った。
 しかし連日の空襲で、病院には医者はいないし薬品もない。
 とりあえず、知り合いの眼科医に応急手当をしてもらって、火傷の影響による高熱に耐えながら、それでも気丈に広島の惨状を家族や近所の人々に報告した。
 
 「黒い着物は燃えやすいので、熱戦を反射する白い着物を着るようにしないといけない」
 「ガラスの破片がどうにも治療の施しようのない外傷となるから、窓は開けておくこと」
 
 このとき、山口さんは、なんとなくもう一度被災するような気がしていたという。
 
 翌日9日、山口さんは高熱と身体の不調を押して、広島での出来事を報告せねばと出勤する。
 だが、たった1発の爆弾で広島が壊滅したという話を、誰も信じようとしなかった。
 
 「君は頭を相当やられているからそういうことを言うんじゃないかね」
 「とにかくその爆弾にあった者でないと、納得する説明はできんです」
 ムッとしてそう言いきらぬうちに、目の端にピカッと発した閃光を窓外に認めた。
 「あっ!」
 気づくと、私は机の下に潜り込んで、身を屈めていた。

 
 山口さんの原爆についての描写は、広島でのすさまじさにくらべて、長崎の表現が冷静だ。
 本人も書いているが、衝撃が「広島ほどではなかった」実感があるという。
 実際、起伏の多い長崎の地形が、広島よりも被害を少なくしたことは事実だが、それとともに、山口さんのなかに「慣れ」、と言って悪ければ、「学び」のようなものが形成されていたのだと思う。
 同じように「二重被爆」の体験を持つ山口さんの同僚も、閃光を見た瞬間に水の中に飛び込んだという。
 
 この本は、戦中戦後にわたる昭和の姿が、山口さんの目を通して克明に書かれており、一種の庶民史としての価値も感じられる。
 
 犬養(毅)は「話せばわかる」と言い、軍人は「問答無用」と射殺した。非常に象徴的なエピソードだ。
 
 戦前の話の中でこう語る山口さんは、洗脳された周囲の人々の姿に懐疑的で、戦中から反戦意識が強かった。
 敵性語として禁じられていた英語も、目を盗んで勉強したという。
 しかしそれが戦後、山口さんの暮しを助けることになる。
 占領軍に通訳として雇われた山口さんと家族は、戦後の食糧危機もなんとか生き続けることができた。
 
 戦中戦後を通じ、密度の濃い体験のなかから、山口さんは自分なりの反戦理論を構築していく。
 特に核廃絶運動への意識の持ち方について、山口さんは一つの解答を示している。
 「広島・長崎」とひとくくりにしてはいけない、「広島」と「長崎」では落とされた原爆の意味が違う。
 なぜ2発目が落とされたのか、本当に必要だったのか。
 「アメリカ」とひとくくりにしてはいけない、海兵隊員の中にも戦争に反対する人間はいる。
 
 ドキュメンタリー映画『二重被爆』とこの本、『生かされている命』はセットだ。映画で提示された問題点のヒントが、本の中にふんだんに隠されている。
 様々な意見や考えもあるだろうが、実際に体験した人でなければ語りきれない説得力が、山口さんの言葉の中に感じられた。
 
 
 
 それにしても、文章が上手すぎる。短歌を作るのが趣味と言うことで、歌集『人間筏』を出版しているほどではあるが、もしゴーストを使わずに書いたのなら、この筆力は脱帽ものだ。
 二度の被爆を体験しながら90歳を超え核廃絶を訴え続ける山口さんのバイタリティーは「すごい」の一言だ。
 本のタイトル通り、まさにそのために「生かされた命」なのだろう。
 
 なお、講談社版『生かされている命』はすでに絶版になっているが、朝日文庫から『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』と改題されて復刊されている。
 元本に掲載されていた写真のいくつかが割愛されているのと、文庫版にはドキュメンタリー映画のプロデューサーである稲塚秀孝氏の解説(5ページ)が掲載されている以外はほとんど同じである。

 リンク→「二重被爆」

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鳩山内閣発足

2009年09月17日 | 国際・政治
 鳩山内閣が発足した。
 いきなり衆議院で巨大与党になったものの、それがそのまま国民の期待であるとは限らない。
 真の与党として長期政権を維持するには、自民党政権との差別化をはかり、実績を積み重ねて国民の信頼を確固たるものにすることが必要だ。
 
