こんばんわ。
グリーフでは、
「折り合いをつける」
という言い方をします。
死別で亡くなった相手は帰りません。
だから、元の状況になるのは不可能です。
元の自分に立ち直ることも難しいですよね、
相手は居ないのですから。
離婚も同じです。
幸せだったときは、戻らず、
相手も戻らない。。。
だから、同じ状況に戻ろうとすることは無理があります。
つまり、気持ちが同じ状況には戻れないのです。
向かう方向は違うのです。
新しい自分、環境を受け入れて、
その状況と自分の感情の折り合いをつけていく作業なのです。
失った悲しみや、
大切な思い出を捨てることはできません。
完全に忘却することもできません。
そして、この離婚という事実、
それにまつわる、色々な出来事を
忘れることはできないし、その必要はありません。
そんなことも人生であったのだと、
自分の人生で折り合いをつけていくこと
このことこそが、
グリーフプロセスなのです。
辛いし、思い出すし、後悔もする。。。
でも、それでも、
何とか、どうにか、新しい人生に、環境に、
適応していく
感情の折り合いをつけていく。。。
そんなプロセスです。
グリーフでは、
「折り合いをつける」
という言い方をします。
死別で亡くなった相手は帰りません。
だから、元の状況になるのは不可能です。
元の自分に立ち直ることも難しいですよね、
相手は居ないのですから。
離婚も同じです。
幸せだったときは、戻らず、
相手も戻らない。。。
だから、同じ状況に戻ろうとすることは無理があります。
つまり、気持ちが同じ状況には戻れないのです。
向かう方向は違うのです。
新しい自分、環境を受け入れて、
その状況と自分の感情の折り合いをつけていく作業なのです。
失った悲しみや、
大切な思い出を捨てることはできません。
完全に忘却することもできません。
そして、この離婚という事実、
それにまつわる、色々な出来事を
忘れることはできないし、その必要はありません。
そんなことも人生であったのだと、
自分の人生で折り合いをつけていくこと
このことこそが、
グリーフプロセスなのです。
辛いし、思い出すし、後悔もする。。。
でも、それでも、
何とか、どうにか、新しい人生に、環境に、
適応していく
感情の折り合いをつけていく。。。
そんなプロセスです。
こちらのブログでも以前に
「執着を捨てる」というテーマ内容にもとても納得させられましたが、今回の「折り合いを付ける」というのも立ち直りのプロセスではとても大事だと実感します。
私は夫からの離婚申し出を受ける状況でしたが(夫は自分の働いたお金は配偶者に使いたくないし、独身のペースを崩す私がうっとーしいから出て行け...などと言う無責任なタイプで離婚をしたいという、なんとも幼稚なガッカリ残念な理由 苦笑)
はじめ私は離婚したくありませんでしたが、別居中にセラピーやカウンセリングに通い、"離婚はすべきではない""添い遂げるべき""自分が我慢すべき"
の"べき"にとらわれ、それが愛情ではなく、執着という事に気づき、自尊心を取り戻しつつ、別居・カウンセリング・自己取り戻しを経て「添い遂げられないタイプの相手もいる」
と心の整理ができ、自分の意思で納得して離婚届に判を押し、提出する事ができました。
あとはやはり色んな方のブログを拝見して為になったのも大きいです。
喪失感の渦中にいると大変ですが、折り合いって大事ですよね~。
著者様、ひろみつ様、先日はとてもご丁寧にコメントを返して下さって、ありがとうございます。
頭ではわかっているのですが、
彼を大切に思っていた時の事を思い出すと、どうにもやるせないですね。
しょうがなかった、としか言い様がないですよね。
もっと自分を好きになれたらなと思います。
そうじゃないと、支えてくれる周りの人達にも悪いですしね。
いつも本当にありがとうございます。
お世話になります。。
何度か書いていますが…
一年前の突然の衝撃的出来事に対して、
当時、大騒ぎするような反応が示せなかったと思います。
意識して冷静を装い、日常生活を維持しようと努めていました。
仕事も忙しく、職場に迷惑掛けるわけにもいきませんし、
子供たちの毎日の世話もおろそかに出来ません。
なので自分自身の感情とちゃんと向き合ってない、のかもしれません。
職場でもそうですが、家に帰ったところで、
子供たちの前では悩んだり落ち込んだりしてられませんし、
苦しんでる場合じゃないんだ、とにかく今を安定させなきゃ、って。
もともとそういう性格だし、苦しみから逃げているだけ、というのもあるのかも…。
だからか?
時々、ダムが決壊するかのように、悪しき感情がどどっと押し寄せてきて、
受け止めきれなくなくて、俺はダメだ、って気持ちでいっぱいなっちゃって、
息を止めてじっと耐えてやり過ごすしかない…。
だけど、すこしずつですが、慣れてきた。
苦しいのが当たり前になって、普通になってきた。
ダメなときはダメでどうしようもないし。
世の中には、想像を絶するような理不尽な人生を強いられ、
地獄のような苦しみを抱えたままギリギリ生きている人がたくさんいるでしょう…
俺だけが苦しいわけではない。ましてや俺の苦しみなんかはこの程度。
世の中から見たら、奥さん出ていっちゃったらしいよ、ってだけの話です。
俺は、まだ生きてる。不治の病を宣告されたわけでもない。
仕事も収入も、少ないが今のところは、ある。
子供たちはいる。わかってくれる人もいる。
苦しみはなくならない。
でも、受け入れていけることはできるかもしれない。。
この人生に、何らかの形で折り合いをつけて…受け入れて…
そして、すこしずつ立ち直りたいです。。。。
どんな感情も認めてあげることです。
苦しくて当たりまえ。
耐えきれないくらいの感情もしょうがない。
ときどき、ボロボロになってもいいじゃない。
また少しだけ動けるときに動けば。
ほんとうに、がんばっていますよね。
ほんとうに、
「べき」っていうのは、難しい。
わかっていても、なかなかね。
前回、今回と読んでいて思うのは、
とても成長されていますね。
その調子ですね。
今まで思い込んでいたものが
わかってくると
新しい景色が見えてきますね。
この言葉って、
いい言葉なんですよ。
ネガティブに受け取る言葉じゃないんです。
がんばったからこそ、
「しょうがないか・・・・」
って思えるんですね。