ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

訃報 木下順二/実相寺昭雄

2006年11月30日 | ニュース
 今朝新聞で、僕にとって印象深い二人の人が亡くなったことを知りました。

Kino 木下順二さんは僕が新劇に関わっていたころ憧れの人で、さまざまな舞台を見る度に、その台詞の美しさに感動したものです。
 とくに山本安英(やまもとやすえ)さんの名演で名高い『夕鶴』は公演の度に見に行きました。
 『夕鶴』という作品は、民話の「鶴の恩返し」を舞台化したもので、最初「ぶどうの会」として、解散後は「山本安英の会」としてたびたび上演され、その公演回数は千回をこえるといわれます。

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 写真上は「つう」の山本安英と「与ひょう」の桑山正一。下は「つう」と子どもたち。ともに木下順二著作集第1巻に掲載のもの。

Photo_104 ベストメンバーで録音された『夕鶴』のLPはまさに家宝。つう役の山本安英さんも、与ひょうの桑山正一さんもすでに故人です。
 桑山正一さんとは一度テレビで共演したことがあって、そのときの傑作な逸話がありますが、訃報の記事に入れることではないのでまたの機会に。

1_5 未来社発行の『木下順二作品集』はリアルタイムで購入したものですが、今は絶版のようです。

 「沖縄」「子午線の祀り」などなど、心に残る作品が多数あります。
 岩波文庫の4冊が比較的手軽に入手できます。
 『夕鶴・彦一話 他二編 木下順二戯曲選(2)』『子午線の祀り・沖縄 他一編』『風浪・蛙昇天 他一編 木下順二戯曲選(1)』『オットーと呼ばれる日本人 他一編』。




Photo_105 実相寺昭雄さんは、実はウルトラマンの監督としてではなく、新宿アートシアターで上演された『無常』で知り、翌年の『曼陀羅』でファンになりました。
 この2作品の印象があまりにも強烈だったので、その後の作品はなんとなく物足りなくて、そのまま見なくなってしまいました。
 京極夏彦原作の『姑獲鳥の夏』も実相寺さんの監督作品。すでに本を読んでから見に行ったせいかあんまり印象に残っていません。
 しかし、このさい『無常』『曼陀羅』とともにもう一度見ようかと思います。
 『無常』のラストシーンで、ヒロインが子どもといっしょに階段を上っていくシーン、『曼陀羅』ではなぜだか主人公が旅立つときに書店で岩波文庫の『万葉集』二冊をさっと抜き取って買って行くシーンが眼に焼き付いています。
 『無常』と『曼陀羅』のアートシアターのパンフレットを所蔵していたはずで、探したものの見つからず。もし見つかったらここに追加で掲載します。印象的なワンシーンのスティルも掲載されていたはずなので。

 しかし実相寺さん、69歳はちょっとせっかちだなあ。僕の父親が死んだ年と同じだ。 合掌

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『四畳半襖の下張』

2006年11月29日 | うんちく・小ネタ
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 今日もまた、永井荷風がらみです。
 1972年、月刊『面白半分』の編集長をやっていた野坂昭如氏と株式会社面白半分の社長佐藤嘉尚氏は、雑誌に掲載した『四畳半襖の下張』が猥褻文書販売の罪にあたるとして罰金刑を課せられました。
 このときから、『四畳半襖の下張』は一躍日の目を見たのです。

 しかし、この作者は金風山人という正体不明の人物になっていて、本当の作者がだれなのか正確にはわかっていませんでした。
 うわさでは永井荷風作ではないかといわれ続けていて、その噂が決定的になったのが、かの『断腸亭日乗』。自分の作品だとちゃんと書いています。
 しかし、それなのにもっとも新しい荷風全集にも載っていないのは、やはり一度猥褻本の汚名を着せられたからでしょうか。

 それよりなにより文語体のこの小説を読んで、猥褻と感じた警察官や裁判官はスゴイ!
 本当はここに一部を引用したいのですが、つかまるとやばいのでやめておきます。

 「これが猥褻なら、教育勅語だって猥褻だ、〈夫婦相和し朋友相信じ〉なんてのはセックスと同性愛の話だ」
 野坂昭如は判決を受けてこう毒づいていました。今ではせっかく解禁になった『チャタレー夫人の恋人』でさえもあんまり売れなかったようです。
 『四畳半襖の下張』も仮に現代語に訳して読みやすくしても、「だから何」って感じでしょうね。

 手元には2種類の復刻版があります。右のイラストは、原本にあるもので、凸版印刷の営業が何年も前に全ページ、といっても20ページばかりですが、コピーして持ってきてくれたもの。まだコピーがあまり精度の良くないころだったので、かなり不鮮明です。
 左の和綴じ風のが最近出回っているもので、冒頭のイラストは掲載されていません。


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ものの値段

2006年11月28日 | うんちく・小ネタ
Photo_100 手元に『戦後値段史年表』(朝日文庫)というのがあります。
 1995年の発行なので、10年以上前のところまでしかわかりませんが、それでも見ているとけっこうおもしろいものです。


Photo_101 たとえば文庫本の値段。かつて岩波文庫は星の数で値段を表示していて、僕が記憶しているのは星一つが50円。1962年から1973年ごろの値段です。
 かつて星一つの値段だった『歎異抄』が今や360円! 7倍以上です。
 写真は「星一つ50円」だったころのと今の『歎異抄』。古い方のはごらんの通りスピン(しおり)がついていて、綴じ方も糸かがり。今のは無線綴じ(のり付け)でしおりは紙。必死に物価の上昇に抵抗しつつも耐え切れず、という感じが現れていますね。
 ちなみにいまでもスピンを付けている文庫は新潮文庫だけです。

 岩波文庫が星一つ50円だったころ、国鉄(JR)の最低料金は10円。それが今では130円なのだから、それにくらべれば岩波文庫は値上がりしていないともいえます。

Photo_102 しかし文庫といえどもバカにできない値段のものが最近は多いようです。
 同じく手もとにある講談社学術文庫の『江戸語の辞典』はなんと税別3500円! 文庫のクセにとんでもない値段だ。
 そう思っていて、なんで持っているんだろう。買ったからでしょうね、きっと。バカです。

