ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

土井敏邦『パレスチナ記録映像4部作』

2009年02月28日 | 国際・政治
土井敏邦

パレスチナ記録映像4部作

完成記念シンポジウム


??ガザ緊急報告??

090228t_doi

 土井敏邦さんの20年間にわたるパレスチナでの取材映像が、4本のシリーズにまとめられるまであとわずか。その完成記念シンポジウムが明治大学リバティータワーで行なわれました。
 今日はそのダイジェスト版(1時間)を見ることができました。
 パレスチナの記録は、広河隆一さんが膨大なアーカイブス版を制作していますが、土井さんの視点は、広河さんと幾分異なります。
 土井さんの映像は、よりいっそう個人に密着しています。
 たとえば、一つの家族をとらえると、さらに一人の少女にずっと視線を送り続ける、といったぐあいです。
 内側に入り込む力は、他に類を見ません。

 「またかよ、と言われるかもしれませんが」と前置きして語ることは、マスコミでは報道されない出来事の下半身について。
 自爆テロとそれに対する報告という上半身だけを見ていると、戦争が終わるとすべてが終わったように見えます。しかしそうではなく、家族を失った子どもは生きるすべを奪われ、農地を破壊された農民は家族を食べさせることができないのです。
 そういうことは、戦争が終わったあともずっと続きます。

 「上半身が自爆テロと報復なら、下半身は占領と難民」であると、土井さんは2002年から使っているという手描きのイラストを示して説明します。(写真を見せられないのが残念)
 また、テロと報復についても、その規模の違いをマスコミは伝えていないといいます。
 「パチンコ玉をぶつけられた仕返しにミサイル攻撃をするほどの違いがある、まるで象がアリを踏みつぶすようなものだ」

 これも手描きの図で説明します。
 「高さの違う二本の柱も、真上から見ると同じに見える」
 ハマスとイスラエル軍では戦力の差がまるで象とアリ。花火のようなロケット弾が一発撃ち込まれると、イスラエル軍は猛烈な空爆を繰返すのです。

 マスコミの報道は、そうした一面的な見方である批判しました。多くのマスコミはイスラエル寄りといわれますが、まさにそのとおりです。

 この日は、先月取材から持ち帰ったばかりの、ガザの最新映像も見せてもらいました。
 この最新映像は3つのテーマに分けられています。

 最初は「人的被害」。

 イスラエル軍によって破壊された建物は、10日経ってもまだくすぶり続けています。
 「燃えているのは白燐弾の破片です。もう10日以上も燃え続けています。水を掛ければさらに燃え広がりますから、自然に燃え尽きるのを待つしかありません」

 送られて来た支援物資の食糧も燃えてしまっています。
 爆撃で家が破壊され、そこに住んでいた36人のうち23人が死亡しました。
 3歳から13歳の子どもも含まれています。
 彼らがテロリストであろうはずがありません。

 家族を失った13歳のアマルは、カメラの前で淡々と語ります。
 「突然イスラエル兵が家にやって来たの。『この家の主人は誰だ』ってイスラエル兵は言ったわ。父は身分証明証もって両手を上げて、??こうやって、両手を上げて、『主人は私だ』って出ていった。そしたら、数メートル離れたところの兵隊が、いきなり父を撃ったの。ここ(左胸)とここ(右胸)とここ(額)」
 このとき、幼い兄弟も含めて、子どもたちは自分以外全員殺されました。

 イスラエルは、パレスチナ人をすべて、この世から抹殺しようとしています。

 二つめは「産業の破壊」

 苺畑がわずか1分で、白燐弾によって破壊されました。
 「ここに武装勢力がいたとでもいうのか!」
 農民がカメラに向かって叫びました。
 400頭の羊と400頭の牛がいた農場は、50頭の羊が瓦礫の下に埋まり、救えた牛は100頭だけ。
 「ここにはハマスもファタハもいなかった。なのにイスラエル軍はやりたい放題だ」

 三つめは「殺す側の耕造」

 荒れ果てたガザとは対照的に、のどかな雰囲気のイスラエルの街。
 「私がテレビに出るのは最初で最後でしょうから、晴れ姿をよく見ておいてください」
 土井敏邦さんがレポーターのごとく語りながら街を行きます。
 「イスラエル国民の92%が空爆を支持したといいます。はたして彼らは何を感じ、何を思っているのか、聞いてみたいと思います」
 空爆でなんの罪もない子どもたちまで死んでいることをどう思うのかと、若い女性にインタビューをします。
 「せっかく土地を与えたのに、彼らは全部よこせっていうのよ」
 塀で囲って封鎖している状態は、占領ではないと考えているようです。
 「封鎖を解いたらテロリストが押し寄せてくるわ」
 ??ロケット弾で数十人死んだ報復に、ガザではすでに900人が死んでいるが。
 「これまでに殺された人の数は、イスラエル人の方がずっと多いわよ。彼らは悪いことをしたんだから罰を受けるのは当たり前。そうよこれは罰なの」

 イスラエルでは、パレスチナ人の子どもや一般人の死体など、ガザの実情を伝えるの映像は一切放送されないそうです。つまり、国に都合の悪いことは自国民にも知らされない。まるで戦時中の日本の大本営。

 「マスコミが興味を持つのは、一番目だけでしょう。二番めと三番めは地味すぎてマスコミでは取り上げてくれません。しかし、大切なことは二番めと三番めにあります。戦争が終わったあとに残される、より多くの苦労は二と三にあるのですから」

 土井さんが追い続けた一人の少女はアマルといいます。家族を失いこれからどうやって生きていくのか、将来はまったく見えていません。
 「パレスチナ人という総体ではなく、アマル、あるいはムスタファという個人とつながることで、パレスチナ全体とつながることができると思うのです。わたしはアマル基金なるものを立ち上げられないだろうかと考えています。協力できる人がいたら名乗り出て欲しい」

 この後、土井さんと朝日新聞社の川上泰徳氏、日本女子大教授の臼杵陽氏によるパネルディスカッションがあったのですが、午後1時から始まって、ただでさえ長い集会がすでに相当延びています。これも付き合っていると終わるのは7時ごろ。
 で、パネルディスカッションはパスしました。

 いつものことですが、JVJAの集会は予定通りにはまず終わりません。



 今回は東京芸術大学を中心に、学制ボランティアが実にすばらしい資料集を作ってくれました。

090228t_doi2

 写真の右下がそれで、アラビア語のニュースや資料を翻訳し掲載してあります。
 とくにアメリカのオバマ大統領のパレスチナ問題に対する姿勢を分析したところはすばらしく、「ブッシュと大差ない」という結論を導き出していました。

