ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

寒っぶ……

2007年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム
Yoru

 いきなり寒の入りを思わせる寒さ。
 つい先日まで春先のような暖かさだと思ったら、これだ。

 そういえば、今年は「秋」がなかったような。
 春も短かったし、梅雨の入りも明けもはっきりしませんでしたね。

 やっぱりこれも、地球温暖化のせいなのでしょう。

 ヒマラヤの氷河が細くなり、北極海の氷がとけている写真が頻繁に新聞に載るようになりました。

 ところで、中学生の上の子那由が学校で先生からこんな話を聞いてきました。

「火力発電や水力発電は環境汚染の元になるんだって。原子力発電は事故を起こしたら危険だけど環境汚染はないって。発電コストも火力・水力に比べて安いんだって」

 とんでもないまちがい。この先生は東京電力のパンフレットを丸暗記したのでは。

Photo 柏崎刈羽原発=google earth
 「原子力発電はね、発電中は火力のように一酸化炭素など大気汚染の原因になるものは出さないけど、使用済みの核燃料、つまり燃え殻は強い放射能を持っているんだ。
 それをドラム缶に入れて地中深くに埋めたりしているんだけれど、長い年月の間には容器が破損したり腐食したりして中の放射性物質が漏れ出してくることがある。
 それは周囲の土壌を汚染するだけでなく、地下水とともに海まで流れていって、海洋汚染の原因になる。
 長い年月どころか、地震など地殻変動で容器が破損しても同じことだよ。
 そして、発電コストの中には、核廃棄物の処理にかかる莫大な費用は含まれていないから、それを含めるととんでもなく高価な電気になる。
 それよりなにより、この前起きた中越地震で被害が出ている柏崎刈羽原発でもわかるとおり、原発は非常に地震に弱い。
 そして、原発は大量の水を必要とするので、ほとんどが海岸に建てられている。大津波が来たらひとたまりもないよ」

 こう、教えておきました。この先生、不勉強なのか、確信犯か。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




塩分控えめ

2007年11月29日 | 健康・病気
Ketsuatsu1

 ぼくは生まれつき心臓に「右脚ブロック」というのがあって、心電図を取ると、普通の人は上に向かって針が触れるのに、下にもスコンスコンと落ちるのです。
 不整脈の一種ですが、病気ではなく治療の必要はないと言われています。
 しかし、たまにこれが原因で脈が飛ぶ状態になります。
 トッ、トッ、トッ、トッ、ト~~~~~ッ、トッ、トッ、トッ
 というぐあいです。
 数年に一度のわりであって、数日間から数週間続きます。

 数日前からこの不整脈がひどくなっていました。おかげで、火曜日には古い友人たちと一杯やる予定だったのをキャンセル。
 毎度のこととは思いつつ、念のために専門医に見て貰うことにしました。
 例のタナカ・マキコ先生は入院中なので、近くの総合病院です。

 診察室前の待合室で、大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』を読みながら診察の順番を待っていると、やがて看護師さんに「サカイ・イズミさ~ん」と呼ばれました。
 一瞬チクリと周囲の視線が。
 坂井泉水さんがなくなる前は普通のことでしたが、今でも銀行や病院などで反応する人がちらほらいます。今日は患者さんに若い人が多く混じっていたので、いつもより強い視線が。
 「はい」とぼくが返事をしたとたん、スーッと雰囲気がさめる感じがします。
 〈残念だったね、だいいち彼女、もう亡くなってるし〉

 「どうなさいましたか」
 「何日か前から不整脈がひどくて、ちょっと気になるものですから」
 「じゃあ、とりあえず心電図を取りましょう」

 別室に移動して両胸と両手両足に電極を付けてしばし。

 「ああ、この部分ね。ここで収縮が起きてますから飛ぶんですね」

 ジグザグの線がプリントアウトされた長細い紙を見ると、普段なら規則正しく下に落ちている右脚ブロックが、いくつかおきにグチャグチャになっています。
 いかにもヤバそう。

 「これ、治療の必要ないですよ」と医者。
 「え? 薬とかいらないんですか」
 「副作用の方が大きいですからね、なくていいです」
 「血圧がこのところ高いみたいなんで、それもあるかも」
 「ああ、そうなんですか。高血圧は心臓に負担がかかりますからね。ちょっと計りましょう」

Ketsustsu2

 上が14×で、下が8×。
 「ちょっと高いですね。塩分控えめかな」
 「それだけでいいんですか?」
 「とくに治療の必要はありません。心臓病でもあれば別ですが、そんな感じはないし」

 しかし、不整脈の経験がない人にはわからないでしょうけれど、これってけっこうきついんです。身体がだるくて重くなるんですよ。治療の必要ありませんですまされるのは、いいことなのか悪いことなのか。
 帰り支度をはじめると、医者がちょっと待って、と引き止めます。

 「万が一ということもありますから、24時間心電図をとりましょうか。心臓病があればわかりますから」

 おそらくぼくを安心させようと思ってのことでしょう。
 これは以前にもやったことがありますが、腰に小さい弁当箱みたいなのを付けて、そこから伸びてくる電極を24時間貼付けます。

 「お風呂は1日だけ我慢してください」
 
 そりゃそうでしょう。
 来週、それを取り付けにいきます。その頃には治ってたりして。

 「都合が悪くなったらご連絡ください。急ぎませんからいつでもいいです」
 「はいはい」

 結局、本人が感じているほどにはたいしたことないようで……でも、不整脈って気分悪いんだよね、ホントに。

 ちなみに、これを書いてるこの時間は、まったく問題ないですね。そういえば、夜になると調子が良くなるみたいです。なんだかなあ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

トカゲの尻尾切りか?