 『戦後値段史年表』の中にはこんな値段も載っています。
 「ストリップ劇場入場料」
 永井荷風が通っていたころの浅草ロック座の入場料は100円。いい時代でしたね。
 僕が若かった頃には300円くらい。AVなんかない時代でしたから、友だち何人かで酒を飲んだ後ワイワイ言いながら、何度か気軽に行った覚えがあります。
 騒いでいると、ほかのお客さんではなく、舞台の踊子さんにしかられた。
 「こういうところはたくさんで来るところじゃないの。今度からはひとりでスケベーな気持ちになりにいらっしゃい」
 しかしなぜか、仲間のだれからもひとりで行ったという話はききません。こっそり行ったという形跡もありません、なぜならよく誘われましたから。きっとみんな、気が小さかったんですね。(僕も含めてですが)

 そのストリップが1992年には6000円になっていて、これはもう貧乏な若者が出入りするようなところではありません。
 荷風さんはお金持ちだけれどケチだから、今もし生きてたらびっくりするでしょう。6000円出してまで「正午浅草、正午浅草」はなかったかも。いんや、荷風さんのことだから、そういうことには全財産叩いてでも通ったかも。

 で、2006年の現在はいくらくらいなんでしょうか。
 だいいち今の若者たちはストリップなんか行くんでしょうかね。

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「ime.nu」ってなんだ?

2006年11月27日 | おしらせ
 ブログの「アクセス解析」で、お客さんがどこからいらしているのかを見るのも楽しみの一つです。
 先日ぼくのブログのアドレスに「ime.nu」という文字が頭についたサイトから飛んできているのがあった。
 そこに行ってみると、なんとアダルトサイトではないか。
 「感じ悪る!」
 で、ここで調べてみると、
 「2ちゃんねるに張られたURLをクリックすると、ime.nuで始まるアドレスを経由してから目的のページに飛ぶ仕様になっている。そのため、リファにこの文字列を見つけた場合、2ちゃんねるのどこかでで話題になっていることを示している。しかし、具体的にどこからリンクされているかがわからない」
 というものだそうだ。

 「2ちゃんねる」でそれらしきキーワードで検索しても、結局だれがどこで張り付けたのかはわからずじまい。
 とりあえず、実害はないのでほってあるけれど、何のつもりでやったことなのか分からないので、気色悪い。

 もし文句があるのなら、堂々と名乗りをあげていらっしゃい。
 自分に自信がないか、悪いことをしていると自覚しているから名乗れないのだろうけれどね。

 「これは、『安全なところから他人に石を投げる』という2ちゃんねる的メンタリティを強化するための機能」なんだそうだけど。
 これって、中三女子に匿名で脅しをかけたやつと同じだ。どうせ「2ちゃんねる」で「名無しさん」とかいって他人の悪口を投稿している、陰湿な小心者なんだろう。

 しかし、「どこかでで話題になっている」ということらしいので、ま、僕の書いた記事はそれだけインパクトがあったということだ。やったね!

 反論はちゃんと「コメント」で投稿して欲しいな。答えられることは答えるつもりだから。
 ただし、誹謗中傷のたぐいは即時削除します。

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「正午浅草」「正午浅草」

2006年11月26日 | 本と雑誌
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荷風さんの戦後半藤一利
(筑摩書房 刊)

 永井荷風の代表作と言えば『ぼく東綺譚(「ぼく」はサンズイに墨)と答える人が多いと思いますが。実は永井荷風をして巨匠の地位を揺るぎないものにしたのは、まぎれもなく『断腸亭日乗』。
 これは、永井荷風が38歳のときから79歳で死ぬ直前まで42年間にわたって書き続けた日記です。とにかく勝手気侭やりたい放題の「風狂」人生で、読む人をあきれさせたり憧れさせたり、一度読みはじめるとあとを引く面白さです。
 しかし、42年間の日記ですから、それはもう生半可な量ではありません。岩波の『荷風全集』全29巻のうち6巻がこの『断腸亭日乗』、なんと3000ページにものぼります。

 半藤さんは根っからの荷風好きとあって、この膨大な『日乗』を隅から隅まで熟読して、荷風さんと一緒に生活していたかのような、いきいきとした荷風像を描き出しています。
 まるで横町のご隠居が縁側で語るような気さくな雰囲気は、半藤さんならではのもの。

 空襲で焼け出されて蔵書も何もかもすべてを失い、原稿用紙の入った買い物篭一つを下げて知人の住まいを点々としていた荷風さん、やがて市川の知り合いの家に転がり込みます。
 そのあたりから荷風さんの暮らしは一変します。無一文だったのが出版社からの依頼が殺到して、しまいには中央公論社から全集まで出すことが決まり、一気に大金持ち。理想的な印税生活を堪能します。
 で、荷風さんの堪能のしかたは、浅草のストリップ劇場通い。1週間もたたないうちに踊子の楽屋に出入りするようになります。70歳、爺さんやるもんだ。
 そのうち、ストリップ劇場のために軽演劇の脚本まで書き、自分も出演(さすがに生板はやってません)する始末。もっとも、当時のストリップは今のAVとは違って風情があった。

 ストリップ劇場通いは、死ぬまぎわまで毎日のように続いていたようです。『日乗』には、歩行困難になって寝たきりになるまで、すさまじいばかりに「正午浅草」の文字が連続で、特に何はなくともこれだけは、とばかりに書かれています。なにか執念のようなものを感じますね。