 こういった集会に参加するのは、資料集めも兼ねています。
 通常手に入りにくいものや、埋もれて見落としているものなどが目にとまるからです。
 今回の収穫は、岡真里さんの講演記録(左下)。
「DAYS」や「Actio」は模索舍でも入手できますが、ついでなので買っておきました。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




今日は雪

2009年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
0227snow
0227snow2

 チラリチラリと舞い散るのみで、雪らしい雪も降らず、この温暖化で今年はもう雪は降らないかと思っていましたが、今日は一時けっこうな勢いで降りました。
 今日は那由の高校入試の合格発表がある日で、朝から受験校に行っていた那由は、「うかった!」というメールのあと電話して来た声が震えていました。
 「なんだ、嬉しくて泣いてるのか?」と聞くと「寒い!」。
 暖房の効いた校舎から外に出たとたん、ここ数日なかった真冬の寒さに驚いたようです。

 一緒に受けた何人かの親しい仲間もみんな合格していて、中学の延長のようだとよろこんでいました。
 一人だけ合格したり、逆に一人だけ不合格だったりすると、全員が気まずくなりますから。

 一時本格的に降っていた雪は、もともと積もる気配はなく、着地するそばからとけて、やがて雨に変わると庭先にとめた車の屋根に僅かに積もった雪も、一瞬のうちに消えてしまいました。

 今日は天候のせいか体調が今ひとつ。原稿がまったくはかどりません。仕事を早目に切り上げて「大江・岩波沖縄戦裁判首都圏の会」の会合に出るつもりだったのですが、出かけるギリギリになって出かけるのをやめました。
 ちょっと、気乗りがしなくなったというのが正直なところですが。

 明日の「JVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)」の集会にはぜひとも参加したい。……どうだろうか。

0227nangking

 ちょうど、日本評論社から『南京事件70周年国際シンポジウムの記録』が届いて、このA5判500頁を超える大冊の、興味がありそうなところを開いてみたものの、全然頭に入りません。
 こういう日はおとなしくしているのが一番なようです。

 この本は2007年12月に開かれた「南京事件70周年国際シンポジウム」に参加した各国の学者や研究者の発言をまとめたものです。シンポジウムでは、南京事件だけに限らず、アジア太平洋戦争中の日本政府、日本軍、日本企業の非人道的な行為を広く取り上げています。

 昨年12月、野中広務氏を招いて行なわれた、「南京事件71周年12・13集会」で紹介されたのを先行予約して、忘れかけていました。(忘れかけているといえば、「けーし風」はまだ届かない。申し込んで1カ月半、どうなっているのやら)

 この本をあらためて全編通読するということはまずないと思いますが、資料としては1級品で、参考資料に最適。所持しないわけにはいきません。
 内容を確認して主要なところだけは目を通しておくことにします。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




岩波写真文庫『シリーズ戦争の記録』

2009年02月26日 | 本と雑誌
Shashin0

 近所の古書店で、懐かしい「岩波写真文庫」の復刻版を見つけました。
 
 「『岩波写真文庫』は,朝鮮戦争勃発直前の1950年6月にスタートし,『物語る写真』『眼でみる百科』などのスローガンをかかげて,8年半に286冊が刊行された.各冊ワンテーマで200枚前後の写真を詰め込んだこのシリーズは,いまや50年代画像の宝庫と位置づけられる.」(岩波書店ホームページより)

 ぼくが見つけたのは、初版が1953年から1956年に発行された5冊を1987年にワイド判で復刻し、5冊セットにしたもの。この復刻版はA5判ですが、オリジナルはB6判でした。

 ◆50 戦争と日本人 

Shashin1

 社に帰ると反乱軍に荒らされた直後で、編集部は興奮しきっていた。私の写真を見ると、とんでもない、新聞などに載せたら社をつぶされる、早く焼き捨てろという始末だった。(1936年2月26日)

 ◆51 戦争と平和 

Shashin2

 …現在我国にはそんな力がないのを知りながら、憲法を改めてまで「軍備」をしようとするのは何故だろう。戦争中すべての工場が軍需工場になったのに、現在兵器を作っているのは、僅か十五、六に過ぎないという。ここらにもこの秘密の一つがあるようだ。(1955年)

 日本国憲法が実施されて60年過ぎた現在でも、当時と同じような理由で「憲法九条」の改訂を求めようとする勢力があります。
 「ここらにもこの秘密の一つがあるようだ」とは、もちろん兵器産業で儲けようとする政界・財界のこと。

 ◆52 広島 

Shashin3

 「骨と墓」 林檎も匂わない。アメ玉もしゃぶれない。遠いところへ行ってしまった君たち。’欲しがりません勝つまでは’といわせたのは、いったい誰だったのだ。(1945年 長崎、城山小学校)

 ◆53 佐世保

Shashin4

 旧海軍工厰は佐世保船舶工業(SSK)に引き継がれ、朝鮮戦争後は国連艦船の修理作業に忙しい。(1953年 佐世保船舶工業)

 佐世保には、カミさんの実家があります。小学校の頃、旧友のほとんどがSSK(佐世保船舶工業 現在の佐世保重工業)の従業員か自衛隊の家族の子どもたちだったといいます。
 そのころのSSKはとっても活気があったそうですが、現在の佐世保重工業は、並び立つクレーンはほとんど動かず、すっかり錆び付いて廃れた雰囲気になってしまっていました。

 ◆54 悲惨な歴史?ドイツ

Shashin5

 「一人の男がドイツに帰って来た」 一人の男がドイツにやって来る。長い間その男はドイツを離れていた。とても長い間。多分長すぎたかも知れない。そして出ていった時とは、まるで違って帰って来た。
 その男は千日もソ連の寒い野天で待ったあげく、やっとの思いでわが家に帰ってくる。古い外套と気味悪い防毒面用の眼鏡をつけて、空っぽの胃袋と膝小僧の骨のない冷たい脚をひきずって、やっとの思いでわが家に帰ってくる。時は二十世紀の四十年代。場所はドイツの往来。(ヴォルフガング・ボルヒェルト「戸口の外で」より。1947年初演)


 
 1950年代の貴重な写真が多い「岩波写真文庫」ですが、現在はすべてが品切れ(岩波は絶版にはしません)で、たまに古書店で見かけることがある程度です。
 ぼくが小・中学校の頃、学校の図書室にほとんどがそろっていました。
 『彫刻』というタイトルの一冊には、彫刻家がヌードモデルの前で裸像を製作している写真が掲載されていました。現在とは異なり、女性のヌードなどめったに見られなかったものですから、悪友何人かと図書室にこっそり見に出かけてはドキドキしていました。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