 ご存知のように民主党の大半は元自民党である。とくにご意見番とも黒幕とも言われる小沢一郎は、本来筋金入りの保守派だ。副代表の前原誠司にいたっては、これはもう右翼である。
 案の定、連立は組んだもの、社民党や国民新党には勝手なことはやらせないぞとばかり、権限に制限を加える様子が見られる。
 さらに、菅直人、岡田克也ら党内のリベラル勢力に対しても同様だ。
 近々実現するオバマ‐鳩山会談で、発足当初からぎくしゃくしたくない、ということから、安全保障や沖縄の基地移転問題に触れたくないかららしい。
 しかし、何事も最初が肝心。民主党もせっかく政権交代して自民党と同様御し易しとアメリカに思われてどうするか。
 これでは、当初からのマニフェストであり、共産党も協力すると言っている後期高齢者医療制度の撤廃や、核持ち込み密約の解明なども、ちゃんと取り組むのかどうか心配になってくる。

 民主党が今後はっきりと自民党との違いを打ち出すには、民主党内部に存在する“自民党”のウミを絞り出すか無力化することが、いずれは必要だろう。
 つまり、民主党内部には、民主党でありながら古い自民党政治に引き戻そうとする、いやそれ以上に保守的な亡霊がいて、しかもそれがけっこうな力を持っている、ということだ。
 鳩山政府は今後、国会で自民党と闘うと同時に、党内でも“自民党”の亡霊と闘わなければならない。
 
 八ツ場ダム問題も、外環道問題も、選挙が終わったらとたんに腰が引けているように見えるのは、錯覚だろうか。
 やめるともっとカネがかかるなどと保守的なマスコミが騒いでいるけれど、損得勘定にとらわれると、何も進まない。
 環境を守ることと損得勘定は別なのだから。
 ブッシュが「経済より環境が大事だと言う。狂ってる」とゴアを評した発言を笑えなくなるような事態にならないことを祈る。
 
 しかし、民主党がマニフェストどおりのことをきちんと実現できれば、日本は本当に大きく変わるだろう。
 それにしても呉越同舟の鳩山内閣、まずはお手並み拝見といきたい。
 
         ◇
 
 鳩山兄弟の父、威一郎はなんだかよくわからない政治家だったが、祖父の一郎は、自由党と旧民主党を合併させて、社会党との保革対立を明確にした55年体制のもと、自由民主党初代総裁として、第52・53・54代内閣総理大臣を務めた。ソ連との国交回復を実現したことや、名字のイメージからリベラルと思われがちだが、憲法を改正しての再軍備を唱えるなど、思いのほか、鳩ならぬタカ派である。
 そのタカ派的遺伝子は、弟の邦夫が受け継いでいるように見える。
 権力を手にして、ムクムクとタカが頭をもたげないように、連立の社民党の議員たちにはしっかりと監視してもらいたいものだ。
 
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杉総ウォーター・ボーイズ

2009年09月13日 | 受験・学校
Sugiso_01
 
 長女の通っている杉並総合高校の文化祭「杉総祭」に行って来た。
 カミさんがPTAの手伝いにいっていて、昼過ぎに終わるというので、それにあわせた。
 長女は来させたくないらしく、「つまらない」「時間の無駄だ」と言っていたが、親としてはそういうものではない。
 面白いかどうかでなく、どんなことをやっているのか見たいのだ。
 
Sugiso_02
 
 仕事の都合でそう長くはいられないので、とりあえず、メインステージともいうべき体育館に行ってみた。
 ここでは、演劇やダンス、大規模のライブ演奏が行われる。
 ちょうど、SSWE(杉総ウィンド・アンサンブル)の演奏が始まったところだった。
 なかなかうまい。
 聞けば、コンクールでも常に上位にいるとのこと。
 『ハリー・ポッター』『崖の上のポニョ』『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの映画音楽を演奏した。
 演出も全体の構成もいい。(高校生にしては、だが)
 
Sugiso_03
 
 視聴覚室では一日「軽音楽部」の演奏をやっているという。
 長女はとりあえず「軽音楽部」なのだが、どうもメンバーシップがうまくいってないようで、不満なようだ。
 午前中に1曲やっただけだという。
 長女のグループの演奏は聴けなかったが、部員が50人もいるというだけあって、ちょうど演奏中のグループは実にうまい。(これも、高校生にしてはだ)
 ドラム担当の女子がなかなか上手だ。ちゃんとした先生につけばプロになれるかもしれない。
 もう少し筋肉を強くした方がいいけれど、女子はいやがるだろう。
 「パンチの効いたブルース」のグレースみたいなわけにはいかないな。
 しかし、長女に言わせると、もっと、とんでもなくうまいグループがあるという。
 