 半藤さんの『荷風さんの戦後』は『日乗』に気のきいたツッコミを入れて、また裏話も添えて、とても楽しい本になっています。

 ところで、僕の蔵書の『荷風全集』は、つい先だってまで全29巻のところ28巻までしかありませんでした。
 実は亡くなった父親がこれと同じ全集をもっていたのですが、妹が引っ越すときに古本屋に売ってしまっていたのです。
 残念に思っていたところ、荻窪のささま書店に出ていたのを、欠本があるせいか格安で購入しました。
 不足の29巻だけ1冊というのはまず手に入らないだろうと諦めかけていたら、つい先頃高原書店で発見。やや日焼けはしているものの、格安だし、これを逃すと一生手に入らないだろう、ということで購入。これで全巻揃って、めでたしめでたし。

 『断腸亭日乗』をちょっとだけ覗いてみたい人には、岩波文庫から『摘録断腸亭日乗』(上下)が出ています。


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「いじめ自殺問題」の問題点

2006年11月25日 | 社会・経済
 “いじめ”が原因と思われる自殺あるいは未遂が、このところ連続して起きていて、それがマスコミで大々的に取り上げられ続けている。
 今日(24日深夜)未明のテレビ朝日「朝まで生テレビ」でも3時間にわたって討論が繰り広げられた。
 パネリストは、寺脇研 伊藤玲子 喜入克 鈴木義昭 中嶋博行 長谷川潤 宮崎哲弥 森越康雄 八木秀次 葉梨康弘 蓮舫 福島みずほ。

 前半だけ見ていたが、話がごしゃごしゃになってきた後半は見るのをやめた。(眠くなってきたし)
 前半の、討論と言えるかどうかは別にして、それぞれの意見が今の日本人の考え方を象徴していて面白い。


“いじめ”は誰かのせいで起きるのではない

 いきなり伊藤玲子とかいうばあさんが、「日教組が悪い」と言い出した。すぐに田原総一郎が却下。
 だが、必ず誰かのせいにするのは日本人の常である。「責任の所在を明らかにする」というお題目のもとに、自分の責任を回避するのである。
 先生の質が悪い、家庭教育がなってない、日教組が悪い、はてはマスコミがあおることが原因だ。
 それぞれ原因の一端はあるだろうが、本質ではない。
 責任を明らかにして、責任有りと認められた誰かが何とかすれば“いじめ”も自殺もなくなるのか。
 そんなことはない。


“いじめ”はなくなることはない、という意見

 中学の先生、だったと思う。現場の声として大変参考になった。
 鴨長明(かものながあきら)の『方丈記』を引用して、「いじめはなくなりません」と言い切る。
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明)
 「生徒の流れは絶えずして、しかももとの生徒にあらず」(校長)
 3年かけて教育して卒業させても、新たに入学してきた生徒のあいだには、また新しい“いじめ”が存在する。だから決してなくなることはないという。

 その通りだと思う。半世紀も昔の話になるが、僕自身もいじめられたし、いじめた記憶がある。しかし、そのいずれも大事には至っていない。
 早ければ数日、長くても数週間でもとに戻っていた。
 だから、“いじめ”そのものはなくなることなく、これからもずっとあるだろう。したがって、重要なのは“いじめ”をなくすだけではなく、“いじめ”があったときにどう対処するかが大切なのだ。
 その対処はだれがするのかというと、これは責任論ではない、国民すべてである。大人も子どももだ。


声かけにはエネルギーがいる

 僕が子どものころは、悪戯をしたり喧嘩をしていると、知らないおじさんやおばさんに叱られた。今の時代、他人の子を叱る大人はいない。
 学校では、休み時間でも放課後でも、学校にいればどこかに先生の目があった。今は授業時間以外教員室に入ったままで、ほとんど出て来ない。
 忙しいということだが、なにかプライオリティを間違えていないだろうか。
 JRに人身事故が多いのは、合理化合理化で駅員がホームに立たなくなったことが最大原因だが、それと似ている。
 勘違いしないで欲しいのは、子どもと校庭で一緒になって遊べということではない。もっと子どもに注意を向ける時間を重視すべし、ということだ。
 ただし、学校から一歩でも外に出たら、これはもう先生の目が届く範疇ではない。校門から家までは街の人の目が重要である。

 現代人は見知らぬ人に声をかけることが実に苦手である。だから、道端で苦しんでいる人がいてもほとんどの人が知らん顔して通り過ぎる。面倒なことにかかわりたくないのである。いつか自分にも、他人の助けが必要な事態がおこるかもしれない、など想像もしない。
 だから、慣れない声かけには、ものすごいエネルギーがいるのだ。

 マンション暮らしで隣の部屋の人とも顔をあわせることのない時代に、おせっかいババアはいやがられる。
 ある家族が引っ越してきたマンションでこんな出来事があった。
 このマンションの住人は、エレベーターの中でも玄関先でも、出会う人がみんな挨拶をするのである。
 「このマンション、めんどくさそうね」
 奥さんにそういわれて、半年もしないうちにまた引っ越したという。
 しかし、ちょっと通りすがりに挨拶するのもイヤな人は実際少なくない。

 以前僕は、外資系の会社の仕事をしていたことがあって、その会社では顔をあわせる誰もがニッコリする。エレベーターの中で金髪の美女にニッコりされてまんざらでもない顔をしていると、ガールフレンドに「勘違いしちゃダメよ」とクギをさされた。
 もし日本の会社でそんなことをやったら気持ち悪がられるだろう。

 時代が変わったのだから、とよく言われる。しかし、その時代を変えたのは人間なのだから、よりよい方向にさらに変えていくこともできるはずである。


“いじめ”と自殺は別の問題である

 僕は以前から、別々の問題をひとくくりにするな、と言っている。したがって、「いじめ自殺」という問題は存在しない。
 “いじめ”と“自殺”は別個の問題なのである。

読売新聞「子どものニュースウィークリー」H18年6月発表 警察庁統計資料を参考に、以下のようなグラフを作ってみた。

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 見ればわかる通り、“いじめ”は全国の学校で膨大な件数(グラフは確認ができているものだけの数)起きており、子どもの自殺者もまた、昨年だけで600人以上出ている。因果関係がはっきりしないので実数は不明だが、このうち“いじめ”が原因とされるのはほんの一部でしかないだろう。
 “いじめ”は子どもが自殺する引き金にはなったかも知れないが、それ以前に子どもを自殺に追い込んだ原因が別にあるのかも知れないのだ。