岡真理『アラブ、祈りとしての文学』

2009年02月23日 | 本と雑誌
Arab

アラブ、祈りとしての文学
岡真理 著
みすず書房 発行


 著者の岡真理さんは、空爆下のガザから送られてくるアブデルワーヘド教授のメールを翻訳して配信してくれています。
 【リンク】ガザからの緊急メール(25~29)
      ガザからの緊急メール(21~24)
      ガザからの緊急メール(18~20)
      TUP速報


 「かつてサルトルは、アフリカで子どもが飢えて死んでいるとき『嘔吐』(小説)は無力であると語った」

 冒頭で、著者はこのように述べています。パレスチナの過酷な状況の中で、はたして文学に何ができるのかと。
 しかし「あとがき」では次のように結んでいました。

 「小説それ自体は現実を変えはしない。しかし、小説を読むことは私たちのなかの何かを、たしかに根源的に変える」

 『千夜一夜物語』以外ほとんど知られていないアラブ文学の研究者としてたずさわる著者が、パレスチナをはじめ、エジプトやレバノン、アルジェリアなどのアラビア語で書かれた現代アラブ文学を紹介しながら、苦難な環境のなかで小説がどのような意味を持っているのかを解明したのがこの本です。

 「四年間で三千人が殺されるよりも五万人殺される出来事のほうが重大であるなら、五万人殺される出来事は、五〇万人が殺される出来事の前にその重みを失うだろう」

 メディアを通して伝えられる多くは、瞬時にもたらされるそうした「重大」な出来事に注目するあまり、占領下のパレスチナで起きている、日々の出来事についてはほとんど知らされません。

 「糸で縫いあわされたパン??そんな常軌を逸した代物が、エリヤース・ホーリーの『太陽の門』には登場する」

 ユダヤ軍に追われながら避難の旅をする母親は、腹を空かせて泣き止まない子どもに家から携えて来た貴重なパンを半分にちぎって与えました。しかし子どもはちぎったパンに満足せずに泣き続け、母親は半分ずつのパンを大慌てで糸と針でつなぎあわせます。
 しかし糸はすぐに緩み、パンは二つに分かれて子どもはまた泣きはじめるのです。
 母親は泣き声が洩れないように子どもの顔を胸に押し当てて歩き続けました。
 ようやく危険から解放されたとき、母親は子どもが息をしていないことに気づき狂乱する??。

 こんな話もあります。
 パレスチナの外で解放戦士として活動する夫は、家族とともにイスラエルにとどまる妻に会うため、危険を侵して国境を越え、「太陽の門」という名の洞窟で逢瀬を重ねていました。
 あるとき、妻はいいます。
 「終わりにしましょう。もういいでしょう、わたしも若くないわ、私を自由にしてちょうだい」
 夫が武装闘争に明け暮れている間に、子どもたちは成長してイスラエル社会のなかに場所を見つけて生きようとしていたし、妻もまた、自宅で子どもたちの母として安らぐことを求めていたのです。

 NAKBAから数十年を経て、苦難が恒常化しているパレスチナでは、「イスラエルのパレスチナ人」と占領地区のパレスチナ人の間で、深刻な葛藤が少なくないことを、小説は物語っています。
 これは直接爆弾で破壊される苦難とはまた別の重篤な問題ですが、小説で語られなければほとんど日常のなかに埋没してしまう出来事でもあります。

 NAKBAがもたらした苦難の日常は、パレスチナ人がパレスチナ人によって苦しめられる現実も起きています。それはかつての東アジアで起きていたこと、沖縄や朝鮮、中国で同国人同士が殺しあっていた事実と重なりあうと、著者は語ります。

 個の人生がリアルに語られることが、そしてそれを読むことが、人々のなかに間違いなくある種の変化を引き起こしています。パレスチナをはじめとしたアラブ文学の多くは苦難のなかで書き記されており、マスコミのニュースから感じられるような「対岸の火事」ではなく、少なくとも、パレスチナの出来事を身近な問題として考えさせる力を文学は持っているようです。
 
 しかし残念なことに、この本で紹介されるアラブ文学のほとんどが、一部を除き翻訳出版されておらず、また過去に出版されたものでも極めて入手しにくくなっています。主要な作品はぜひとも出版されることを望みます。


◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




Miles Davisで読書

2009年02月21日 | 音楽
Miles

 今日は仕事をしないことにしました。
 昨年暮れから急に多忙になって、土日も何かしら仕事をしていました。そんな状態は当分続きそうなので、このあたりで一息入れておこうと、意を決して(?)完全休養に。
 メールや資料の送付など、続々来る仕事を急かすプレッシャーをとりあえず脇において、たまった読書に集中。

 で、やっぱり読書にもそれなりの演出は必要で、テーブルにワインのボトルを置き、さてBGMは何にしようかと目についたのがMiles Davis。
 "Round About Midnight" "Kind of Blue"。ともに1950年代後半の録音で、当時ならではのものすごいメンバー。
 名演でないわけがない。

 "Round About Midnight"にはJohn Coltrane, Red Garland, Paul Chambers, Philly Joe Jones。
 "Kind of Blue"にはJohn Coltrane, "Cannonball"Adderley, Bill Evans, Wynton Kelly, Paul Chambers, Jimmy Cobb。

 "Kind of Blue"はぼくが初めて買ったマイルスのLPで、若い頃のぼくにはまとも過ぎて、今ひとつ物足りなく感じていました。
 "Round About Midnight"は1967年7月17日にジョン・コルトレーンが急死したあくる日、FM東京でコルトレーン特集が組まれて、コルトレーンの初期の演奏として放送されたのが、このLPに入っている"Ah-Leu-Cha"。
 この変なタイトルは、作曲者であるCharlie Parkerの文字をばらしたアナグラムだといわれていますが、どこをどうばらせばこうなるのかわかりません。
 Charlie Parkerの曲だけに、いかにも時代を感じさせるサウンドです。いきなり始まっていきなり終わる。

 マイルスのLPは数十枚ありますが、CDで持っているのはこの二枚を含めて数枚。
 お金が貯まったらオートチェンジャー付のレコードプレーヤーを買いたいです。
 しかし、今時あるのかなあ? そんなもの。

 この頃のジャズは泥臭くて若いジャズファンはあまり好まないようですが、読書のBGMにはぴったりです。
 若い頃は物足りなかったこれらのジャズも、年齢とともにしっくり来るようになりました。

 こういうわたしも、やっぱり古い人間なんでしょうかねえ。
 ♪なにか~ら~なにまで~真っ暗闇よ~♪
 株はさらに暴落です。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで





「はっぴいえんど」が「じ・えんど」

2009年02月19日 | 音楽
Happyend

 そんなばかな!

