ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

「いいちこ」を読む(2)

2016年02月02日 | 読書ノート
 かくして私は夜、「いいちこ」を飲みながら「iichiko」を読むことになったのであった。
「ブルガーコフ特集」(NO.103、104の2号にわたる)の特徴というか主張ははっきりしている。1966年にソ連で『巨匠とマルガリータ』が解禁となった後、この作品はヨーロッパ諸言語に翻訳されて大ブームとなったにも拘わらず、日本でそんなことにはならなかったこと、あるいはヨーロッパ諸国ではブルガーコフが20世紀を代表する大作家とみなされたのに、日本ではそうではないことへの反駁がこの特集のテーマとなっているのである。
 群像社版『巨匠とマルガリータ』を訳した法木綾子によれば、その国際的な影響は文学の分野のみならず、バレエ、映画、コミック、SFなど広いジャンルにわたっているという。
 日本でもよく知られているのは、イギリスのロックバンド、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーが、この作品に触発されて、1968年の彼らの名曲Sympathy for the Devil(邦題「悪魔を憐れむ歌」)の歌詞を書いたことである。
 Sympathy for the Devilの歌詞は、悪魔が一人称で世界の歴史への自らの関与について語るスタイルになっていて、その内容は『巨匠とマルガリータ』のそれを敷衍したものになっているし、悪魔の語り口は『巨匠とマルガリータ』に登場する悪魔ヴォランドのそれにそっくりなのである。
 さらに小説中に繰り返し出てくる"巨匠"が書いたという小説(イエス・キリストと彼の処刑を命じたポンティオ・ピラトにまつわる物語)をも踏まえて、歌詞の中にこのピラトを登場させてもいるのである。ミック・ジャガーの歌詞の多くは文学的なのであるが、Sympathy for the Devilのそれが最たるものであろう。
 だから日本でもローリング・ストーンズのこの曲のヒットによって、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』が広く読まれるようになるという可能性はあったのだ。しかし、当時はビートルズが健在であり、次々とヒットを飛ばしていたから、日本におけるストーンズの評価もそれほど高いものではなかった。私もその一人だったが、ビートルズを嫌い、ストーンズを好んで聴くような青年は、日陰者のような存在だったのである。
 だから、日本でブルガーコフが正統な評価を受けていないことについて、私は「季刊iichiko」のそれと同様の考えを持っている。このままブルガーコフが日陰者に終わっていい訳はないのである。
「季刊iichiko」の編集者・山本哲士は「幻想ブルガーコフ批評狂想曲」という、熱に浮かされたような、あるいは酒に酔ったかのような文章を書いている。ブルガーコフ生誕の地・キエフへの旅がモチーフとなっていて、山本哲士はこの文章の中で、ウクライナの首都キエフ(現在は)の不幸な歴史について語るとともに、ブルガーコフへの讃辞を連ねている。ところで山本の次のような文章を解読できるだろうか?
「ヤポンスキーは、赤色光線の恐怖から解放されたキシノー、キエフ、オデッサとさまよい、エイゼンスタインの階段をころげおちた乳母車のように、ころげおちながら、ポチョムキンの水夫たちの雄たけびをきいて失神した。フョードルではない。ミハイルだ、ミーシャだ、偉大なのは! ヤポンスキーはフョードルにおおわれていた、柱に釘をうってあの夜へ冷静にいったスタヴローギンにいかれて、誰もミーシャのことなどしるよしもなかった」
 ヤポンスキーは日本人、山本自身のこと、赤色光線はソ連共産主義のこと、エイゼンスタインのくだりも何とか分かる。では、フョードルは? フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーのことで、ミハイルはブルガーコフのこと、ミーシャはミハイルの愛称である。
 つまり山本はウクライナ各地をまわって、ソ連共産主義=スターリニズムがいかにそれらの都市に悲劇をもたらしたかについて語り、そして、共産主義を嫌い、それに抵抗を続けたブルガーコフの偉大さを讃えているのである。
 また山本は、日本人はあれだけドストエフスキーにいかれていたのに、なぜその文学の後継者ともいうべきブルガーコフに目を向けないのかと(私はドストエフスキーが偉大でないなどとは思っていないので、私の考えも含めて)いちゃもんをつけているのである。
 彼の気持を私は非常によく理解できるのである。
(T)


