ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

4月からの予定について

2020年03月31日 | お知らせ
新型コロナウィルスの感染がじわじわと広がっていて、何とも不気味で重苦しい毎日です。あちこちでイベントの自粛が行われておりますが、游文舎では細心の注意をはらいつつ、予定していた展覧会は開催するつもりでおります。4月18日より「蔵書票」展です。お越しになれない方のために、随時、こちらで画像をアップしますのでどうぞご覧下さい。



近くの公園で開花した桜を見つけました。例年より数日早いようです。



お砂場で。子供たちの作品でしょうか。


たかはし藤水「植物インスタレーション」展延期のお知らせ

2020年03月16日 | 游文舎企画
新型コロナウイルス収束の見通しが全くつかない今、重苦しい日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて3月24日より開催予定だった「たかはし藤水展」も、当初日程での開催を見送り秋に延期(予定)となりました。たかはしさんはさらに構想を練り、意欲的な展示を目指しております。どうぞご期待下さい。
なお、4月18日からの「蔵書票」展は予定通り開催致します。ぜひお出かけ下さい。

パリから日本へ――師走のパリ旅行記(9)

2020年03月05日 | 旅行
 フランスから帰国して二ヶ月以上が過ぎた。ストライキはどうなっただろう。2月末のともこさんのメールでは「宣言は出されていないけれど、ほぼ終息」ということだった。ともこさんは展覧会の会期中、ずっと往復3時間かけて歩いていた人だ。そういえば冬のパリを、人々は黙々と歩いていた。
 私もまた、日本では考えられないくらいよく歩き回った。モンパルナスという場所はかなりのところまで徒歩で行けるところではあったが、それでも行動半径は限られている。しかも職員の不足か、凱旋門は入場できず、ルーヴル美術館やクリュニー美術館はあちこち立ち入り禁止のロープが張られ、オルセー美術館ではまだ閉館時間に間があるのに、突然閉館を告げられ追い出された。
 
 
 ノートル=ダム大聖堂の痛々しい姿

 しかも、昨年4月、ノートル=ダム大聖堂が火災に遭った。焼失したのは19世紀に再建されたという尖塔だけですんだが、今もすべて立ち入り禁止だった。別に信者でもなく、特に感慨はない。むしろ、昨秋全焼した沖縄の首里城にしてもそうだが、そもそも権力の象徴であったものが、なぜあれほど庶民の心のシンボルのように言われるのだろうと思っていた。それでも、やはり建築的にはぜひ見ておきたいところだったし、シテ島はパリ発祥の地であり、ノートル=ダム大聖堂はその中心である。私は中心を喪失したパリを見ていたことになる。
 さらに12月という時期。連日冷たい雨で、朝9時でもまだ薄暗い。クリスマス月で、大通りのイルミネーションこそ華やかだったが、「花の都パリ」など思い浮かばない。ということは、私はずいぶん欠陥だらけのパリを見ていたのかもしれない。もっともっとすばらしいはずのパリを見るべきだったのだろうか。しかしステレオタイプのきれいなものばかり揃えて、本当のパリを見たといえるだろうか。世界のどこだってそんな旅で満足したくはない。
「キリスト降誕祭が・・・一年のうちで一番暗い日、氷雨の降り続く、暗雲に閉ざされた日であることも容易に納得ができた。如何にもそれは「ケルト的」な《冬至の祭》の記憶を呼び覚まさずにはおかない儀礼であり、一年のうちで太陽の力が最も衰えた時に、奇跡として新しい生命が生れるのである。」(渡辺守章『パリ感覚』岩波書店)
1985年に書かれた同書によれば、1960年代以前には、「万霊節」つまり「死者の日」(11月1日の「万聖節」の翌日)以降のパリは、「人の心というか体もろともに、室内に閉じこもることになるのだ。・・・そして、この「死者の日」以来、パリはひたすら死の徴のもとに灰色になっていく。」(同)
 もしかしたら、この「暗さ」「闇」こそが、文化を胚胎してきたのではなかったか。イルミネーションも、「パリ大洗滌」による白い壁面による明るさも、ほんの半世紀ほど前からのことなのだ。あっという間に、人々は静かに閉じこもる時間を放棄してしまったのだろうか。