 「 ポニーキャニオンでは、『はっぴいえんど』『風街ろまん』の2作を18日に再発売したが、昼過ぎから急きょ出荷停止に。ライブ盤発売予定やネット上での音楽配信も中止した」(Excit News)

 元「はっぴいえんど」のメンバー、鈴木茂が大麻所持で逮捕されたために、せっかく発売したばかりのCDを発売中止にしたそうです。
 レコード会社は「事件の重大性や社会的影響を考えて」だそうだけれど、他のメンバーは関係ないし、音楽は一旦リリースされたら、人類共通の文化財です。
 「はっぴいえんど」は、ブレイクする前の吉田拓郎や井上陽水が憧れた、他に類を見ない伝説的なバンド、まだまだ聞きたいと思っている人はたくさんいるはずです。

 もともと大麻が禁止されているのは、政治的な理由がほとんどで、タバコに比べたら極めて害は少ないといわれています。世界的にも禁止している国や地域はごく一部。
 多くの若者は「だから何!」という感じだと思います。
 「大麻で捕まった人がメンバーにいるから、『はっぴいえんど』はもう聴きません」なんて人はほとんどいないはず。

 「また、キングレコードが3作目の「HAPPY END」など関連するアルバム4枚を、日本クラウンが鈴木容疑者の関わる14枚を、それぞれ販売中止した」(Excit News)そうですが、そこまで徹底することに何のメリットがあるのか……。

 1950年代60年代には、アメリカの黒人ジャズメンの多くが麻薬中毒でした。しかし、チャーリー・パーカーやバド・パウエルのCDは、一度も発売禁止にならず、日本でも堂々と売られています。
 「はっぴいえんど」を発売禁止にするなら、こういったジャズメンのCDも売れないことになりますがね。

 見せしめのつもりでしょうが、ちょっとやりすぎですよね。
 せっかくの宝物を人々から取り上げる、発売中止は納得できません。

 鈴木茂は、2006年の大晦日に行なわれた「NEW Yer's Eve-Eve とーべん祭」に出演していて、すばらしい演奏を聴かせてくれました。
 【リンク】「NEW Yer's Eve-Eve とーべん祭」

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




大江健三郎「定義集」~魯迅

2009年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム
Teigishu0217

 昨日、2月17日付け『朝日新聞』朝刊に、月一回掲載される大江健三郎氏の「定義集」で、『臈(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』が中国の文学賞に決まったことが書かれていました。
 選考理由の中に引用されていた魯迅の短編集『野草』にある、ハンガリーの詩人の一節から、その訳詩が「中国の若い人にどう受けとめられているか知りたい思いもあって、北京に行」ったとあります。

Anabel2

 ぼくは難解なこの小説が、中国でどのように受けとめられているのかにたいへん興味がありますが、その詳細はわかりません。いずれの場合もそうらしいのですが、翻訳は原書よりもおよそ読みやすくなっているようで、中国語訳のほうが理解しやすいのかもしれません。

 先日、イスラエルの文学賞を受賞した村上春樹氏は、授賞式でイスラエルのパレスチナ攻撃を厳しく批判してきたようで、その意図もあって授賞式に参加したとか。
 大江氏が中国のチベット問題について何か発言したのかどうか、それは定かではありません。

 で、魯迅の『野草』を1964年発行の「魯迅選集 第一巻」と1980年発行の岩波文庫で読み比べてみました。
 受賞理由に引用されていた一節は、『野草』の中にある「希望」という短編。選集では2頁、文庫では4頁のごく短い作品です。

 「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」(岩波文庫版 竹内好訳)

 絶望も希望も、何も確定されていないウソ偽りであり、そうしたウソ偽りのうちに、人は命を長らえていると、ハンガリーの詩人の詩を引きながら、魯迅は語っています。
 『アナベル・リイ』の中で、主人公のサクラは、自らが参加する映画を、希望から絶望に、そしてやがてまた希望へと変化させ、現実に変えていきます。
 つまり絶望も希望も、それそのものは実体のない「虚妄」だというわけです。
 つまり、この「虚妄」の連続があるからこそ、人は生を全うできるのかもしれません。
 この文章は、このあと次のように続きます。
 
 「もし私がこの不明不安の「虚妄」のうちに命ながらえるなら、かの過ぎ去った悲しく。またとりとめない青春を、よしそれが身外にあろうとも探し出そう。身外の青春ひとたび消滅すれば、わが身中の遅暮も同時にしぼむのだから」(同)

 大江氏が読んだのはこの文庫版ではなく、おそらく、同じ竹内好の旧訳である選集版ではないかと思います。
 魯迅の代表作といえば『阿Q正伝』ですが、『野草』は魯迅文学のエッセンスとして、多くの研究者に注目され、読書家によって愛読されてきました。
 実は、手元にある選集は父親の遺品で、この第一巻はとくに消耗が激しく、繰返し読まれていたことが忍ばれます。

 それにしても、漢語が多く登場する旧訳に比べ、岩波文庫の新訳の、何とソフトなこと。とても同じ訳者によるものとは思えません。

 で、極めて短い作品なので、選集版旧訳の全文を、ここに掲載しておきます。同じ個所(太字)を比べてみてください。

Yaso

 「希 望」

 私の胸は、ことのほか寂しい。
 だが、私の胸は安らかである。愛憎もなく、哀楽もなく、色と音もない。
 たぶん、私は年老いたのだ。私の髪がもう半白なのは明らかな事実ではないか。私の手がふるえるのは明らかな事実ではないか。してみると、私の魂の手もかならずやふるえ、髪もかならずや半白であろう。
 だが、これは何年も前のことである。
 その以前には、私の心も、血腥い歌声に満たされていたこともあったのだ。血と鉄、焔と毒、回復と復讐とに。そして突然、これらのすべてが空虚になった。時にはしかし、はかない自己欺瞞の希望をもって、ことさらそれを埋めようと試みることもあった。希望、希望、この希望の盾をもって、空虚のなかの暗夜の襲来を防ごうとした。たとい盾の裏側が相変らず空虚の
なかの暗夜であろうとも。だがそのために、次々とわが青春を耗りへらした。
 わが青春の過ぎ去ったことを、私はとうに気づかないわけではなかった。ただ身外の青春のみは、当然在るものと信じていた。星、月光、瀕死の蝶、闇のなかの花、みみずくの不吉な声、血を吐く杜鵑、笑の渺茫、愛の乱舞……たとえ悲涼漂渺の青春であるにしても、青春はやはり青春である。
 だが今は、なぜ、このように寂しいのか。身外の青春さえもことごとく過ぎ去ったわけではあるまい。世の青年がことごとく年老いたわけではあるまい。
 私は自分で、この空虚のなかの暗夜に肉薄するより仕方なかった。私は希望の盾を乎ばなしペテーフィ・シャンドル Petofi Sandor(1823‐49)の「希望」の歌に耳をかたむけた。