(この項おわり)

「いいちこ」を読む(1)

2016年02月01日 | 読書ノート
 先日游文舎の新年会で、大分県の三和酒類株式会社がつくっている麦焼酎「いいちこ」を飲んでいた時、「そういえば「季刊iichiko」というレベルの高い文化誌があったな」と突然思い出したので、仲間に話したが誰も知らなかった。
 実はその「季刊iichiko」を定期購読していたことがある。この文化誌のテーマは文学や哲学、社会学やスポーツ学など多岐に及んでいて毎号特集を組んでいるから、必ずしも自分の興味に合あわない号もある。しかも学者さんの文章が多く専門性が高いため、理解できなくなって購読を中止したことも思い出した。
 私が購読したのは1986年の創刊間近のころだったと思うので、25年ほど昔だったことになる。現在128号まで出ていて、雑誌受難の時代に息長く続いていることが特筆される。
 発行は東京の文化高等研究院出版局というところであるが、お金を出しているのは三和酒類で、毎号発行ごとに1400万円を出しているという。しかもこの雑誌、売ることを目的とせず、書店に出回ることもない(以前は書店に出ていたこともあるが)。全国の公立図書館や大学図書館に寄贈を続けているのだという。
 私は酒は麦焼酎しかほとんど飲まず、しかもとりわけ「いいちこ」の愛飲者である。安くて美味しいからだ。「いいちこ」にもいろいろグレードがあるが、私が飲んでいるのは、いわゆる「下町のナポレオン」と銘打たれた一番安いやつである。
「いいちこ」は大衆的な焼酎だが、「季刊iichiko」の方はそれとはまったく逆で、極めて高踏的な雑誌である。「誰も分からなくていいからレベルの高い雑誌を作ろう」というのが創刊時の意図だったそうで、その志の高さに脱帽せざるを得ない。
 ということで、「季刊iichiko」のことを思い出した私は、早速インターネットで最近どんな特集を組んでいるのか調べてみた。すると「ブルガーコフ特集」というのが2009年に出ているではないか。しかも2号続けて……。私はわが眼を疑ったのである。
ミハイル・ブルガーコフはソ連のスターリン時代の作家で、いわゆる反体制的な作品を書いたため、そのほとんどの小説は発禁となり、ほとんどの戯曲は上演禁止になるという、苛酷な作家生活を強いられた人である。
 代表作は『巨匠とマルガリータ』という小説で、日本でも1969年から翻訳が出ているし、河出書房新社の池澤夏樹個人編集「世界文学全集」にも採用されている。
『巨匠とマルガリータ』はロシア語で書かれた作品としては、20世紀最大の傑作であると私は思っている。ロシアの小説で、19世紀のドストエフスキーの作品に比肩しうるのは、おそらくこの小説だけである。だから20世紀の世界の小説の中でも、間違いなくベスト5に入る作品なのだが、誰もそんなことは言わない。
 日本ではほとんど読まれていないからである。1969年に新潮社から『悪魔とマルガリータ』(安井侑子訳)という邦題で出た後、1977年に集英社「世界の文学」の一冊として『巨匠とマルガリータ』という原題に即したタイトルで出版され(水野忠夫訳)、その後同社の「ギャラリー世界の文学」にも収録されたが、新訳による『巨匠とマルガリータ』(法木綾子訳)が、ロシア文学専門の小出版社群像社から出たのがようやく2000年のことであった。
「季刊iichiko」が特集を組んだのは、池澤夏樹編集「世界文学全集」の『巨匠とマルガリータ』が2008年に出たことを受けてのものだったのであろう。ようやくブルガーコフの傑作が久しぶりにメジャーな出版社から出ることになり、日本人に広く読まれることへの期待からであったに違いない。
 本来ミハイル・ブルガーコフの特集なら、青土社の「ユリイカ」あたりで組まれていてもおかしくないのであって、それを焼酎の会社の雑誌(PR誌では断じてない。「いいちこ」の広告などひとかけらもないのだ)が組んだことに敬意を表して、早速取り寄せることにしたのは言うまでもない。
(T)