Moriya

 守屋前防衛次官が次の国会喚問を受ける前に逮捕されました。
 なんか変ですね。口封じじゃないですかこれは。
 守屋前次官が逮捕されて喜ぶのは灰色官僚の防衛族です。
 もう一度国会喚問があれば何をしゃべるかわかりませんからね。権力の手のうちである警察での取り調べは密室、自白の内容を選択できるわけで、都合が悪いことは公表せず、芋ずる式とはいかない可能性があります。
 上の方の圧力で守屋どまりで操作打ち切り。ほんとうの黒幕までは届きません。
 額賀や石破は胸を撫で下ろしているでしょう。
 いや、それよりホッとしているのは、福田総理だったりして。
 額賀が辞職したら内閣解散ですから。
 さあ、この後どうなるかが問題ですね。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



戦争体験者の証言を聞く会

2007年11月28日 | おしらせ
 特攻隊生存者の貴重な証言です。
 特攻隊員は戦死した人ばかりがクローズアップされがちですが、生存者が背負った苦難は生半可ではありませんでした。
 特攻隊の真実を直接聞くことができる、希な機会です。
 お誘い合わせの上ぜひご参加ください。
 特に、中学生、高校生など、若い方に聞いていただきたいと思います。

〈12・8 パールハーバー奇襲日米開戦66周年〉
---------------------------------------------------------
ひたすら平和を!
戦争体験者の証言を聞く会

---------------------------------------------------------

日 時:12月8日(土)
    午前10時から午後12時30分
場 所:杉並産業商工会館(電話03-3393-1501)
    1階展示室
    会場へのアクセスはこちら
参加費:資料代300円(高校生以下無料)

 山田区長は毎年成人式で、アジア太平洋戦争末期の特攻隊員の手記を読み上げ、「この尊い犠牲の上に戦後の平和はある」とその行為を讃え、新成人に「感謝するように」と求めてきました。
 特攻隊員とは、褒めたたえるべきものなのでしょうか。
 特攻隊に志願し、出撃直前に敗戦で生き残った方たちが、その後どのような思いで生きてきたのか、当時中学校でどのような教育をうけてきたのか。画家の池田龍雄さんにその体験をうかがいます。

 区長は議会答弁で「『軍隊慰安婦』は当時どこの国にもあった公娼制度」だと主張し、「軍の関与や強制はなく、商売だった」と暴言を繰り返しました。
 在日の立場から証言を集め実態解明をすすめている研究者の方からのお話も予定しています。

〈体験者の証言〉
池田龍雄さん
 画家。15歳で海軍飛行予科練習生入隊。
 特攻隊員として訓練をうけ、17歳で出撃寸前に敗戦。

◆略 歴
1928年8月15日 佐賀県伊万里市に生まれる。
1941年 伊万里商業入学(13歳)後、授業中に募られ海軍航空予科練習生に志願。
1943年 15歳で海軍甲種飛行予科練習生として鹿児島航空隊入隊。
1945年 17歳で特別攻撃隊に編入され5月から霞ケ浦で訓練、8月15日出撃直前に敗戦。虚脱状態を脱し、11月佐賀師範学校に編入。
1946年11月 GHQ通達により師範学校を追放となる。
1948年 多摩造形芸術専門学校(現・多摩美術大学)入学。半年後、岡本太郎らの戦後アバンギャルド(前衛)芸術運動に参画。
1949年 読売新聞社主催・アンデパンダン(美術で保守・伝統に反対する一派)展に出品。以後、既成のいかなる美術団体展にも参加せず、もっぱらアンデパンダン展、グループ展、美術館その他による企画展に作品を発表。
1950年5月 22歳で阿佐ケ谷に移り56年まで住む。
1954年 初の個展、以後2000年までに個展45回。日本のシュールレアリズム画家の第一人者。

著 書:
「絵画の距離」(創樹社)
「夢(ゆめ)・現(うつつの)・記(き)」(現代企画社)
「蜻蛉(とんぼ)の夢」(海鳥社)
「池田龍雄画集」(沖積社)



〈研究者の証言〉
元軍隊慰安婦の実態
●琴秉洞(クム・ビョンドン)さん
 元朝鮮大学教授(近現代史研究)

■主催
二度と戦争を許さない!〈戦争体験者100人の声〉の会

呼びかけ人:八木ケ谷妙子・小笠原荘子・宮渾一郎・上江田千代
連 絡 先:杉並区梅里2-19-40 宮内ビル101 
      電話090-7848-5225(小笠原まで)

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



東京オリンピック招致反対

2007年11月27日 | 受験・学校
Orimpic1

 こんなものを杉並第五小学校で配布していました。
 パンフレットはA4判4ページで右上には「オリンピック理解促進資料」とあり、明らかな宣伝材料です。
 これは反則行為。無理矢理にでも盛り上げようという魂胆です。まるでルール無視、亀田兄弟だ。
 配布する学校も学校です。
 各クラスごとに分けて担任が配布したようです。
 弱い立場の担任教師を責めても仕方がありません。こういうものを持ち帰らないよう子どもたちに指導しましょう。
 何枚印刷したのかわかりませんが、このチラシの制作費だって相当な金額がかかっているはずです。それも税金。
 
 商店街の街路灯には「オリンピックを東京に」という旗がくくり付けられました。
 これも税金で作ったのでしょう。商店街が旗を寄付したのなら、どこからも文句がでないはずがありません。
 知花昌一さんのように引きずり降ろして燃やしてやろうかとも思いましたが、いまは警察を相手にしている暇がないので思いとどまりました。
 
 オリンピックは民意が得られなければ実施できません。したがって、反対する人間もいるということを広く知らせて、国際オリンピック委員会に開催について意見が分かれていることを気づかせましょう。
 事実、都民が一丸となってオリンピックを望んでいるわけではありませんから。

【反対理由】
 ゼネコンや大手広告代理店を儲けさせるだけ。
 *寄付や協賛金を募ると言っていますが、お金を出したら倍にして帰ってこなければ納得しないのが企業。
 開催経費は直接間接に都民の税金。
 *都民の税金が迂回して大企業の懐に入るしくみ。
 開催後はよりいっそう格差が拡大する。
 *利益を得た大企業と、税負担に苦しむ中小零細企業の差が拡大します。
 現在の東京都の財政状態から考えて、負担が大きすぎる。
 *石原知事は性懲りもなく海外豪遊をしていながら、教育や福祉の予算を削っています。優先順位が違うのでは。
 オリンピックに莫大な経費を使うよりも、福祉、教育、医療、環境を充実させるべき。
 *オリンピックを開催する資金が集められるのならば、その金を福祉、教育、医療のまわすのが正当でしょう。

    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

■荻窪地下道

Chikado1

 荻窪駅の東側(阿佐ヶ谷寄り)にJR中央線の東西を結ぶ地下道があります。
 この地下道の中はギャラリーになっていて、杉並区が「アニメの街」をアピールするためにアニメキャラクターや原画を公募して展示しています。
 先頃まで、代々木アニメ学院の派手な絵が展示されていましたが、やがてそれが盗まれたり破られたりして悲惨な状態になりました。
 そういう心ない人間がいることはたいへん残念です。
 しばらく何もない状態だったのですが、最近新しい作品が展示されました。
 今度はいたずらすれば防犯ベルが鳴ったり、監視カメラに写されたり……しないと思いますが、大切にしてほしいものです。