 希望とは何??あそび女だ。
 誰にでも媚び、すべてを捧げさせ、
 おまえが多くの宝物??おまえの青春を
 失ったときにおまえを棄てるのだ。

 この偉大な抒情詩人、ハンガリーの愛国者が、祖国のためにコザッタ兵の槍先に死んでから、早くも七十五年たつ。死は悲しい。だが、さらに悲しいのは、彼の詩が今なお死なぬことである。
 しかし、痛ましい人生よ。勇敢無比なる.ペトフィがごときさえ、ついに暗夜に向って足を停め、茫々たる東方をかえりみているのだ。彼は言う。

 絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい。

 もしも私が、不明不暗のこの「虚妄」のうちになお生を偸まねばならぬとするならば、私はなおもかの過ぎ去った悲涼漂渺の青春を尋ねよう。それがわが身外にあろうとも。身外の青春ひとたび消滅すれば、わが身中の遅暮もそれとともに凋むのだから。

 だが、今は、星と月光とはない。瀕死の蝶もなく、笑の渺茫と愛の乱舞もない。だが青年たちは、安らかである。
 私は自分で、この空虚のなかの暗夜に肉迫するより仕方ない。たとえ身外の青春を尋ねあたらずとも、みずからわが身中の遅暮を振い立たせればならぬ。だが暗夜はそもそも、どこにあるのか。今は星なく、月光なく、笑の渺茫と愛の乱舞さえない。青年たちは安らかである。そして私の前には、ついに真実の暗夜さえないのだ。

 絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい。

               (一九二五年一月一日)

 【リンク】「「恢復」し、進化する大江文学の新作」

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




つげ義春『ねじ式』~メメクラゲ

2009年02月14日 | 本と雑誌
Tsuge_01_2

 資料を探しに書庫に入って、つい読みふけってしまいました。
 1960年代の終わり頃、青年向け漫画雑誌『ガロ』のつげ義春特集で初めて出会ってから、一時はすっかりはまっていました。

Tsuge_02

 青林堂から出た『つげ義春作品集』(1968年)は、友人に頼んでサイン本をゲット。これがあれば必要ない、ということで、『ガロ』のほうは処分してしまったのが大失敗。今持っていれば大変なお宝でした。


 で、このサインなんですが。

Tsuge_03

 右が上の写真の作品集の扉にあるもの、そして左は、同じ年の秋、半年後に幻燈社から限定出版された『つげ義春初期短編集』の扉に書かれたサイン。

 違い過ぎやあしませんか。

 傾斜は逆だし筆跡は全然別もの。どっちかが偽物か、あるいは両方とも偽物ということも。
 両方とも本物だとしたら、サインの意味をなしません。

Tsuge_04

 つげ義春の名前を一躍有名にした、代表作中の代表作が「ねじ式」。
 これまで貸本屋向けの漫画本や少女雑誌などにいくつかの短編を書いていましたが、ほとんど注目されることはありませんでした。
 それが、「ねじ式」を発表してからは一気にファンを獲得して、作品の少ないつげ義春は旧作までもが掘り起こされ、日の目を見ることになりました。

 「ねじ式」は非常にシュールな作品で、その抽象的な表現は人それぞれ解釈はさまざま。
 ぼくは、米軍に占領された沖縄を風刺していると思っていたのですが、まったく違う解釈をした人がいました。

Tsuge_05

 当時、明治学院大学の講師をしていた、評論家で詩人の天沢退二郎は『作品行為論を求めて』(田畑書店 1970年)に「つげ義春覚書??『ねじ式』における芸術の彷徨」という一文を載せています。
 彼は「ねじ式」を、夢物語ととらえ、生と死、あの世とこの世を表現していると書き、ただでさえ分かり難い作品を、いっそうややこしくしてしまっていました。

 天沢退二郎をはじめ、このころはいわゆる現代詩といわれるシュールな詩がもてはやされ、金井美恵子、鈴木志郎康、入沢康夫ら、理解不能な詩人が多数現れました。
 全共闘世代にも支持されていましたが、中味は社会と乖離したノンポリでした。

 「ねじ式」といえば有名な「メメクラゲ」。もちろん、この世に「メメクラゲ」などという生物は存在しません。

 これは何と、「誤植」!

 つげ義春は最初の場面で少年に語らせる生物の名称を決めかね、「××クラゲ」としていたのを、写植屋が間違えて「メメクラゲ」と打ってしまい、作者もこの誤植を気に入ってそのまま修正せずに出版したという裏話があります。

 「ねじ式」は(天沢退二郎と違った意味で)ぼくは好きな作品ですが、もう一つ好きな作品があります。
 主人公の「ぼく」が引っ越して来たボロ屋に、いつのまにか家族四人で居着いてしまった朝鮮人家族の話で、「李さん一家」。
 独身男のアパートに大家族が侵略して来る、安部公房の「友達」のように暴力的ではなく、なんかのんびりしています。邪魔と言えば邪魔、しかし追い出すのも面倒くさい。

 そして、「ぼくの風雅な生活を侵害したこの奇妙な一家がそれから何処へ行ったかというと」

Tsuge_06

 「実はまだ二階にいるのです」

 なんというオチのなさ。
 これで終わらせるなんて、よほど勇気がなければできることではありません。

 温泉好きで若い頃からの温泉巡りをまとめた『つげ義春の温泉』(カタログハウス 2003年)が、ぼくが持っているもっとも新しい著作で、作品としては1987年の『別離』を最後に、その後一切発表されていません。

 つげ義春の作品は、ちくま文庫をはじめ、たくさん出版されています。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