 たとえば、受験かも知れないし、家庭環境かも知れないし、何かに失望したのかも知れない。「死にたい」「死んでやる」と思い続けていたところに“いじめ”を受け、自殺するための“好都合”な理由ができたとも考えられる。
 もちろん、中には純粋に“いじめ”だけが原因で自殺する子どももいるだろうけれど、かといって“いじめ”がからんでいれば、すべて原因をそこに求めてしまうのは、本質を見誤ることになりはしないだろうか。

 少なくともこれだけは言える。
 子どもの自殺が増えたのは、“いじめ”だけが原因ではない。


二つの問題は対処法が異なる

 「いじめ自殺」という一つの問題ではなく、これはそれぞれ別の問題とすれば、対処法はまったく異なる。
 “いじめ”は自殺の要因の一つに過ぎないのだから、自殺をなくすためには、子どもが自殺に追い込まれる原因を幅広く究明する必要がある。
 もしかすると、親や教師が認めたくないような原因が横たわっているかも知れないが、あえてそれを表面化する勇気が求められるのだ。
 “いじめ”を「受験」「環境」「失望」などの別な問題を覆い隠すスケープゴートにしてはならないのである。

 当然“いじめ”をなくす努力は続けなければならない。しかし、それでもなくならないのが“いじめ”である。だから、「なくす努力」を続けると同時に、いじめが起きたときのケアがとても重要であることを知っておく必要がある。

 余計なことかも知れないが、“いじめ”があることを、教員や校長の勤務評定のマイナス評価にしないことも、大切ではなかろうか。

*『「いじめ自殺問題」の問題点 その2』を12月1日付けでアップしました。


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白い本(ツカ見本)

2006年11月24日 | うんちく・小ネタ
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 しばらくかたい話が続いたので、今日は軽い話題。

 今日、印刷会社から白い本が2冊届きました。これは「ツカ見本」といって、装丁のデザインをするために正確な寸法どりをしたり、全体の雰囲気を確認するためのもので、中味も表紙もカバーも全部白紙です。
 ちなみに“ツカ”とは本の厚さのこと。

 なぜこのようなものが必要かというと、それには次のような理由があります。

 紙にはいろいろな厚さがあって、同じページ数でも紙が違えば本全体の厚さも変わってくること。
 上製本(ハードカバー)の場合、表紙の芯に使うボール紙の厚さもいろいろあるし、表面に張る紙の厚さも多種あること。
 本の背の形も角背より丸背の方が幅が広くなり、その幅は製本屋によって微妙に違ってくること。背のデザインを背幅にぴったり合わせたいときには、この寸法が重要。

 だいたい以上ですが、これらは計算によって寸法を割り出すことも不可能ではありません。しかし、実際につくってみると計算通りに行かないことがしばしばあります。
 たとえば、先日の「紙の博物館」で紹介した、紙の厚さを計る「ピーコック」という計測器はかなり正確に紙一枚の厚さが計れます。理屈では「一枚の厚さ×枚数」で、本文全体の厚さが出るはずなのですが、実際にページ数分の紙を重ね合わせると違ってくるのです。ページ数が多ければ多いほど誤差は大きくなります。
 それは、紙には空気が含まれていて、重ねたときに圧力で中の空気がぬけたりするからです。
 同じように、表紙の厚さも背幅も計算通りに行かないことが多々あります。

 ですから“ツカ見本”が必要になってくるわけです。

 ところで、いっとき書店でも白い本を売っていました。ちゃんと製本された中味が白紙の本は、けっこう人気があるようです。
 僕の事務所では、毎回ツカ見本をつくるわけではありませんが、それでもいつの間にかたまってきます。
 使用済みの“ツカ見本”は、事務所を訪れたお客さんにお土産として持ち帰ってもらったり、なにかの手土産に持っていきますが、けっこう喜ばれます。
 こまるのは、ツカ見本がウチに来ればいつでもあると思われて、今日はない、というとがっかりされることです。

 でも、僕の事務所に来て、「ツカ見本ある?」と聞いてくれれば、あるときには差し上げます。ただし、それだけを目的に来られてもこまりますが。

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旧日本軍の毒ガス

2006年11月23日 | 国際・政治
 昨日の続き。

■遺棄毒ガス事件 控訴審 最終弁論

 G出版社から知らせを受けていた「日中毒ガス被害者証言集会」に出かける。
 この日(22日)の午後、「遺棄毒ガス・砲弾被害事件1次訴訟」の最終弁論があり、その流れでの集会である。
 パネリストは原告である中国側の被害者代表4名に加え、日本国内で起きている毒ガス被害者訴訟の弁護士、さらには、中国で毒ガスを遺棄する作業に携わったという、元関東軍の兵士らである。

 日本国内では戦時中、広島県大久野島に陸軍の毒ガス工場があり、そこで学徒動員として働かされた人も、証言に加わった。

Photo_96 「毒ガスをつくる工程で、アセチレンと三塩化ヒ素を過熱窯で融合させます。そのとき窯が破裂しないように安全弁があるのですが、そこから気化した三塩化ヒ素が吹き出します。工員は当然それを吸い込んでしまいます。私はそれからずっと、気管支炎のような状態が続いていて治りません」
 実に生々しい話を聞くことになった。
 (イラストは学徒動員で大久野島に派遣された岡田黎子さんの絵)

 中国側被害者からは、あらためて被害の実情と日本政府に対する要望が述べられた。


■遺棄毒ガスとはなにか

3_1 まずはじめに、毒ガスを兵器として使うことは、国際法違反である。理由は、戦闘員非戦闘員にかかわらず、区別なしに殺害する極めて残酷な兵器だからである。
 (写真はマスタードガスによる被害:大久野島)