Sugiso_04
 
 表題の「杉総ウォーター・ボーイズ」はこの学校の名物。
 練習中から見ていると、映画の「ウォーター・ボーイズ」そのもののドラマがあるそうだ。
 教室の窓まではみ出した満員の観衆を前に、つい涙ぐむプレーヤーも。
 観客の中にもらい泣きしている女子もいた。
 
Sugiso_05
 
 セオリーどおり、プールサイドのパフーマンスから。
 美しさより“ひょうきん”さ。
 
Sugiso_06
 
 見事に揃った、良いチームワークだ。
 
Sugiso_07
 
 男子らしく、力強くダイナミックに。
 
Sugiso_08
 
 締めは組体操並みのピラミッド。
 水中なので滑りやすく、地上のピラミッドとは比較にならないくらい、難易度が高い。
 
 満員の観客から万雷の拍手で、感動、また感動。
 アンコールの途中で突然音楽が途切れるハプニングがあったが、観客の手拍子とコーラスで演技を続けた。
 そこでまた拍手。
 
 毎年一番人気の「ウォーター・ボーイズ」だが、出演者がなかなか集まらないらしい。
 今年は3年生と1年生で、2年生がいない。
 来年もぜひやって欲しいけど、大丈夫だろうか。
 たしかに、人気者にはなれるだろうけど、モテるかといわれると、それは……。
 
 水泳部が主催で、部員には女子もいるのだが、なぜか女子のシンクロはない。
 
 クラスごとの催しは(たしかに、時間の無駄の)まるで子どもの遊びだったけれど、この学校の特色である専門技能にかかわる種目はさすがだ。
 したがって、それだけを見に行けばいい。
 長女は1年なので、あと2回楽しめる。
 
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2001.9.11から8年目

2009年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
1990年9月、
ワールド・トレードセンターのある風景。

 
91101
NIKON-F4 ニッコールF35-135 エクタクロ=ム (C)GALLAP
 
 1990年9月、リバティー島に向かう船上から。
 この角度から見るマンハッタンは、軍艦のように見える。
 「軍艦島」と呼ばれる所以だ。
 角のようにそびえ立つワールド・トレードセンターは、アメリカ資本主義のシンボルだった。
 
91102
NIKON-F4 ニッコールF35-135 エクタクロ=ム (C)GALLAP
 
 リバティー島からマンハッタンを望む。
 明日は帰国するという日、お上りさんよろしく自由の女神(Statue of Liberty)を見に来た。
 9.11以降、現在は冠の中には入れないらしいが、この日は日曜日で大変な人出だった。
 冠に到着するのに並んで1時間くらいかかった。
 冠の中は狭く、何もない。
 
 これから11年後の2001年9月11日、ワールド・トレードセンターはハイジャックされたボーイング757旅客機による自爆攻撃で消滅する。
 しかし、この事件はいま、多くの識者のあいだで「あれはテロではない」と言われている。
 
91103
(『911ボーイングを探せ』より転載)
 
 同時に攻撃されたペンタゴンも、同型機によるものとされた。
 しかし主翼の幅が38メートルある757に対し、衝突後に空いた穴は19.5メートルしかない。
 しかも、周辺に飛行機の残骸らしきものは何も残っていないのだ。
 
 ブッシュ大統領は、この事件をアルカイダによる同時多発テロであるとして、アルカイダの潜むアフガニスタンを攻撃した。
 その後、事件とは何ら関係のないイラクを攻撃するようになる。
 9.11はアメリカが戦争をするための“正当な”理由になった。
 
 ほんとうの首謀者は誰なのか?
 この事件の直後、ブッシュ大統領は一瞬かすかな笑みを浮かべ「これはもう、戦争だ!」と言ったとか。
 
91104
 
 真相を究明する2冊の本と映画のDVD。
 『911ボーイングを探せ』
 グローバルピースキャンペーン編/合同出版 発売
 『暴かれた9.11疑惑の真相』
 ベンジャミン・フルフォード著/扶桑社 発行
 