Chikado2

Chikado3

Chikado4jpg

Chikado6

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



朝日生命体操クラブ「体操祭」

2007年11月26日 | スポーツ
Taiso01jpg

 25日は無量が通っている体操教室が所属する、「朝日生命体操クラブ」の「体操祭」、発表会でした。
 無量も、ものすごい選手たちに混じってがんばりました。
 入場行進はちょっと緊張気味。

Taiso02

 体操教室には幼稚園の子どもたちもいます。
 ほとんど「おかあさんといっしょ」。指導員は体操のおにいさん・おねえさんです。
 (パンツ見えてますが……)

Taiso03

 トランポリンなんですが、人形遊びみたい。何とも微笑ましい光景です。

Taiso04

 しかし、ここの幼稚園児をなめてはいけません。8段の跳び箱をピョンと跳びます。
 未来のオリンピック選手かな。

Taiso05

 無量です。側転はもう軽いもの。

Taiso06

 跳馬も上手になりました。

Taiso07

 決まった!

Taiso08

 選手候補のお姉さんたち。さすがにきれいです。

Taiso09jpg

 「ウォー!」跳んだ!

Taiso10

 「ワオ!」跳んだ! 跳んだ!

Taiso11

 「イェーイ!」跳んだ! 跳んだ! 跳んだ!

Taiso12

 オリンピック強化選手のムーンサルト!
 高い!

Taiso13jpg

 空中で回転しながら捻りを加えます。
 昔ならウルトラCですが、今の選手はなんなくこなします。

Taiso14

 オリンピック代表選手と候補選手。
 北京オリンピックに3人の女子選手が出場を決めました。

Taiso15

 オリンピック女子体操選手チームのリーダー、鶴見虹子(こうこ)選手(14歳)の平均台演技。

Taiso16

 アトラクションもいろいろありました。これは倒立歩行競争。
 早い選手は10mほどの距離を3秒ぐらいで歩ききります。
 倒立歩行は体操の基本ですが、無量はまだ2mぐらいしか歩けません。

Taiso18

 最後は全員でジェンカを踊って終了。なぜ「ジェンカ」?
 坂本九の懐かしい歌声が聴かれました。

 来年は北京オリンピックです。オリンピックの年になると、体操教室への応募者が増えるそうです。

 次のオリンピックは東京ではなく、アフリカなんかどう。エジプトやケニアなんかいいいとおもうんだけど。
 お金がなければ、世界中が軍事費を節約して出し合えばいい。
 そういう発想にはならないのかなあ。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



曾野綾子が間違えた「塊」と「魁」

2007年11月25日 | うんちく・小ネタ
 曾野綾子が作家としてははなはだみっともない誤読をして、『ある神話の背景??沖縄・渡嘉敷島の集団自決』を世に出してしまったことが、どうやら騒ぎの発端らしいことがわかってきましたが、さてそれはどういう読み違いだったのか、ちょっと調べてみました。

 そのまえに、実は大江健三郎という人の文章はいささか個性的というか、クセがあって、慣れない人には読みにくいものです。
 それはむずかしい言葉で書かれている、というのではありません。いえそれどころか、かなりやさしい単語を選んで書かれています。
 それがどうむずかしいのかというと、何が書かれているのか、という以前に、どんな思いで書かれたか、ということがかなり重要な要素をしめるからです。
 したがって、文字面だけを追っていると、文章を読むことに慣れていない人にはさっぱり意味が分からない場合もあり、慣れている人でも読み違いをする可能性は多々あります。
 でもこれは、意味を取り違えることがある、という話であって、今回の間違いあまりにも初歩的。いくら大江健三郎の文章が難解であるからといっても、作家としてはあまりにかっこわるい間違えです。
 たとえば、「鳥」と「烏」を間違える、「鰍」を「さんま」と読む、とまあ、こんなレベルの間違えだからです。
 いくらなんでもこれは間違えないかもしれませんが。

Daijiten 手元に『大字典』という、比較的大きな漢和辞典があります。
 それをひもといて、「塊」と「魁」、そして、両方の文字に共通する「鬼」という文字について調べてみました。
 「塊」は『沖縄ノート』で「巨きな罪の巨塊」として使われている文字です。「魁」は曾野綾子が読み違えてしまったと思われるものです。
 つまり、曾野綾子のいう「悪人」という意味であるならば、「巨きな罪の“巨塊”」ではなく「「巨きな罪の“巨魁”」ならば通じるからです。ともに読みは「きょかい」です。
 両方ともに「鬼」という文字が偏や旁にあるので単純に読み違えたか、はじめから「大江健三郎は赤松、梅沢両隊長を悪者扱いしているのだから、『悪人』という意味に違いない」という思い込みか、いずれにしても、軽率であるに変わりはありません。

Tsuchikure

 「塊」は『大字典』によると、「ツチクレのこと。故に土篇。鬼(キ)は音符」とあります。
 「ツチクレ」とは土のかたまりのこと。だから土篇がついている。「鬼」は音符、すなわち、読み方を補助するもので、「鬼」そのものの意味はここでは消滅しています。

Sakigake

 「魁」は「カシラ」「サキガケ」とも読み、「魁」には偉大であるという意味があり、「首帥」すなわち「親分」の意味としても使われます。
 「人の偉大な義より、首魁・魁偉の義とす」
 「巨きな罪の巨魁」ならば、多少強引ではありますが「悪の親玉」と言えなくもありません。

Oni

 ちなみに、「鬼」という文字には、タマシイ、死人の霊、バケモノなどの意味がありますから、「鬼」という文字が使われていると、どうしても怪しい、悪い意味にとらえがちです。しかし「塊」と「魁」で使われている「鬼」はともに「音符」、読みを補助するだけの役割であって、「鬼」本来の意味は背負っていないととらえるのが正しいでしょう。

 さて、おお「まつがえ」をしてしまった曾野綾子サン、ちょっと言い訳を聞いてみたいものですが、まあ、沈黙するでしょうね。何か言えば墓穴を掘りかねませんから。

 あ、こういうのを「鬼の首を取ったようだ」というのですね。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



今日は満月

2007年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム
Mangetsu1124s

 今日、11月24日は満月です。
 カメラがD80に代わってニコンの望遠レンズが使えるようになったので、久しぶりに撮ってみました。
 ファインダーからはクレーターまで見えるのですが、写真にはなかなか写りません。
 色の問題も含めて設定を研究しないと。使いこなすにはまだまだです。
 それと、ベランダから撮っているので、ベランダの端に据えられたエアコンの振動を三脚が拾ってしまうようなのです。
 今ひとつシャキッとしないのはそのせいでしょう。