 旧日本軍は日中戦争で、毒ガスの使用が国際法に違反していることを知りながら使用。

 陸軍は広島県の瀬戸内海にある大久野島(大久野島毒ガス歴史研究所)に、大規模な毒ガス工場を建設、中東戦争でも悪名高いマスタードガスなどの強力な毒ガスを大量につくり、そのほとんどが中国大陸に送られた。
 1945年の敗戦時に、連合国軍に見つかることを恐れた関東軍(満州に駐屯していた日本軍)は、配備された毒ガス兵器の大半を地中にうめる、井戸に投げ込む、川に流すなどの処置をした(一部はソ連軍や中国軍に押収される)。

Mondai5 日本は1995年に「ジュネーブ議定書」を締結。そのときから既存の化学兵器をすべて廃棄するとともに、日本が製造し外国に残してきた化学兵器は、10年以内に日本が責任を持って廃棄しなければならないことになった。
 (写真は中国での遺棄化学兵器発掘作業)

 日本は実地調査を行い、砲弾の形状や刻印から、間違いなく日本軍が戦時中に使用したものであることを確認。わかっているだけで約70万発が残されていると思われるが、現在でもまだすべての廃棄場所が確定できていない。
 (参考:内閣府遺棄化学兵器処理担当室


■戦争が終わった後の被害

 黒龍江省チチハルで、地下駐車場の工事現場から掘り出されたドラム缶に毒ガスがつめられており、もれ出した毒ガス液によって44名が被害にあう(1名死亡)。

 吉林省敦化では、小川で遊んでいた子どもが毒ガス弾を発見。知らずに遊んでいて被毒。

 そのほか、日本軍の遺棄兵器に起因する被害者は、200名以上といわれている。

 毒ガスは“兵器”であるために、治療することを前提につくられていない。したがって治療方法がなく、しかも完治することはない。
 一度被毒すると体調は年々悪化し、体力も気力もなくなる。


■日本国内でも被害が出ている

 「治療法はない、治せるようなら兵器器ではない」と、大久野島で作業中に被毒した工員のひとりは、治療室の医者にいわれ解雇された。

 大久野島で働いていた工員の多くは、そこが毒ガス工場であることを事前には知らされていない。また、工場の存在そのものが極秘であったために、また国際法違反の毒ガス製造を国が認めるわけにはいかないという理由から、ごく最近までは大久野島の工場でうけた被害さえ認めてもらえなかった。
 実際、何人が工場内で被害にあったのかは、いまだに正確な数がつかめていない。

 毒ガスは、国内にも配備されていて、それはわかっているだけで20個所以上。実際に被害の出ている場所もあり、いくつかは訴訟問題にまで及んでいる。


■被害者訴訟

 中国の毒ガス被害に関する訴訟は、日本政府を相手に現在2件。第1次訴訟では国に責任ありとして原告側の勝訴、しかし第2次訴訟では原告の請求を棄却。東京地裁はほとんど同じ内容の訴訟に対し、まったく正反対の判決を出した。

 二つの裁判はそれぞれ高等裁判所で控訴審が行われ、今月22日に1次訴訟が結審、来る30日に2次訴訟の結審となる。判決はともに、来年4、5月の予定。


■人道的な問題

 この問題に関し、右翼団体やそれに追随する人間から「中国が金が欲しいために捏造したことだ」などという片寄った意見が出ているが、それは極端なナショナリズムからくるものであって、このような人道的問題に対して持ち込むべきものではない。
 旧日本軍の遺棄化学兵器に関しては、超党派の国会議員も参加して解決にあたっている。

 毒ガス被害は一過性のことではなく、一生ついて回る被害である。したがって、継続的な被害者支援が必要になる。
 しかしながら、被害者に対する日本政府の支援は、中国はもとより日本人被害者に対しても、いまだ十分とは言えない状態である。それは、被害者支援に関する法律がいまだに整備されていないことが最大の原因なのだ。

 とくに中国では、幼い子どもの将来までも奪う事件が起きており、法律問題・責任問題以前に、人道的な問題として扱われなければならない。過去の戦争の始末を完全にしなかった日本政府は肝に命じるべきである。“ヤラセ”のタウンミーティングで億単位の税金を使っているのだから。

 事実から眼を背けてはならないのだ。

問い合わせ:化学兵器CAREみらい基金

★07年3月14日付けで、続報を掲載しました。


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安倍総理、蓮舫の質問にたじたじ

2006年11月22日 | ニュース
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 中学生の娘が「学校でこんなのもらった」といって、B4のプリントを持ってきた。(画像クリックで拡大)
 上下に2段でメッセージが二つ。ともに、「文部科学大臣 伊吹文明」の署名がある。
 見た瞬間に「なんじゃこりゃ」と思った。
 子どもの心も教育の現場もなんにもわかってないくせに、自分は立派な常識人であると思い込んでいる、頭のスッカラカンなおやじが「社会はこうあるべきだ、子どもはこうあるべきだ……」の“べきべき”論で、まったく効果のないどこにでも転がっているようなジョーシキを書いている。

 「これを配ったとき、先生はなんていった?」
 「こんなもんがきたぞ、って。それだけ」

 そりゃそうだろう、先生にすりゃ「何をいまさら寝ぼけたこといってんだ、言葉なんてかけたってのれんに腕押しだ、どうやって対話をしようかって、それを苦労してんだよ。なにを無責任なことぬかしてんだ、このスットコドッコイ」ってな感じだろう。
 
 子ども向けのものだってあまりにもバカにしてる。
 「話せばきっとみんなが助けてくれる」だあ?
 助けちゃくれねえんだよ、今の大人は。だから子どもが苦しむんじゃないか。
 路地でケンカしてるの見かけたって素通りだぞ。親に自分がいじめられてることを訴えたって、「お前が弱虫だからだ」って言われるのが関の山。そうでなけりゃ、ばかな母親が学校に怒鳴り込んで、子どもの立場をもっと悪くする。
 虐める側の親は、自分ちの子どもはケンカが強いって自慢してるし、先生に訴えたって、「仲良くしなさい」っていわれるだけだ。穏便に穏便に。
 「いじめ」のあるクラスだってことがわかると、勤務評定が下がるからね。