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澤地久枝『密約 外務省機密漏洩事件』

2009年09月10日 | 本と雑誌
Mitsuyaku
 
密約 外務省機密漏洩事件
澤地久枝 著
岩波現代文庫
 
 
 山崎豊子の『運命の人』を読んですぐ、こちらを読み始める予定だったのだが、とんでもなく多忙な状態になってしまい、ようやく読み終えた。
 『運命の人』を読んだ直後は「よくぞまあここまで書き込んだものだ」と感動したものだったが、『密約』を読み終えた今は、全4巻の膨大な作品がなんとも虚しく感じられてしまった。
 誤解のないように言っておくが、山崎氏の作品の出来が良くないと言っているのではない。それはそれで大変な秀作ではある。
 言ってみれば、「ああ、やっぱり小説なんだ」という、美しく演出された世界を感じざるを得ないのだ。
 それほどまでに、澤地久枝の『密約』は存在の大きな作品だということである。
 
 『密約』を執筆した当時の澤地氏はこの仕事しかやっていない。失業中で、これからどこに向かっていけば良いのか、人生の方角が見えない状態で、余りある時間のほとんどを裁判の傍聴と国会図書館での調査に費やしていた。
 鋭い観察力と綿密な調査、さらに氏の才能に加えて、不本意ながらも偶然置かれた環境があってこそ書き上げることの出来た代表作である。
 
 『運命の人』も『密約』も、テーマは佐藤政権時における沖縄返還にまつわる、いわゆる「西山事件」、すなわち毎日新聞の西山太吉記者と外務省事務官の蓮見喜久子さんによって、機密文書が持ち出された事件である。
 『密約』では『運命の人』で描かれている渦中の男女の姿が、一層リアルな輪郭を与えられているとともに、小説では見えて来なかった国際政治という大きな嵐に飲み込まれていった男女の位置が実に明確にわかる。
 
 沖縄返還交渉では、本来アメリカが支払うべき400万ドルの軍事基地原状回復費用を、日本側が肩代わりするという裏取引が行われた。
 その交渉が行われる過程で交わされた電信文の記録を、交際相手であった蓮見さんから西山記者が受け取り、それが社会党議員の手に渡ったことから漏洩が発覚して、両名は国家公務員法違反で起訴された。
 
 政府側は一貫して??証拠を突きつけながらも??頑に「密約」の存在を否定する。
 起訴した検察側と弁護側とでは、お互いに論点がまったく異なる裁判を進行することになった。
 弁護側が国民の利益と憲法21条の表現の自由のもとに、国民の「知る権利」を主張したのに対し、政府側の利益を守ろうとする検察側は、被告の両名が交際関係にあったことを理由に、記者が外務省職員と「情を通じ」、「そそのかし」て機密文書を持ち出させたという、極めて卑俗な下半身問題にすり替えた。
 
 国民の税金を支出する件については、国民に対し秘密があってはならないのであって、したがって「400万ドル肩代わり」は開示されてしかるべき事案である。だから、国民の目から隠れて「密約」を行った当事者こそ裁かれるべきなのだ。
 しかし、検察は文書の持ち出し方法を訴訟対象とすることに終始し、国民の視線を「下半身」に向けさせることに成功する。
 
 仮に「そそのかし」があったとしても??事実は「そそのかし」ではなく、交際相手としての好意であったと言う方が正しい??機密の持ち出しと「密約」は別個に裁かれなければならないはずである。
 文書の入手方法が不正な手段であれば、その内容も見なかったことになるというものではない。
 しかし、下半身問題にすり替えられた「密約」は、その本質が消滅してしまう。それは、人間の性(さが)というか、あまり認めたくないことではあるが、どうしても人というものは下卑た出来事に目を奪われると、その向こうにある大きな問題が見えなくなる傾向にある。
 したがって権力は、都合の悪い問題が表面化しそうになると、スケープゴートをしつらえて、いとも簡単に国民の目を欺く。
 それは、つい先頃ようやく崩壊した自民党政権が常日ごろから行ってきたことだ。
 
