「猫を抱いて象と泳ぐ」小川洋子 文藝春秋 2009年
「博士の愛した数式」で第一回本屋大賞受賞した不可思議な世界観を繰り広げる小川洋子。最新作はチェスがテーマだ。正直に言って、チェスにはあまり興味がないので(ルール知らないので)スルーしていた。その後割りと評判がいいと聞いたのだが、なにしろタイトルが「猫を抱いて象と泳ぐ」という気色の悪いモノだったの避けていた。しかし、貸してくれる人がいて、それでじゃあ読んでみようかという気持ちに初めてなった。つまりレビューは面白かったらしようなかと思っていた。さて、
もう最初っから最後まで小川洋子ワールド全開である。この小川洋子の世界を好きな人にはほんとにたまらない作品だし、そうでもない人にはかなり退屈な作品ではないかと思った。
後にリトル・アリョーヒンと呼ばれるようになる男の子が主人公である。アリョーヒンとは1892年ロシア生まれの伝説のチェスチャンピオン。美しい棋風で「盤上の詩人」と呼ばれたそうだ。(参照:wikipedia) 設定は一応日本風である。しかし場所は全く重要ではなく世界のどこであっても充分成立するuniversalな物語である。彼は生まれついて唇が開かないという障害を持ち、父母は亡くし、祖父母と弟と4人暮らし。生活は苦しい。
そんな彼が偶然見つけたスクラップのバス。その中に住む非常に太った男、マスター。彼との出会いがリトルを変える。それはチェスとの出会いだ。障害を持った分、別の形で優れた能力が彼に与えられたようだ。経緯は書かないが、チェスの盤の下にもぐって指すという彼のスタイルがなんとも愉快だ。
自分が生きているその目的が見つかったリトル。しかしその先にはマスターとの別れが待っている。天才的チェスプレイヤーのリトル・アリョーヒン。「盤上の詩人」に対して、「盤下の詩人」と呼ばれるようになる。その後がまた面白い。やや怪しく秘密めいたチェスの倶楽部での仕事、そしてそこを脱出した後に・・・・・・まさにswimming with the elephant, holding the catなのだ。なんで英語やねん。
いやいや。まいりました。いやいや。ごめんなさい。こんな小説をスルーしていたなんて本読み失格です。
全体としてちょっと切なくて、ちょっと悲しくて、でもほっとして、少し癒されて、少しはげまされて。この「ちょっと」がまさに小川洋子の真骨頂である。全てにおいて過剰な事は何もない。大きなどんでん返しもなく、とてつもない悪意を持つ人物が登場するわけでもない。全てにおいて中庸であるのが実によい。ほどよい味付けの料理を食べたようだ。もっとこってりした料理を食いたい者は他に行けばよい。もっと辛いモノを食したい者にはモノ足りないだろう。猫を抱いて象と泳ぐのがいやならば、他に行くべきところはたくさんある。でももうちょっとお付き合いあれ。
「あなたに初めてチェスを教えたのがどんな人物だったか、私にはよく分かりますよ」
「駒の並べ方、動き方を教えてくれたのが誰だったか、それはその後のチェス人生に大きく関わってくると思いません?チェスをする人にとっても指紋みたいなものね」(168頁より引用)
「駒の並べ方、動き方を教えてくれたのが誰だったか、それはその後のチェス人生に大きく関わってくると思いません?チェスをする人にとっても指紋みたいなものね」(168頁より引用)
このチェスを別の言葉に置き換えると色々なモノが見えてくる。
あなたに初めて恋愛を教えたのは誰か?あなたに初めてキスの仕方を教えたのは誰?あなたに数学を、歴史を、哲学を、あなたに音楽の素晴らしさを教えてくれたのは誰だろう?うーむ。私も色々と昔を思い出してしまった。
「チェス盤は偉大よ。ただの平たい木の板に縦横線を引いただけなのに、私たちがそんな乗り物を使ってもたどり着けない宇宙を隠しているの」
「そう、だからチェスを指す人間は余分なことを考える必要などないんです。自分のスタイルを築く、自分の人生観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好よく見せる。そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持ちさえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する・・・・・・。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう」(253頁より引用)