 でも、サイバーショットよりはよく撮れてます。

 ちなみに、来月の満月も24日。クリスマスイブですね……。
 (だからどうした……)

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



チェレギーノ子どもの家バザー

2007年11月24日 | 出産・育児
 23日はモンテッソーリの幼稚園、「チェレギーノ子どもの家」のバザーです。
 去年、かみさんは買ったものを自転車の前かごに入れたまま駐輪場に置いて出かけてしまい、そっくり盗まれました。
 それからもう1年。早いものです。

Iryohin 10時の開店とともに人が押し寄せ、あれよあれよという間に良い品から売れて行きます。
 衣料品は激安。子どもはどんどん成長していきますから、たちまち着られなくなってしまいます。新品で買う子ども服は、驚くほど高価ですから、安い子ども服はお母さんたちにとって大助かりです。
 ほとんど傷んでいない服がたくさん出品されます。
 中には上の子が着ていたものが、一回り回って下の子用に戻ってくることも。

Okashinotoh

 園児の親たちによる手作り品が大人気です。中にはこんな凝ったおかしの塔や家も。
 これはたちまち売れました。

Yakinikuya 園児の親たちの中にはいろいろな職業の人がいます。焼き肉屋さんが、焼きそばやお弁当を作って売っています。
 去年まではイタリア料理屋さんがいました。










Hon10en

 本は10円均一。立ち読み自由です。

Zakka

 雑貨は引き出物などの未使用品が中心。手作りのリースも好評です。

Matsumura

 園長の松村先生は、子どもたちと楽しそうに風船細工。

Okowa

 かみさんは手伝いを頼まれていて最後までいなければならないので、ぼくは昼食用に「おこわ」を買って帰りました。これがけっこうおいしいんです。
 
Chawan

 今日の収穫は、松代焼きの湯のみと、ステンレスのコップ。それぞれ2個組で両方ともなかなかいいものです。
 湯のみは事務所で使います。ステンレスコップにはなぜかティースプーンが5本ついていました。
 値切って全部で1000円。
 晴天に恵まれ、お客さんの入りも上々。開店と同時に来た人の中には2万円も買った人がいたとか。売り上げもけっこう行ったのでは。

     ◆◆◆◆◆

Saino『モンテッソーリ教育で子どもの才能が見つかった!』
坂井 泉 著
松村禎三 監修
中央アート出版社 発行
定価 本体1,500円+税




◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




昔話ですが…「全共闘」

2007年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム
Zenkyouto1
 ★12月1日、映像資料2点追加しました。
 「新宿騒乱事件ニュース」、森田童子「球根栽培の唄」
----------------------------------------------------------------------
 書棚をあさっていたら、こんな懐かしい本が出てきました。『反逆のバリケード』(略してハンバリ)は日大闘争の記録で、当時大ベストセラーになりました。もう一冊、東大闘争の記録『砦の上に我らの世界を』もどこかにあるはずです。
 『安保闘争史』は父親の蔵書だったもので、アメリカ帝国主義と日本政府の癒着の歴史が書かれています。
 こんな本が出てきたので、ちょっと昔を思い出しました。

●全共闘世代です
 全共闘というのは「全学共闘会議」の略で日本中の大学に作られた学生運動の組織です。運動としては高校生や若い労働者も含まれていました。
 戦後間もなく「全日本学生自治会総連合」(略称:全学連)は分裂統合をくりかえし、1960年代に全学連中核派や社青同(日本社会主義青年同盟)など、いくつかの分派が誕生してから全共闘は注目されるようになりました。
 当時の全共闘のそれぞれのセクトはヘルメットで区別されていて、それはこちらのサイトで紹介されています。

●樺美智子さん虐殺事件
 全学連・全共闘にはさまざまな有名な事件があります。古くは1960年6月15日、安保条約反対を叫ぶ全学連主流派が国会に突入し、警官隊と激しく衝突。そのときデモ隊の中にいた東京大学文学部国史学科の学生、樺(かんば)美智子さん(当時22歳)が警宮隊によって虐殺された事件は、日本中に衝撃が走りました。
 これは「60年安保闘争」に関係する事件です。
 日米安全保障条約は、10年ごとに更新される決まりになっていて、60年、70年と、それぞれの期限が迫るごとに激しい安保改定反対闘争がありました。

Zenkyouto2●ひまわり博士もいた国際反戦デー
 70年の安保改定時期が迫るにつれ、反米反戦の嵐はますます強くなっていきました。
 そうした中で、1968年10月21日の国際反戦デーでは、デモ隊が防衛庁に突入。また、当初学生を中心としていた米タン(米軍用燃料タンク輸送)阻止抗議行動では、数万人規模の市民が合流して新宿駅構内を占拠。東京で450名、全国で913名の史上最高の逮捕者が出ました。

 実は、「新宿騒乱事件」と言われたこのデモには、若いころのひまわり博士も友人とともに参加して、機動隊に向かって石を投げていました。
 新宿のどこに投げるような石があるのかというと、あるんです。
 電車の線路内に入ってレールの下に敷かれた石を持ってきてビュンビュン投げました。
 そのうち、投げるのが苦手な女子学生たちが石運びをして、それを男子学生や市民が投げるという、連係プレーもできてきました。
 「ここ」をクリックすると、新宿騒乱事件の映像があります。

●逃げろ逃げろ
 それに対して、機動隊は放水車を出動させて、強烈な勢いの水をデモ隊に向かって放射します。ずぶ濡れになるどころか、直撃を食らうと吹き飛ばされます。
 機動隊はびしょぬれになっているデモ参加者を片端から捕まえては警察の車に放り込むのです。
 ぼくと、近くにいた友達は何がなんだかわからないうちに、いつの間にか警察の車に押し込まれていました。
 ところが、ふと見ると警官がどこにもいない。車両はトラックのようなもので開閉自由な幌。すでに何人かが乗せられていました。
 「おい、逃げようぜ」
 「逃げたらヤバいだろ」
 「車に乗せられただけで、捕まったわけじゃない、逃げられるよ」
 「おれはやめとく。捕まったって、どうせすぐ釈放されるさ」
 「俺は逃げる、じゃあな」
 ぼくは遠慮なく逃走しました。

