『「自分」から自由になれる沈黙入門』小池龍之介 幻冬舎 2008年
基本的にこの手の本は嫌いだ。「○○になれる本」「○○が簡単に分かる本」など。
なぜかこの本を横浜有隣堂で手に取った。するとほぼ全部立ち読みしてしまった。そして後日オアゾの丸善で買った。つまり買って再読しよう、誰かに読ませようという魂胆があったから。
内容は薄っぺらいのに濃い。
・カケガエのない自分なるモノが存在するわけじゃなく、自分自分を前面に押し出していると本人にとっても周りの人にとっても不幸。
・ケチをつける人は自分が分かっているということをアピールしたい。それが醜い。
・ゆっくりとしゃべれば、汚い言葉、文句、自慢が自然と抜け落ちる。(これは目からウロコ) 自分を抑えた天皇のしゃべり方がもしかすると理想的かも(おっと、それは新鮮な意見だ!)
・心の迷い、心がマイナスのことを感じるときはそんな自分を客観的に見るだけでいい。ただ見るだけで落ち着くはず(ふーむ)
著者の小池龍之介氏は現役の僧侶であるそうだ。この本は「ジブン濃度」を薄めることが善であり美しく、それが落ち着いた生き方になるという事を言わんとしているよう。語り口はスマートで和風。とても読みやすく、説得力が大なり。
ベストセラーだからそれは読まないと決め付けていた自分の矮小さにもまた気づかされた。
そうそう。この本について現役の精神科医と話をする機会があった。するとその人が考えていた事と合致する部分が多いそうで、この本の話を目を爛々と輝かせて聞いていた。薬では必ずしも治癒しない精神的疾患に対処するのは大事だそうだが、その方法論としてこのようなアプローチがあるそうだ。ふーん、深いのね。それからその人と他力本願と自力本願の違いと根本的には同じなんじゃねえの的話から大乗仏教やら念仏の効用やら極めて仏教臭の強い会話で盛り上がってしまった。一冊の本から広がる発想やこのような会話。面白いものだ。
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今日の教訓
ブッダがぶっだ
なるほど…言いえて妙なほど感ずる物がありますね
よ・ん・で・み・よ・う・・・
三浦しをんと比べてどちらを先に、しをん・・・
自慢する人、主張する人は必ず早口でしゃべってますよね。
ゆっくりと自慢する人はあまりいないでしょう。
話すことと自我の関係なんて深く考えてみると
面白いんだろうと思います。