「そう、だからチェスを指す人間は余分なことを考える必要などないんです。自分のスタイルを築く、自分の人生観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好よく見せる。そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持ちさえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する・・・・・・。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう」(253頁より引用)
この箇所には参った。ガツンと来た。まるで僕のことを言ってるよう♪(ミスチル「エソラ」)なんだか余分な事ばかり考えている自分が頭の上から冷たい滝に当たってるような気分。これが実にいい気分だ。
「もしあそこでこうしていたら、しかしああしたのはこういう理由があったわけで、だからこう指したのは結果から見て・・・・・・などとくどくど自分のチェスに自分で意味をつけたがる。自分で解説を加える。全く愚かなことだ。口、などという余計なものがくっついているばっかりに(285ページより引用)
自分の行動に常にオルウエイズ、意味というシールを貼っている。それが私。滝に当たったどころか、AK-74を耳の穴に入れられて連射されたようだ(どんな喩えだ)ずぼぼぼぼぼぼと耳の奥が音を立てている。
疑問がある。こんな風にご自分の書いた文章を勝手に読者が「ああ俺のことを書いている!」と解釈して自分に対する警句だったり、自分に対する恩赦だったり過剰なまでに自分に置き換えてしまうというこの読み方。作者としてはどうなんだろう?
そんなわけで、先日の小川糸 「喋々喃々のレビュー」と「小川糸読んだ後にダブルファンタジー読むとどうなる」に続いて今度は小川洋子。ダブル小川にやられてしまった2009年の2月冬であった。
では、また。
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他の本のレビューは
「本レビューINDEX 作者あ~か~さ~た~」
「本レビューINDEX 作者な~は~ま~や~ら~わ~」
でもふるさんのペース速すぎておっつかなーいっ!
私のことは置いておいて、某書評ブロガーの二人にきいたのは、
毎日書評をアップしているけれど、それはずっと前に読んだ本も
たくさん混じっているのだそうです。だとすれば凄いペースの
読書量に一見見えるのも一日一冊読んでいるわけじゃないのですね。
おっと話が飛んでしまいました。私の読むスピードは特に速くもなく
特に遅くもないと自分では思っています。ただ読んだ本を全てレビュー
しているわけではないのですが。
読むスピードが速いというより、隙があればいつでも本を読んでいる
のだと思いますが。
隙があったらすぐに携帯をチェックする
女性よりずっと素敵です。
今まさにこの本を読んでいます。
物語の終焉に近付いたところです。
>この小川洋子の世界を好きな人にはほんとに>たまらない作品だし、そうでもない人にはか>なり退屈な作品ではないかと思った。
本当にそうですね。
私は小川洋子ワールド大好きなので、
んーもぅ、堪らーーーん♪なのですが。
どっぷりと猫を抱いて象と泳いでいます。
このまま読み終わらなければいいのにと思うくらいに心地いいです。
今思い返しても、またしみじみとこの作品の持つ味が香りが蘇ります。
サァッと読んで「あー面白かった」で終わりの本もよいのでしょうが、
じっくり読んで、その余韻が後にまで残るような作品はやはり良いですね。
しかし、参考にできるようなレビューを私は書いていたのでしょうか・・・
氏の文章を読んでいるだけで泣けてくるのです。
どんだけ好きなのか、わたし。
>あなたに初めて恋愛を教えたのは誰か?
>あなたに初めてキスの仕方を教えたのは誰?
きゃーん。
ステキ~。
ふるさんにそれらを教えたのは誰ですかー?
何かを誰かを心の底から好きになれる人はとても幸せな人だと思いますね。
何キレイなこと言ってるんだろう。
>ふるさんに「それら」を教えたのは誰ですかー?
真田先生ですね。小学校のときの音楽の。
どれみふぁそれらしど