Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

外山雄三/日本フィル

2014年12月06日 | 音楽
 外山雄三が日本フィル定期を振った。17年ぶりだそうだ。もっとも、その間に横浜定期を振ったことがある。ベートーヴェンの「英雄」を記憶している。そのときは元気がなかったので、今回も心配していた。でも、なんの、なんの、お元気だ。

 年齢のことで恐縮だが、現在83歳。先日、児玉宏が2016年3月末で音楽監督・首席指揮者を退任する大阪交響楽団に、同年4月付けで外山雄三がミュージックアドバイザーに就任するというニュースが流れた。正直、びっくりしたが、元気なお姿を見て納得した。

 1曲目は外山自身の作品、交響詩「まつら」。日本フィルの争議を支援してきた者には懐かしい曲だ。九州公演(今も続いている)を通して絆を深めた唐津の市民が、カンパを集めて(1人1,000円、それ以上はもらわない。市民2,000人から集まった)、外山氏に新作を委嘱した。それが本作だ。今思うと熱い時代だった。1982年(昭和57年)のこと。

 演奏が始まって、あぁ、そうだ、こういう曲だったと思い出した。懐かしかった。昔よりもしっとりと歌われている気がした。しみじみと胸に染みた。最後はこういう終わり方だったか。素人の大胆さでいうと、冒頭の静かな音楽に戻ったらどうかと――。素人の妄言、お許しいただきたい。

 会場には昔懐かしい方を何人かお見かけした。争議時代の執行委員長のM氏、当時のコンサートマスターのO氏。皆さんお元気そうだ。外山氏が振るので来たのだろう。そういえば、オーケストラの中にも、当時のアシスタント・コンサートマスターのI氏の姿があった。

 わたしもいろいろ想い出した。争議が解決したのは1984年(昭和59年)3月だが、同年6月に記念コンサートがあった。会場は新宿の厚生年金ホールだった。マチネー公演と夜公演の2部構成。マチネー公演はゲストを迎えて賑やかに、夜公演はオーケストラ・コンサートとして本格的に、という色分けだった。

 あのとき指揮をしたのも外山氏だった。曲目はなんだったろう。夜公演にはベートーヴェンの「運命」があったような気がするが、定かではない。マチネー公演のゲストには山岡重信氏がいた。争議の最初期からずっと日本フィルを支えた指揮者だ。「はじめて音が出たときには、みんな泣いていました」といって目頭を押さえた。忘れられない。涙、涙のコンサートだった。

 そんな記憶が交錯する。
(2014.12.5.サントリーホール)
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