●すぐ釈放のはずが…
 すぐ釈放だと高をくくっていた友人は運が悪いことに、この「新宿騒乱事件」には騒乱罪が適用されたために、禁固6か月。
 逃げてきたぼくは何とも後ろめたく、一度も面会に行きませんでしたが、ぼくの父が何度か本を届けに行っていました。
 「本を読む時間を国がくれたと思え、と言ってきた」
 保釈間近に彼から手紙が来て、「むずかしい経済の専門用語に苦労しています」といいます。
 「何の本を持って行ったの?」
 「『資本論』だ」
 そりゃ無理だ。数ヶ月で読めるわけがない。

●ノンセクトラジカル
 こんなことをやってはいましたが、ぼく自身は特定のセクトにいたことはありません。
 どこにも所属せずに、何かがあると出て行って運動に参加するような人間を「ノンセクトラジカル」と呼んでいました。
 そして、「どこにも所属せずに、何かがあっても何もしない」連中はノンポリ(ノンポリティカル)といって、当時はとても馬鹿にされていました。
 どこにも所属していませんでしたが、比較的近かったのは日本マルクス・レーニン主義者同盟(ML同盟)でした。父親が日中貿易を行っていた関係で、毛沢東思想を支持していたからです。

●蒲田事件
 そのころぼくは蒲田駅ビルの中にある書店でアルバイトをしていました。早番と遅番があって、遅番は帰りが9時過ぎになります。
 交通費節約のために蒲田駅からバスで新宿に向かおうとしていました。バスが発車して間もなく、国道に出たとたんに急停車。前方を見ると大人数のデモ隊が道幅いっぱいに広がっています。
 白いヘルメットが見えますが、中核派か革マル派かわかりません。どちらも白ヘルです。
 「危険ですからすぐバスから降りてください」
 運転手が叫びます。そのときぼくは、バス代はどうしてくれるんだ、と思っていました。
 しぶしぶバスから降りると、デモ隊から一人、タオルで顔を隠したのがバスに飛び乗って運転手を引きずり降ろすと、バスを動かしています。
 バスは道を塞ぐように直角に向けられ、火炎瓶が投げ込まれました。
 デモ隊に参加していないで見物をしているのはたいへん危険なので(デモに参加するにはそれなりの服装など準備が必要です)、とりあえずその場から退散。国鉄(現JR)蒲田駅まで歩いて、結局電車で帰りました。
 ぼくはデモの成り行きより、交通費が大損害だと思っていました。

●神田カルチェラタン
 お茶の水から駿河台に向かう通りは、今でも明大通りと言われていますが、1本神田よりの通りには中央大学があって、ともに学生運動が盛んでした。
 明大全共闘は、その明大通りを封鎖。道路の敷石をはがして機動隊に投石し、一時完全占拠しました。それに対して機動隊は放水車と催涙ガスで学生を排除し、催涙ガスの臭いは数日消えませんでした。
 学生に占拠された駿河台一帯は、フランスのソルボンヌ大学の5月革命をもじって、神田カルチェラタンと呼ばれました。
 ところで、この「神田カルチェラタン事件」では機動隊の盾が大量に奪われて燃やされました。実はあの盾、ジュラルミンとマグネシウムの合金だったのです。ご存知のようにマグネシウムは写真のフラッシュにも使われるくらい非常に燃えやすいものです。
 実に良く燃えました、機動隊の盾は。

●ウニタと模索社
 全共闘など反日共系左翼は新左翼と呼ばれ、警察は極左暴力団と称していました。
 新左翼系の書店で有名だったのがウニタ。水道橋から神保町に向かう白山通りの左側にありました。
 そこでは、火炎瓶や爆弾などの作り方を書いた『腹々時計』『球根栽培法』、その材料になる可燃物や武器などを販売している店の一覧『栄養分析表』など、アブナイ印刷物も販売していました。
 模索舎は新宿御苑近くにあって、ウニタよりは小さい店でした。この模索社は、別なことで有名になりました。
 模索舎は持ち込まれたものはすべて置く方針です。当時、『面白半分』という雑誌に掲載された『四畳半襖の下張り』が摘発されて発売禁止になりました。そのコピーが模索舎に持ち込まれ、販売したために模索舎も摘発されたのです。
 ちなみにそのコピー、ぼくはちゃんと蔵書しています。
 ウニタはなくなりましたが、模索社はかろうじて健在です。

●全共闘の終焉
 70年安保闘争に挫折すると、全共闘運動は急速に力を失って行きました。それからは浅間山荘事件で有名な連合赤軍など、大衆から遊離した過激派が不毛な事件をいくつか起こし、やがて学生運動は消滅してしまいました。

 全共闘華やかなころは、それが実現するかどうかはともかく、みんなが「夢」を持っていました。そして「理論武装」しなければ仲間と話ができませんでしたから、ものすごく勉強もしました。
 端から見れば、将来のことをどう考えているのだろうと、疑問に感じたかもしれませんが、今できることを精一杯やっていれば、必ず未来は開けると信じていました。
 みんなが貧乏で、みんなとっても汚らしかった。携帯電話もなければコンピューターもない。
 それでも、みんなが生き生きしていて、現代よりずっと楽しい時代でした。

  最後に、「球根栽培の唄」、森田童子です。

*この記事、記憶が間違っているかもしれません。ご指摘があれば訂正します。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



もっと、やさしいことばで「憲法9条」

2007年11月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 「憲法をやさしいことばに直した本がいろいろ出てますが、まだむずかしいんです。もっとやさしくなりませんか。小学生でもわかるくらいに」
 というご要望におこたえして、「もっと、やさしいことば」で憲法9条を書き直してみました。

-----------------------------------------
日本の国のけんぽう 9じょう??日本はせんそうをしません

 日本にすんでいるわたしたちは、みんなが正しいかんがえと、正しいおこないをすることで、世界中(せかいじゅう)が平和(へいわ)になることを、こころからねがっています。
 ですから、政治家(せいじか)の人たちが、その力をつかって戦争(せんそう)をはじめようとしても、ぜったいにさせません。
 そして、国と国とのあいだでもめごとがおきても、ミサイルや爆弾(ばくだん)などでおどかしたり、そういうものをつかって、よその国をせめたりは、ぜったいにしません。
 これからさきずっとです。

 戦争はぜったいにしないときめましたから、戦争につかうための、きかいや、どうぐや、のりものや、基地(きち)などは、どれももたないことにしました。もちろん、ミサイルも爆弾も兵隊(へいたい)もです。
 もし、政治家たちが「日本の国は戦争をしてもいいのだ」、などといっても、ぜったいにみとめません。