『オバマの危機』成澤宗男

2009年02月12日 | 本と雑誌
Brack_obama

オバマの危機
?新政権の隠された本性
成澤宗男 著
金曜日 発行


 マスコミも出版界もオバマブームでわき上がり、多大な期待を背負っての新政権の誕生ですが、額面通りの浮いた気持でいると、手痛い目にあうぞ、と警告するのがこの本。
 バラク・オバマが上院議員に立候補する時から、大統領就任にいたるまでの諸演説と行動を分析するとともに、史上最大の費用がかかったと言われる今回の大統領選挙で、その莫大な経費はどこから集められたのか、などを総合して、オバマのリベラルとは言えない「本性」を暴き出しています。
 いささか陰謀論ともいえる筆致と内容で、イヤな感じがしないでもありませんが、的を射ていると思えるところも少なくありません。

 イラク戦争がブッシュ政権によるデマによってはじめられ、今や莫大な国民の血税を飲み込むモンスターと化していることが、前政権の破綻原因の一つであることは周知のとおり。
 しかし、過去のオバマの発言からは、いわゆる「テロとの戦争」を支持するような内容がうかがえるのです。(本文39~40頁参照)
 さらには、銀行や大企業(多くは軍需産業)から多大な献金を受け取り(本文27~35頁)、その資金によって大統領選を勝ち抜いたとするならば、それら大企業の意向に逆らうような政策はできないはず。
 しかも献金元の多くはユダヤ・ロビーといわれるイスラエル支持の大企業。そのユダヤ・ロビーの多くは民主党支持で、大統領選になると大変な影響力を発揮します。
 余談ですが、巨大投資銀行のゴールドマンサックスはユダヤ系。~マンとつく名前にはユダヤ人が多いとか。
 でつまり、ユダヤ・ロビーの支持を得て当選した大統領が、イスラエルのパレスチナに対する国際法違反の残虐行為を糾弾できようはずもなく、それどころかオバマはイスラエルに対し、10年間に300億ドル!の軍事資金援助を約束したとか。

 アメリカという国は戦争をやり続け、軍需産業を活性化することで発展し維持されて来た国です。そして、大企業や巨大銀行を背景に活動する国会議員たちが、仮に大統領が戦争反対を叫んでも従うはずはなく、手に負えなければ暗殺という奥の手さえ持ち得ている国です。

 結論から言って、この本にあるように、オバマが偽物のリベラリストであろうと、額面通り正真正銘のリベラリストであろうと、一人の大統領の存在がアメリカそのものを「チェンジ」させることはまずない、ということです。
 したがって、ぼくは当初からオバマに過剰な期待を寄せてはいません。

 しかし、アメリカ国民の多くは、(日本も同様ですが)政治の裏側など知ろうはずもなく、前政権と180度異なるイメージのオバマに夢と希望を乗せて大統領に押し上げたわけです。
 そこには、これまでとは違う変化が、オバマにではなく、国民の間にできつつあると言って良いと思います。
 だからぼくは、期待をするならばオバマにではなく、アメリカ国民、それもサブプライムローンの破綻やイラク戦争で最前線に行き、アメリカの負の部分を身をもって体験する、アメリカの大部分を占める下層市民に期待します。

 関連記事リンク【Sightsong

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



「世界金融危機」関連2冊

2009年02月11日 | 本と雑誌
 派遣切りのそもそもの発端である「世界金融危機」について、もう少し詳しく知りたいと思い、2冊の本を読みました。
 エンゲルスの『空想から科学へ』で述べられている10年ごとの不況だの、発展しながら自ら崩壊していく資本主義の命運などが、今まさに現実に起きている気がして、危機の発信元であるアメリカの金融政策が具体的にどのようなものだったのか、知っておいたほうがいいと思ったからです。

Sekaikinyukiki

 一冊は昨年10月に発行された、金子 勝、アンドリュー デウィットによる岩波ブックレットの『世界金融危機』。
 (現物はアシのYが持っていってしまったので、写真はamazonに掲載されたもので、帯がありません)
 わずか70頁ですが、実によくまとまっています。ぼくは経済はあまり得意でないので、慣れない経済用語に苦労しながらもどうにかサブプライムローンのしくみがわかったような気がしました。
 サブプライムローンを含む金融政策はものすごく複雑で、専門家でなければ実態を正確に把握するのは無理なようです。
 銀行も投資会社も、自分たちがどれだけ損害をこうむっているのか、それさえわからないうちに泥沼にはまり込んでいったのが、今回の100年に一度と言われる大不況。
 著者は、日本はいつまでもアメリカに追随していたら、いずれ崩壊するだろうと警告して結んでいます。

Meltdown

 もう一冊は、朝日新聞出版から出版されたばかりの榊原英資『メルトダウン』。
 著者は元大蔵官僚。金子勝氏とは異なり、資本主義を守る立場から書かれた本で、こちらは四六判で250頁ほど。
 「東アジア危機」と「ブラックマンデー」の起きた、今から20年ほど前のころから、アメリカを中心に世界の金融の流れを解説するところからはじめています。
 今回の「世界金融危機」の元凶は、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガンなどが推進して失敗した「市場原理主義」を再び持ち込んだことにあるといいます。
 アメリカの金融界の内側から現状を語り、ここ20年間の金融経済の変動についても詳しく書かれています。ただ、いかにも危機感をあおるだけで、一般庶民の痛みにはまったく触れられていません。
 いわば、世界の上半身のみを語った本です。
 「150年も戦争も内乱もなく高い教育レベルと文化を維持し続けた」江戸時代の分権制度に戻せばいいなどと言っていますが、それは士農工商という封建主義身分制度の基盤の元に作られたのであって、庶民がどれだけ苦しんでいたのかがまったく考慮されない論理です。

 とはいうものの、金融界を牛耳る立場の人間たちが、どんなことを考えているかがよくわかります。
 著者は、今回の金融危機を乗り越えるためには、パラダイムの変換が必要だと言っていますが、著者自身、資本主義というパラダイムから脱する考えは毛頭ないようです。

 最後の「廃県置藩」論は面白いが、自由競争主体の資本主義社会では無理でしょう。
 文科省などを廃止して、自治体の業務に移行するというのは大賛成。
 彼のいう「本当の構造改革」は社会主義的な政策に移行しなければ達成できません。しかし、社会主義は認めたくない、あるいはそれを言う勇気がない。したがって、かなりの矛盾を含む内容の本です。