 『密約』が最初に出版されたときに寄せられた、五味川純平氏の解説が、実に端的に、かつ鋭く、怒りを込めて指摘している。
 
 「情を通じ」たからどうだというのか。子どもではあるまいし、情を通じるか否かは、男女当事者同士の自由意志である。西山記者の情報入手の経路がスパイ小説もどきの高等科学的経路でなかっただけのことである。
 権力側が外国と重大な密約を行った。国民は当然知る権利があった。その権利を阻む官僚組織の壁が厚かった。一人の記者がその壁を通して隠された事実を明らかにしようとした。官僚組織内の一人の女性が関係した。事件を簡略に図式化すれば、それだけのことなのである。

 
 「情を通じ」云々の情報は、もっぱら蓮見さんの一方的な証言によって成り立っている。その内容は事実と違う点が多々含まれているにもかかわらず、西山氏はそれについて一切反論していない。
 西山氏が反論しないのは、ニュースソースを秘匿できなかったことに対する負い目から、これ以上蓮見さんを傷つけたくないという男気から来ているであろうことは想像がつく。
 しかし、もし西山氏が心を鬼にして、事実はこうだったと反論していれば、泥仕合になったかもしれないがまた違う結果にもなっていただろう。そしてそれは、権力側のスケープゴートを破壊して、「密約」を世にさらすことになったかもしれないのだ。
 そのほうが、どれだけ国民の利益になったか測り知れない。
 しかし、「小の虫を殺して大の虫を助ける」という体制的な思考を持つことは、西山氏にとって心情的に許されることではなかったのだろう。
 それにしても、逮捕されてからのちの蓮見さんが、手のひらを返したように西山氏を攻撃する側に転じたのはどうにも解せない。
 それからの蓮見さんの態度には、何か別な意図的なものが見え隠れする。
 そのことは、『運命の人』にも、この『密約』でも明らかにされておらず、ともに想像の範疇を出ていない。
 したがって、結果、蓮見さんが性悪の悪女に思えてきて仕方がないのだが。
 蓮見さんの坂田弁護人が意味深なことを言っている。
 「この事件の真相を知っているのは私ぐらいでしょうね。私はお墓に持ってゆきますからね。真相はついにわかりますまい」
 
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「爆問学問」の反響が…

2009年09月09日 | テレビ番組
 アクセス解析を開いたら、去年アップした、山上たつひこ『光る風』のページにアクセスが殺到していた。
 午後11時11分から15分ほどの間に77アクセス。
 だいぶ落ち着いて来たが、日付変わって午前1時40分現在まだ続いている。
 
 ななな、なんだこりゃ。
 
 以前ザードの坂井泉水が死んだ時に短時間で1千アクセス近くが集中したことがあったが、まあ、そこまではいかないまでも、1年前にアップした同じページに短時間でアクセスが集中するなんてことはめったにない。
 
 山上たつひこに何かあったのか、「光る風」が発禁にでもなったか。
 
 ネット上には特に問題があった形跡はない。
 
 で、長女に調べさせた。
 ネット上で情報を得るのは天才的にうまい。
 
 「あったよ。NHKの『爆問学問』でゲストの浦沢直樹が『光る風』が好きだったって、言ったらしいよ」
 
 その番組が始まった時間は午後11時、冒頭で語ったのだろう。それにしてもテレビの影響はすごい。
 グーグルで「山上たつひこ 光る風」で検索するとトップに出てくるので、短時間でアクセスが集中したのだろう。
 
 で、あらためて「爆問学問 浦沢」で検索すると、あった。
 「50代オヤジの独言」というブログにさっそく今日の番組内容がアップされていた。
 なかなか素早い。
 そこで、その一部を無断で拝借。
 
 浦沢「山上たつひこの「光る風」とか永島慎二の作品とかが好きだった。」
 
 これだ!
 
 「光る風」を紹介したサイトは何千もあるわけで、その一つにこれだけ集中するのだから、amazonでの売れ行きもすごいだろうなあ、と思っていたら品切れていた。
 
 当然だ。
 
 あらためてお薦めする。
 
Hikaru_kaze
 
 あのまま自民党が政権を握っていたら、きっとこうなっていたに違いないことが描かれている。
 
 リンク→山上たつひこ『光る風』
 
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西岡由香『夏の残像』

2009年09月07日 | 本と雑誌
Natsu_no_zanzo
 
 こうの史代の2作品をこのブログで紹介したら、若い人にはこちらを推薦したいとある人が言ってきた。
 そこで、さっそく読んでみた。
 このところ多忙でブログの更新もままならず、時間的にもマンガを読むのが精一杯なので、ちょうど良いということもあった。
 我々の業界(出版界)は忙しいとなるとトイレに行く時間もなくなる。
 