=非営利に限り、転載可=
-----------------------------------------

日本国憲法第9条 戦争の放棄(原文)

 ①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 ②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

     ◆◆◆◆◆

Okunikotoba全国お郷ことば・憲法9条
amazon

企画編集 坂井泉
発 行  合同出版
定 価  本体1,400円+税





◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



大江健三郎「定義集」より

2007年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム
Teigishu

 大江健三郎氏が朝日新聞に執筆しているコラム「定義集」(11月20日付)は、大江さんの側から見た大阪地裁での裁判の様子がとてもわかりやすく描かれていました。
 すでに新聞にニュースとして掲載された内容を、より具体的に裏付けるものでもありました。

 大江氏は、大阪へ向かう新幹線の車内で、紅葉を楽しむ暇もなく原告側の陳述書や大量の書証に目を通し、その上で法廷に立ったそうです。

 「定義集」を読んでわかったことは、原告側の告訴理由が『沖縄ノート』にあるのではなく、どうも曾野綾子氏の『ある神話の背景??沖縄・渡嘉敷島の集団自決』に書かれた『沖縄ノート』に関する記述にあるのではないか、と思えるのです。
 原告側は曾野綾子氏の意見を元に「赤松元大尉を『罪の巨塊』などと《神の視点》に立って断罪……」とか「『自分は平和主義者だが、世間にはこのような悪人がいる』というかたちで赤松元大尉を断罪……」と言っているが、慶良間列島の守備隊長を、大江氏が『沖縄ノート』の中で「極悪人」呼ばわりした事実はないこと。
 また、曾野綾子氏は「『巨きい罪の巨塊』という最大級の告発の形を使うことは……」と「巨きい罪の巨塊」があたかも守備隊長をおとしめる言葉であるかのように書いていることについても、これが誤読であると指摘しています。
 この部分は『沖縄ノート』の210ページにある「人間としてつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」という箇所です。
 「かれ」とは渡嘉敷島の守備隊長で、「巨塊」は「巨きい数の死体」を意味する言葉。したがって、「『かれ』が『巨きい罪の巨塊』では文法的にムリがある」と述べています。

 しかも、原告の一人、赤松秀一氏は、『沖縄ノート』を知ったのが、曾野綾子氏の著書を通じてであって、『沖縄ノート』は入手したものの飛び飛びにしか読んでいないと明言しているそうです。
 どうも原告は『沖縄ノート』を直接読んで腹を立てたのではなく、曾野綾子氏の著書を読んで腹を立てたと見るのが妥当なようですね。

 中学校や高校でよくけんかの元になるのは告げ口や悪口。
 「○○がお前のことこんな風に言ってたぞ」
 いっぱしの大人なら、その張本人に確認してから腹を立てるものですが、子どもは言いつけたのが仲良しだったりすると、告げ口や悪口の方を信じてしまうことがしばしば。

 さて、この裁判の原告、肝心の『沖縄ノート』は読まず(このぶんでは、もう一つの訴訟対象である家永三郎の『太平洋戦争』も読んではいないでしょう)、本人にも出版社にも抗議することなく、とんちんかんな悪口本をそのまま信じ、味方のふりをした歴史歪曲グループなどの周囲から持ち上げられての告訴。
 どうやらおじいちゃんたち、この期に及んで恥をかくことになりそう。
 まあ、何をか言わんや、です。

 ところで、ぼくは曾野綾子氏の『ある神話の背景??沖縄・渡嘉敷島の集団自決』は読んでいません。こう言うと「おまえだって読まずに論評しているじゃないか」というようなお叱りのコメントやメールが来そうですが(たいてい来ますね)、こういう批判はお門違い。断っておきますが、ここに書いたのは曾野氏の著書に対するぼくの論評ではありません。大江さんの考えに同意して書いたものです。
 だいいち、曾野氏の著書が論評に値するとも思っていません。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




おばあさんとゴミバケツ

2007年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
Gomibaketsu

 ある昼下がり、ぼくは2階の仕事場でコンピューターに向かって原稿を書いていた。
 1階のチャイムが鳴って、ほどなくかみさんが玄関に出て行ったようす。
 宅配便だろうか、小包だろうか。
 それにしてはかみさんが誰かと話している時間が長い。
 もしかして、押し売りか。
 かみさんは、信じやすいというかだまされやすいというか、セールスマンなどにすぐ言いくるめられて、不必要なものを買わされてしまうことが時々ある。
 ここに越してくる前の狭いマンションの時、ぼくの留守中にとても使いこなせそうもない大型掃除機をローンを組んでまで購入したものの、結局ほとんど使わずじまい。
 もっともその掃除機、それから10年ほどたって、今の家に引っ越してからはけっこう活躍している。
 つい最近も、怪しげなシロアリ退治のセールスにひっかかりかけて契約寸前だった。上の子が「ママがおかしなのにひっかかりそうだよ」と知らせに来て、すんでの所でストップ。すでに印鑑まで押していたのを、セールスマンから取り上げて破棄。
 その間にも話せばきりがない大小様々なニアミスがあった。ほっておくと危険がいっぱいである。
 だもので、また何かにひっかかっているのかと、階下へ様子を見に下りてみると、すでに相手は帰った様子。
 かみさんは玄関ドアを閉めながら、ぼくが問う前に話し始めた。
 「おかしいんだよ。今、筋向かいのおばあさんが来てね、『お宅のゴミバケツを壊しちゃったから、代わりを買ってきました』って持って来たの。『うちはゴミバケツは使っていないから、他のお宅じゃないですか』って言ったんだけど、うちのだって聞かないのよ。それにおかしなことも言うの。『お宅のおばあさんがいつもゴミ出ししてるのを見てるからお宅のです』って」
 「それ、前に住んでた人のことじゃないのかなあ。それにしても、1年も前のことになるしね」
 「隣におばあさんがいるから、お隣じゃないですかって言ったんだけど、違う、このうちだって言うの。それに、昨日もおばあさんが玄関から出てくるのを見たって。『今日はおばあさんいらっしゃらないんですか』って言うから、うちにおばあさんはいませんて言ったんだけど、毎日見かけるって。気味の悪いこと言うんだよ」
 「老人性認知症かもしれないね。時間の感覚がなくなって、何年も前のことをついさっきのことのように言ったり、ご飯を食べたばっかりなのに『嫁が朝からなんにも食べさせてくれないの』なんて近所に言って回ったりね」
 「でもこの家、ときどきラップみたいな音がパシーンって聞こえたりするじゃない、なんかいるんじゃないかな、古い家だし」
 「そんなことはあるわきゃないよ。戸建ての古い家は、今年みたいに寒暖の差が激しいと音がすることあるよ。で、そのゴミバケツどうした?」
 「あんまり言うから、強く断るのもかわいそうだと思ってもらっておいた。『それじゃあ、遠慮なくいただいておきます』って言ったら、安心して帰って行った」
 「おそらく、何年も前に何かの拍子でゴミバケツを壊したことがずっとひっかかっていたんだろうね。気にし続けていたんじゃないのかな。でもそれがいつのことなのか、おばあさん自身分からなくなってるんだ」
 「うちにおばあさんがいるだなんて、あのおばあさん、霊が見えたりしてね」
 「もし見えてるんならすごいね。ほんとにおばあさんがいるんなら、ご挨拶しなきゃね」

