ギャラリーと図書室の一隅で

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巖谷國士氏講演会「旅への誘い~文学・美術・自然~」より(2)

2016年05月19日 | 游文舎企画
さらに日本人の旅について、柏崎でも取り上げた縄文、一遍、芭蕉に注目する。
狩猟・採取を基本としていた縄文人は「旅そのもの」であり、そこから交易や探検も生まれたし、放浪もしていたのではないか、と言う。
弥生人が到来し農耕とともに定住が始まり、奈良・平安の「国家統一」による「画一的日本」が乱れた中世に登場したのが一遍である。遊行寺には「一遍聖絵」という傑作が残されているが、絵巻物ほど旅にふさわしい芸術はない。一遍はひたすら踊り、民衆を巻き込みながら旅を続けた。宗教者というよりも旅芸人、のような存在だったのではないか、と言う。
そして「日々旅にして、旅を栖とす」「漂泊の思ひやまず」と書き残している芭蕉に、本性としての旅を見る。氏は、一遍聖絵と芭蕉を「日本の旅の芸術と旅の文学はここからといってもよい」と語った。
続いて、これまた画期的な切り口であった「旅と芸術」展の画像を映しながら、いかに外へと向かい、表現したかについて語った。
驚異の世界を想像し、記録した『ヘレフォード世界図』やシェーデルの『年代記』、各種博物誌等。また過去への旅をするピラネージの『ローマの景観』。オリエンタリズムのきっかけとなった、ナポレオンの異常なエジプト熱の産物『エジプト誌』。鮮やかな色彩を獲得したドラクロアの北アフリカへの旅。モネやルソーが描いた列車の絵。その列車が、旅を「点」から「点」という、観光スポット巡りのように変えてしまったこと。文明から逃れて定住することができなかったゴーギャンの「かぐわしき大地」。生涯を亡命、移民として生きたシャガールの不思議な絵。片や北斎という天才絵師によって表現される旅のダイナミズム。日本の風物だけでなく災害を描いた真のジャーナリスト・ビゴー。




画像を使っての講演

併せて、寺田寅彦の「文明が進化するに連れて災害を大きくする」という文章も紹介した。
最後に、氏は「現代は本当に特殊な時代であり、経験したことのない戦争や災害により移民、難民、亡命の旅がある一方で、観光産業によって旅が大衆化、組織化、商品化されている」「一遍や芭蕉のように本来、旅とは線。現在の観光旅行は点にすぎない。」と述べた。そして「現在我々は旅の自由を失っている。旅とは不思議に出会うことであり、シュルレアリスムは日常を旅に変える理論だ」と結んだ。



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