 これは大げさではなく事実だ。
 
 しかし、出版不況は相変わらずなので、依頼があるものはすべてやっておかないと、「閑」の字を冠に付けた恐怖の魔王が突然がやってくる。
 
 それはともかく、この本とこうの作品、どちらがいいと比較するものではない、というのが率直な感想だ。
 総合的には、両方ともいいところあり、足りないところあり、というところだ。
 しかし、ともに読んでおいて損はない。
 
 まず、コンセプトが異なる。
 こうの作品はともに特定の環境下における庶民の日常である。
 だから、登場人物は出来事に対して受動的だ。本人の意図にかかわらず直面する出来事へのリアクションを通じて、そこから作者の意図を導き出そうとしている。
 そこには積極的かつ強制的な反戦思想はない。ただ「ね、みなさんそうでしょう」という同意を求め、ついてくる人はついてくるし、ついてこない人はそれでいい、という読者の自己選択にまかせた作品である。

 『夏の残像』のほうは、反戦反核の意図が明確である。
 主人公は積極的かつ行動的だ。
 原爆を開発し、使用したアメリカに対する批判、原爆を開発しようとしていたナチスドイツの話。
 朝鮮人被爆者のもとへ、主人公が韓国まで訪ねていって、朝鮮半島を分断する38度線を体験する。
 原爆と戦争が残した「残像」の一部を知るには、原爆問題入門編としての材料は一通り揃っている。
 そのために、内容を欲張り過ぎて、ストーリー性が希薄になってしまった感がある。
 
 エンディングは核兵器廃絶運動をする高校生と行動をともにさせるところまで持っていく。
 ここまでくると、印象に強制を感じざるを得ない。いささか前時代的な作者の自己満足の香りがする。
 ほかの「終わらせ方」は考えられなかったのだろうか。

 しかし、平和運動の最前線にいる立場からは、この作品は実に小気味よい。
 我々のような全共闘世代にとってはなおさらだ。
 
 ところがここに落とし穴がある。
 残念なことに、『夏の残像』の読者の多くは、おそらくこの本を「読む必要のない」人々だ。
 分かりやすく言うと、このコミックに食らいつくのは、この分野での知識をすでに持っていて、ある程度でき上がっている読者なのだ。
 知識のない読者には、いきなりオッペンハイマーが出て来ても、韓国人被爆者が登場しても、理解できないと思う。
 つまり、「面白くない」のである。
 まして、原爆資料を冷凍保存しているなど、フィクションを紛れ込ませているのは、読者を混乱させるので良くない。すべて事実で構成されるべきだ。
 
 コミック作品の役割は、普段本を読まない人にきっかけを与えられるところにある。ところが、そういう人の多くは、あまり意図が明確に現れた内容にはアレルギー反応を起こす。
 理由は、押し付け的な「上から目線」を感じてしまうのだ。
 人に「意識」を持たせるには、「上から目線」は大敵である。必ず同じ高さの視線まで膝をかがめなければならない。
 もっとも、こういう言い方がそもそも「上から目線」だと指摘されるのだが。
 
 余談だが、活動家が路上で呼びかけたり、集会などでの発言には、一般庶民と乖離した雰囲気があって、人々は避けて通る。
 機関銃のように攻撃一本やりで、聴衆がそれにどう反応しているかなど無頓着だ。
 ところがそうした事実には気づかず、人々と視線を同じくして対話することがなかなか出来ない。
 あげくは振り向いてくれない人を批判したりする。
 どうもその傾向は、第一線で活動している人程強く現れる。
 
 話を戻す。
 最初に言ったように、つまり、こうの作品と西岡作品では、おのずとターゲットもコンセプトも異なる。
 だから比較対照にはならないのである。
 
 で、内容ではなく、作品としての質という点からこの二人の作家を評価すると、表現力、脚色、ともにこうの史代が上である。
 西岡由香は構成もストーリー展開もまとまりがない。
 その点は、どうひいき目に見てもいかんともしがたい。
 結論として、推薦してくれた某氏には申し訳ないが、基礎知識のない若者にこれはすすめられない。
 