 伊吹だかイビキだかしらないけど、えらそうに上から見下ろすようなあんなチラシを学校にばらまいたって、何の役にもたたない。紙資源の無駄だ。
 ま、自分は一応やってますって、自己宣伝にしたいのかも知れないけど、ムリ。

 今日、参議院の教育基本法特別委員会の質議をテレビで中継していて、ちょっとだけ見ていたけど、蓮舫の質問に閣僚たちはたじたじだ。
 アホである。
 ようするに、自分達がやろうとしている教育基本法の改正案が、しっかりした根拠に基づいたものではないからまともに答えられない。
 「タウンミーティングでヤラセまで使って通そうとする意図はなんなのか」
 「しかもそのタウンミーティングには億単位の莫大な税金が使われている」
 「大臣を乗せたエレベーターのボタンを押すだけの仕事が、1日4時間勤務で15,000円の人件費とはどういうことか」
 「そのうえ質問者には謝礼まで払っている」
 これらはいったいどういうことなのか、と質問された安倍総理は、
 「これをふまえて、今後このようなことの起こらないように、調査を進めているところです」
 アホである。
 そういうこっちゃない。大金を使ってヤラセまでして、しかも強行採決で力任せに通そうとしている教育基本法改正案とは、いったいなんなのかを聞きたいわけだ、蓮舫は。
 しかし蓮舫、言葉がはっきりしていて、質問も簡潔、実にいい。美人だし。

 「愛国心だとか伝統云々よりも、履修不足やいじめの問題をどうするのかが国民にとっての重要課題なんです、今は。それを審議しなければ一歩も前に進めないはずじゃあないいですか」
 「改正基本法案にはそのことも盛り込んであります」
 どこにだあああああああ! 具体的に言ってみろ。
 ここまで聞いて、あまりのばかばかしさにテレビのスイッチを切った。

 ようするに、教育基本法改正案は、子どものためのものではない。憲法を変えたいがための、布石である。1日も早くアメリカさんといっしょに戦争をやりたいわけだ。

 「天皇のために死ぬのはあたりまえだと思ってた。中国を侵略するのは当然のことと、そう信じて疑わなかった。学校でそのように教えられました」
 今日、ある集会(このことについては明日)で、戦争中満州に駐屯していた関東軍の元兵士が話していた。
 教育は洗脳である。改悪された教育基本法をもとに、「国に従順」なお国のために命を捧げる子どもを山ほどつくる。かつて、ヒトラーがドイツで行った方法である。
 準備が整ったら次は「徴兵制」だ。きっとみんな喜んで死んでいくだろう。


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哀悼 坂井泉水

2006年11月21日 | 芸能ネタ
 坂井泉水さんは、2007年5月27日、入院先の東京都内の病院で事故のため亡くなりました。
 哀悼の意を表して、このページは削除しました。
 詳細は、こちらをご覧下さい。

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2007年版 桑迫賢太郎カレンダー

2006年11月21日 | おしらせ
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 「2007年版桑迫賢太郎カレンダー」ができました。
 *2008年版はこちら
 今年は卓上カレンダーです。

 桑迫賢太郎君は『絵本 日本国憲法前文』の絵を描いた人、センスとユーモア溢れるイラストで、今ブレーク寸前です。

 定価は一部1,260円(税込)
 お申し込みは、まなてぃまで。
 *10部以上のまとめ買いには割引があります。
 *僕の事務所でも少しだけ売ってます。ただし、直接来た人のみ。

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実感、灯油価格高騰!

2006年11月19日 | 社会・経済
 「急に寒くなりましたねえ」
 僕が灯油の容器を持ってエレベーターを待っていると、段ボールの箱を持って居合わせた西濃運輸のあんちゃんに声をかけられた。
 「昨日は温かかったのにねえ」
 「昨日の格好で出てきたら寒くて。……あれ? ビル間違えちゃった」
 そそっかしいあんちゃんである。


1_3 昨日まではまだ暖房を必要としないくらい温かかったので、今日の寒さにあわててストーブを出した。
 しかしストーブは出したものの、灯油がない。そこで、高いと知りつつとりあえず一缶だけと、すぐ近くのO燃料店に灯油容器を持って買いに出掛けた。
 ??待てよ、今日は日曜日だ。O燃料店は休みじゃなかったかな。
 O燃料店は、このあたりの法人会の会長で、態度がでかいし値段も高い。
 商店なら普通日曜日は休まないはずなんだが、この店は確か休みだったなあ、きっと休みに違いない、ぜったいそうだ……と店の前に着くと、入り口が閉じられて内側からカーテンがかかっている。
 ??ほうら当たった、やっぱり休みだ。
 喜ぶところじゃない。

 とぼとぼと帰る途中で、隣のおじさんに出くわす。
 「急に寒くなりましたねえ」

 仕方なく、いつものガソリンスタンドまで車で買いに行くことにした。わざわざ行くのだからと、容器は二つ車にのせる。
 ガソリンスタンドに着くと、サービスマンがかけ寄ってきた。
 「灯油おねがいします」
 今日、ガソリンスタンドは暇なようだ。二人のサービスマンがテキパキと灯油容器を車から下ろし、カウンターをセットする。

 「急に寒くなりましたねえ。今日は灯油のお客さんばかりです」

 灯油を容器に入れてもらっているあいだに、ふと料金看板に目をやると、

 「本日の灯油価格
  18リットル 1,440円」



 高ッ!


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 20リットルと18リットルの容器を持ってきたので、合計38リットルで3000円オーバー。
 ??ブッシュのやろう迷惑ばかりかけやがって! 