 『世界金融危機』の金子勝氏は、資本主義という枠組みにとらわれずに、金融世界を客観的に見て論理を展開しています。
 たとえるなら、メルトダウンが始まった資本主義という原発から外に出て、それをまるごと封じ込めることも解決策の一つと考えています。
 それに対し榊原英資は、原発から脱出せずに、その内側にいてなんとか修理しようと考え、あがいている感があります。
 榊原英資は、今の自民党政府のように、必要なことをせずに頓珍漢な手ばかり打つおバカな資本主義者ではなく、なかなかの切れ者です。(経済学博士なので当たり前ですが)
 幕末ならば、金子氏の竜馬に対し、榊原氏は土方歳三というところでしょうか。実に惜しい。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




『チェ 39歳別れの手紙』

2009年02月08日 | 映画
Che2

 先月の『チェ 28歳の革命』の続編、『チェ 39歳別れの手紙』を見て来ました。
 キューバ革命が達成するまでの前半に続き、こちらの舞台はボリビア。

 1965年10月3日、革命を達成したキューバ社会主義革命統一党がキューバ共産党として発足する式典に、ゲバラの姿はありません。
 ゲバラはサトウキビ農場の視察に行くと出かけたまま、フィデル・カストロに宛てた1通の手紙を残して行方不明になりました。


 フィデル
 私は今 多くを思い出している

 マリアの家で君と出会ったこと
 革命戦争に誘われたこと
 準備期間の あの緊張の日々
 死んだ時は誰に連絡するかと聞かれた時??
 死の現実性を突きつけられ慄然とした
 後に それは真実だと知った
 真の革命であれば
 勝利か死しかないのだ

 私はキューバ革命で??
 私に課せられた義務の一部は果たしたと思う

 だから別れを告げる
 同志と 君の人民に
 今や私のでもある人民に

 私は党指導部での地位を正式に放棄する
 大臣の地位も
 司令官の地位も
 キューバの市民権も

 今 世界の他の国々が??
 私の ささやかな助力を求めている

 君はキューバの責任者だからできないが
 私にはできる
 
 別れの時が来たのだ

 もし私が異国の空の下で死を迎えても??
 最後の想いはキューバ人民に向かうだろう
 とりわけ君に


 ゲバラのボリビアでの革命は失敗に終わります。
 キューバとの決定的な違いは、民衆を味方にできなかったこと。
 それは、ボリビアのバリエントス政権により、ゲリラ部隊に対するネガティブな宣伝がなされていたことと、体面を重んじるボリビア共産党の支持が得られなかったことが要因でした。

 山中で、食糧も医薬品も不足したゲバラの部隊は苦戦を強いられ、ゲバラ自身も喘息の発作に苦しめられます。

 「バティスタ(キューバ)の失敗は、カストロを殺せる時に殺さなかったことだ」
 足に銃弾を受け捕らえられたゲバラは、ボリビアのバリエントス政権最高司令部からの命令で、銃殺され、39年の生涯を閉じました。

 
 ゲバラの最期については、さまざまな言い伝えがあります。
 引き金を引きそびれている兵士に、「ひるむな、撃て! オレはただの男だ」と言ったと伝えられていますが、映画ではただ一言、「撃て!」。
 言い伝えは、たしかにでき過ぎているようにも思えますが……。

 『28歳の革命』は成功パターンで、『39歳別れの手紙』は失敗パターンとして、それぞれ物事を成し遂げる際の教訓とも受け取れます。
 すなわち、失敗とは「何かをしたために失敗」したのではなく、「必要なことができていなかった」ということ。
 かりにそれが、判断ミスであったとしてもです。

 リンク【『チェ 28歳の革命』】


エドワード・W・サイード『収奪のポリティックス』

2009年02月07日 | 本と雑誌
Said0001

『収奪のポリティックス』
エドワード・W・サイード 著
NTT出版 発行

 サイードのパレスチナ問題に関わる本は、一通り入手して概ね読んでいます。
 この本は、何冊目になるかわかりませんが、昨年の8月に出版されたもので、しかし、高価なのとA5判で600頁を越える大冊のために、つい読みそびれていました。
 同程度に大冊の、発行が遅れている『故国喪失についての省察』(2)を優先していたこともあります。
 近々出版されると思いつつ、まもなく三年になります。そうこうしているうちに、『収奪のポリティックス』の程度のいい古書を見つけたので、優先順位を変更した次第です。
 (その『故国喪失についての省察』(2)は、今年2月に発行される予定がまた延期になって、どうやら4月以降)

 『収奪のポリティックス』はサイードがコロンビア大学の若手教員として教鞭をとっていた1967年から、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で結ばれた「オスロ合意」にいたる1993年までの政治論説集です。
 60年にもなろうというパレスチナ紛争のなかで、英仏の植民地主義とユダヤ人の人種差別的なシオニズムの不正義を追求しています。
 とくにこの論文集は、重要な発言が満載されていることで名高いもの。色鉛筆と大量の付箋がいりそうです。
 ただ、ここに来て急に多忙になり、この大冊をいつから読めるものやら、それが気がかりでもあります。

 変な話で、こういう大冊は、手に入った瞬間とてもわくわくします。とくに本好きでない限り、ばっかじゃなかろか、と思われるでしょうがね。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで



湯川トーベン in Terra

2009年02月05日 | 音楽
090204terra_1

 久しぶりに西荻窪の「Terra」に行きました。
 先日女友だちのY子さんと所用で会った時、「しばらくライブに行ってない」という話になって、それじゃあソロだけど行こうか、ということで、立春の日の4日湯川トーベン氏のソロライブに出かけたのです。
 もっともぼくはちょうど一カ月前に中目黒の「楽屋」で行なわれたお年玉ライブに行っているので、「しばらく行ってない」わけではありません。

090204terra_2jpg

 この日はソロは2度目という村松邦男というオッサンとのコラボ。初見参です。
 ソロライブにしては客が多いと思ったら、この人のファンに加えて、僕たちが座ったもっとも後ろの席の並びにバンドマンの軍団が陣取っていました。
 松村ファンは、トーベンファンに比べて若い。
 なんなんだろか。

090204terra_3

 「サングラスに名前書いちゃって、見えてるの? 見えないでしょ」(トーベン)
 「ずらして上から覗くの」(村松ファン)
 「好きなんだねえ」(トーベン)

 前半はトーベンさん主体で進行。
 今日はえらく高そうなギターを持って来ていて、いつものアコースティックではなくてアーム付のエレキ。
 楽しそうに弾いていましたが、これがまたけっこういい音でした。