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「二重被爆」

2009年09月03日 | 映画
Nijuhibaku0
 
 ドキュメンタリー映画「二重被爆」を日本映画専門チャンネルで見た。
 完成時、上映期間中に観るつもりでいて、観そこなったらそのまま記憶から失せていた。
 それが、ブログの友人が以前紹介しているのを見て、「しまった」これも『原爆詩集 八月』の内容に加えるべきだった、と後悔したものだ。
 http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=1593891
 
 「二重被爆」とは、広島と長崎の両方で被爆した人のことである。
 ずっと注目されることはなかったが、案外たくさんいるらしい。
 広島に原爆が投下されたのが8月6日、長崎が9日だから、その間に移動する人は珍しくなかったはずだから、広島で被爆しながら命拾いして、長崎で亡くなったという不運な人を含めると、相当数にのぼるだろう。
 
  1945年8月6日広島、8月9日長崎に原子爆弾が投下された。
 死者およそ20万人、現在でも30万人の人々が原爆後遺症に悩まされている。
 その被爆者の中に、広島と長崎の両市で被爆(両市被爆ともいう)した方々がいる。
 私たちはその両市被爆を『二重被爆』という概念で捉え直し、取材を始めることにした。
 長崎市役所の資料によると、長崎市在住の『二重被爆者』は20名。
 全国規模では約160名(平 成16年調べ)がいると言われているが、正確な人数は把握されておらず、驚くべきことに、『二重被爆者』の存在は歴史の中に埋もれたまま、独自の聞き取り調査もなされてこなかったことが判明した。
 去年8月、国立広島原爆死没者追悼平和記念館で公開されている被爆体験記から『二重被爆者』の存在が報道された。
 原爆投下後2週間以内に両市に入り、残留放射能を浴びた『二重被爆者』は165人、2度の原爆に直接遭遇した被爆者は9人いる事が確認された。
 戦後60年間で、『二重被爆』の実態が始めて明らかになった。
(『二重被爆』通信 ホームページ)
 
 
 この映画では、二重被爆者でありながら、後遺症に悩まされつつも生存していた7人の人たちが登場する。
 進行の中心は、山口彊(やまぐち・つとむ 映画製作当時90歳)さんである。
 
Nijuhibaku2
 
 「きのこ雲に広島から長崎まで追いかけられてきたんじゃないかと思った」
 
 当時長崎市にある三菱重工業造船所の設計技師だった山口さんは、昭和20年5月から3ヶ月間広島へ出張し、長崎へ帰る前日に広島市内で被爆した。大火傷を負いながらも同僚の佐藤さん、岩永さんと共に翌日列車で長崎に向かい、8日に自宅へ戻った。そして翌9日朝、造船所へ出向き、広島の状況を報告していたまさにその時、再び被爆をした。被爆により左耳の聴力を失い、急性白血病や白内障を患うなど、数々の闘病を重ねてきた。5年前には脳梗塞による左半身麻痺となるものの、リハビリを続けながら、今もなお原爆の悲惨さを訴え続けている。(『二重被爆』通信 ホームページ)
 
 この映画は、これまで「広島・長崎」とひとくくりにされていた被爆者の問題を、「二重被爆」という事実を表面化することで、「二度の原爆投下が必要であったのか。なぜ、続けて二回も投下したのか」という疑問を、あらためて問いかけている。
 これは大変重要な問題をはらんでいる。
 ただ単に「戦争を早く終わらせたい」だけならば、一度だけで十分ではなかったのか。
 もちろん、瀕死の状態になっていた日本に、そもそも原爆を落とす必要などなかったのだから、久間元防衛相のように、一度は「仕方がない」などと言っていいはずはないことは、言明しておく。
 一度でなく、二度の原爆の意味するものは、そこに異人種としての日本人に対する差別はなかったのか、それ以前に、この際日本を完全消滅させようという、アメリカの大国主義に裏付けされたジェノサイト思想はなかったのか……。
 
 映画は、そうした重要問題をよそに、日本の行政があまりにも「お役所的」杓子定規にはまっていることも暴き出している。
 山口さんの「被爆手帳」に記載されている被爆地は長崎のみで広島はない。
 「二カ所のうち便利な方にしたほうがいいでしょうから」と言われたとそうだ。
 両方から補償することはできかねるというのが本音であろうが、そのために、山口さんが広島で被爆したという記録が消されていることになる。
 
 
 フランスやアメリカでのインタビューも収録されている。
 フランスでは「ヒロシマ」は名前だけは知っていても「ナガサキ」を知らない若者が登場する。
 別の女性が、「それは無学な若者だ」と非難する。「学校で教わることだから」。
 