 そういえば、このところの灯油価格の高騰で、薪ストーブが人気だとか。しかも薪割りは健康にいいという話である。
 しかし、都会では煙で洗濯物が黒くなるとか、クレームが出るだろう。

 車から灯油容器を下ろしていると、上のフロアの奥さんが通りかかる。
 「急に寒くなりましたねえ」

 どうしてみんな同じことしか言わないんだろう。教育基本法が変わって、時候の挨拶も決められたのかしら。
 聞いてねえぞ。

2_4 早速給油して点火。

 部屋は温かくなったが、

   ふところは

       

       

       

       

       た。
 
 



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首相に抗議した中3女子に脅し

2006年11月19日 | ニュース
北星女子中3生の首相意見書に、
匿名脅しメール


 *以下のようなメールが届きました。重要かつ残念な情報です。
  多くの方に読んでいただくために、このブログにも転載します。
-------------------------------

 “愛国心”とは、こんな卑劣な“心”なのでしょうか。
 「教育基本法」改正案について、札幌の中学生が安倍総理に、「反対の声明文」を送ったところ、「匿名の大人」から「抗議文」が送りつけられました。15歳の自由な意見に脅迫ともとれる批判です。

 衆院議長「賛成の諸君の起立を求めます。賛成多数。よって、この法案は可決されました」
 自民・公明与党だけの出席で衆議院を通過した「教育基本法」。ポイントのひとつは、初めて文言になる「愛国心」。賛否が分かれる問題です。
 この「改正教育基本法」について札幌の中学校では、女子生徒たちが自ら勉強して、「愛国心を国民に強制するものだ」との結論に至りました。そして、この法案に反対する声明文を安倍晋三総理大臣あてにおととい送ったのです。

 女子生徒「自分の国を大切にというのはいいが、間違った方向に進んでいるんじゃないか」「反対の人はしょうがないと思っている。動かないとこのままですよね」
 こう話してくれた中学生。実は、きのうの約束では、普通にインタビューさせてもらう予定でした。しかし、なぜか、取材は匿名になってしまいました。

 抗議のメール「安倍首相に送った中学生の意見書は何だ? お前ら、学校で何を教えているんだ」
 彼女たちの行動を知った一部の大人が、彼女たちに対する脅迫ともとれるメールを匿名で送りつけてきたのです。

 教頭「生徒が自分で関心を持って意見を表明したのは素晴らしい。いろいろな意見を封じ込める残念な反響だ」
 この学校では、生徒それぞれが意見を書いたカードを送る準備もしています。生徒たちが自分で考えて「押し付けだ」と感じた教育基本法改正案。「愛国心の強制」どころか、「言論の自由」さえも封殺しようという大人の行為に、15歳の心は深く傷つきました。
 法案についての「賛成」「反対」があるのは当然だと思います。15歳の彼女たちは自分たちで考えて、著名もつけて安倍総理に反対の意思を表明しました。
 ところが、それを知った一部の大人は「匿名」で彼女たちを批判した。あまりにも卑劣ではないでしょうか。
(2006年11月17日(金)「どさんこワイド180」)

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以下、北海道新聞から
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061117&j=0022&k=200611176471
■社会 バックナンバー
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教育基本法改正に反対 北星女子中3生、首相に意見書  2006/11/17 07:49
 十六日、衆院本会議で可決された教育基本法改正案について、北星学園女子中高(浅里慎也校長、札幌市中央区)の中学三年生が同日、改正反対を訴える安倍晋三首相あての意見書を送った。同校は現行の教育基本法をつくったメンバーの一人、河井道(一八七七-一九五三年)の母校で、生徒たちは「先輩がつくった基本法の精神を曲げないで」と訴えている。
 意見書はA4サイズで四枚。教育の目標として「我が国と郷土を愛する態度を養う」ことを掲げた改正案について、「国を愛する心は人それぞれが自分から思うものであって、おしつけられるものではない」と指摘。安倍首相に「本当に私たちの将来のことを考えてくれていますか? 返答をください」と求めた。
 社会科で教育勅語について学んだのがきっかけ。改正案で「愛国心」が重視されていることを知った三年生一クラスの二十七人が「戦前のように心が強制されるのは嫌」と相談。連名で意見書を作成し、安倍首相のほか各党、扇千景参院議長にファクスで送った。
 改正案に反対する声は学校全体に広がり、中学では署名活動も行い、高校も意見書を作成したほか、一人ずつ反対意見を記したカードも募集した。十七日にも安倍首相や伊吹文明文部科学相などに郵送する。
 高校三年の生徒は「国にとって好ましくない人物というだけで、仕事などに影響が出るのは怖い」と訴える。意見書を送ったクラス担任の北野聡子教諭(32)は「子どもたちの行動力に驚いた。考える力が育っている証拠で、担任として誇りに思う」と話している。

以上転送


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紙の博物館

2006年11月18日 | アート・文化
西ヶ原

 午後から王子の飛鳥山公園にある「紙の博物館」に行ってみた。
 JR中央線の四谷駅から地下鉄南北線に乗り換えて西ヶ原で降りる。

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 ここには、北区の歴史文化財、西ヶ原の一里塚がある。日光街道の日本橋から数えて二番目の一里塚で、つまり江戸から二里、約八キロのところになるわけだ。
 都内に残されている一里塚は、練馬区志村の中山道とここだけだそうである。
 もっともこれも、大正時代に都電を通すために取り壊されそうになったところを、渋沢栄一らが保存運動を起こして、命拾いしたといういきさつがある
 この一里塚は、二本榎としても有名で、道路をはさんで対になっている。このように、塚がもともとの位置にあるのは都内でここだけだとか。


03_4 西ヶ原駅から徒歩5分ほどのところにある「飛鳥山公園」には、三つの博物館が公園内に並んでいる。目的の「紙の博物館」はいちばん王子駅より、西ヶ原から行くと奥になる。


紙の博物館

04_4 入場料300円を払って、キップを買い、受付で撮影許可をもらう。撮影許可は何も難しいことはない。住所氏名を申請用紙に書いて注意事項を読むだけ。許可の札を胸に付けてオーケー。
 入り口にミュージアムショップがあるが、これは帰りに見ることにして入場。しかしこれが、あとでちょっとした失敗のもとになった。