 パナルパ、食パンとミルク、バンドマン……、あとは忘れました。

 前半の途中から村松邦男さんとのデュオ。
 後半は村松さん主体。
 とりとめのない話がなんかおかしい。雰囲気がモモカンみたいです。
 曲のほうはトーベンさんとはちょっと世界が違う感じで、あまりぼくの趣味ではありません。
 話がばかばかしくて面白かったので、差し引きオッケーです。

 この日、トーベンさんは必要なものを何もかも持ってくるのを忘れたとか。
 ステージ用の衣装も譜面も忘れたとか。
 「衣装、このまえトリプル(ダイヤモンド)のとき楽屋に忘れてったのがあったから」(トーベン)
 トリプルの衣装じゃあ、汗かいてて臭くないのかなあ。
 「すごいよね、楽譜忘れてこれだけ歌っちゃうんだから」(松村)

 何かしら楽屋にものを忘れて帰るというのは聞いていましたが、持ってくるものをそっくり忘れるとは……。

 ところでこの日、Terraのマスターが不在。店員に聞いたらどうも風邪のようです。
 あの素人臭い前説とオリジナルカクテルが、別に評価はしていないけどないと淋しい。

 「こんどたまにはトリプル(ダイアモンド)聞きたいな」(Y子さん)
 そうですね、爆音もときには熱い風呂に入った時みたいにすっきりしますから、いいかも。
 このTerraで25日に予定されてますが、ちょっと多忙になりそうな雰囲気で、行けるのかなあ。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




今年の恵方は「東微北」

2009年02月03日 | 日記・エッセイ・コラム
 今日は節分。
 で、明日は立春。
 日にちが経つのが恐ろしく早いですねえ。
 この調子だとすぐ夏休みだ!

Eho_maki

 てことで、わが家の夕飯は、「恵方巻」っぽく太巻き。
 本当は恵方に向かって丸かじりするのが習わしですが、すでに「食べやすい大きさ」に切ってありました。

 ところで、表題の「東微北」とは、東のわずか北より。
 方位図でいうと「甲(きのえ)」の方角になります。

Houi

 図のように、古来の方位は十二支(じゅうにし)と十干(じっかん)と八卦(はっけ)を組み合わせたもの。

 十二支とは
 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥

 十干とは
 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸

 八卦は
 坎(かん)艮(ごん・うしとら)震(しん)巽(そん・たつみ)離(り)坤(こん・ひつじさる)兌(だ)乾(けん・いぬい)
 
 北から時計回りに子、丑、寅…と十二等分します。
 しかしこれでは北東、東南、南西、西北が表現できません。
 そこで中国では、易の八卦を用いてあらわしました。
 日本では、北東は十二方位の丑と寅の中間なので丑寅(艮・うしとら)、同じように、東南は辰巳(巽・たつみ)、南西は未申(坤・ひつじさる)、西北は戌亥(乾・いぬい)と呼んでいました。

 上の図をみると、今年の恵方である「甲(きのえ)」の位置が、真東を表す「卯(う)」よりも24分の1だけ北寄りであることがわかります。
 なので、「東微北」。あまり聞き慣れない呼び方ですね。
 ちなみに、来年の恵方は「甲」の対極にある「庚(かのえ)」、すなわち「西微南」。


◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで




『空想から科学へ』再読中!

2009年02月02日 | 本と雑誌
Engels_1

 「すべての歴史は階級闘争の歴史である」
 『空想から科学へ』という薄い冊子を読んだことがなくても、この一節に覚えのある人は少なくないと思います。
 空想的社会主義、すなわちユートピアから、科学的社会主義が実現するまでの過程を、歴史、哲学、経済の三章に分けて解き明かしたエンゲルスの名著です。

 ぼくは高校生の頃、父親から『すらすら読める社会主義の本「空想より科学へ」』と題する薄い文庫本を「読んでおけ」と渡されました。
 その本はいつの間にか僕の手元から見当たらなくなりましたが、ぼくがマルクス主義と初めて出会ったのが、この本でした。

Engels_2

 この著のタイトルは、大月書店と青木書店、新日本出版から発行されたものは『空想から科学へ』となっていて、大内兵衛訳の岩波文庫だけが『空想より科学へ』となっています。
 タイトルを見る限り、「から」のほうが「より」に比べて優しいイメージがあります。「より」の大内訳は、小見出しがついていて、読みやすいのですが、文章は堅苦しい。

 父親から渡された本は『空想より科学へ』となっていた記憶がありますが、定かではありませんし、大内訳ではなかったと思います。

 数十年ぶりに再読してみようと急に思い立ち、何種類かある訳本を取り出しました。
 高校生の頃に読み流して、つい知った気になっていましたが、あらためて読み進めると、「いったい何を読んでいたのか」と、恥ずかしくなるほど勘違いをしていました。
 この本は、エンゲルスが『反デューリング論』から抜き書きして、ビギナー向けにわかりやすくしたとは言うものの、ミステリー小説を読むようなわけにはいきません。簡潔に書かれているだけに、理解するには一言一句見逃せません。

 改めて読むと、「生産」と「労働力」の関係、「余剰価値」の発見など、マルクス主義の基礎が、実にうまく解説されていることに驚きます。
 父親がなぜはじめにこれを薦めたのか、数十年経ってやっと理解できた次第。

 言い訳をすれば、マルクス、エンゲルスの著作は、『資本論』をはじめとして途方もなく膨大で、他に読んでおくべき著作が無数にあって、理解したしないはともかく、一度目を通した『空想から科学へ』は、つい優先順位が低くなっていたわけです。
 『賃労働と資本』や『賃金価格および利潤』、『家族・私有財産・国家の起源』などのほうが、ある程度分別がつくようになってから読んだということもありますが、印象深く感じました。

 以上に『共産党宣言』を加え、順次再読していこうかと考えています。
 『ゴータ綱領批判』『ドイツ・イデオロギー』など、今頁を開くと、若いころはヒマだったんだなあと、感心します。
 『資本論』など、何度挑戦してもだめ。もう不可能ですね。

 これから読む人のためにおすすめしたいのは、残念ながら品切れになっていて、古本屋かアマゾンの中古をあさるしかないのですが、20年ほど前に大月書店から出ていた「大月センチュリーズ」というシリーズの版が、脚注にわかりやすい解説がついていて良いです。
 このシリーズは、A5判でどれもそんなに厚くない100頁前後でとっかかりやすいです。『共産党宣言』『空想から科学へ』『賃金・価格・利潤』『賃労働と資本』『フォイエルバッハ論』それとレーニンの『カール・マルクス』の6冊が出ています。『空想から科学へ』以外は在庫があるようです。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで