ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

大地の芸術祭より(2)―「アトラスの哀歌」

2018年09月11日 | 展覧会より


(1)では、人気スポットとなっていて、既にいろいろと書かれている所を辿り、自分なりの備忘録として書き留めた。時間も限られており、どうしても評判になっているものを優先的にしてしまう。だがあまり取り上げられることのない「アトラスの哀歌」だけはなんとしても観たいと思っていた。
作品は十日町市中条地区の高龍神社にある。鎌倉時代に創建された龍を祀る神社で、地元では雨乞いの神として厚い信仰を得ているという。羊草が浮かぶ池を横目に、参道の緩やかな坂を上る。沿道の杉の大木が、日差しを遮りひんやりとした空気に包まれている。坂を登り切った所にある社殿の中に、その作品はあった。期待を裏切られることはなかった。
 幾層かの球体が和紙や薄い布で覆われ、描かれた木や舟、文字が光の中に浮かび上がる。民族楽器だろうか、ゆったりとした音楽に合わせて、静かにゆっくりと回転している。作者はエマ・マリグ。1960年チリ・サンチアゴに生れ、17才で亡命し現在はフランスに住む。情報はこれだけだ。
 
回転しながら、光に浮かび上がる文字を、一文字一文字追うように書き写す。DESTIERROS、LAMENTI、PASO DEL ESTE,PASO DEL MARES・・・。それぞれ追放、哀歌、通り過ぎる、海の上に、といったところだろうか。国を追われること、流浪することの哀しみが伝わってくる。
 チリは、1970年、世界で初めて民主的な選挙で社会主義政権が誕生した。しかし3年後、CIAの介入などもあって、クーデターが起こりピノチェト将軍率いる軍事政権が誕生した。このとき多くの人々が処刑され、100万人もの人が国外へ亡命したという。半世紀近くが過ぎてもなお記憶に鮮明なのは、ホセ・ドノソやイサベル・アジェンデらチリの作家の小説による追体験が大きい。
もっとも私はアジェンデについては映画「愛と精霊の家」を先に見てから原作『精霊たちの家』を手にしたのだが、期待外れで、途中で放り出してしまった。もちろん資質や力量にもよるが、アジェンデ大統領の一族であり、実際に革命を目の当たりにしていたアジェンデの場合、映画ならその臨場感が生かされただろうが、文学として深めるには時間も距離も近すぎたのかも知れない。一方ドノソは当時スペインにいて、もともとは政治的な文章を書く人ではなかったのだが、祖国の政情に矢も楯もたまらず『別荘』を書いている。複雑な比喩で軍事政権をアレゴリカルに描いたフィクションが、果して弾圧下の国民の共感を得られたかどうかは疑問だが、時を経て、国境を越えても、人間の狂気、民族や文化の軋轢など、様々な読み取りが可能な作品となっている。とりわけ異様なのは大人がハイキングに出かけた一日の間に、残された子供たちは怒濤のような一年間を体験しているというストーリーだ。祖国の急変は、傍観者と当事者との間にそれくらいの時間感覚の差違を生み出しているということだろうか。
エマ・マリグの作品はまさに「静謐」ということばがふさわしい。そしてしみじみと哀しみや故郷へのノスタルジーが伝わってくる。少女期にクーデターに遭遇し、思春期に亡命をした作家にとってそうした時間とは、ドノソの描いた「子供が体験した一年間」にあたるのではないか。そしてその後の40年余りとはこうした体験を咀嚼し、世界に目を向ける時間でもあったのではないだろうか。ゼウスとの戦いに敗れ、世界の果てで天空を背負わされたアトラスに寄り添うように、地球のほころびを丹念に繕いながら、自らと同じ運命を強いられた難民たちに思いを馳せる。神社という空間に融合しているのも、国境を越え、宗教を超えた作家の立ち位置のなせる技だろう。(霜田)
 

大地の芸術祭より(1)

2018年09月07日 | 展覧会より
大地の芸術祭に行ってきた。酷暑・混雑を避けて9月に入ってから、と決めていたのは正解だったようだ。特に渋滞、入場制限などと聞いていた清津峡渓谷トンネルをじっくりと見ることが出来たのはうれしかった。すでに多くの報道がなされているが、いくつか紹介したい。
落石事故の後作られた全長750メートルトンネルにはいくつかの景観スポットがある。そこから見える清流と厳しく荒々しい岩、その峡谷に合わせた壮大な作品だった。しかもところどころにちょっとした仕掛けがある。周到に作られた物語のような作品でもあるのだ。

壁面にはこんな絵も。

天井にはところどころに光のフラグメント。

景観スポットから見る峡谷と作品

そしてトンネルを突き抜けた先に広がる景観と鏡像。

トンネル出口から峡谷を見る。流れが変っていることに気づく。ここは分水嶺なのだ。



津南町の、かつて織物工場だった建物でのインスタレーション。メキシコの作家、ダミアン・オルテガ「ワープクラウト」
2種類の大きさの白い球体は水滴のようでもあり、無数の星々のようでもある。しかも雪の結晶のように計算された整然たる配置を見せる。建物の中で、まるで織り上げられたようだ。メキシコの神話では編むことは大地と天国を一つにすることだという。日本とメキシコの神話や伝説との出会いも感じる。




清津倉庫美術館は、大地の芸術祭主要作家である磯部行久の作品を「収蔵して展示する」場所である。イコンのような作品から、環境アートへという磯部のこれまでの行跡を辿っている。個人的には地図という平面に重層的な時間と空間が表現されるのが興味深い。



松代の「アート・フラグメント・コレクション」は、川俣正を中心にしたグループによる、廃校になった小学校を利用したプロジェクトである。前々回、中原佑介の蔵書をらせん状の本棚にして展示していたがそれを中心に、これまでの芸術祭に使われた作品のいわば「かけら」を集めたもの。中には日常雑器や木片等もありそれらが混在し境界が曖昧になる、そこにアートの芽が宿っているようだ。