ところで他に見たものをいくつか覚え書きとして記しておきたい。「アンヴァリット」はルイ14世の造った堂々たる黄金のドームに、「廃兵院」という聞き慣れない名称、そこにナポレオンの墓があるという、よくわからない観光名所だが、行ってみると立派な軍事博物館があった。13世紀から第二次世界大戦までの戦争の歴史と資料が展示紹介されているのだが、実に多くの対外戦争があったことがよくわかる。戦争の歴史もまた、パリに闇をもたらす大きな要因であっただろう。ヨーロッパから見れば、日本の江戸時代のように中央集権で250年も平和が続くなど思いもよらないのだから。しかもフランスはこの2世紀だけで、普仏戦争、第一次、第二次世界大戦と、大きな対外戦争を3つもしていて、その度に甚大な被害を蒙っている。ド・ゴール率いるレジスタンス運動に広いスペースが割かれている施設であるが、私にはとりわけ第一次世界大戦で西欧の没落を見た衝撃の大きさが伝わってきた。これだけの膨大な戦争史を一箇所で展示する施設など日本にはない。私が訪れた日も、小学生や高校生らしい団体がレクチャーを受けながら見ている姿が、何組も見られた。







 また、カタコンブも興味深い施設だった。カタコンブというと、古代の地下墓所のことだが、パリのそれは18世紀に、共同墓地から人骨を移してきた場所である。現在のポンピドゥー・センター近くにあったサン・ジノサン共同墓地(「罪なき幼子たち」の意)が、腐敗した遺体の残留物による有毒ガスで都市の汚染を招き、18世紀に、かつて地下採石場だった巨大な地下空間に骨を移した。延々と運び込んだことだろう。その後さらに別の墓地からも運び込まれてその数600万体。ところどころに墓地名や搬入の日付のプレートがついている。
近年数時間待ちという人気スポットになっているというが、これもストの影響だろうか、ほとんど待たずにすんなりと入れた。130段の石段を下り、さらに地下へ約20メートル、「Arréte!Cést ici lémpire de la More!」(止まれ!ここは死の帝国だ) 静かだ。地下水だろうか、水の流れる音だけが響く。全長1,7㎞の壁面にびっしりと人骨が埋め込まれているのだ。その几帳面さと言ったら・・・。昨夏ローマの骸骨寺で、人骨で荘厳された聖堂を見たが、それを遙かに超える数である。いずれにしてもこうした骸骨との向き合い方は日本人の理解を超える。壁面に隙間なく、大きさを揃え、時に頭蓋骨をアクセントのように配した、壁面装飾と言ってよい。サン・ジノサン墓地とは、「死の舞踏」の絵図が最初に描かれたところだという。死者との共生ということでは、なおその命脈をとどめているということだろうか。


聖ヒエロニムス


ラ・ベル・フェロニエール


聖アンナと聖母子




グロテスク

 最後にもうひとつ、この旅のメインイベントとなった「レオナルド・ダ・ヴィンチ」展である。ルーヴル美術館で開催中の展覧会を、さちえさんの、パリ在住の友人、じゅんこさんが予約しておいて下さったのだ。出発前の慌ただしさでそれほどの展覧会と思っていなかった私は、パリに着いてから空前絶後とも言われている事を知り、幸運に大喜びしたのだった。何しろ私のパリ展出品作は「ダ・ヴィンチの卵 あるいはものが見る夢」というシリーズのボックスアートで、あちこちにダ・ヴィンチへのオマージュがこめられているのだから。時間まで指定しての予約システムだから、ゆっくりと見ることが出来た。油彩画の、透明色の重なり、光の効果、筋肉の表現、極めてデリケートな表情のとらえ方、何をとっても完璧だ。完璧主義故の寡作が惜しまれる。私は手稿類も大好きだ。とにかく何にでも興味を持ちとことん科学的に追求する。それが芸術表現としても優れているのだ。ダ・ヴィンチについてはいずれもっと書きたいが、あまりにも偉大すぎるとしか、今は言えないでいる。

そうこうしているうちに、日本は新型コロナのニュース一色になってしまった。急転の二ヶ月だった。今なら海外渡航には、二の足を踏んでいただろう。いや相手国から入国拒否されるかも知れない。外出もイベントも自粛、公的施設は軒並み閉鎖する中、小中高校の休校が決定的に国民を閉塞感に陥れた。その底流には長期政権による奢りから、公平で冷静な判断力を失ってしまった安倍政権、いや安倍首相個人に対する不信感と嫌悪感が渦巻いている。まもなく東日本大震災と原発事故から丸9年を迎えるが、追悼のセレモニーも自粛されるという。東京オリンピック誘致に向けて「アンダーコントロール」と言い放った人が、オリンピック開催も危ぶまれる中、なお国をリードしようとしていることのおぞましさ。国民の不満の矛先はどこへ向かうのだろう。新型コロナよりも恐ろしい事態にならないことを祈るばかりだ。今はとにかく、静かに閉じこもることを能動的に受け入れるよい機会にしたいものである。(終わり)