ひまわり博士のウンチク

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「二重被爆」

2009年09月03日 | 映画
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 ドキュメンタリー映画「二重被爆」を日本映画専門チャンネルで見た。
 完成時、上映期間中に観るつもりでいて、観そこなったらそのまま記憶から失せていた。
 それが、ブログの友人が以前紹介しているのを見て、「しまった」これも『原爆詩集 八月』の内容に加えるべきだった、と後悔したものだ。
 http://pub.ne.jp/Sightsong/?entry_id=1593891
 
 「二重被爆」とは、広島と長崎の両方で被爆した人のことである。
 ずっと注目されることはなかったが、案外たくさんいるらしい。
 広島に原爆が投下されたのが8月6日、長崎が9日だから、その間に移動する人は珍しくなかったはずだから、広島で被爆しながら命拾いして、長崎で亡くなったという不運な人を含めると、相当数にのぼるだろう。
 
  1945年8月6日広島、8月9日長崎に原子爆弾が投下された。
 死者およそ20万人、現在でも30万人の人々が原爆後遺症に悩まされている。
 その被爆者の中に、広島と長崎の両市で被爆(両市被爆ともいう)した方々がいる。
 私たちはその両市被爆を『二重被爆』という概念で捉え直し、取材を始めることにした。
 長崎市役所の資料によると、長崎市在住の『二重被爆者』は20名。
 全国規模では約160名(平 成16年調べ)がいると言われているが、正確な人数は把握されておらず、驚くべきことに、『二重被爆者』の存在は歴史の中に埋もれたまま、独自の聞き取り調査もなされてこなかったことが判明した。
 去年8月、国立広島原爆死没者追悼平和記念館で公開されている被爆体験記から『二重被爆者』の存在が報道された。
 原爆投下後2週間以内に両市に入り、残留放射能を浴びた『二重被爆者』は165人、2度の原爆に直接遭遇した被爆者は9人いる事が確認された。
 戦後60年間で、『二重被爆』の実態が始めて明らかになった。
(『二重被爆』通信 ホームページ)
 
 
 この映画では、二重被爆者でありながら、後遺症に悩まされつつも生存していた7人の人たちが登場する。
 進行の中心は、山口彊(やまぐち・つとむ 映画製作当時90歳)さんである。
 
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 「きのこ雲に広島から長崎まで追いかけられてきたんじゃないかと思った」
 
 当時長崎市にある三菱重工業造船所の設計技師だった山口さんは、昭和20年5月から3ヶ月間広島へ出張し、長崎へ帰る前日に広島市内で被爆した。大火傷を負いながらも同僚の佐藤さん、岩永さんと共に翌日列車で長崎に向かい、8日に自宅へ戻った。そして翌9日朝、造船所へ出向き、広島の状況を報告していたまさにその時、再び被爆をした。被爆により左耳の聴力を失い、急性白血病や白内障を患うなど、数々の闘病を重ねてきた。5年前には脳梗塞による左半身麻痺となるものの、リハビリを続けながら、今もなお原爆の悲惨さを訴え続けている。(『二重被爆』通信 ホームページ)
 
 この映画は、これまで「広島・長崎」とひとくくりにされていた被爆者の問題を、「二重被爆」という事実を表面化することで、「二度の原爆投下が必要であったのか。なぜ、続けて二回も投下したのか」という疑問を、あらためて問いかけている。
 これは大変重要な問題をはらんでいる。
 ただ単に「戦争を早く終わらせたい」だけならば、一度だけで十分ではなかったのか。
 もちろん、瀕死の状態になっていた日本に、そもそも原爆を落とす必要などなかったのだから、久間元防衛相のように、一度は「仕方がない」などと言っていいはずはないことは、言明しておく。
 一度でなく、二度の原爆の意味するものは、そこに異人種としての日本人に対する差別はなかったのか、それ以前に、この際日本を完全消滅させようという、アメリカの大国主義に裏付けされたジェノサイト思想はなかったのか……。
 
 映画は、そうした重要問題をよそに、日本の行政があまりにも「お役所的」杓子定規にはまっていることも暴き出している。
 山口さんの「被爆手帳」に記載されている被爆地は長崎のみで広島はない。
 「二カ所のうち便利な方にしたほうがいいでしょうから」と言われたとそうだ。
 両方から補償することはできかねるというのが本音であろうが、そのために、山口さんが広島で被爆したという記録が消されていることになる。
 
 
 フランスやアメリカでのインタビューも収録されている。
 フランスでは「ヒロシマ」は名前だけは知っていても「ナガサキ」を知らない若者が登場する。
 別の女性が、「それは無学な若者だ」と非難する。「学校で教わることだから」。
 
 アメリカの日系の老人は、へらへら笑いながらインタビューに答える。
 
 外国と日本では、当然と言えば当然だが、温度差が大きい。
 
 
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 山口さんは、自分の体験を短歌にしたためた。
 
 大広島 
 炎(も)え轟きし朝明けて
 川流れ来る
 人間筏(いかだ)
 
 短歌は『人間筏』という本にまとめられている。
 次の出版の機会までにはぜひ入手して、再録させてもらえればと考える。
 
 リンク→『二重被爆』通信
 
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