ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

西山・高柳の多彩な宝モノ―柏崎市立博物館「ふるさとの宝モノ」展

2015年11月19日 | 展覧会より


 西山町・高柳町の合併10周年を記念して、柏崎市立博物館で「ふるさとの宝モノ」展が開催されている。これが実にバラエティーに富んでいておもしろい。もともと柏崎は、海と山に囲まれた多様な自然の恵みを誇っていたが、この二つの地域によってそれがさらに増強されたことがよくわかる。
もっとも地方都市の多くと同様、ただ「豊かな自然」と唱えているだけでは、空疎な紋切り型の謳い文句に過ぎない。しかし例えば門出和紙や、奉納幡に使われている弁慶縞のちぢみ等の高柳の特産品、あるいは鰆(さわら)と鱈の漁場が描き分けられた「石地漁場の図」など、時に過酷で厳しい自然と共存する営みや英知を示す民俗資料は、「多様で豊かな自然」を逆照射し、それぞれの特質を明確にしていることを痛感する。
そんな中でひときわ目を引いたのが、照明を絞ったガラスケースの中の、高柳・貞観園所蔵の一山一寧と寂室元光の墨跡である。門外不出かと思っていた二幅を前に、時間が凝縮されたような感覚を味わった。一山一寧(1247~1317)は、中国南宋出身の禅僧で、本作は来朝まもない建長寺時代のもの。端正にして清雅、ひたひたと緊張感が伝わってくる。美作出身で近江永源寺の開山、寂室元光の書は温雅で流麗な名筆だ。
この二点の他、貞観園にはその建造物も含め、柏崎市内の国指定文化財のほとんどが集中している。貞観園・村山家の繁栄ぶりが窺えると共に、村山家当主・哲斎(1821~1899)や分家の致道(1820~1884)らの高雅な美意識がそれらを支えてきたのだろう。致道の極彩色の襖絵には、京都で身につけた確かな技量が十分に見てとれるし、哲齋の「福浦図巻」は、自在な角度で景観を描写し、文人たちとの舟遊びの楽しさを生き生きと伝えている。
高柳町に貞観園と、村山家ゆかりの広済寺という宝庫があれば、片や西山町には椎谷藩・堀家ゆかりの超願寺や、越後二宮といわれる二田物部神社がある。国内最大級のヒスイ勾玉を始め考古資料も豊富だ。
今展開催にあたり、指定文化財の現状確認もなされたという。概ね管理されてはいたものの、集落の過疎化や所有者の高齢化により今後の管理が危ぶまれるものは少なくないという。難題が突きつけられたとはいえ、現状確認と課題があぶり出されたことは大きな意義があったと思う。
本来ならば、現地で、その風土を体感しながら見るべきだとは思うが、なかなか容易ではない。こうして一堂に会する機会があるのはとても喜ばしい。西山・西光寺の木喰作「十二神将像」を初めて見たのは、2009年、東京国立博物館の一木彫の特別展においてであった。その時には、ちょっと緊張したすまし顔に見えたのだが、今展ではのんびりと居心地良さそうに見えるのは、見る側の気持ちのせいとばかりは言えない気がする。23日(月・祝日)まで。ぜひ、足を運んでみてほしい。(霜田文子)

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