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 いきなり巨大な木材を砕く機械がお出迎え。

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 ずいぶん意外なところに紙が使われていることにおどろく。携帯電話の配電盤や、溶接に使うマスクが紙だというのにはちょっと驚かされた。

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 スーツやウェディングドレスも紙で作ってしまう。スーツはともかく、ウェディングドレスはたいてい一度しか着ないものなのだから、紙で十分なのかも。素材が紙であることは一見したところではわからない。
 でも、破れやすい結婚になるかも。

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 紙の厚さを計るとき、事務所ではピーコックという計測器(写真左)を使っている。ここにはそのでっかいの(写真右)があった。原理は同じだろうと思うけれど、こちらの方がしっかりしていて正確そうだ。

13

141 江戸時代の紙づくりが模型になっていた。なんとこれも、全部紙でできている。
 ちなみに、紙で作る動物のキットは売っている。決して安くはないので、気をつけないと散財しそうだ。

15 男の子が二人、パソコンの前でクイズをやっていた。どんなクイズかやってみようと思ったけれど。なかなか退かないのであとにする。
 ところが、一通り回って帰ってきてもまだやっている。ついに、できずじまい。

 小さな博物館のわりには内容が濃い。紙の歴史では、パピルスや木簡、ロゼッタストーンなど、紙以前の記録材料が展示され、複製品も含まれているがどんなものかは十分にわかる。
 一階には、一昔前の新聞の輪転印刷機材や、紙の製造ラインの模型も。要するに「紙のことならまかせなさい」という感じだ。
 王子にあるが、王子製紙のPR施設ではない。


紙の企画サイズは?

11_1 今日の目的である、紙の企画サイズの成り立ちについて調べるために、一階の図書館にいく。
 図書館員に目的を話すが要領を得ない。今日は司書が休みだという。
 他の博物館員もやってきてようやく数冊のファイルを見つけてくれた。
 その中で、「百万塔」という業界紙に20ページほど興味深いところがあったので、コピーした。
 ところが、なんのことはない、帰りにミュージアムショップをみたら、その部分が抜粋されて200円で売っている。だったら教えてくれればよいものを、こっちの質問が難しくて気が回らなかったのだろうか。

 ちなみに、紙のサイズはA判とB判のほかに、菊判とか四六判など各種ある。最も多く見かける単行本の大きさはその多くが四六判で、美濃紙の寸法である四寸二分×六寸二分から名付けられたもの。
 学術書に多い菊判は、輸入新聞用紙のサイズが始まり。輸入紙の商標のダリアが天皇家の紋章である菊に似ていたことから、「菊の判」と呼ばれ、やがて「菊判」になったもの。
 四六判はB6より、菊判はA5よりやや大きいサイズ。
 A判とB判は2辺の比率が1:ルート2で、何回2等分しても2辺の比率が変わらない黄金率である。
 一度もカットしない全判をA0、B0といい、その半分がA1、B1、さらにその半分がA2、B2。半分にする度に数字が増えて、コピー用紙でよく使われるA4サイズはAの全判を4回2分割したもの。

 部長「○○君、私のデスクにA5判のファイルがあるから取ってきてくれないか」
 OL「はい、わかりました」
 しばらくして戻っくる。
 OL「部長、全部日本語のばかりで、英語のファイルは見当たらないのですけど」
 こんな笑い話が頻繁にあった。コピーが普及してからは、用紙サイズで学んだせいか、A4とB4ぐらいは知っているようだ。


飛鳥山公園

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 飛鳥山公園は広い公園である。紙の博物館の正面は児童公園になっていた。デゴイチや都電の車両が展示してあって、中に入ることもできる。しかし、都電の前になぜだか人魚の像が。どうでもいいけどこの表情、なんだか情けなくないか?

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19_1 公園は、秋色でいっぱいだった。しかし噴水も小川も見るからに人工的な匂いが強くて、自然は感じられない。コンクリートの秋である。
 そんななかで、秋なのに春爛漫のカップルを発見。

2021

 帰りは王子駅に出てみた。なんとまあ、ローカル色豊かな駅だろうか。ホームは1本だけで、改札口も小さい。駅前に繁華街なし。

 「紙の博物館」、紙細工等ができるので、小さな子ども連れにはいいかもしれない。また、紙に関する貴重な資料が集められているので、資料室は利用価値あり。


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天下天下天下

2006年11月18日 | 本と雑誌
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 帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)
 『受 命』
 角川書店 2006年6月30日 発行

     ☆
     ☆
     ☆

 「天下は天下の天下なり」国を人民の手に取り戻すために立ち上がった20人の物語。

 この本の巻末に次のような記載があります。

 「本書はフィクションです。したがって登場する国家、組織、人物等は、すべて架空のものです。」

 わざとらしい! これは“すべて架空”だとは言い切れません。状況説明においては相当多くの事実が折り込まれている物語だと受け取っていいでしょう。
 北朝鮮の現在があたかも実際に見聞してきたかのごとく書かれています。金正日とはどんな男か、この国の人民はどんな暮らしをしているのか、それらがフィクションというにはあまりにもリアルです。事実、600ページ近いボリュームの前半のほとんどを今の北朝鮮の説明と、建国以来の歴史に費やされていて、非常に綿密な調査が行われた形跡が認められます。
 知っている人は「やっぱりか」と思うし、知らなかった人は「うっそ~、まさか」と思います。

 後半は、プロジェクトが達成されるまでをサスペンスタッチで描かれています。それも、帚木蓬生が医者だからこそ考えられた設定で、条件さえ整えば可能かも知れず、この本をヒントに実際に行動を起こす人間が現れそうな気にさえさせます。

 「プロジェクトが達成」される最終章は、ものすごいことになります。
 サスペンスによくある、都合のよい「マンガ」的な不自然さがほとんど感じられませんでした。強いて言えば鉱石ラジオや携帯電話の感度がよすぎることぐらい。(あ、ちょっと口が滑りました)

 これは超お薦めの一冊です。前半は時間をかけてじっくり、後半は一気に読むことをお薦めします。


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