 アメリカの日系の老人は、へらへら笑いながらインタビューに答える。
 
 外国と日本では、当然と言えば当然だが、温度差が大きい。
 
 
Nijuhibaku3
 
 山口さんは、自分の体験を短歌にしたためた。
 
 大広島 
 炎(も)え轟きし朝明けて
 川流れ来る
 人間筏(いかだ)
 
 短歌は『人間筏』という本にまとめられている。
 次の出版の機会までにはぜひ入手して、再録させてもらえればと考える。
 
 リンク→『二重被爆』通信
 
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こうの史代『この世界の片隅に』『夕凪の街 桜の国』

2009年09月01日 | 本と雑誌
Kohno1

 あるインタビューの謝礼に図書券をいただいたので、以前から気になっていた、こうの史代の作品を買って読んだ。
 広島県生まれのこの漫画家は1968年生まれの41歳で、敗戦直後の体験はない。
 その彼女が戦時中の暮しを描いたコミックが『この世界の片隅に』(全3巻)である。
 
 軍都、呉を舞台に、銃後と言われた戦時中の一般市民の生活を実によく調べて書き上げている。
 
Kohno2
 
 着物を解いてもんぺに作りかえるところは、その手順まで描かれている。
 女性作家ならではの感覚だ。
 玄米で配給される米を、一升瓶の中でついたことは知られているが、そのあとどうやって炊くのかまで紹介したものは少ない。楠公飯などという炊き方があることは初めて知った。
 
 平和な時代なら決して食糧にすることのないものを工夫して料理にする。少ない食材をみんなで分けられる量にする。
 それらが、図解入で説明されていて実に興味深い。
 これまで銃後を描いた本は多数あったが、マンガにすることで実に分かりやすい。
 
Kohno3
 
 戦死して家族の元に送り返されてくる骨壺に何も入っていないということは、希なことではなかったと聞く。
 この絵のように石ころが入っていたり、紙切れ1枚だったこともあったそうだ。
 
 ネズミがうるさいので天井をはずすという話も出てくる。
 焼夷弾が天井でとまるのを防げるとも言っているが、突き抜けて来たらもっと怖いのでは。
 そういえば、幼児の頃に親と一緒に訪ねていった親戚の家に、天井がなく、怖がったことを覚えている。
 
 上・中・下3巻あるうち、上と中はもっぱら戦時中の生活に終始していて、これまで知らなかった詳細な描写もあり、興味深かった。
 下巻で、主人公は広島に落とされた原爆から終戦を体験する。
 自分自身も不発弾で悲惨な怪我を負ったりもしている。
 これまでは、やや距離が置かれていた戦火が身近になってくる。
 これまでこの時代の風景を描いた作品に触れて来なかった人たちにとっては、下巻は衝撃的かもしれない。
 
Kohno4
 
 『夕凪の街 桜の国』は手塚治虫文化賞優秀賞・文化庁メディア芸術芸術祭大賞受賞作品である。
 舞台は敗戦後10年と現代がカットバックで描かれる。
 原爆は助かったと思った人までもじわじわと肉体を蝕んでいく。
 また、直接の被害だけでなく、差別という深刻な状況を残した。
 主人公は、その両方を体験する。
 
 両作品とも絵が美しい。よくある、これでもかと悲惨さをぶつけてくるような作品ではなく、あくまで日常生活を描き、自然に当時の背景を取り込んでいる。
 作家自身が自分で調べ上げた時代背景の中に身を置き、その状況を否定するのでなく(当時の状況に身を置いたら、否定することは出来ない)、あくまで是として描いていく。
 したがって、直接反戦的な発言も行動もない。事実だけを追っていくので実にリアルだ。

 戦時ものにアレルギーを起す若い読者にも、受け入れられる作品だと思う。

 ◆追記
 この作品には強制連行で工場労働を強制された朝鮮人労働者の記述がない。巻末の参考資料の中にもそれに関するものはなく、意図的に触れなかったのか、それとも考えが及ばなかったのかわからないが、被爆したのは日本人だけでなかったことも加えて欲しかった。
 原爆問題はどうしても一方的な被害者意識に偏りがちである。しかし、強制連行による原爆被害は、間接的には日本による加害であることも忘れてはならない。
 
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