(ここからしばらく、個人的な思い出話になるので興味の無い読者は読み飛ばしてほしい)
38年前の高校2年生の秋、私は竹芝桟橋からフェリーで三宅島に向かっていた。BGMには由紀さおりの手紙が流れていた。三島由紀夫が市谷の自衛隊基地で割腹自殺を遂げ、東大が紛争で封鎖された年だった。家族はバンコクに駐在していたために三鷹の社員寮のマンションで一人で生活していた。学校も紛争で授業中断が続いていた。なぜ、伊豆に向かうのか?自分にもわからなかった。ただ、自分がそれまでの大学受験という目標を失って混乱状態にあるということだけを感じていた。このようなエアーポケットを私はその後何度も経験することになる。(2回目のエアーポケットについてはまだ執筆中である)
自分をかりたてていた価値や目的を喪失したときに人は「原点回帰」とも呼べる行動に向かう。まちがいなく、伊豆七島に私の記憶しない「原点」が刻まれている。
(画像:東京島しょ漂流記)
38年前の高校2年生の秋、私は竹芝桟橋からフェリーで三宅島に向かっていた。BGMには由紀さおりの手紙が流れていた。三島由紀夫が市谷の自衛隊基地で割腹自殺を遂げ、東大が紛争で封鎖された年だった。家族はバンコクに駐在していたために三鷹の社員寮のマンションで一人で生活していた。学校も紛争で授業中断が続いていた。なぜ、伊豆に向かうのか?自分にもわからなかった。ただ、自分がそれまでの大学受験という目標を失って混乱状態にあるということだけを感じていた。このようなエアーポケットを私はその後何度も経験することになる。(2回目のエアーポケットについてはまだ執筆中である)
自分をかりたてていた価値や目的を喪失したときに人は「原点回帰」とも呼べる行動に向かう。まちがいなく、伊豆七島に私の記憶しない「原点」が刻まれている。
(画像:東京島しょ漂流記)