 その夜、子どもたちを交えてかみさんが報告。
 「……だからね、もしかしたらこの家、見えないおばあさんが住んでいるかもしれないんだよ」
 下の子無量は怖い話が大嫌いで、そんな話を聞くとたちまち表情がこわばってくる。
 「無量、おばあさんに会ったらちゃんと『こんにちは』って言うんだよ」
 上の子がよせばいいのにそんなことを言っておどかすものだから、無量は今にも泣きそうな顔。
 案の定、無量はその夜怖くてなかなか眠れず、ずっと部屋の明かりを付けたままごそごそやっていた。
 それでも、11時過ぎてさすがに眠くなったのか、いつの間にかスースー。
 ところが、深夜になってから突然起き出して、ぼくとかみさんがいる2階に上がってきた。
 「おばあさんが、おばあさんが……」
 どうやら夢を見て寝ぼけたのだろう。
 「おばあさんがどこにいたの」
 無量はだまって階下をゆびさした。手を引っ張るのでその方に行くと、自分の部屋に入って行く。そして、どうするのかと思ったら、勝手に寝具に潜り込んでコテッと寝てしまった。
 やっぱり夢だったようである。当然朝になれば、夜中に起きて来たことなど覚えていない。

 それから後、筋向かいのそのおばあさんの姿は見かけていない。そもそも、そのおばあさんそのものが、ほんとうにいたのかどうか。もしいないのなら、もっと怖い。

 そのゴミバケツ、それからどうしたのかというと、今でも玄関先にそのまま置いてある。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



「文豪・夏目漱石」に行ってきました

2007年11月19日 | アート・文化
1iriguchi

 9月26日からやっていた「文豪・夏目漱石」に、11月18日の最終日にようやく行ってきました。
 JR総武線を両国駅で降りて、江戸東京博物館の1階へ。
 最終日とあって大変な人出で、これなら無理してでも平日に行くべきだったと、ちょっぴり後悔。

2chirashijpg

 展示内容は、漱石の生涯を通じて、主に私生活が描かれていました。
 つまり、見合い写真とか学生時代の身体検査の記録とか。
 ぼくにとっては、どちらかといえば「そんなの関係ねえ」。
 小説家として門下生がたくさんできて、気さくにお金を貸したりしていたようです。
 几帳面にも誰にいくら貸したかちゃんとノートに付けていたんですね。返されて来たら線で消してありますが、消してないのがだいぶありました。これはおそらく取りっぱぐれ。
 健康マニアでもあったらしい。「エキザーサイサー」とかいう健康器具を買ったものの、ひどい筋肉痛になって1日で懲りたという話なども紹介されています。
 漱石の伝記でも書くのならともかく、ぼくは作家としての仕事にしか興味ないので、これも「そんなの関係ねえ」。

3kokorojpg

 興味があったのは、漱石と岩波茂雄との出会い。
 岩波書店を設立して間もない頃、安倍能成(あべ・よししげ)を介して漱石と知り合った岩波茂雄は、この大作家の本をどうしても出版したかった。
 このころ漱石が懇意にしていた出版社は春陽堂。日参して出版が決まったのが『心=こころ』。
 この、『こころ』の装丁に使われた「石鼓文」の拓本が、その後岩波書店から数期に渡って発行される漱石全集の、シンボルとなります。
 『こころ』の造本はなかなかしゃれたものですが、ブックデザインはすべて漱石自身によるもの。
 デザイナーとしてもなかなかのものです。

 「石鼓文」というのは、中国は唐の時代初期の石碑に刻まれた文字で、篆(てん)書で書かれています。現在は北京故宮博物院に展示。

4genkoyoshi ところで、これは展示会では説明されていませんでしたが、有名な漱石の原稿用紙。今の原稿用紙のほとんどが1行20字であるのに、漱石のは1行19字。
 これは当時の新聞が1行19字(7段組)だったため。新聞に連載する都合上、1行19字の原稿用紙をわざわざ作ったわけです。


5tshatsu

 ミュージアムショップには、お約束のTシャツ。
 「読めるTシャツで~す」と呼び込んでいるのを聞いてそのTシャツを見ると、背中の部分に漱石全集初版の『我が輩は猫である』の2頁分がプリントされています。
 背中です。自分じゃ読めない。
 全集初版は旧字旧かなです。前にプリントされていても読めない人が多いのでは。
 「読めないTシャツで~す」

6tsukehige

 ふと横を見ると、漱石風の付け髭まで売っていました。4,200円!(ばっかじゃなかろか)

7guide_book

 念のためと買って来た「公式ガイドブック」は、これはこれでなかなかよくできています。

 「文豪・夏目漱石」、コンセプトは良くわからない展示会でしたが、でも、それなりに楽しめました。
 最終日なので、行ってみたかったのに行けなかった人は御愁傷様です。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



杉五「学芸会」

2007年11月18日 | 受験・学校
今日は杉並第五小学校としては最後の学芸会でした。
 来年からは若杉小学校と統合されて「天沼小学校」になり、新しい校歌を谷川俊太郎(作詞)・賢作(作曲)親子に発注しているそうです。

Gakugeikai1

 無量が前方転回で登場することはわかっていたのですが、ソデからいきなり登場してあっという間に。
 慌ててシャッターを切ったらこんな写真になってしまいました。
 まるで「マトリックス」。(お腹出てるし)
 自分では足が曲ってしまって不満足の様子でしたが、それでも客席からは「ウォ~!」。

Gakugeikai2

 「本当の宝物」を競い合う「世界宝物コンクール」という芝居。
 でも、「コソクール」?
 架空の国の住民がそれぞれ自分達の宝物を持ち寄って審査を受けます。盗んだりごまかして奪ったり、他人の迷惑になるようなものは却下。

Gakugeikai3

 無量の国は「イクサマニア連邦」。爆弾が宝物だと言ってもって来ます。モデルはアメリカか? 当然却下されます。それならばと爆発させようとしますが不発。

Gakugeikai4

 でもまあ、女子に「カッコイイ」と言われただけあって、見てくれだけは決まってました。
 タートルネックの襟が決まってなかったけど。

Gakugeikai5

 最後の6年生の「ユートピア学園」は素晴らしかった。封建的で暴力的な学校を、ある博士がつくった女の子のアンドロイドが改革していく話で、実によくできていました。

Gakugeikai6

 主役のアンドロイドは、3人が演じわけていたのですが、不覚にも最後まで気付かず。
 そういえば、瞬時にして上手から下手に、まるでマジックのように移動していたのを、ただ「ふしぎだなあ」とぼんやり見ていました。
 「マルッとお見通し」じゃなかった。
 最後の出演者紹介で3人並んだのでびっくり。

 杉五小学校は、運動会の組体操もそうですが、学芸会もなかなかレベルの高いものを作ります。たまに他の小学校のイベントも見に行きますが、なかなかここまでは作り切れないようです。
 先生が変わっても、次の先生に引き継がれていくようです。
 しかしそれも、学校の統廃合でどうなることかわかりません。
 統廃合で通学がずいぶん遠くなる児童が少なくないと聞きます。
 何もかも経済優先の石原都知事とそれに従う山田区長の体制を変えない限り、子どもたちの悲劇は続きます。

         ◆◆◆

「キムチ鍋」です。

Kimuchinabe

 子どもたちの要望で、今日はキムチ鍋。
 テレビで見て食べたくなったのでしょうが、誰も作り方がわかりません。
 で、ネットでレシピを検索してつくったのがこちら。
 初めてにしてはなかなかいけてます。

 レシピはここhttp://hama.way-nifty.com/usa/2005/11/post_b70a.htmlから拝借しました。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆

◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




F4→D80 選手交代

2007年11月17日 | 通販・買い物
Nikon

 今年2回も修理に出したソニーのサイバーショットが、またも同じ箇所の不具合で3度目の入院。
 「前回怪しいと思える所は全部交換したんですけどねえ……」
 ソニーの技術の人も首を傾げていました。
 雰囲気から治る見込みは薄いと見ました。
 欠点は山ほどありましたが、画質がきれいなので取材にもプライベートにもけっこう愛用していました。

 ふと思ったら、あすは無量の学芸会。かなりいい役をゲットしていて、しかも前方転回で登場するそうなのです。練習では女の子たちから「カッコイ~!」と言われていい気分になっています。
 ところが、そんな肝心な時にカメラが故障。

 実は、サイバーショットに限界を感じていて、だいぶ前から買い替えを考えてはいたのです。
 以前からぼくはニコンのF4を愛用していて、交換レンズを何本も持っているのですが、世の中はすっかりデジタル時代。フィルムのカメラはめったに使わなくなり、宝の持ち腐れになっていました。
 なぜなら、デジタル専用レンズでないと使用できないと聞かされていたからです。
 ところが、D80からは過去のレンズが使用できるとのこと。
 知らなかった。

 そこで、急遽ヨドバシカメラ吉祥寺店に電話して、買いに出かけました。

 上の写真の左がF4で右が今回買ったD80。ふた周りも小さくて、ずいぶん軽い。
 性能で言えばそりゃあ、F4が数段上。ピントを合わせる時もF4はチャチャッパシャッ。
 D80はジジー、ジーパッシャ。
 もっと高級機になればF4並みの性能が得られるのでしょうが、欲を言えばきりがありません。

 交代と言っても、F4を引退させるわけではありません。銀塩フィルムならではのよさは捨てがたいので、これからもときどき登場してもらいます。
 思えばこのF4とともに、実にいろいろな所に行きました。交換レンズや大型三脚を持っていくと、相当な重さになりますが、これを持って沖縄もニューヨークもバリ島も行きました。
 思い出すのは、バリに行ったとき、ジャカルタで国内線に乗り換えるのに空港内をこの重い機材を担いで延々と歩かされました。先導するインドネシア人の女性係員が、遅れがちなぼくの方に目をやって、いかにも「遅い」と言いたげに目配せします。
 台車もなかったな、この時は。
 とんでもなく広い空港でした。

 しかし、これからは18-200ミリのズームレンズを基本に、テレプラスと接写用のマクロレンズを持参すればたいてい用が済みます。デジタルカメラでは、18-200ミリのズームレンズは35ミリカメラに換算すると27-300ミリになるんです。広角は弱冠弱くなりますが、望遠は300あれば十分。2×のテレプラスを着ければ600ミリの超望遠になります。

 いざ取材という時に説明書を見ながらというわけにはいきませんから、事前にマスターしておかなければなりません。明日は無量の学芸会をダシに練習です。
 F4を使っていたので、だいたいの様子は分かりますが、それにしても複雑なカメラでマスターするのが大変そう。

Kichijoji

 ヨドバシからの帰り、吉祥寺駅前に豪華なイルミネーションが。
 市制60年だそうです。
 ぼくは貧乏性なので、この電気代は誰がいくら払うのか気になります。
 こういうことをほうぼうでやらなければ、原発なんて必要ないのでは。

 何十年か前の話ですが、知り合いがスナックを始めたとき、店の天井を星空にしようというわけで、小さな電球をたくさん埋め込みました。アイデアはすばらしく、とても素敵だったのですが、しばらくして再び店に行った時には普通の照明に換えられていました。
 「あれ、天井どうしちゃったの?」
 「実はものすごい電気を食うんだよね。このためにアンペア数を上げたのにメーターがコマみたいにクルクル回っちゃってね。これじゃあ電気代で店がつぶれるし、エネルギーの無駄遣いだからねえ」

 イルミネーションて、ものすごい電気を使うんです。表参道や丸の内で大掛かりなのをやってましたけど、想像するだに恐ろしい。

 最近は白熱電灯よりも電気消費量の少ない発光ダイオードが使われるようになって、信号機などもそれに換えられていますね。だから昔ほどは電気の消費量が多くないでしょうけれど、その分大掛かりになっていますからやっぱり半端じゃない。
 本物の星空が見える都会というのも素敵だと思うのですが、いかがなもんでしょうか。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの原稿を本にします◆
詳しくはメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで